
心の伊達市民 第一号
ある日の朝刊の「文化欄」に面白いことをしている人が出ていた。
それは落語家の古今亭駒治という男で、全国の「○○前」と名の付く駅を訪ねている話だった。
そして『前駅は本当に○○の前にあるのか?』と自分の足で確かめるために、全国に出向いて距離を測るという、考えてみればバカバカしいことをやっている。なんだか引退後のオヤジがやるようなことを、現役の若い落語家がやっていることに興味を持ち、私も小規模ながら都内でやってみることにした。
今回はブログに載せる写真が10枚なので10駅を訪ねてみたが、いずずれも良く知った場所である。
「銀座線・三越前」、「銀座線・外苑前」、「丸の内線/千代田線・国会議事堂前」、「丸の内線・新宿御苑前」、「千代田線・二重橋前」、「千代田線・明治神宮前」、「半蔵門線・水天宮前」、「南北線・東大前」、「大江戸線・都庁前」,「ゆりかもめ・市場前」の10駅だが、「ゆりかもめ」以外は全て地下鉄駅で、JRの東京管内にはなぜか「前駅」は無い。
今回の「前駅」訪問は、時間のある時に4回に分けて訪ねてみた。
地下鉄に乗って行けばわけもないが、暇人の私は時間つぶしの旅なので、なるべく都バスを使って行った。手始めに「二重橋前」に行ってみた。
都バスで東京駅に出れば、歩いてもすぐの距離である。
ここは「和田倉噴水公園」や、その先の皇居に行く時に横を通るが、「二重橋前」駅で降りたことは無い。私はこの駅で降りたことが無いので、改札口を知らなかった。
行ってみて初めて分かったが、「二重橋」からは相当遠い。この駅は『和田倉門前』とすべきだと思った。
10ヶ所の内、私が降りたことの無い駅の2つ目は「南北線」の「東大前」だった。
南北線という路線は私には使い難いのである。
自宅から南北線に乗るためには大江戸線で「飯田橋」に出るのが一番早いが、それでも遠いのである。
南北線に乗り、2駅で「東大前」である。私の行った時間の関係か、改札口を通る人は少なかった。東大生の多くは大江戸線の「本郷三丁目駅」を利用するようだ。
今回は割合に近場の10ヶ所の「前駅」を探索したが、そこで気が付いた。
「○○駅」と名の付いた駅は「東京メトロ」ばかりで、他には大江戸線の「都庁前」と、「ゆりかもめ」の「市場前」しか無かった。その理由は分からないが、大江戸線の方が駅から駅の距離が近いのだから、こちらの方に「前駅」が多くあっても良さそうだと感じたのである。
話は変るが、私の年齢では地下鉄は「営団地下鉄」が馴染みがある。それが今では「東京メトロ」である。その頃のマークは英語の「S」をデザインしていたが、2004年に民営化して「東京メトロ」になり、マークも「M」をデザインしたものに変った。
長生きすると、色々なところで歴史を感じるようになる。
この企画を始める前は「ゆっくりと1週間くらいかけて、都バスで風景を眺めながら行こう」と思っていたのだが、いざ始めると早く終わらせたくなる。これも私の性分だから仕方がない。
3回目の「外苑前」、「明治神宮前」、「新宿御苑前」、「都庁前」は2~3回に分けて行くつもりだった。「外苑前駅」から「明治神宮前駅」は都バスの路線では接続が悪いが、地下鉄を使えば簡単だった。
そこで最初の考えを忘れたわけではないが、その間は地下鉄を使ってしまった。
「前駅」探索をして気が付いた。
私の行ったのは全て地下鉄駅だったので、実際には「前駅」ではなく、「下駅」ではないかと思う。しかも駅からかなり離れていても、近くの有名な建物や大学名を付けている。
知らない人は駅名だけで判断して、『きっと真ん前でなくても、近いに違いない』と誤解してしまう。今回の10ヶ所の駅で一番近いのは「市場前駅」で、一番遠いのは「二重橋駅」だった。
(おまけの話)
鉄道の駅でやっているなら、バス停でやっている人がいるのではないかと思いネットで検索してみた。やはり私の想像通りにいた!
