
心の伊達市民 第一号
老人ホームでランチ
ブログ閉鎖中の話題(2016年12月14日)
10月に老人ホームに入ったI さんから電話があった。「いつ遊びに来るの?」。
9月に送別会をしてあげた時に、「落ち着いたら遊びに行きます」と言ったのを覚えていての催促だった。

京王線「仙川駅」。春は桜が綺麗らしい。
そこで希望者を募ったのだが、あまりみんな乗り気でなく3人で行くことになった。
京王線の仙川駅を降りて、バスで数分で着いた。施設の名は 「サンシティ調布ロイヤルケア」という。
ここはかなり高級な介護付き老人ホームらしい。(写真は全て「サンシティ調布ロイヤルケア」)

「サンシティ調布」の外観。(今回の写真は係員に撮影許可を取ってある)
「サンシティ」という名前はアメリカ・アリゾナ州にあるリタイアした人達の町からのパクリのようだ。
調布の老人ホームの入居条件は「入居一時金」、「管理費」、「食費」は必要で、入居一時金が2600万~ 5200万円も必要で、毎年一定額が償却されて7年以上が経過すると返還金は無くなりゼロとなる。

3階建てで自立できる人は3階、下へ行くほど介護の重度が上がる。
Fさんは金持ちなので、2人部屋で5200万円の部屋である。
どちらかが病気になったり、介護が必要になった時には入居者全員に別にシングルルームが用意されている。毎月の2部屋分の管理費、2人分の食費などを合わせると、1ヶ月に約50万円くらい必要だ。

玄関までのアプローチ。
午後11時30分に老人ホーム着いて受付で入居者への訪問を告げた。
すると受付嬢は「この紙コップを持参して、トイレでうがいをして来て下さい」と言う。
訪問先でうがいを強制されたのは初めての経験である。少し驚く。
病原菌を持ち込ませないための手段で、老人ホームとはそういう場所なのであろう。

入口を入ると左側に受付がある。
施設共有の応接間でIさん夫婦と話をする。
そこで係員の女性が登場し、「この施設の説明と案内をさせて頂きます」と言う。
我々が近い内に、この施設の顧客になると見込んでのことだろう。
説明と一通りの見学を済ませてから、ランチとなる。

施設の共有応接間。
レストランでランチの見本を見たら、「ラーメン・セット」か「ビビンパ・セット」のどちらかを選ぶようになっている。食事をした後にお茶をして、Iさんの部屋を見せてもらう。
2時間半の滞在だったが、帰り道で3人とも「素晴らしい施設だが、ああいう生活は自分には向かないなー」というのがその日の結論だった。

3階居室部分の廊下。左右に個室がある。
(おまけの話)
7~8年ほど前に北海道伊達市に滞在中に、隣町の壮瞥町の天然温泉付き老人ホームの専務理事のFさんと知り合った。仲良くなった頃に、私からお願いした。
私 「老人ホームに1泊の体験入所をしたい」。
Fさん「変な希望ですねー。でもいいですよ」・・・ということになり、ある日の夕方から出掛けて行った。

お土産に持参した「空也」の最中。
施設内をくまなく見学させてもらい、天然温泉にも入った。
宿泊は来客用の別棟の部屋だった。夕食は伊達市の寿司屋から出前が届いた。
私 「これじゃ老人ホームの体験にならない」。
Fさん「橋本さんには一般棟は無理だし、食事も無理」。

ランチはラーメン・セットか、ビビンパ・セットのどちらかを選ぶ。
翌日の朝食は食堂で老人たちと一緒に同じものを食べた。
味付けが薄いのは我慢できるが、周りの雰囲気が我慢できない。
1人で食べられる人は良いが、介護人にスプーンで口に入れてもらう人、食べ物をドロドロのジュース状にしたものを飲む人などがいて、とても私は喉を通らない。
私もそろそろ終末を考える年になったが、出来たら家で白米を食べて死にたい。

介護が必要となったら、別室に個室が用意されている。
北海道伊達市に2003年夏より毎年季節移住に来ていた東京出身のH氏。夏の間の3ヵ月間をトーヤレイクヒルG.C.のコテージに滞在していたが、ゴルフ場の閉鎖で滞在先を失う。それ以降は行く先が無く、都心で徘徊の毎日。
詳しくはこちらハッシュタグ
月別アーカイブ
「むしゃなび」はこちらの皆様に支援して頂いています
人気の記事
-
04/08(月) SAKURA HUNTER(2)・・・六義園と上野公園
-
04/18(木) 写真で見る東京(32)・・・浜離宮の御衣黄

