
心の伊達市民 第一号
佃の驚きのお地蔵さま
NHKテレビに「72 hours 」という番組がある。
あまりテレビを見ない私だが、この番組は好きで録画をしている。
最近のことだが、ご近所の佃島にある「天台地蔵尊」が取り上げられていた。
他の番組では近所の月島の「もんじゃ」などが時々、取り上げられるが今回は異色であった。
そのお地蔵さまは住吉神社の近くのようだが、この天台地蔵尊は知らなかった。

「天台地蔵尊」の路地入口(これが鳥居の代りかもしれない)
私がこの番組が好きな理由は、特別な人でなく普通の人達がインタビューに答える内容にある。特に有名な場所などではなく、近所の住民が日頃行く様々な場所で72時間の取材をし、来た人にインタビューをする。
突然のインタビューでどのくらいの確率で答えている人がいるのかは不明だが、その答えにその人の人生が映し出されていて面白い。
「え~、そんなことをテレビで言ってもいいの?」というような答えも多くある。これを見て「人生、いろいろ」ということを再確認させられる。

神社に入った右側の手水舎(実際には、こんなに明るくない)
佃島という土地は観光案内サイトによると、『徳川家康が江戸に入府の際、摂津国西成郡佃村の漁民たちを招いたのが始まりです。この時に漁民と一緒に神主もやって来たため、佃島の氏神は住吉神社となりました』とある。
その時の漁民が始めたのが保存食用に東京湾の小魚などを煮しめた「佃煮」で、その名は佃の地名から来ている。今でも昔の面影を残した佃煮屋、長屋なども少しは残っているが、タワーマンションが林立し、新旧が混在した町となっている。

樹齢400年の銀杏が通路を半分塞いでいる。
お地蔵さまのある場所はテレビ画面から想像すると、佃掘りの近くのようだ。
その近くまで行ったら、狭い路地の入口に神社の幟が目に付いた。
薄暗い路地は、人と人がすれ違いが出来なほど狭い。
誰も来ないのを見計らって、私は路地に入って行ったらすぐ左手に天台神社はあった。「これが神社?」と思ってしまうほどの小さな神社である。
境内の広さは8畳間くらいか? しかも非常に暗い。

すぐ奥の拝殿と地蔵が彫られた石板。
入ってすぐ右手に手水舎があり、その隣には大きな銀杏の木がある。
「ある」と言っても、太い幹の3分の1くらいが見えているだけだ。
上を見上げると、天井は幹を縁取ってあり、その先は見えない。
後で外から見上げてみたら、近所の民家の屋根のはるか上まで伸びていた。
樹齢は400年だというから、江戸時代からここにあるのだ。

石板に彫られた地蔵尊は、実際は暗くて良く見えない。
普通は神社にある鳥居も無いし、本殿も無い。長屋の一部のような神社だった。
もしかしたら、私が入った場所が既に本殿なのかもしれない。
左奥に平らな石が立っていて、そこにお地蔵様の輪郭が彫られていた。
周りは信徒の寄贈したらしい名前入りの提灯が飾られている。
地元民に支えられて来た神社のようで、「良いものを見せて頂いた」という気持ちになったのである。

路地を反対側に出ると佃堀りに出る。
神社仏閣や仏像に興味を持つようになったのは、60歳を過ぎた頃からだった。
現役の時には神様や仏様に頼りたくなる場面も何度かあったが、その時は我慢して行かなかった。
それがお願いすることが無くなったら神社仏閣に行くようになるのだから、人というものは分からないものだ。更に引退してから、仏像彫刻まで始めてしまった。相変わらず神様は遠い存在だが、仏さまは私の方に近付いて来ているように感じる。

隣の路地から銀杏を見上げた(落ち葉の季節には大変だろうなー)
(おまけの話)
佃の天台地蔵尊に行く途中には、「もんじゃ」で有名な月島がある。
佃島も月島も「島」の文字があるように、以前は埋立地の島だったのである。
IHI(石川島播磨重工業)の名前の由来の「石川島」も、豊洲にあった島の名前である。佃も月島も少し前までは庶民の町だったが、今では都心に近く利便性が高いのでタワーマンションが続々と建てられている。

