ブログ閉鎖中の話題「2014年11月19日」


宇都宮に行って来た。 その目的は「地底湖探検ツアー」である。
この地底湖は大谷石の採掘場の跡地で、その地下に溜まった湖の中をゴムボートで探検するという非常に面白そうな企画で、地元市町村が時折開催しているが予約を取るのが難しい。
費用は5400円で、現地集合、現地解散である。



大谷石の堀出し現場。 今では珍しい露天掘りの現場。

大谷石というのは昔はお大尽の家の石垣や蔵に用いられていて、万年塀の私の家とは品格が違った。
その大谷石を切り出していた場所が宇都宮市大谷町であったことから「大谷石」と名付けられた。
同級生のM君の家は大谷石の塀であったのを思い出した。



石材店では切り出した大谷石の形を大きなカッターで切り揃える。

宇都宮駅から関東バスに乗り、集合場所の「道の駅」である「ろまんちっく村」で降りる。
今回のツアーの参加者は13名だった。
その内の2名はテレビ朝日の取材陣で、残りの11名の内、男性は私ともう1人だけだった。
最近のオバサンはオジサンより物見高い。


先ずは大谷石の露天掘りの現場を見る。
大きく掘り下げられた下の方で、石工の職人が1人で機械を使って大谷石を切り出している。
次に石材店でその大谷石を加工している現場を見る。 ここまでは驚かない。



大谷石の切り出した跡地に建つ個人の家。 入口の門が切り出し口となっている。

そしていよいよ地底湖である。
明治時代から昭和の終りまで、人間の手で掘られていた現場の跡地がある。
そこに長い間に雨水と湧き水が溜り地底湖となった場所がある。


ここは個人の所有で自由には見られないが、市町村が町興しの為に地主を説得して、このような面白い企画のツアーを組んだのだそうだ。 今はまだ試験的なツアーである。



切り出し現場はエジプトの遺跡のようである。

真っ暗闇の中で僅かに点灯している壁の電球と、ガイドのヘッドライトを頼りにゴムボートに乗る。
全く物音のしない真っ暗な静寂の中をゴムボートが進む。気温もかなり低い。
途中で左に曲がる。突き当りは頭がつかえるほど天井が低い。
ボートは更に進み、そこでボートから降りて小さな切込みの穴から上陸する。



真っ暗な洞窟の中でゴムボートに乗る。 フラッシュを焚かないと自分の足元も見えない。

上陸した後に背を屈めながら進み、広い場所に出る。
そこを手探りで進み、狭い通路を進むと突き当たる。下を見ると穴がある。
底に水が溜まっている。 昔の石工の水洗トイレだ。・・・と思う。


元の場所に戻り、またボートに乗る。そして約50分の地底湖の探検は終った。
久し振りに面白い企画に出会った。



地底湖を2艘のゴムボートで進む。 ガイドのヘッドランプと壁の照明が僅かに水面を照らす。

このツアーの間はズ~とテレビ朝日が撮影している。 私も撮影されたし、インタビューも受けた。
ツアーの感想を聞かれたので、「これは面白い。しかも大谷石の掘り出し跡はエジプトの王家の墓のようだし、地底湖はイタリアの青の洞窟のようだ。」とオーバーなことを言ったが、採用されるか?


放送は火曜日の深夜の「お願いランキング」という番組だそうだが、誰が見ているのか?



洞窟の奥でボートを降りて上陸する。 そして昔の手掘りの現場を見学する。

(おまけの話)
宇都宮と言えば「餃子」である。
なぜ餃子かと言うと、それは大宮市観光協会のHPに出ている。
餃子を出す店は200O軒ほどあるそうだが、折角、宇都宮まで行ったのだから餃子を食べてみた。


ボートが奥へ進むと、天井に頭がつかえる。 更に屈んで先に進む。 カメラのフラッシュで明るく見えるが、撮影が終ると殆ど真っ暗闇となる。

地底湖の見学の前に、駅近くの客が多そうな餃子店に入った。
そして「12種類の餃子」というランチを食べた。 帰りにも餃子を食べる気でいたが、いざ帰りに駅に着いたら食べる気がしなくなった。2食続けて餃子を食べられるほど、私はもう若くなかったのである。



宇都宮の餃子。 特に東京の餃子との違いは無い。

新幹線で東京駅に着いたら、なにやら警察官や駅員が大勢出ていて人が何かを待っている。
先に進めないので、私も待つことにした。
すると、しばらくして天皇皇后両陛下が警備に守られながら、向こうから歩いて来た。


私は生まれて初めて天皇皇后両陛下を目の当たりに拝見したが、常に多くの人達に見られ低姿勢でいなければならないのも辛いだろうなと思った。



東京駅で奈良での公務を終えて、新幹線から降りて来た天皇皇后両陛下。






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北海道伊達市に2003年夏より毎年季節移住に来ていた東京出身のH氏。夏の間の3ヵ月間をトーヤレイクヒルG.C.のコテージに滞在していたが、ゴルフ場の閉鎖で滞在先を失う。それ以降は行く先が無く、都心で徘徊の毎日。

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