
心の伊達市民 第一号
ウィンザーホテルからのメール
マンションの友人(Mさん)からPCメールが入った。
『今日の有珠山と昭和新山です。ウィンザーホテルの駐車場から撮影していますが、ホテルは休業中です』とあり、ビデオも添付してあった。Mさんが北海道旅行に行っているのは、私は知らなかった。
どうせなら、もう少し詳しいメールが欲しかった。

トーヤレイクヒルGCの山の上から見た洞爺湖とウィンザーホテル
そこで私から『そこから伊達市は近いので、是非とも行って下さい。伊達市は私の第2の故郷です。そして夕食を食べるなら市内の寿司屋「文七」に行くと良いです。私はこの店のオーナー夫妻とは親しいので、連絡をしておきます』と返信した。
次からはショートメールで連絡が始まった。
Mさん『お寿司屋さんの情報をありがとう御座います。夕食に伺う予定にします。今回は1月22日に東京を出て、2月9日に戻る予定です』

「文七」で私がいつも注文していたお好みネタ
そこで私から寿司屋の「文七」の女将さんにショートメールを入れた。
私 『今日の夕食に私の住むマンションの友人のMさんという男が伺います。私は彼に伊達一番の寿司屋と紹介しておきました』
女将『お久し振りです。お変わりございませんか? 申し訳ないのですが、「まん延防止措置」もあり、伊達市も感染者が多くお店は休業しています。せっかくのご友人に申し訳ありません』。
昨年の話では伊達市で感染者がたった1人、出ただけで大騒ぎしていたのに、今ではオミクロンで大勢の感染者が出るようになってしまったかと気の毒になった。

17年前の「菜菜」オーナーのKさんは若かった
そこで次善の策として、中華料理店の「菜菜」を紹介することにした。
私 『文七がコロナで休業中なので、次に中華料理店の「菜菜」を紹介します。ここなら満足するでしょう』
Mさん『菜菜に午後6時前に伺うことにしました』
私 『文七も菜菜も毎夏、3ヵ月の滞在中に20回は行きました。ですから9年間では、それぞれ180回ずつは行ったでしょう』

私達が滞在していたコテージ「桜の家」の内部
しばらくして食事を終えたMさんからショートメールが入った。
『菜菜は本格的ですねー。お店の造りも凝っています。大満足でした』
私の今までの長い経験では、友人から紹介された店が必ずしも満足でないことがあった。
でも今回はMさんは満足したようで、私も安心した。
菜菜のKオーナーもコロナに負けず頑張っているようで、私も少しは安心したのである。

トーヤレイクヒルGCのバンカーに現れたキタキツネ
(おまけの話)
私が伊達市に夏の間だけだが滞在していて、北海道だけと思われる言葉を知った時は驚いた。
日本各地から北海道に入植した人達のお国訛りが変化して、それが定着したのだろう。
ゴルフのコンペなどに参加すると、幹事の説明に「なおらい」という言葉が出て来る。
『今日の「なおらい」は午後5時からホテル・ローヤルで行います』などのように使う。
地元の人に聞いてみたら「直会」と書くそうで、これは「反省会」とか、「宴会」を意味するそうだ。

ルフの後に「文七」で行われた「直会」
私に教養が無いので知らなかっただけなのかもしれないが、これは調べてみると「神事の後に神様にお供えした食べ物などを下げて、参加者で頂くこと」だそうだ。
それにしては北海道の人は、神事をただの飲み会にも当てはめるとは凄い人達だ。
私は伊達市で初めてこの言葉を聞いたのだが、関東地方では聞いたことが無い。
伊達市では誰でも「直会」と言うので、教養とは関係ないらしい。
-003.jpg)
ゴルフコンペの後にコテージ「桜の家」の前で行われた「直会」
次に驚かされたのが「ヤキトリ」である。
言うまでもないが「ヤキトリ」とは、「鶏肉とネギを串に差して炭火で焼き上げたもの」である。これは関東地方の常識だが、こちらでは違う。ヤキトリの肉が、どの店でも豚肉なのである。
最初は驚いたが、慣れて来ると「これが美味しい」のである。
では鶏肉のヤキトリはなんと言うか? これは「鳥のヤキトリ」と言うのであるが、あまり見掛けない。

トーヤレイクヒルGCのある立香山の山頂から見た洞爺湖の夕暮れ
私達夫婦はゴルフ場のコテージに滞在していたので、毎日のようにゴルフをしていた。
するとゴルフ好きの地元の友人達と親しくなる。
その中のH子さんとプレイした時、彼女の言う意味が全く分からなかった。
グリーン上で彼女は『これはスラう?』と、私に聞いたのである。外国人と話をしているようだった。
彼女に「スラう」ってなに? と聞いたら、「スライスする?」という意味だった。
北海道に来ると、英語も日本語に変化してしまうようだ。