イベント
「ブログ」カテゴリーのおすすめ記事
-
2024/10/08(火) コクワとコクワガタ?
-
2024/12/12(木) マップの活用を考えています・・・
むしゃなび編集部
0
-
2025/01/13(月) 今日のメインは国産鶏の混ぜご飯です!
-
2024/12/11(水) 写真で見る東京(69)・・・丸の内の晩秋
心の伊達市民 第一号
0
2
ブログに関する
特集記事
-
10/23(月) “窯の前の最期” を夢見て〜パン職人 武田 浩一氏の歩んだ道〜
今回の主人公は、『boulangerie ibox 弄月店』の店長でパン職人の 武田 浩一さんです。 浩一さんは山口県出身の55歳。 見かけも感性もとても若々しいお方です。 2023年4月OPENされた『boulangerie ibox 弄月店』は国道37号線の道路沿いにあります。 『社会福祉法人タラプ』を母体にしたこちらのお店は、構想2~3年を経て誕生しました。 そこに店長兼パン職人として抜擢されたのが浩一さんでした。 浩一さんは『ibox』に入社して12年、そしてパン職人としては30年のキャリアをお持ちです。 イラストレーターを目指していた若かりし頃のおはなし 「実は、若い頃はイラストレーターを目指していました。」 と、取材は唐突なお話から始まりました。 「え?フリーのイラストレーターですか!? 若い頃からパン職人を目指していたのではなかったのですね!」 「はい。僕は幼稚園の頃から内気で、新聞の折り込み広告の裏が白い紙を見つけては、絵ばかり描いている子でした。山口県の高校を出てから、18歳で東京の美術系の専門学校に入りました。友達と切磋琢磨をし、新しいものは何か?今は何を求められているのか?を常に探求しながら、プロへの道を模索していました。コンテストにも頻繁に応募していました。入選したりもして、そこそこに評価をしていただきましたが、それだけでは食べてはいけないよな…と、中途半端な自分に限界を感じ始めていたのが24歳頃でした。」 「未練はありませんか?」 「昔の仲間が活躍しているのを見ると、“もう少し頑張ってやっていればよかったかな…”とパン職人に転向したことを少し悔やむ瞬間もあります。いまでも家では時々絵を描きますし、そうそう!ここの店の看板の絵も、幟の絵も、必要に迫られて描きました笑 当時の絵はほとんど処分してしまいました。断ち切るためにね。でもね、正直後悔しています笑」 「もったいない!とっておけばこのお店に飾れたのに!」 「笑 そうですね。あの頃は『アンディ・ウォーホル』『バスキア』『キースヘリング』など、ニューヨークで活躍していたストリートアーティストに影響されていました。 なんていうか、ポップアートの世界って80年代のサブカルチャー的な音楽とも繋がっている。そういうものに刺激を受けながら、「いま、一番新しいものはなんだ!」と、プロのアーティストを目指す友人たちと語ったり、試したりするのが楽しかったですね。」 パン職人として立つと決心したこと イラストレーターの道を諦めようと考えていた浩一さん。 ある日、パン職人の募集広告に目が止まりました。 「いきなりパンですか?」 「はい。パンと絵との間に共通点を感じました。絵は白い紙にゼロからモノを作り出す作業です。そしてパンも同じく何もない作業台に粉を乗せるところからモノを作り出す作業です。どちらも『ゼロから作る』というところが共通していました。」 「なるほど〜。だから抵抗なくこの世界に入れたわけですね。」 パン職人としては2年おきくらいに店を変え、その店の良いところを学んでこられました。 例えば、東京の自由が丘では、全国展開をしているパン屋で働いたそうです。 「様々な形態で店を出している会社でしたが、僕がいたところは粉から作る店だったのがラッキーでした。そこには10年いました。その後、大好きな湘南地域の鎌倉・葉山・藤沢・逗子などの有名店でパン作りの技と歴史を学びました。鎌倉ではチーフを任されていました。」 「湘南が大好きだった浩一さんが何故、北海道にやって来たのですか?」 「たまたま山口の実家に一時帰省していた時、自由が丘のパン屋でお世話になった人に声を掛けられたのです。『いい話があるよ』って。それがiboxのパン職人を募集しているという話でした。その人は伊達市出身の人でした。」 縁とは不思議なものです。 山口県出身の湘南好きな人が、最初にパン修行をしたところで出会った人に誘われて、今は北海道の伊達市にいるのですから。 