ヒットしたのは「東京新聞」の2020年11月5日のニュースで、『全国で一番多いバス停は「市役所前」ではないか? こんな仮説を立て、13年の間、全国の市を訪ね歩いている人がいる。家業の金物店で働く川崎市川崎区の飯島正之さん(37歳)。北海道から九州まで175市の「市役所前」バス停を確認した』。
バカバカしさでは、私はこの2人では敵わない。
古今亭駒治の踏破したデータによると、2021年8月現在で全国に330の「前駅」があったそうだ。関東には53駅あり、東京都には38駅ある。
この内、都電「荒川線」には次の8駅があると書いてあった。
「荒川一中前」、「荒川区役所前」、「町屋駅前」、「荒川遊園地前」、「荒川車庫前」、「王子駅前」、「鬼子母神前」。
これを見て、私はすぐに気が付いた。「2駅が抜けている」と。それは「熊野前」と、「宮ノ前」である。「宮ノ前」は「尾久八幡神社」が近いから、「お宮の前の駅」の意味だろう。「熊野前」は現在は無いが「熊野神社」があった頃の名前である。
実際は「8駅」ではなく「10駅」だった。だが省いた理由は「駅前」から対象物の距離も測っているので、対象物が無くなった「前駅」は省いてあるようだ。
今回の「前駅」を訪ねてみて、大したことではないが分かったことがある。
駅名に特定の商業施設の名前を使っているのは「三越」だけだった。
「高島屋デパート」の地下にも地下鉄は入っているが、そこは「日本橋駅」で、どちらかというと「三越前駅」は本物の橋の「日本橋」に近いのだから「日本橋駅」にして、高島屋の下の駅を「高島屋前」にした方が妥当のような気がした。
駅名を付ける時に、なにか事情があったのかもしれない。
北海道伊達市に2003年夏より毎年季節移住に来ていた東京出身のH氏。夏の間の3ヵ月間をトーヤレイクヒルG.C.のコテージに滞在していたが、ゴルフ場の閉鎖で滞在先を失う。それ以降は行く先が無く、都心で徘徊の毎日。
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12月28日はディスクジョッキー(DJ)の日 皆様、12月28日は「ディスクジョッキー(DJ)の日」だということをご存知でしょうか? ラジオでのDJ活動の第一人者であり、ラジオ人気長寿番組「オールナイトニッポン」の最初のパーソナリティである糸居五郎さんの命日にちなみ、日本では12月28日は「ディスクジョッキーの日」として制定されています。 日本でDJという言葉がメジャーになったのは、ラジオでMC+曲をかけるというスタイルからだと言われています。 ということで、今回の主人公はDJ歴30年、MC無しの音だけでフロアを盛り上げてきた『dj_hatass』こと畑吉晃さんです。 畑さんは1969年生まれの53歳。 DJの世界との出会いは20歳くらいの頃だそうです。 年代的にはちょうどディスコブーム後半の頃になります。 黒服の人に誘われてこの世界に 畑さんの将来を決定づける出会いでした。 その中には、今でも一緒に活動をしている先輩DJの中居さんや、室蘭唯一のクラブ『Red Hill』の竹内さんもいました。 そしてもう一つ、衝撃的な出会いとなった音楽が “ハウスミュージック”と"テクノミュージック"。 それは、これまでに感じたことのないほどの興奮と感動を与えてくれたと言います。 ところで〜 そもそもDJって?と調べてみました。 DJの歴史 第二次世界大戦中から脈々と水面下で培われていた「曲をかけて踊る」という文化。 1960年、ニューヨークにLe ClubというナイトクラブがオープンしたところからDJ文化の原型が誕生していきました。 ただその頃は、曲を繋げるのではなく、1曲が終わったら次の曲をかけるというスタイルでした。 そして1969年、アメリカのニューヨークで、2台のレコードプレーヤーを使って途切れることなく曲を流すというスタイルが生み出されます。 そして1970年代、世間ではディスコが大流行しました。 