トーヤレイクヒルGCで
最後に私のとても好きな言葉がある。それは『なんも、なんも』である。
これは私から誰かに何かをお願いした時や頂き物をした時に、そのお礼を言った時に返って来る言葉である。関東では『どう致しまして』に相当する。
特に四国訛りの入った壮瞥町のIさんにこれを言われると、とても気が楽になる。
『どういたしまして』は『気にしないで』の気持ちはあまり含まれていないように感じるが、『なんも、なんも』にはそれが多く含まれているような語感がある。とても良い言葉だと思う。

右手前(ロシア人の野田画伯のモデル)、奥は野田夫人。左手前(アメリカ人英語教師)、奥は私の女房。4人に共通語が無くて、私はとても困った。
北海道伊達市に2003年夏より毎年季節移住に来ていた東京出身のH氏。夏の間の3ヵ月間をトーヤレイクヒルG.C.のコテージに滞在していたが、ゴルフ場の閉鎖で滞在先を失う。それ以降は行く先が無く、都心で徘徊の毎日。
詳しくはこちらハッシュタグ
月別アーカイブ
「むしゃなび」はこちらの皆様に支援して頂いています
人気の記事
-
05/16(金) 散歩で虎ノ門から新橋へ
-
05/14(水) 写真で見る東京(97)・・・5月を呼ぶ花
-
05/19(月) 神田明神の「神田祭」