「もんじゃ通り」は人通りも少ない。
月島の話に戻ると、久し振りに「もんじゃ通り」を歩いて行った。
もんじゃ通りの両側は「もんじゃ屋」だらけである。
私が勝どきに越してきた頃は、今ほど「もんじゃ屋」は多くなかった。
それが「もんじゃ」が儲かると分ると、我も我もと「もんじゃ屋」を始めてしまった。今はコロナの影響もあり閉店も多く、開いている店もお客は少ない。

「もんじゃ通り」にある東京で一番古い交番。
もんじゃ通りの中ごろに、東京で一番古い交番が残っている。
その手前の2階には「ゆパーク月島」という名の温泉がある。
私は入ったことは無いが、なにしろ注意書きが多くて他所から来た人には評判が悪いようだ。
交番の交差点を右折して少し行った左側には、「ふくろうカフェ」がある。
以前は外国人観光客で賑わっていたが、今は休止中である。
月島もご多分にもれず、コロナで大きなダメージを受けていた。

月島温泉「ゆパーク月島」は注意書きが非常に多い。
北海道伊達市に2003年夏より毎年季節移住に来ていた東京出身のH氏。夏の間の3ヵ月間をトーヤレイクヒルG.C.のコテージに滞在していたが、ゴルフ場の閉鎖で滞在先を失う。それ以降は行く先が無く、都心で徘徊の毎日。
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“ 一直線の縦糸 ” 〜 「手ぬぐい工房 さくら」代表 咲良あき の生き方
待ち合わせ場所を訪れると、華奢でたおやかな女性が立っていました。 その立ち姿が手ぬぐいを染めるという作家さんのイメージと重なり、「きっとあの方だ!」と直感したのですが…。 取材はまさかの展開になっていきました。 『手ぬぐい工房 さくら』代表の咲良あきさんは、2020年8月1日に洞爺湖が見える町に移住し、2021年11月には工房を開かれました。 すごいスピード感です。 「ただただ好き!というだけで突っ走ってきました」。 それまでの18年間は大阪で接客業に就かれていたそう。 最前線での接客業を退いた後は、運営・人事・教育などを担当されていたそうです。 まさにキャリアウーマンとして奔走されていました。 「順風満帆で活躍されていたように見えますが、なぜ、そのお仕事を辞めて洞爺湖へいらしたのですか?」 「ほかにどうしてもやりたいことがあったのです。ところが、会社を辞めた直後の世界的なコロナ禍。その時はその道を断念せざるを得ませんでした。洞爺湖に移住したのは、仲間が先に来ていたからです」。 「ところで、その、どうしてもやりたかったことって何ですか?」 「250kmのレースです!」 「え?え〜っと…それは、車のレースですか?」 「いえ、テント以外の1週間分の食料や装備、水を背負って走る自給自足のレースです。1週間で250kmを走ります。 会社を退職した時に目指していたのは2020年4月にアフリカのナミブ砂漠で開催されるレースでした」。 その突拍子もない答えに、目が点になりドギマギする筆者…。 詳しくお聴きするうちに、『手ぬぐい』とはどんどんかけ離れて行ってしまいそうになりました。 そしてさらに、筆者の混乱に追い討ちをかけるようなお話も飛び出しました。 「21歳の時にうつ病を発症し、その後は癌、バセドウ病になりました。 大病をし、治療を受けながら仕事を続ける中で気づいたのは、『明日が当たり前にあると思ってはいけない』ということでした。やりたいことがあってもやらない理由を探し、今度にしよう!と後回しにしていたことが多かった…。 だから、病気がわかった時、命あることへの限りない感謝と共に、『やりたいと思ったらやる』『会いたいと思ったら会う』と心に決めました。そんな時に『250kmアドベンチャーレース』の存在を知りました。 『このレースに出たい!』と瞬間的にそう思いました。強い想いはそれを引きつけると言いますが、その後、まさにそのレースに挑戦している人と出会ってしまったのです」。 