
心の伊達市民 第一号
頭のつかえる地下道
ブログ閉鎖中の話題(2017年6月28日)
私は出掛ける時は常にカメラを持参している。
そして面白い光景に出会ったり、美味しい食べ物を食べた時などに、その写真を撮っている。
私は「健康の為」と称して、常にブログのネタを探して徘徊している。今回のテーマは「提灯殺しの地下道」である。

提灯殺しの地下道の場所は、矢印のところ。
このニュースをネットで知って、「行かなきゃ―!」と思った。
「提灯殺しとは何か?」というと、「提灯」はタクシーの屋根の上に付けられた会社名の書いてある看板である。以前は提灯型のものが多かったので、そう呼ばれる。
「殺し」とは「この地下道は背が低いので、通ると提灯を壊される」という意味だ。

「高輪中央架道橋」に進入するタクシ―。(高さ制限は1.5メートル)
提灯殺しの地下道は都内に4ヵ所あるらしい。
それは「高輪中央架道橋」、「大田区中央2丁目JRガード下」、「足立区柳原1丁目東武線ガード下」、「江東区北砂越中島貨物線ガード下」の4ヵ所である。
今回は我が家から割合に近い高輪と江東区のガード下に行った。

自転車から降りない人は、頭をぶつけないように前屈みにして通る。
最初は高輪である。東銀座から都営・浅草線で泉岳寺駅で降り、A4出口を出て2~3分で現場に着いた。トンネルは低く、上を山手線、京浜東北線、新幹線などが走っている。
品川駅と田町駅の間には線路の反対側に行く道路は、このトンネルの他には1ヵ所しか無い。
暗いトンネルの長さは200メートルはある。

この辺りが中央で、なぜか硫黄の匂いがする。
一応、歩道はあるが、狭い、低いトンネルの中をタクシーが飛ばして走り去って行く。
私の背丈でも、頭を斜めにしないと天井に頭がつかえてしまう。
自転車の人は体を斜めにして通り過ぎて行く。
トンネルの上を引っ切り無しに電車が通り、ゴーゴーと凄い音が響く。新駅が出来るとこのトンネルは廃止となるので、暇人なら見に行く値打ちはあると思う。

歩行者、タクシーが引っ切りなしに通る。(高輪中央架道橋)
次は江東区である。
都バスで清澄白河で降りて、小名木川沿いの遊歩道を下って行く。
30分も歩いて鉄橋を見付けたので、この近くだと考えた。
線路沿いの道を進むが、目当てのトンネルは現れない。
途中で遭遇したトンネルは高さが2メートルはあるので、これではない。

「江東区北砂越中島貨物線ガード下」。軽自動車がやっと通れる。
更に進むと、あった!
高さ制限は1.6メートルだが、私が頭を傾けるほどではく、しかもトンネル内は明るい。
丁度、その時、軽自動車がトンネルに入って来たが、地元民らしく徐行もしない。
高輪のトンネルを見た後なので、明るく清潔な北砂のトンネルは迫力に欠けた。トンネルの上は貨物専用の鉄路だが、いまは使われていないのも不満だった。

高さ制限は1.6メートル。(江東区)
(おまけの話)
私の父親が生命保険の外交員の紹介で見合い結婚をして、最初に所帯を持ったのが品川だった。今と違い、昔の見合い話は外交員が持って来ることが多かった。
2人が結婚して借りた家は一戸建てで、現在の京急電車の品川から3駅目の「青物横丁」だろうと思う。
多分、自宅から勤務先が近かったのだろう。

暗くて狭いトンネルをタクシーが飛ばすので怖い。(高輪中央架道橋)
私の親父は若い頃に大金を持ってブラジルに渡り、自由気ままな生活をしたようだ。その後、ブラジルで事業を興し一時的に成功したが、博打で失敗した。
そして失意の中を帰国し、とりあえずの勤務先として斉藤鉄工所というジャガード織の機械を製造する会社に就職した。

トンネルの上を京浜東北線が通過した。(高輪中央架道橋)
この会社は品川にあり、八王子で大きな機屋を経営していた実家の紹介のようだ。実家がこの会社のジャガード織の機械を買っているお得意さんだったのである。
斉藤鉄工所は1977年に起きた、当時の10大商社の一角を占めていた安宅産業の倒産劇に巻き込まれて消えてしまった。
これらの話は父親が亡くなってから、母親や親戚から聞いた話をまとめたものである。今では父親が元気な内に、色々と聞いておけば良かったと後悔している。