また、1980年代後半から1990年台にかけてアメリカやヨーロッパなどでレコードプレイヤーを使って音楽を提供するディスコやダンスホール(以後クラブ)が人気となりました。 その空間で選曲し、切れ目のない音楽でフロアを盛り上げていたプレイヤーがいつしかDJと呼ばれる様になります。 そしてDJの演奏スキルやテクニックの向上とともに、DJが使用するレコードプレイヤー、ミキサーなどが進化していくのでした。 現在のDJスタイルとしては、アナログDJ・CDJ・PCDJなどが一般的だそうです。 ・ アナログ(レコード)DJとは、昔からの定番スタイルで、曲の繋ぎを考えながらレコード選びをし、音の厚みで勝負するスタイルです。 ・ CDJとは、多くを持ち運べないというレコードのデメリットをCDの普及により解消し、PCやCDレコーダー、メモリースティックなどの駆使によって音源の呼び出しも容易にプレイが出来るスタイルです。 ・ PCDJとは、より効率的であることを優先した先に生まれた技術です。持ち運びの出来る楽曲量の多さと、音源入手の手軽さにより、現在は主流のスタイルになっています。 「持ち運び」の利便性がKeyで進化していったスタイルの違いですが、結果、利便性だけではないメリットとデメリットが生じたようです。 音楽のジャンルによっては、アナログに勝るスタイルはなかったり、PCDJをやるにはPCや機材の知識が必要になったりとそれぞれに高度な知識とスキルを必要とされます。 怠らぬキャリア積み上げ このような歴史を持つDJですが、畑さんはこれらどのタイプでも対応できる実力をお持ちです。 素敵! フロアに出ていなくても勉強を続けるとは、まさにプロ魂です。 この時は室蘭のチーム対苫小牧のチーム。 お隣にいらっしゃるのが先輩DJの中居さんです。 チームの入場曲や得点が決まった時の『ゴールホーン』も畑さんたち、DJチームのオリジナルMIXだそうです。 その甲斐もあり、この日は見事に勝利! 「ところで、他にはどんなところでDJをされているのですか?」 楽しそうに話す畑さんでしたが、少し神妙な面持ちにも…。 ブログの最後に畑さんのSNSアカウントを掲載しています。 「DJに関するご相談はそちらからどうぞお気軽に!」とのことです♪ 意外な本業とは さてところで。 実は畑さんの本業は、ジオパーク推進協議会の職員さんです。 そして、筆者もとてもお世話になっている『洞爺湖有珠火山マイスター制度』の担当者でもあります。 とても優しく、みんなに頼られる兄貴的存在です。 そして事務所にいらっしゃる時の畑さんはDJとは全く別のお顔です。 なんと! それは意外! 畑さんが言うには、火山マイスターの皆さんが一生懸命に勉強したり、講師活動をしたりしている姿にとても感動して触発されたのだそう。 そうか…。 共通項はそこなんだ! 正直に書けば、取材をさせていただく前、事務所にいらっしゃる畑さんとDJをされている畑さんは全くの別人だと思っていました。 どちらかが裏で、どちららかが表。 でも、裏も表もどちらも素敵だなあと。 ところが違いました。 畑さんはどちらも表でした。 舞台に立つ人たちを裏方で盛り上げることに喜びを感じる人だったのです。 なるほど…。 確かに思い当たります。 畑さんは本当に話すのが苦手でいらっしゃいます。 何かを発表される時、「原稿なしでは話せません」と恥ずかしそうにします。 そして超棒読み…^^; ところが、一旦機材の前に立つと活き活きとした表情で、機材を自由自在に操り、音で意気揚々と皆様に語りかけ、フロアを盛り上げていきます。 ジオパーク推進協議会の職員さんのときとのギャップがスゴい! 人生の終わりまで『影の主役』を 「ところで、畑さんにとってのDJの魅力ってどんなところでしょうか?」 『影の主役』に喜びを感じるところ。 言い換えると、決して出しゃばらず表現して、場を支え盛り上げるところ。 とても畑さんらしいなあと思います。 「それでは最後に。” dj_hatass “として、将来どうありたいと考えていますか?」 ” dj_hatass =畑 吉晃 ”は、人生の終わりまで『影の主役』を望み、大好きな曲で送って欲しいと願う、DJのプロでした。 ディスコ全盛期を生きながら一度もディスコのドアを開いたことがない筆者ですが、人生初のディスコは” dj_hatass “に踊らせていただこうと思います。 [Instagram] https://instagram.com/dj_hatass?igshid=YmMyMTA2M2Y= [Facebook] https://www.facebook.com/profile.php?id=100005068364809
Rietty
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01/28(日) マニアではなく科学する人 世羅繁宇氏の“ Stage 2 “〜自家焙煎ジャズ喫茶『COSSETTE COFFEE』
過去最長の書き上げ時間を要してしまいました…。 そのくらい筆者を悩ませた人、世羅繁宇氏が今回の主人公です。 お話を伺う限り、全てにエビデンスに基づく計算があるということを察しました。 きちんと科学する人でした。 実は感覚派の筆者には一番不得手なタイプ。 言い換えれば、一番興味をそそられるタイプ。 だからこそ、理解に時間がかかったという訳です。 「起業する前は大企業のエンジニアでした」。 全てが腑に落ちたご経歴の持ち主でした。 『COSSETTE COFFEE』をオープンされたのは2022年6月のこと。 会社員時代から珈琲焙煎は趣味でなんとなく行っていたそうです。 その時使っていたのは銀杏を炒る道具。 その後、当然のごとくエンジニアスピリッツがより良い焙煎機への開発へと繋がっていきます。 「珈琲焙煎という趣味は、アウトドアの趣味とは違い金銭メリットが生まれます。 料理もそう。遊びの中でメリットがある。そんな気づきが起業に結びつきました」。 世羅さんの言葉に、単に趣味が高じたわけではないというニュアンスを感じました。 「誰かに師事したことはありません。バイブルは『田口護 珈琲大全』のみです。 焙煎、ネルドリップの淹れ方はこの本で学びを深めました」。 この本の冒頭にはこのように書かれていました。 (引用) [コーヒーの焙煎は名人上手の専売特許ではなく、職人的なカンの世界などでもない。 理詰めの数学であり論理学の世界なのである。 生豆の選定から抽出までの流れを一つのシステムとしてとらえ、 各プロセス上に存在する複数の条件によって、 さまざまな味が生み出されるメカニズムに着眼した「システム珈琲学」。 豆の種類から焙煎方法まで網羅した本格的珈琲実用書。 珈琲生産地の現状や栽培状況、味の特徴を決める焙煎、カッティング・抽出までを ていねいに解説する。焙煎技術書としてプロも活用可能]。 なるほど…。 この文章を読んだ瞬間に世羅さんに少し近づけた気がしました。 珈琲を科学する世羅さんにとって、焙煎機は最も重要な相棒。 なので、その制作にも理詰めの数学と論理的思考が働きます。 持ち前のエンジニアスピリッツも相まって、 とことんこだわるということなのでしょう。 「拘ったのは極力 “ 風 ”を入れず、温度管理を徹底させた香りの調整です」。 「え? 温度はイメージできますが、風もですか?」 「はい。現在、95%の焙煎は半熱風式で行われていると言われています。 大手さんになると熱風式となります。僕は難しいとされているほんの数%の隙間を狙った焙煎機を作りたかった。できるだけ豆本来が持つ香りをなくしたくない。 焙煎された珈琲って、3000~4000くらいの化学物質が生成されるのです。 それが、150℃位で香りの成分が気化します。できるだけその香りたちを封じ込める焙煎機を作りたい。それには風と温度の管理が最も重要です。 だから常に課題を見つけては一つ一つ改善する。ひとりPDCAをくるくる回す日々です」。 これは、機械技術者としての誇りを感じるお話でした。 