イベント
「ブログ」カテゴリーのおすすめ記事
-
2025/02/25(火) 今日のメインは手作りチーズハンバーグです!
観月旅館
0
-
心の伊達市民 第一号
0
1
-
2025/02/19(水) ☆本日のメインは鶏骨付きもも肉の煮込みです☆
観月旅館
0
-
2025/04/03(木) ☆本日のメインはごろごろカレーです☆
-
心の伊達市民 第一号
0
1
ブログに関する
特集記事
-
-
-
これはもうmushanavi 的 情熱大陸だ!! Couturier Ty 宮崎智子という人
これほどまでにドラマティックな人生を歩んできた女性に出会ったことがあっただろうか? そう思うほどにのめり込ませる取材をさせた人。 倶知安在住、Couturier Ty 代表 宮崎智子さんを訪ねました。 智子さんが洋服のオーダーを請け始めたのは2000年頃のこと。 ブランドを立ち上げたのは2007年のこと。 そして倶知安に店舗を持ったのは2018年4月のことでした。 ↑デザイン段階でこの様な作業が入るとは知りませんでした。 「針と糸を使っての物作りならば大体のことはできます。」 そうおっしゃる通り、洋裁・編み物・刺繍・リメイク・修繕・革小物・布小物etc.なんでもこなされます。 ↑たくさんの糸や布が並びます。 ↑ツイードで作られた清楚なボディーコンシャスワンピース♡ ↑優しいオレンジ♡ ↑これを堂々と着こなして颯爽と街中を闊歩してみたい♡ ↑刺繍用の機械です。 地元の太鼓チームの半被を製作中。 ↑こういうワッペンも作ります。 実は、智子さんの最初の師匠はお母様でした。 今の智子さんと同じ様に何でもこなされていたお母様から、先ず習ったのは編み物でした。 「小学生の頃からビーニーやセーターなど、自分で編んだものを身に着けていました。 でも何故か洋裁には手を出しませんでした。ですが、洋裁をする母は私の憧れでした。 それなのに、母は私に一切無理強いしなかったのです。」 編み物以外しなかった智子さんに転機が訪れたのは20歳の時でした。 それは、お母様のこの一言が引き金でした。 「私の娘なのにスカート一枚作れないなんて…」 この言葉は、智子さんを発奮させました。 そして、お母様に習いながら初めて一枚のタイトスカートを作ったのでした。 このことがきっかけとなり、洋裁への転向を決めることになりました。 ↑落ち着いたカラーだからこそ、きっとパーティーで目立つはず♡ ↑取材時に智子さんが着ていらしたジャケット。とてもカッコよかった♡ そこからはお母様に師事をして洋裁の猛勉強を始めました。 また、文化服装学院を通信教育で卒業し、指導員の資格も取得しました。 とにかく物凄い集中力を持った頑張り屋さんなのです。 どんなことでも「やりたい!」と思ったら命懸け。 中途半端は大嫌い。 本気度は半端ない! 例えば英語。 ほとんど独学で、留学することなくTOEIC 900点を採ってしまったり。 スキーもプロ級の腕前だったり。 ↑パウダーもこの通り! そんな多才な人だから、全てが順調だったのかと思いきや…。 運命は智子さんをすんなりと洋裁の道へと導いてはくれませんでした。 2度の結婚と別離。 仕事も色々変わりました。 そんな智子さんに再び転機が訪れます。 「やはり洋裁道を極めたい! お客様のこだわりを100%表現し、デザインも着心地もお客様にピッタリ合うものを作って差し上げたい!」 改めてそう決心した智子さんは、再び猛勉強を始めました。 それも生半可ではない勢い。 しかも結果も残しました。 ↑これらの賞状や賞はほんの一部です。他にも色々と壁に飾られていました。 そして立ち上げたのが「Couturier Ty」なのでした。 「実は、Tは私の名前の頭文字。Yは母の名前の頭文字なのです。」 なるほど。 お店の名前にお母様は生きていらっしゃるのですね。 ↑出産祝いのオーダー品。オーガニックコットンで作られています。 25年前にお母様を亡くされた智子さんは、のちに運命的に出会った師匠に師事、猛吹雪のさなかでも中山峠を越えて札幌まで習いに行ったそうです。 ところが、またもや神様は智子さんに試練を与えました。 その先生も急逝されてしまったのです。 あれだけの資格や賞をいただいているのですから、師匠は必要ないのでは?と思うのですが… 「上には上がいます。常に技術向上をし続けていたいのです。だから今も師匠を探しています。」 いかにも智子さんらしい謙虚さ。 まだまだ勉強することはたくさんある! 前進あるのみの精神です。 ところで。 このお店を通して伝えたいことはありますか? とお尋ねしてみました。 「洋裁教室の指導者としては、食わず嫌いにはならずにやってみましょう!と伝えたいです。やってみようとしないで “出来ない” って思うのはもったいないです。 また、洋服の仕立て屋としては、自分サイズの服の心地よさを知ってほしいと思っています。 色々取り扱っていますが、一番好きなのはドレスオーダーを受けて仕立てるお仕事です。 日本人にも華やかなカラーを堂々と着て、思い切りファッションを楽しんでほしいと思っています。」 ↑こちらは既に終わりましたが、小物作りの講師の他、定期的に初心者向けの洋裁教室も開催されています。1日で服が作れるプログラムになっています。 工房に所狭しと置かれた道具や機械や糸や布を見ていると、筆者も自分だけの1着が欲しくなってしまいます。 夢を実現させることへの熱量が人並み外れて高い智子さん。 きっともっともっと大きな夢があるに違いない!と次なる目標をお尋ねしてみました。 すると、とても恥ずかしそうに教えてくれました。 「フランスに住みたいです。 ヨーロッパの色彩豊かな生地を使って洋服を作りたい! そして、思い切り大胆にファッションを楽しむ人に私の服を着て喜んでほしいのです。」 なんと、しっかりとフランス語の勉強も始められています。 これは必ず掴む夢だな…と感じてしまいました。 華やかな外見とは裏腹な、物凄く泥臭く地道な努力をされる智子さん。 その情熱に強く引き込まれ、頭の中には葉加瀬太郎さんのバイオリンが鳴り響いていました。 Couturier Ty(制作中ページあり) https://tymode.jp/ 記事の内容は取材時の情報に基づいています(取材2021年)
