
心の伊達市民 第一号
新聞の記事で「メダカの自動販売機」のニュースを見た。
最近は無人販売店での窃盗事件が頻発しているので、メダカの自動販売機を見たくなった。また店の場所が「墨田区立花」という、私には初めて行く場所だった。
目的の「江戸目高」のホームぺージを見たが、「店への行き方」は書いてなかった。
そこでネットで住所から地図を呼び出し、プリントして持参した。
私が調べたところ、JR小岩駅からタウンバスに乗って2停目の「奥戸新橋」で降りれば近いようだ。そして「奥戸新橋」で降りたら、6丁目だった。店は5丁目なので、少し歩くことになった。
しかし持参した地図と地形が違う。変だと思いながらも少し歩いたが、立ち止まってGoogleMapで経路を調べた。そして驚いた。所要時間が「1時間20分」と出たのである。「そんなバカな!」と思い、近くの家の住所を確認したら「奥戸6丁目」だった。
そして持参した地図を見たら、そこには「立花5丁目」と書いてあった。なぜこんなバカなことが起きたのか?。私には全く理由が分からない。でも自分で調べて「小岩からタウンバス」と決めたのである。なぜだ?
「奥戸」は葛飾区であり、「立花」は墨田区である。全く違う区である。
小岩駅に戻り、先ずランチとした。そして食後にカフェに入り、アイスコーヒーを飲んで頭を冷やした。
落ち着いてネットで調べたら、2駅手前の「平井駅」で降りて、そこから歩いて行けそうだった。もう1駅先の「亀戸駅」からだと、更に東武鉄道・亀戸線に乗り換える必要があった。所要時間を考えると、「平井駅」から歩いた方が早そうだった。
幸いにこの日は晴天だが湿気が少なく、歩いていても気持ちが良い。
来る前にネットで調べたら、「メダカ」は「目高」という漢字だと初めて知った。
私が子供の頃はその辺の池を見れば、必ずメダカが泳いでいたものである。
それは今ではお金を出して買う時代となった。しかも最近はメダカを飼うのが流行っているというから、可笑しな時代になったものだ。
30分くらい歩いていたら、遠くから「江戸目高」と書いた幟が見えた。住宅街の中にある店だった。道路に面しているが、敷地は狭い。駐車場の奥に、ビニールハウスのようなものがあった。
中で作業をしている人が見えたので、『こんにちわ』と声を掛けた。
すると店主らしき男が、『どうぞ中に入って下さい』と言ったので、私は中に入って行った。
ハウスの中も狭い。しかもビニール張りなので、温室のように熱い。
私は『新聞で見たのですが、メダカの自動販売機を見たいと思って来ました』と言った。
すると彼は『自動販売機ではなく、無人販売です』と言って、『いまは事情があり止めていますが、見ますか?』と聞くのでお願いした。そして道路に面したシャッターを上げたら、小さな無人販売所があった。
私はメダカに詳しくないので、仕方なく『友人が30年もメダカの飼育を趣味にしている。私はたまたま平井に用事があったので、彼に頼まれて見に来た』と言った。
気のいい店主は地面に置かれた、水槽に入った色々な種類のメダカの説明をしてくれた。
私は説明に頷きながら、メダカの写真を撮った。そして『帰ったら、友人に見せます。次回は友人と来ます』と言って店を出た。帰りは15分くらい歩いて、全線でたった5駅しかない「東武・亀戸線」の「東あずま駅」から亀戸駅に出て、そこから都バスで家に帰ったのである。
(おまけの話)
以前にマンションのデジカメクラブのメンバーのIさんと話していたら、彼はメダカが趣味だと分った。それも年季が入っていて、30年もやっているというから驚いた。
3年ほど前に奥さんを亡くし、今はメダカと暮らしている。
メダカのエサは「ミジンコ」で、以前は晴海埠頭の池に捕りに行っていたが、今は解体工事中で捕れなくなり銀座の店に買いに行っているそうだ。
私が「江戸目高」の店に行った2日後に、Iさんから『銀座の熱帯魚屋に布袋草を買いに行くので、一緒に見に行かないか?』と誘われた。そこで喜んで同行した。
その店は2階もあり従業員も10人以上もいて、「江戸目高」とは比較にならないくらいに大きい。
私はIさんの説明を受けながら、メダカの写真を撮った。
小さく仕切られた100以上もあるガラスの水槽に、熱帯魚、金魚、メダカなどが見栄えが良いように照明を当てられて陳列してある。
私がメダカの無人販売を見に行った話題を出したら、大いに話が盛り上がった。
Iさんは最盛期には1000匹ものメダカを飼育していたそうである。
現在は20匹くらいに減ってしまったが、『また増やそうと考えている』と言っていた。
少し前に私が『メダカの無人販売をしている「江戸目高」に、一緒に見に行かないか?』と誘っ時は、あっさりと断られてしまったことがあったなー。