女性の1人歩きは怖いと思う。(高輪中央架道橋) でもここを通らないと、4キロくらい遠回りになる。
北海道伊達市に2003年夏より毎年季節移住に来ていた東京出身のH氏。夏の間の3ヵ月間をトーヤレイクヒルG.C.のコテージに滞在していたが、ゴルフ場の閉鎖で滞在先を失う。それ以降は行く先が無く、都心で徘徊の毎日。
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misaki
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“窯の前の最期” を夢見て〜パン職人 武田 浩一氏の歩んだ道〜
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Rietty
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旅するイタリアンレストランを目指して☆ 〜洞爺湖 Lagorto ファンキーコンビは今日もいく〜
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Rietty
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米農家が作る本物米粉クレープを食べていただきたい!「Café creperiz」
「本物を使うことでクレープ業界にムーブメントを起こしたいんです!」 そう熱く語るのは、「Café creperiz」のオーナー 木村政義さんです。 政義さんは蘭越町ご出身の32歳。 130年続く米農家の5代目です。 ↑背が高くがっしりした政義さんはどことなく体育会系 「3年くらい前から一年に5~6回、イベントにクレープで出店していましたが、いつかは店を持ちたいと考えていました。そう、“ いつかは ” でした。」 転機は突然やってきた ある日、行きつけのハンバーガー屋さんを訪れた時のことです。 その頃は、蘭越の外資系の会社に勤めていた政義さんでしたが、ふいにそのお店の店長さんからこんな情報を得ました。 ↑絶品米粉カヌレ ↑切ったらこんな感じでもっちりしています。ビターな抹茶味もあります、 「隣の店が5日後に退居することになっているんだけどさあ。 借りたら?」 いとも簡単にそう言われた政義さん。 その頃はまさにコロナ禍真っ只中。 次々に店をやめる人が増えていた時期でしたので、借り手を募集してもなかなか見つからなかったのです。 ところが、政義さんは即決しました。 ↑ゆっくりできそうな一角 「そこからは早かったです。場所は特に倶知安にこだわっていたわけではありませんでした。駅近ですが、田舎ですし、コロナ禍ですので人通りはあまりありませんでした。でも、どちらかというと観光客の方よりも地元の方を顧客対象にしたかったので、立地は条件には入っていませんでした。地元優先にしたのは、英語が苦手だということもあるのですけど…。だから、メニュー作りや価格設定は、地元を意識して行いました。とにかく展開が早かったですし、内装も全て直したりして、オープン準備でバタバタだったので、オープニングメニュー9種類は3日前に決定しました。」 ↑お値段は材料から考えるとかなりお安いです なるほど…。 空き店舗の話が舞い込んできたことも。 その時期がコロナ禍真っ只中だったことも。 政義さんにとっては、全てタイミングが良かったということなのですね。 オープニングメニューが3日前に決まったとしても、3年間の下積みがあるので自信もあったということでしょう。 と、こんな経緯で2021年3月21日、「Café creperiz」は誕生しました。 米農家としての誇り 「ところで、店名の由来を教えていただけますか?」 「“ riz “とは “ 米 “ の意味です。フランス人の友達が付けてくれました。」 そうでしたか! そのものズバリではないですか! 米農家が営むクレープ屋さんにふさわしいお名前です。 ↑米粉のお菓子も並びます 「お米もそうですが、他の材料へのこだわりも教えていただけますか?」 「使用している米粉は、木村農園で丹精込めて作られた “ ゆめぴりか “を挽いたものです。この米粉の特徴は、保湿性があるのでモチモチ食感になります。実は、北海道で米粉100%のクレープを作っているお店はほとんどなく、検索したら1軒しか見つけられませんでした。全国的に見てもたぶんほとんどいないと思います。ほかの材料についても9割は無添加の食材です。とくに拘っているのが生クリーム!絶対に植物性冷凍ホイップクリームは使いたくなかったのです。でも、本物の生クリームを使っている店って、残念なことにほとんどないのです。」 そう! この生クリームのお話には、筆者も首を大きく振って頷いてしまいました。 実はこれがあるから、正直クレープは苦手でした。 でもこちらのクレープは、生地も美味しいですし、本物生クリームですし、カスタードクリームも米粉で作った本物クリームです♡ もう、美味しいに決まっています! もちもちの生地はとってもボリュームがあるのですが、クリームがすごーく美味しくてぺろっといけちゃいます! ↑ぺろっといけちゃう「いちごWクリーム」680円 ↑パリパリ米粉クレープ(クッキー風) 「未来に向かっての計画が何かありましたら教えていただけますか?」 「まず直近では食事系のメニューを増やしたいと考えています。そして、将来は全国に10店舗くらい展開したいと考えています。日本の食料自給率を米で上げたいと思っています。米離れが叫ばれるようになって久しいですが、なんとかそれにストップをかけたい。現在、第二次米粉ブームと言われています。でも、使い方の提案が少ないせいかまだまだ普及していません。店舗を増やしながら米の多様な食べ方を提案し、米消費を促したいです。まずは、1~2年後には札幌か小樽に出店します。」 このお話には正直驚きました。 昨年オープンしたばかりのお店が、ここまで壮大な計画をお持ちだとは! バイタリティー溢れる政義さんに心底脱帽いたしました。 同時に、筆者が至極感心したのは次のお話でした。 「1889年から続く米農家としての木村家は僕で5代目です。現在は4代目の父が頑張ってくれています。米粉を使ってクレープが作れるのは、代々米農家を続けてきてくれた先祖のおかげです。もちろん僕も後には農家を継ぎますが、米粉クレープという形の米の消費方法も繋げていきたいと思っているのです。だから、米を販売する仕組み作りとして多店舗展開をしたい。それは、お客さまとお互いに顔が見られる関係になる直売の形ですし、僕らしい米農家の継ぎ方なのです。」 時代に合わせ。 時代を先読みし。 きちんと家業を継ぐ決心をしている。 なんとも頼もしい限りです。 「いろいろお話を伺ってきましたが、政義さんにとって “ 米 “とは何ですか?」 「日本人の体に最も合うもの。力の源だと思っています。」 最後に、米への想いを力強く語っていただいたところで今回の取材を終えました。 さて実は。 政義さんの影になり日向になり、そっと寄り添いながら支えている大きな力がありました。 そのお話はいつかの機会に〜。 あ〜! 今すぐお米が食べたくなった!! ―Café creperiz情報―
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