心の伊達市民 第一号

高倉健が逝った

ブログ閉鎖中の話題(2014年11月21日)


11月10日に日本映画界の大スターの高倉健が逝った。
テレビニュースでそれを知って、「一つの時代が終った」と感じたのは私だけではないだろう。
以前に同じように感じたのは、美空ひばりが亡くなった時だった。



私は特に芸能界に詳しくも無く、それほど興味も無い。しかし高倉健は好きだった。
少し悪そうな男たちが高倉健のヤクザ映画を見た後に、自分まで強くなった気になって肩をいからせて映画館から出て来るところを良く見たものである。



映画では寡黙な男を演じ、理不尽な扱いに耐えに耐え、そして最後には正義の為に立ち上がるといういつも同じストーリーに日本人の男は自分を重ね合わせていたのだろう。
それがどこか敗戦後の日本人の気持ちを表していたのかもしれない。



・・・というわけで、高倉健を偲び献花式を行うとの情報を得て、生まれて初めて芸能人の葬儀のようなものに出てみた。場所は東映本社で、調べてみたら銀座プランタン・デパートの隣だった。



献花式は午後1時から始まると知り、12時20分に現地に行った。
すると既に大勢のファンが来て、列を作って並んでいる。
列の周りには全てのテレビ局のカメラマンや芸能レポーターが来ていて、並んでいる人達を写したりインタビューをしている。



いつもの私ならインタビューを受けることが多いが、この日は違った。
私の前に並んでいた男にインタビューが集中する。
この男はスポーツ新聞を読んでいたが、見出しに大きく高倉健が載っている。
見たところ職人のようで、そのキャラクターが非常に濃い。私の出る幕は無かった。



あまりに多くのファンが集まってしまい、午後1時の時間を前倒しにして献花式が始まる。
最初は東映社員が全員で黙とうして、次に一般の人の献花となる。
献花台の周りにテレビカメラが集中する。 私も写された。


献花を終えたら、なぜか「これで良かった」という気持ちになったのである。
しかし、私は遂に高倉健のような男にはなれなかった。 その日は寒い日だった。



(おまけの話)
彼が主演した映画は多く見たが、最初の頃の任侠ものより晩年の人情ものの方が良かった。
そんな中で北海道に縁があったのが、「幸せの黄色いハンカチ」であった。


映画の中で高倉健が刑務所から出て来て妻の住む家に向い、彼を受け入るという合図の黄色いハンカチが家の前の紐に沢山吊るされているのを見る。



その場面を撮影した現場が夕張市にある。
私は数年前のまだ雪が残っている時期に、伊達市のHさんの車に乗せてもらい現地を見に行った。
撮影用の小さな家は風雨に負けて壊れそうだった。



その時の夕張市も財政破たんして壊れていた。
そんな夕張市で「なぜ有名な夕張メロンが作られているのか?」。 これが不思議だった。
夕張市は石炭で有名だったが、今は見る影もない。
もしかしたら、ビニールハウスの暖房の燃料に、地元で取れる石炭を使っていたのかな?







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北海道伊達市に2003年夏より毎年季節移住に来ていた東京出身のH氏。夏の間の3ヵ月間をトーヤレイクヒルG.C.のコテージに滞在していたが、ゴルフ場の閉鎖で滞在先を失う。それ以降は行く先が無く、都心で徘徊の毎日。

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