『boulangerie ibox 弄月店』店長としての浩一さんがが目指す店とは iboxのパンは、今まで修行して来たパン屋のベスト版的なパンだと言い切った浩一さん。 「いろいろな嗜好の方に美味しいと感じていただけるようにバラエティーに富んだラインナップになっています。でも強いこだわりは『本物であること』。例えば、クロワッサンならばフランスの伝統的な技法とレシピで作っていますし、バケットもベースはメソポタミア時代から続くフランスの伝統を大切にした作り方ですし、フォカッチャならばイタリアの伝統的なレシピと技法で作っています。伝統と歴史を大切に、決して色褪せない本物を追求しつつも、やはり地域性も大切にしなければいけないと考えています。それぞれの伝統を重んじながら、どれだけ地域仕様にアレンジできるかが勝負どころです。そして、美味しいということを一番大切にしたい。」 思いがけず壮大なお話が飛び出し、すっかりのめり込んでしまった筆者でしたが、究極の答えにストンと納得してしまいました。 ものすごくシンプルで真理であると思いました。 「材料にこだわる」「地元食材を使っている」「健康にこだわる」「添加物は使わない」というお話は今まで色々なところで伺ってきました。 当然、この言葉の背後には「だから美味しい」と続くのだと思いますし、素晴らしい理念だと思っています。 ところが 『美味しいということを一番大切にしたい』 という答えを、ストレートに伝えてくれた飲食店さんは意外と少なかったことに気づきました。 よく考えれば当たり前の台詞に、目から鱗の気持ちになった筆者でした。 伝統と歴史を重んじる浩一さんの姿勢は 『長年受け継がれて来ているものは美味しいからだ』 という実感と自信の表れなのでしょう。 「boulangerie ibox 弄月店」はね、 街の中で人の集まる中心にiboxがあるといいなと思っています。 だから、月一で『ふくろう市』というタイトルで イベントも開催しています。 店の知名度をもう少し上げたいですし。 それとね、 パンも美味しいけれど珈琲もめちゃくちゃ拘っていますよ! 恵庭の「珈琲きゃろっと」という店の物なのですが、 豆はもちろんのこと、マシンのセッティングもすごいこだわりようです。」 確かに、マシンの珈琲でこれだけ美味しいものは正直経験したことがありません。 本当に美味しい! 「それと、弄月店ができる前、だて道の駅に出店したことも大きかったです。あそこは食材が実に豊富に揃っているので選ぶのが楽しい。基本は地産地消です。でも『美味しいこと』にはこだわるので、地元以外のものも取り入れます。」 浩一さんが迎えたい最期とは 「どんなお爺ちゃんになりたいですか?」 と質問してみました。 「お爺ちゃんになれば、たぶんここは退職をしているから、その時は自宅のパン屋で仕事をしながら死にたいな。ある日、パンを焼いていたらね、タイマーが鳴るんです。でも僕は動かない。そのことに気づいた弟子が覗き込むと僕は死んでいる。最後に焼いたパンを取り出し、弟子たちがみんなでそのパンを食べる。みんなでってところが大事。そんなストーリーが僕の中では出来上がっています。」 泣きそうになりました。 その姿が映像で浮かんだからです。 そして、イラストレーターの道に今でも未練を感じていると語っていた浩一さんはもうそこには居ませんでした。 最期はパン職人として死にたいと語りました。 良かった…。 心からそう思いました。 取材の間中、絵本を捲るような物語をお聴きし、歩んでこられたその道を振り返りながらも、しっかりと最期を見ているお姿とパンが重なりました。 浩一さんが捏ねた全てのパンを味わってみたくなった筆者です。 ―boulangerie ibox 弄月店 情報― 〒052-0013 住 所 伊達市弄月町59-35 定休日 月曜日(不定休あり) 電 話 0142-82-8310 E.mail takeda.kouichi@tarap.org
Rietty
0
-
-
08/13(火) 【あの人に会いに】真摯に向き合う [ 本田 梢さん / 洞爺 ]