Rietty
0
-
夢を幻で終わらせない 自家焙煎「かのうち珈琲」的 夢の形
白老町北吉原の「かのうち珈琲」オーナー 鹿野内賢士さんを訪ねました。 遠軽ご出身で伊達に在住の方が白老町にお店を出したのは、「両親がここに土地を持っていたから。」 なのだそうです。 「かのうち珈琲」がオープンしたのは今年の9月22日のこと。 まだ出来て2ヶ月も経たないお店です。 白老町ゆうかり団地の住宅街に突如現れる「かのうち珈琲」は、隠れ家というよりはあまりにも唐突な現れ方で(失礼)そこにあります。 正直 「え!? ここ!?」と車の中で声を上げてしまったほどでした ^^; ところで、このベレー帽を被ったブタさんと、オーナーさんのお名前でピンと来た方はいらっしゃいますか? はい! 正解です♡ 実は、鹿野内さんは先日ご紹介いたしました「intime time アンティムティム」のオーナー浩子さんの旦那様なのでした。 「かのうち珈琲」の店舗はユニットハウスを2棟ジョイントして作られており、電気と水道以外の内装外装や棚などは全て、半年間をかけてご自身で作られたそうです。 ↑長居したくなる座り心地の良い椅子。 ↑壁をポンと叩くと灯りが点きます。 「元々大工仕事が得意だったわけではないので、妻には無理だと思われていました。」 と笑いながら話す鹿野内さん。 これは、一度ハマるととことん頑張るタイプとお見受けしました。 筆者から拝見する限りは、オホーツクサイクリング仲間だった頃から「とにかく優しい方」という印象でした。 定年すこし前に福祉関係のお仕事を辞められたのですが、それより以前から、夢を形にするための準備を少しずつ始めていらしたのだそうです。 元々珈琲好きだったこともあり、札幌単身赴任中に、200gまでを焙煎できる「テストロースター」を購入し独学で焙煎の勉強を始めていました。 これにはかなりハマって日々研究をされていたそうです。 ほらね、やっぱり…ハマるととことん凝るタイプ ^^ ↑札幌単身赴任中に手に入れたテストロースター。 「昔からただ漠然と喫茶店をやりたいなあ・・・とは思っていましたが、正直接客には自信がありませんでした…。」 と語り始めた鹿野内さん。 「長年、人と寄り添う福祉の仕事をしていたので、利用者さんたちからたくさんのことを学ばせていただきました。 ですから人はもちろん大好きです。でも営業的に接客をするのは自分にはあまりイメージできなかったし得意な方ではないと思っていました。 だから珈琲焙煎専門店にして、豆だけを売ろうと考えていたのです。 でも、せっかくならば自分が焙煎して挽いて落とした珈琲を目の前で飲んでいただきたいなあ…。と思い始めました。」 ↑じっくりと丁寧に淹れてくださいます。 と、照れ臭そうに話してくださいました。 けれども、そんな心配は無用でした。 早くもリピーターさんが多くいらっしゃり、地域住民の皆様にも好意を持っていただいていらっしゃる様です。 「夜遅くまで焙煎をしていると、伊達への帰りを心配してくださり “ 泊まっていきなさい “とか、“ 風呂に入っていきなさい “とか言っていただくのです。 でも店をオープンする前は、伊達から来るならきっと野菜の直売所だね!という噂が広まってしまっていて ^^; ドアを開けたら珈琲ショップだったので驚かれたこともありました。」 ↑珈琲は、アンティムティムさんでも購入できます。 これってきっと、鹿野内さんの優しく気さくなお人柄に惹かれたご近所さんたちが、何か世話を焼きたくなったり、顔を見に行きたくなってしまうということなのだと思います。 ↑立派なプレーヤー。近々ジャズをかけたいと思っていらっしゃるそうです。 「そういえば先日、テレワークの場として営業をしませんか?というお誘いを受けました。でも…お断りしました。 ここではゆっくりと日頃の疲れを癒して欲しいと思っているので、ここで仕事はしてほしくなかったのです。」 鹿野内さんらしいなあと、とても納得しました。 でも、焙煎への頑固なこだわりはしっかりとお持ちでした。 「毎日2kg~4kgの豆を焙煎しますが、ピッキングだけは絶対に手を抜きたくないと思っていますし、 それを店の持ち味にしたいと思っています。」 この言葉も激しく納得。 珈琲の袋を開けた時、変な豆が一粒でも入っていると本当にガッカリします。 筆者もカフェを営んでいたので、「丁寧にピッキングしていること」は焙煎所選びとして絶対に譲れないことでもありました。 ↑Kブレンドをいただきました。ドミニカベースで香りも豊か、本当においしかった〜! ↑ケーキは浩子さんが作っていらっしゃいます。お互いの夢を支え合う素敵なご夫婦です。 鹿野内さんが焙煎し淹れてくださった珈琲は、すごくクリアで雑味をまったく感じない本当に美味しいものでした。 量もたっぷりで160cc~170ccは入っています。 一杯を仕上げるため、丁寧に丁寧に珈琲豆を扱っていらっしゃることが、とてもよく分かる味でした。 またこんなお話もしてくださいました。 「仕事としての福祉への未練は全くありません。でもライフワークとしてはずっと関わっていきたいと思っています。要支援者は、障害者やご高齢の方だけでなく、例えば刑務所に入所していた方が社会復帰するときなども支援を要します。保護士としては現在も引き続いて活動していますので、将来はボランティアとして要支援者の皆様に珈琲を淹れて差し上げたいとも考えています。 私がお付き合いをさせていただいた利用者さんたちは、珈琲が大好きなんです!」 長年勤めた仕事を退職し、珈琲焙煎&喫茶店をオープンさせたことのまだ先に、鹿野内さんの夢は続いていたのでした。 「かのうち珈琲」的 夢の形は、分け隔たりなく多様な人々が癒されるように珈琲で橋渡しをすることだと気付きました。 壮大な夢にも思えますが、きっと鹿野内さんならばコツコツと一歩ずつ近づいていかれることと思います。 取材を終え外に出ると、昼間だというのに今にも大雨を降らせそうな空は黒くなっていました。 でも、暖かく周りを照らす太陽のような鹿野内さんとお話をさせていただいた筆者の心はポカポカでした。 住所 〒059-0923 北海道白老郡白老町北吉原661-337 ゆうかり団地
Rietty
0