そんなまるで一話のドラマのような出会いを経験し、主治医からレース出場の承諾書をもらい、トレーニングを重ね、咲良さんはニュージーランドで行われたレースに出場を果たしました。 けれども結果は、レース2日目でタイムアウトによるリタイアをしてしまいました。 →その時の様子をドキュメンタリー映画「LIFE TREASURE 2」で観られます。(現在期間限定でYouTube にて無料公開中) https://www.youtube.com/watch?v=v5i6MBXc4Zw&t=4042s そして、リベンジをしようと目指したナミブ砂漠大会がコロナ禍により中止。 世界情勢など様々な理由が重なり、未だ再挑戦できていない状況が続いていると言います。 「それにしても病気が完治しない状態でなぜ、そのような過酷なレースにチャレンジしようと考えたのですか?」 「そのレースの存在を知った時、『元気になってこのレースで走りたい!』と1%ワクっとした気持ちを感じた自分に正直になりたかった。と同時に、その頃は自分の病気を人生の汚点だと思って生きていたので、私の挑戦が誰かの勇気に繋がるとしたら是非とも挑戦したいと思いました」。 あまりにも壮絶・壮大すぎて、お話しについて行くのに必死でしたが、次第に咲良さんと筆者の共通点・共感点が増えて行くのを感じていました。 「若い頃は一人旅が好きでした。手ぬぐい好きになったのはその頃です」。 訪れる先々で手ぬぐいを購入することが、 旅の一つの大切な目的にもなっていたそう。 「竹富島が大好きでよく通っていました」。 海好き、島好きも共通点です。 「はじめて手ぬぐいに出会ったのは2016年に瀬戸内国際芸術祭を訪れた時でした。 もともとアートには興味がありました。ただ、そこで手ぬぐいを手に入れたのは良いのだけれど、一体どうやって使うの?買ったけど私本当に使うの? そんな自問もあり、手ぬぐいの使い方などについて色々調べたりしていました。 ところがいざ使ってみるど、使うほどに洗うほどに柔らかく優しい肌触りになっていく。 そんな手ぬぐいがもう可愛くて可愛くて!すっかりとその魅力にはまってしまいました。集めた手ぬぐいは100枚くらい。それらの手ぬぐいたちは、その時の旅の記憶が蘇る愛おしい存在であり、ホッとする存在になっていきました」。 「なるほど。手ぬぐいとの出会いはわかりましたが…、なぜそれが作家への道へと進んで行かれたのですか? 全く異業種のご出身なのに…」。 「洞爺湖に移り住んだ時、いつもの旅先のようにお気に入りの手ぬぐいを探す中、洞爺湖の手ぬぐいはまだ買っていないということを友人に話したら、『自分で作ればいいじゃない?』 と言われました。なるほどそうか!やってみよう!となったのです」。 「え?そんなに簡単にやる気になったのですか?」 自らを猪突猛進型と認める咲良さん。 ここでも、やりたいからやる!となったわけです。 「先の計算ができない性質なんです笑 思ったら一直線だから」。 ああ…。 なりふり構わず。 計算せず。 一直線に突っ走る。 なんだか筆者と同じ匂いがすると思ったのは、どうやらこういうところだったようです。 染めについて並々ならぬ努力で独学をし、着実に実力を伸ばしてきた咲良さんは、ワークショップなどで講師活動も始めました。誰かに何かをレクチャーすることは、前職時代に培ったスキルでした。 内容が変わっても、楽しくわかりやすく伝えるスキルは共通していたのでしょう。 「染めの技術は学べたとしても、デザインセンスはそう簡単には育ちませんね。 何か芸術的なバックボーンをお持ちなのですか?」 「アートには元々興味がありましたので、手ぬぐいとの出会いの場となった瀬戸内国際芸術祭を訪れたわけです。 実は子供の頃からバレエをしておりまして、仕事としてジャズダンスのダンサーだった時期もありますし、ネイリストだった時期もあります。 もしかしたら芸術的に表現することの素地はあったのかもしれません」。 染めの原料は、環境に優しいベンガラを用いているそうです。 仕入れ先は、地元大阪。 