北海道伊達市に2003年夏より毎年季節移住に来ていた東京出身のH氏。夏の間の3ヵ月間をトーヤレイクヒルG.C.のコテージに滞在していたが、ゴルフ場の閉鎖で滞在先を失う。それ以降は行く先が無く、都心で徘徊の毎日。
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01/01(土) 「SeicomartのCMソングを歌いたい!!」 伊達のArtist 藤河 ちあき の未来予想図
むしゃなび読者の皆様へ 新年明けましておめでとうございます。 旧年中は、多くの皆様にご訪問いただきまして誠にありがとうございました。 Riettyとして、記事を書かせていただくことになって2年目。 2022年も、Riettyが出会った「好き」「楽しい」「いいね!」を皆様と共有できるような記事を書いていきたいと思っています。 引き続き、どうぞよろしくお願いいたします。 さて。 閑話休題。 新年第一弾は、伊達の歌姫 Artist 藤河 ちあきさんのご紹介です。 昨年末、待ち合わせしたのは伊達の牧家さんでした。 待ち合わせ時間より少し前に到着し、ちあきさんを待つ筆者。 そして、ちあきさんが入店した時とても驚きました! 彼女の周り全体を優しい光が包んでいる。 うまく表現できませんが、これがオーラなのか!と感じました。 ↑注文したアイスカフェオレを嬉しそうに写真を撮るちあきさん♡ 藤河ちあきさんは、伊達市のご出身。 歌手への道を決定づけたのは5歳の時のことでした。 5歳のちあきちゃんが「将来は歌手になる!」と決めた出来事があったそうです。 それは、「なりたいな…」ではなかった。 「なる!」でした。 ちあきさん自身、「あれは決意でした。」と語っています。 大好きな歌を高校までは独学で学び、高校卒業後は東京へ出て修行の道を歩き出しました。 実はちあきさん、イラストレーターとしてもジャズシンガーとしても有名な水森亜土さんの大ファンでした。 亜土ちゃんグッズをたくさん持っていたそうです。 そして偶然にも親友のお父様が亜土さんの知り合いだったこともあり、水森亜土劇団の門を叩くことになりました。 劇団員としても亜土さんの運転手としても働き、約一年間、住み込みで修行をしました。 その後も学び、働き、各所で歌い続けながら6年の歳月が流れました。 けれども…。 なかなか芽が出ず、生活することにも疲弊してしまったちあきさんは、悩んだ末に帰郷することを決意しました。 13年前のことです。 「自分はダメなのかな…。」 それは、まさに打ちひしがれての帰郷でした。 つまりは挫折…。 ↑大好きな海。ここが藤河ちあきの心の拠所なのだそうです。辛い時もここに来ていたそう。 それでも。 「私には歌で生きていく以外は考えられませんでした。でも、そのためにはどうしたら良いのかも、その頃はわからなかった。 辛くて、辛くて、アルバイトをしたりしながら気を紛らわせて暮らす日々がしばらく続きました。」 その間、結婚も経験しました。 子供も二人授かりました。 しかし、結婚生活には2年でピリオドを打ちました。 親御さんからは経済援助を受けない決意でがむしゃらに働いていた日々。 二人の子供を抱え、困窮した生活に地獄も感じていたと言います。 それでも。 どうしても忘れられない歌への道…。 「私が生きる道で大切なものって何だろう? やっぱり歌を唄いたい…。 でも…。」 子供という宝ものを大切にすることが第一だとは分かりながらも、悶々と自問自答する毎日が続きました。 なんとか立ち直らなければと本も読み漁りました。 特に心理学や哲学の本を好んで読んだと言います。 そんなある日、ある人物と食事をしながら話したことがきっかけで、ちあきさんの歌道の第二の扉が開かれることになりました。 その後は様々なご縁が繋がる中で、レストランを初め各種イベントで唄うチャンスを得られる様になっていき現在に至ります。 思えば。 筆者が藤河ちあきさんの歌を初めて聴いたのは、伊達ウクレレ協会さんの小さなコンサート会場でした。 確か7年前のこと。 初めて聴いたちあきさんの歌にもちろん感動しましたが、どことなく寂しげに見えた訳が、これらのお話を伺い、なんとなく分かったような気がしました。 ちょうど、自分の道を暗中模索していた頃だったのですね。 「つい5年くらい前までは、人前で唄うと物凄く緊張して声が震え、なかなか克服できないでいました。自分でイメージトレーニングをするうちに、気がついたら声が震えていないことに気がつきました。場数を踏んだことで克服できたのかもしれませんが…。」 きっと、これはどんな仕事でも通る道。 でも、歌手として唄う場の数を増やすことは容易ではなかっただろうと察します。 「多くの方に支えていただいたから今があると思っています。 実は、今年の3月に開業届を出しました。 歌を生業にすることを決意したのです。 