むしゃなびエリア(胆振地区・虻田郡)にて 会いに行ってみてほしい ”人” にフォーカスする企画 【あの人に会いに】vol.7 今回は、洞爺に7月18日にオープンした 『いわきち料理店』店主の 本田 梢(こずえ) さんです。 『好き』では進めなかった料理の道 「子どもの頃、家族の誕生日や母の日には早起きして、料理を作ってサプライズしていました。それが原点」 「あと、食べるのが大好きでした。3歳の時にはラーメン一人前食べてたくらい(笑)」 子どもの頃から食べること、そして誰かのために料理を作って喜んでもらえることが大好きだった梢さん。高校卒業後は調理の専門学校へ進学することを決めていました。しかし、受験を目前に控えたある日、飽食問題や世界の食の不均衡について考えるようになり、自分の進路にも疑問を持ちました。 「中学生の時に、狂牛病が流行って多くの牛が殺処分されました。人間中心にまわる世界に疑問を抱くようになり、食べ物の背景について考えるようになりました」 「日本では食べ物を沢山捨ててしまっていて、でも他の国には食べ物が無いらしい……そんなジレンマに気付いて。料理をやっている人はもう沢山いるし、私はやらなくても良いのかなとか、悩んでしまって」 料理の道に進めないと感じた梢さんは、受験の1か月前に急遽進路を変更。短大へ進学し、卒業後は一般企業に就職しました。家に帰れないほどのハードワークをこなしながら、自身の理想と社会との葛藤も感じていました。 「学生の頃にインドに行ったときに出会った日本人の方が、帰国後、自給自足のような暮らしをしていて……。そんな自然と近い暮らしが理想だと心のどこかで思ってはいたけど、普通に生活していると、そんな暮らしは非現実的なように感じていて。実現している人を目の当たりにしたことで、自分の本当の考えに気付いてしまったというか……。そういうのもあって、会社勤めは長く続かずに辞めちゃうんですよね」 まず、自分自身が平和であること 退職を決め、その後の1年間は環境活動に参加していました。 「原発問題で青森や泊まで行ったりしました。でも、怒っている自分たちと、現地でそれが正しいことだと思っている人たちと。もし私たちの考え方が認められたとしても、反対の人たちは納得がいかないまま、今度はまたその人たちの怒りで繰り返しなんだ……と思って」 平和を想っているのに、そのベースが世の中への怒り。戦争などネガティブなものの原因となる心を自分も持っているということが、自分を見れば見るほどわかってきました。 「一番近くにあって、責任を持てるのはまず自分。個々が集まって全体になるから、自分自身が平和であることが一番の基本だと思って」 そんな気付きを経て、梢さんは環境活動を離れ、無期限の旅に出ることにしました。 「いつ帰ってくるかもわからなかったから、母と握手をして実家を出てきました」 インドに1年滞在 中国、タイ、ラオス、イギリス、イタリア……そして学生の頃に訪れたインドも再訪し、1年ほど滞在しました。 インドでは、梢さんが今も大切な習慣としている”ヴィパッサナー瞑想*”を本場で体験する機会に恵まれました。 「瞑想って神秘的なことではなくて、すごく地味な作業。反応せず観察する練習。私は良いものだなと思って、それから続けています」 *ヴィパッサナー瞑想:「ものごとをありのままに見る」という意味の、インドの最も古い瞑想法のひとつ。宗教儀式ではなく、欲望・嫌悪・無知を取り除く心の浄化のための実践法。日本では10日間のコースが開講されており、社会から完全に離れ、人と会話せず、沈黙の中で自己観察によって自己浄化を行う。コースは無償で、修了者の寄付と奉仕で運営されていることも特徴。 「他には、自然農をやっている夫婦のところで何か月か暮らしました。すごくパワフルな場所で、来た当初に表情が暗かった人が滞在していると生き生きとしてくるっていうくらい力のある所でした」 結果的に2年弱の旅となり、帰国しました。また会社に所属して働くイメージはできず、帰国後は山小屋で働くことにしました。 山小屋にて、料理への想いが再燃 一度は閉ざした料理の道、歩み始めることにしたきっかけは山小屋でのお仕事でした。 「山小屋で料理担当となり、一日中料理をするようになって。料理は自己流だったので、誰かの元でちゃんと学びたいと思い始めました」 その頃には精進料理* やマクロビオティック* などに出会っていた梢さん。自分の理想と矛盾なく、その場の感覚を満たすだけではない料理があることを知り、再び志したいと思うようになりました。 *精進料理:仏教の戒に基づき殺生や煩悩への刺激を避けることを主眼として調理された料理。作る過程も仏道修行の一つとされる。食材と向き合い、なるべく無駄が出ないように調理することが特徴。 *マクロビオティック(マクロビ):玄米菜食を基本とした日本発祥の食事法。暮らす土地の旬のものを食べる、食材は丸ごといただくという二大原則がある。 ところで、山小屋で働かれるということは、登山好きだったのでしょうか。 