(2月2日)
1月31日の夜に窓から外を見たら、東京タワーが真っ赤だった。何か不吉な予感がした。
ネットで調べたら、春節を祝うライトアップだった。 なぜ日本で春節を祝うのだろうか?
2月2日の朝食を食べたら胸がムカついて気分が悪くなったので、大事をとってベッドに入って休むことにした。具合が悪くて寝るなど久しぶりだ。女房は『オミクロンじゃないの?』なんて言って私を脅かす。



1月31日の東京タワーは真っ赤だった。


先週の水曜日には3回目のワクチン接種も終えているし、1月30日(日)は外出していない。
1月31日と2月1日は出掛けたが人混みには行っていない。
どう考えてもコロナに感染したとは思えなかった。 熱がある感じは無かったが、女房が体温計を持って来たので計ってみた。 すると自覚はないが、37.7度もあった。 普段の私は36度以下なのである。



体温を測ったら、37.7度もあった。


37.5度以上は保健所に連絡すると聞いたことがある。大事になるのが嫌で、しばらく様子を見ることにした。後で考えたら、保健所の指示で「たまには入院とか、ホテルに隔離も面白いかも」と思った。


その日の昼は食欲がなくパスした。もう一度体温を計ったら、今度は38度になっていた。
そこでとりあえずマンション1階のクリニックに電話したら、『すぐ来い』と言われた。
クリニックでは簡単な問診とパルスオキシメーターでチェックの後、別室で PCRの検査となった。



寝ていても見えるのは天井だけ(火災感知器のセンサーが怖い)


PCR検査キットを渡されて、唾液を小さなプラスチックの筒に入れる。
クリニックでは検査は出来ないので、その日はそこまでで、しばらく後に保健所から連絡が来るらしい。
風邪薬を調剤されて家に帰ったが、相変わらず熱はあるし食欲もない。


もしオミクロンに感染していたら、家族にも感染させる恐れがあるので自室で隔離生活に入った。
今までに寝付く経験があまり無いので、やることがなく飽きてしまう。



に掛った額(左2枚はベトナム社長に頂いた刺繍、右は台湾の友人のプロカメラマンに撮ってもらった私。


(2月3日)
翌朝に体温を計ったら、36.8度に下がっていた。
でもまだオミクロンかもしれないので、しばらくは部屋から出られない。
朝食はゼリーだけ食べた。その後はタブレットでYoutubeなどを見て過ごす。


昼ご飯は食欲が無かったので、パスをした。夕方になって体温を計ったら、35.5度と平熱になっていた。
夕食はベッドの上で食べたら食欲は戻っていたが、ベッドの上で動かないので少ししか食べられない。



1日目の夕食(好きな北寄貝の炊き込みご飯が出た)


(2月4日)
体温も平熱となり食欲もあると、私の感覚では健康体である。いつになったら、保健所から連絡が来るのだろう? クリニックの医者は『今はオミクロンの感染者が増えていて、だいぶ混んでいるからねー』と言っていた。


体温が平熱なのにベッドにいるのは辛い。朝食は女房が用意してくれたいつものパン食をベッドの上で食べた。食欲もあり、全部食べた。寝ていると天井ばかり見ていることになる。壁に掛ったベトナムの社長から頂いた刺繍の絵、台湾の社長に撮ってもらった自分の写真が目に入る。見えるのはそれだけだ。



用事がある時に女房を呼ぶおもちゃのキューちゃん。


今日はそろそろ保健所から検査結果を知らせてくるはずだ。何時に連絡があるのか不明だが、それが待ち遠しい。自分では陰性と思っているが、果たしてどうか?少し心配もある。
なかなか連絡が来ないので、女房はクリニックに電話してくれた。


その結果、『検査が混んでいるので、5日(土)か6日(日)になる』と言われたそうだ。
「あ~、これでまた部屋から出られない」と思ったら、かなりガックリ来た。



2月3日の夕方には36.2度まで下がった。


(おまけの話)
自室隔離の初日は、丁度、節分だったので、女房が夕食の後にベッドの私に豆を届けてくれた。
女房が私の部屋に入って来る時は、必ずマスクをして来る。なんだか他人行儀だが、仕方ない。
届けてくれた豆をベッドの上で、1人で小さな声で『鬼は外』と言って撒いたのであった。
なんだか情けない気持ちになった。



節分の豆とクリニックで処方された薬(タブレットの上)


寝ていても汗もかくので、風呂に入る。
いつもは一番風呂と決まっているが、隔離生活になってからは最後に入る。
健康な時に入る風呂より、こんな時の風呂の方が気持ちが良い。
ユックリと入っていたら、女房が心配してドアの外から『大丈夫?』と声を掛けて来た。
「明日の朝になったら、女房は風呂場を消毒するのだろう」と思ったら、申し訳ないと感じたのである。



2月1日に巣鴨地蔵通りで見付けた「アマビエ」の行灯。


(2月5日)
朝7時になり女房が朝食を届けに来た。
『お昼ご飯と夕食は何を食べたい?』と聞かれるが、『特に希望は無い』と答える。
新聞を読んでいたら、午前9時少し過ぎた頃に私のスマホが鳴った。
出てみたら、『タワーズクリニックです。検査結果をお知らせします。陰性でした』と言われた。


やっと隔離生活から解放された。ではあの時の38度の熱は何だったんだろう?
女房は『知恵熱じゃないの?』と言って、笑っていた。目出度し、目出たし!!



1月31日に浅草で買ったマスク(50枚入り190円)


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北海道伊達市に2003年夏より毎年季節移住に来ていた東京出身のH氏。夏の間の3ヵ月間をトーヤレイクヒルG.C.のコテージに滞在していたが、ゴルフ場の閉鎖で滞在先を失う。それ以降は行く先が無く、都心で徘徊の毎日。

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