素晴らしいマネージャーさんにも恵まれました。 」 ちあきさんは、なんの迷いもないキラキラな笑顔で語ってくれました。 ↑藤河ちあき オフィシャルページのプロフィール写真です。 ところで、ちょっと思い切った質問をぶつけてみました。 ちあきさんなら真摯に受け止めて答えてくださると思ったからです。 「現在38歳でいらっしゃいますが、10代で売れている歌手が多い芸能界ですよね。ようやく順調に歌手活動が動き出したとは言え、ご自分の年齢を障害に感じることはありませんか?」 すると、キラキラの笑顔は一つも曇ることなく、ちあきさんはこう答えてくれました。 「それは全く感じていません。何故なら人にはそれぞれの夢の叶え方があると思っているからです。スピーディーに成し遂げる方もいれば、大器晩成型の人もいます。 あの…、私、100歳まで歌を唄い続ける予定なのです。 私の中には未来予想図がはっきりとあって、そこから逆算方式に、その予想図に到達するためには今は何をするべきか?と常に考えています。 私は私のペースでそこに到達すれば良いのだと思っています。だから、年齢は私にとって障害ではないです。」 ↑笑顔が本当に素敵♡ 続けてこんなお話もしてくださいました。 「誤解を受けると困るので、ほとんど人に話したことないのですが…。」 「え? そんな大切なお話を良いのですか?」 戸惑う筆者。 でも、真っ直ぐに見つめながらゆっくりと話してくださいました。 「私、二十歳を過ぎた頃から確信を持って感じていたことがあって…。」 これまでになく言葉を選び始めたちあきさん。 「ある日、車の中で歌っていた自分の声を聴いた時、自分自身がとても癒されたのです。 それはとても不思議な感覚でした。そこには、自分の声を客観的に聴いている自分がいました。その時に、『これは自分だけで聴いていたらもったいない!』って思ったのです。奢りでもなんでもなく。素直にそう思いました。この声は、この体に預けられたもの…、そんな感覚です。私の声という感覚というよりも、この体に預かった声という感覚です。どうしても、それ以外表現できないので、誤解されたら辛いのですが…。 だから、この預かった声を使って、世界にどうやって貢献したら良いだろう?と考える様になったのです。この声で唄った歌を聴いてくださった人と、癒しの時間を分け合っていきたいと考えるようになりました。」 「どうもこの体は良い声が出るらしい?」 そんな風にご自分の声を客観視していることを知り正直驚きました。 どう表現すれば、勇気を出して話してくださったちあきさんの想いを、読者の皆様に誤解されずに伝えられるだろうか?と、筆者自身がとても迷いました。 でも、ちあきさん自身の言葉をそのままお伝えすることにしました。 そして。 「歌を聴いてくださった方が、その場限りで癒されるのではなく、自分の存在・自分の命を大切にする気持ち、そして同じ様に周りの人の存在・命を大切にする気持ちを抱いていただくきっかけになれたとしたら嬉しいです。それが叶えば世界が幸せで溢れますよね。」 こんな愛いっぱいの言葉とともに、最後、さらに素敵な未来予想図を語ってくださいました。 ↑とってもママには見えない可愛らしさ♡ 多くの皆様にこのお預かりものの声をお届けするために〜 ☆SeicomartのCMソングを唄いたい! ☆久石譲のコンサートに出たい! ☆武道館で唄いたい! ☆紅白に出たい! ☆60代でスーパー弾き語りをしたい! というのが、ちあきさんの未来予想図でした。 でも、筆者は気づいていました。 ちあきさんは、「〜したい」と話しながら、実は「〜する」と決めていることを。 そう、5歳のちあきちゃんが「将来は歌手になる!」と決めていた様に。 ↑こちらは昨年12月に開催された「天才小学生ドラマーyoyoka」さんのコンサートにゲストで唄った時の写真です。 Yoyokaさんに自分の子供の頃を重ねていたのかもしれません。 伊達市に足場を置きながら。 人々とともに「愛と癒し」を分け合う歌を100歳まで唄い続けると決心した藤河ちあきさん。 「僕たちが一番のファンだよ!!」 と励ましてくれるお子様が、ちあきさんのエネルギーの源であることも間違いありません。 ジャンルを問わず歌いこなすちあきさん。 2022年も彼女の活動から目が離せません。 伊達市民としても、藤河ちあきさんを応援していきたいと思います。 ↑初のCDが2年前に発売されました。 ↑「藤河ちあきの My favorite things」にてラジオパーソナリティーも行っています。 藤河ちあき事務所 住所 室蘭市中島1-9-21 「!」音喜多 ※記事の内容は取材時の情報に基づいています(取材2021年)
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