「同僚たちに『満月の日に稜線まで行こう』と誘われて。何もわからぬまま付いていったんですけど、暗いから景色もなくて、空気も薄くて、すごく苦しくて。もう絶対登山やらない、って思ったんですよ」 「でも、稜線を抜けたときに、世界がガラっと変わって……。満月に照らされた、白い山が見えるんですよね。その瞬間に、全部一掃されて」 それからは、休憩時間にはトレーニングとして山を歩いたり、休みがあれば他の山に行ったり、更にはテントを持って一週間も山に行くほどの登山好きに。 「山と瞑想は、一生続けるだろうなと思います」 欠落を埋めるため、必死にもがいた10年間 料理を学ぶなら東京!と、鎌倉や東京の精進料理、懐石料理、日本料理店にて修業を積みます。日本料理の現場は、どこも凄まじい厳しさでした。 「とにかく必死で。仕事に笑顔や楽しさは不要という感じで、雑談も一切なく。でも、本当に料理に真剣な人しかいませんでした」 職場では怒号が飛び、夜遅くに帰宅してからも更に勉強。まさに修業と言う名の日々。 「ルームシェアをしていたので、コンビニのイートインスペースで朝4時まで勉強したり……」「賄いでも、親方のOKが出るまで何度も作り直すので、仕事終わりに毎日(他のお店の)冷やし中華ばかり食べに行ったり……」 梢さんは必死に食らいつきましたが、1年ほど経った頃、心身共に限界を迎え続けられなくなってしまいます。 「『また挫折しちゃった』と思って。凄く怒られていたのもあって、その時は自分が世界一の落ちこぼれだって本気で思っていました。いつも辞めてばっかりで、志して来たのにまた辞めちゃうんだ、って」 それでも、料理への想いはどんどん大きくなっていき、その後も場所を変えて修業を続けました。 しかし、そのどこもまたハードな現場でした。緩やかな環境で働くという選択肢もあったはずなのに、いつも厳しい環境に身を置いていた梢さん。 「”欠乏している、足りていないところを埋めなきゃ”って思いこんでいて。弱いのにストイック。だから飛び込んでいっては、限界になって折れちゃう。しなやかじゃないというか……」 そんな修業期間にも、終わりは訪れます。 「ふと、『もう北海道に戻るタイミングだ』と思って」 札幌出身の梢さん、『東京には勉強に来ていて、いつかは北海道に帰る』と思っていました。とうとうその時が来ました。自然の近くで、根を張って暮らせる場所を求めた結果、ご縁があり洞爺湖に辿り着きました。お店を開くと決めてから、10年ほど経った頃でした。 『いわきち料理店』オープン 『いわきち料理店』は、日本料理や重ね煮がベースのやさい料理店です。 「最初は誰も来ないと思ってたんです。誰も来ない日が一日もなく、来てくれたことが嬉しかったです」。とにかく謙虚でひたむきな梢さん。料理に対する想いも自分が主体ではありませんでした。 「つくる人は一番の黒子だなと思っていて。野菜や食材があって、その野菜を作った土や太陽、生産者、運ぶ人、器を作る人、その器の土、火のエネルギー……いろんなものが集約して一皿になる」 「でも、食べ物って一瞬でなくなっちゃうし、記憶に残らなくても、”〇〇さんの料理”って思ってもらわなくても良いと思っていて。忘れられても、いろんな命が食べた人の心・身体に引き継がれていくものだから、ちょっと役に立てたらな、と」 「精進料理というと、肉食べないとか作法とかってなっちゃうけど、もっとベースのことだと思っていて。作るときの心の在り方、自分自身の修業。多分、心が純粋になっていくと、慈悲とか祈りの気持ちが沸いてくると思ってる」 とはいえ、ただ美味しいものをつくっています!と微笑む梢さん。創意工夫が散りばめられた美しいお料理の数々をぜひ体験してみてください。 そして、料理姿は凛々しく、しかしお話してみるとふわ~っと柔らかい、相反する雰囲気を兼ね備えている梢さんに会いに、お店まで足を運んでみてください。 【いわきち料理店】 (洞爺社会福祉協議会向かい、水の駅から徒歩2分) やさい料理店 veggy Japanese 日本料理や重ね煮がベースのやさい料理 昼 11時~13時半 L.O 夜 17時半~19時半 L.O ●やさい懐石 種と実コース ※4日前までの完全予約制 ●季節の御膳 一汁三菜・香の物 ●おそうざい [量り売り販売] 木曜日のみ(15時半から19時半) ※容器をお持ちください、容器代は別料金です。 ■ご予約方法 Line:@049zwhqi instagram:@iwakichi.toya ↓
misaki
0
-