弛まぬ研究から生まれた機械は、2007年に第1号機、2009年に第2号機、そして最新の第3号機が現在店舗内で稼働しています。 「現在「浅煎り」と呼ばれるものがブームですが、うちで煎り上がった豆は、一般的なカテゴライズには入らないと思います。 シティーロースト風シティーローストとでも言うのかな…。 正直、うちより香り高い珈琲は飲んだことがありません。『世界にひとつだけの珈琲』だと自負しています」。 この話しを聞いた時、筆者はこう尋ねました。 「それは、自分の舌への絶対的な自信ですか?」と。 当然。 「そういうことじゃない」。 と一蹴されました。 今思えば愚問でした。 あくまでも世羅さんの自信は科学的根拠に基づくものなのです。 「嗅覚で感じた香りは脳で増幅させられて味覚に刺激を与え、『味』を作ります」。 「なるほど…。 それをどう感じ、好みかそうではないかは味わう人次第ということになるわけですね」。 ネルドリップは筆者が一番好きな淹れ方です。 この素敵な膨らみ! 銅のポットから注がれるお湯で、 ネル袋のなかにふんわりと膨らむ豆を見るだけで興奮し、 既に口の中が美味しくなります。 マイセンの素敵なカップ&ソーサー いつまでも香りが鼻腔に残る美味しい「パナマゲイシャ」をいただきました。 常時8種類くらいを扱います。 ところで、店内を見回すとなんとなくレトロな雰囲気の調度品が目立ちます。 そこで尋ねてみました。 「レトロなものがお好きなのですか?」 「いいえ、これも計算です」。 「な…。なるほど…」。 「信頼している苫小牧の家具屋のオーナーがいらっしゃるんですが、話していると時代の変わりで生活様式も変化しているということを言っているんです。だから、その度に売るものを変化させて対応するんだそうです。その言葉を聞いて、インテリアにも気を配るようになりました。モードの時代は終わり、レトロデザインの時代が来ているんですよ。レトロなものは落ち着きますしね」。 「調度品にもデータに基づく根拠があるわけですね!」 日本のレトロとは違う、アメリカっぽい感じが若い層にも男性にも刺さりそうです。 筆者みたいなおひとり様好きな女性にも好まれそう。 「では、もしかしてオーディオも?」 「そうです。珈琲もそうですが、音についても僕はマニアじゃない。全て計算の上で選んでいます。現在置いているオーディオはアルテック605Aで、アビーロードスタジオで使用されていたものです。この環境に合うものを選びました。高音質をお楽しみいただけますよ」。 ハイクオリティーなモノへの追求は止まるところを知りません。 「もしかして焙煎機も4号機計画があったりしますか?」 少し間をおいて、世羅さんは力強く頷きました。 エンジニアスピリットを持つ珈琲焙煎士 世羅さんは、 空間コーディネーターとしても最善のトータルでお客様をお迎えする姿勢を持つ人でした。 店内にはジャズのレコードがずらりと900枚並びます。 圧巻。 最後に尋ねました。 「ジャズも計算ですか?」 「ジャズはもともと好きです。 ピアノならキースジャレット。オルガンならジミースミス」。 この答えをいただき、なぜかホッとした筆者でしたが、 正直、世羅さんをもっともっと掘り下げたい! そんな衝動を抑えながら、悶々と『COSSETTE COFFEE』を後にしました。 ん?? これももしかしてリピーターを生むための計算? ふとそんなことが頭をよぎりつつ、 今度はカレーを食べに行こう!と、決めていた筆者です。 ―COSSETTE COFFEE 情報― Web page https://cossette.theshop.jp Instagram https://www.instagram.com/cossette_coffee?igsh=MzRlODBiNWFlZA== 世羅繁宇氏FaceBook https://www.facebook.com/sera.shigetaka
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Shinji