生地もまた大阪から浴衣にも使用されている、手ぬぐい生地の『特岡』を用いているそうです。 「きめ細かい織り目が特徴の生地です。けれども使い込むほどにどんどん柔らかく優しく育っていく素材なのです」。 手ぬぐいが育つ。 素敵な言葉です。 なるほど。 手ぬぐい作家としての顔。 250kmレースのランナーとしての顔。 それぞれについては理解できましたが、今一つそれを繋ぐ糸が見つからず、さらに取材を続けさせていただきました。 …というよりも、咲良さんの生き方に強い興味を覚え、 もうすでに取材の域を超えていた筆者でした…。 すると、再び壮大なテーマを口にされた咲良さん。 「私、子どもの頃から『平和』にものすごく興味がありました。 小学生の時にイランイラク戦争が起こり、戦争や平和についての新聞の切り抜きを集めていた記憶があります。 その理由の一つには、学校が平和教育に熱心な学校だったこともあります。 今は、残された人生は平和に繋がることにも関わりたいとも考えています」。 またもや新たな情報に混乱する筆者…。 と、ここで、これまでの咲良さんのお話しを整理してみました。 ・病に向き合った20年間 ・旅を通した手ぬぐいとの出会い ・手ぬぐいの糸が手繰り寄せる旅の思い出 ・命への感謝と賛歌 ・平和への祈りを手ぬぐいに託す活動 ・当たり前ではない明日と今日への感謝 ・アート活動としての自己表現である染め ・誰かの勇気に繋がるならばと挑戦した250kmレース 取材中、急いで頭の中で整理し終えた後。 あ! 見えた! そう感じた瞬間がありました。 それは、咲良さんがバックの中に持参されていた ご自身が染めた普段使いの手ぬぐいに触れさせていただいた時でした。 その手ぬぐいは、横糸、縦糸がしっかりと織られているパリッとした『特岡』の生地で作られていました。 咲良さんが言うように、きっと洗うほどに肌に馴染んでいくのだろうと想像できる触り心地でした。 指への糸の感触を確かめた時、縦横直線の糸が織りなす手ぬぐいそのものこそが “ 咲良あき” だと気づきました。 一見器用そうに見える多才な方ですが、病気がちな華奢な体で、何にでもまっすぐ命懸けで取り組んできた1本1本の縦糸そのものが” 咲良あき “ であり、それぞれのシーンで彼女を支えてきた人々は横糸そのものであるということを。 一枚の布となったときの、そのしなやかさと、芯の強さ。 そして染めるという技法でさらなる命と愛を吹き込まれた『さくら工房の手ぬぐい』こそが ” 咲良あき “ なのだということを。 そして、それはきっと、真っ直ぐに平和に繋がっていくということを。 触れさせていただいた手ぬぐいから感じ取っていました。 最後にあきさんはこう話してくれました。 「平和についても命についても、 当たり前の未来はないと手ぬぐいを通して伝えたいですし、対象がなにであっても『大切』にする心を手ぬぐいを通して伝えたいと考えています。 染める時にはその一枚一枚を手にしてくださる方に寄り添えますようにと祈りを込めています」。 丁寧な語り口調で話してくださった1時間。 心が洗われたような取材の時間となりました。 ―手ぬぐい工房 さくら 情報― 代表 咲良あき(さくらあき) Instagram https://www.instagram.com/sakura.tenugui オンラインショップ https://sakurahappy.thebase.in/ [起業講座について準備中] ホームページや名刺・チラシなどの作製、イベント出展やワークショップ開催方法、起業するためのマインドが学べる『ハンドメイド作家さん向けの起業講座』をドキュメンタリー映画「LIFE TREASURE 2」監督・プロデューサー小泉雅央と共に準備中。 *開催日程など詳細は【手ぬぐい工房 さくら】のInstagramでお知らせ予定
Rietty
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