
心の伊達市民 第一号
コロナより桜(3)・・・浜離宮の桜
我が家の窓から浜離宮恩賜庭園が見えなくなって久しい。
ここへ越してきた当初は目の前のタワーマンションも無かったので、今の時期なら浜離宮の菜の花畑が見えた。その様子を見てから、浜離宮へ行くという誠に贅沢な眺めであった。
最近は私の住むマンションから目の前のマンションに引っ越した友人が、浜離宮の様子を写真付きメールで送ってくれるので、それを見てから行くようになった。引っ越した事情は不明だが、なにか事情があるようだ。

「大手門」から入ると、左手の芝生の中に2本の桜が見える。
浜離宮恩賜庭園は都立公園で、毎年この時期に中央区は全区民に無料入場券を配っている。
有効期間は4月1日から5月5日までで、「浜離宮・花と緑の集い」というイベントの一環である。
中央区は財政が豊かなのか、区民サービスがとても多い。
これを多摩地区の私の友人達に話すと、『いいなー。多摩は何も無い』と羨ましがる。
Yさんなど極端で、『中央線で立川駅を過ぎると、美人が全くいなくなる』なんて言う。

「中の御門」から入ると、すぐに綺麗な桜が見える。
そこで今回は無料入場券が使える4月2日に、1人で「ソメイヨシノ」を見に行った。
コロナ以来、すっかり単独行動が増えてしまったが、慣れると単独行動は楽である。
出先ではほとんど誰とも話をしない。
「目的地に行く」、「用事を済ます」、「ランチを食べる」、「カフェに入り本を読む」。
これの繰り返しである。

花の中心が赤くなって、そろそろ花も終りだ。
今回は「歩いて浜離宮に行く」、「ソメイヨシノの撮影をする」、「菜の花畑の撮影をする」、「新橋まで歩いて行ってランチを食べる」、「カフェに入ってコーヒーを飲む」、「東京BRTに乗って家に帰る」である。
家を出て都道2号線の側道を歩いて行く。相変わらず2号線は工事の真っ最中だ。20分くらいで浜離宮に着く。浜離宮の入口で、無料入場券を渡す。とりあえず「中の御門」の前の桜を目指す。

「潮入りの池」にある「お茶屋」
事前予約の必要が無いので急に思い立って来る人も多いらしく、いつもよりだいぶ混んでいる。
先ず最初はここで桜の一番綺麗な場所である「中の御門」に向かう。
やはりここは人気スポットで、記念撮影をしている人が多い。
次は「潮入の池」に架かる「お伝い橋」を渡り、対岸の桜を見に行く。
こちら側はソメイヨシノは咲いているが、八重桜が多いのでまだ寂しい。

池に向って垂れ下がるソメイヨシノ
入口の方に戻ると、そこには菜の花畑が広がっている。
一面にまっ黄色な花が咲き、家族連れには桜よりこちらの方が人気がある。
「子供と菜の花」の撮影が多いが、中には「人形と菜の花」のオヤジもいる。
最近はアチコチで「人形」を持って来て、撮影しているオヤジがいるが「何者か?」
家に帰ってから女房に聞いたら、『コロナで東京に来られない人がネットで申し込むと、希望の場所で自分の人形と一緒の写真を撮ってくれる商売がある』と言っていた。もう私は考えられない時代になって来た。

桜にも色々な種類があり、これは分からない。
浜離宮の桜は八重桜が殆どなので、4月中旬以降が見頃である。
ここ以外ではあまり見られない緑色の花弁を持った「御衣黄」と「ウコン」があり、これも見たい。
私が緑色の花弁を持った桜の花を見たのは、ここへ越して来た最初の春の浜離宮であった。
以前にマンションの友人に教えてもらい見に行ったから分かったが、そうでなければ前を通っても全く分からない桜だった。御衣黄の咲く頃に、また無料入場券を使って、見に来るだろう。

池の向こうに私の住むマンションが見えるが、向こうからは見えない。
(おまけの話)
桜と言えば「サクランボ」が思い起こされる。桜が散ると、その後に小さな実を付ける。
私はこれを品種改良したのがサクランボで、日本原産だと思い込んでいた。
確認の為にネットで調べたら、全く違っていた。
サクランボには西洋系統と中国系統があり、日本で人気のある「佐藤錦」はナポレオンと黄玉を掛け合わせたものだそうだ。その黄玉は「どこから来たか?」は調べたが、分からなかった。
サクランボの生産量は原産地のトルコが1位で、2位はアメリカ、3位が日本でトルコの14分の1だった。

いまが菜の花の見頃だ。
私の住む中央区は山形県の東根市と友好都市の提携をしている。東根市はサクランボで有名である。
中央区に越して来て思いがけず、私にも縁があった「東根市」との関係を知った。
現役の時に、私の会社はX照明という会社と取引があり、シャンデリア用の加工パイプを大量に納入していた。
その会社が東根市に工場を建設したことをキッカケに、私はサクランボの季節に1年に一度だけご挨拶を兼ねて東根市の工場を訪ねたのである。ネットで調べてみたら、いまは社名を洒落たカタカナに変えて頑張っていた。

菜の花の細い茎にスズメが止まった。
小学生の時の話である。当時の小金井町は桜と栗が有名だった。
4月になると玉川上水の両側に桜が咲き、都内から大勢の見物客がやって来た。
時々、酔っ払いが多摩川上水に落ち、そのまま流されて武蔵堺にある浄水場の手前で土左衛門として引き上げられた。
6年生の時だと思うが、学校から全員に桜の苗木が渡されて、「家の庭に植えなさい」と先生から言われた。その時に植えられた桜のおかげで、小金井市には桜が多いのだろう。

蝶々が蜜を求めてやって来た。
北海道伊達市に2003年夏より毎年季節移住に来ていた東京出身のH氏。夏の間の3ヵ月間をトーヤレイクヒルG.C.のコテージに滞在していたが、ゴルフ場の閉鎖で滞在先を失う。それ以降は行く先が無く、都心で徘徊の毎日。
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Rietty
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“窯の前の最期” を夢見て〜パン職人 武田 浩一氏の歩んだ道〜
今回の主人公は、『boulangerie ibox 弄月店』の店長でパン職人の 武田 浩一さんです。 浩一さんは山口県出身の55歳。 見かけも感性もとても若々しいお方です。 2023年4月OPENされた『boulangerie ibox 弄月店』は国道37号線の道路沿いにあります。 『社会福祉法人タラプ』を母体にしたこちらのお店は、構想2~3年を経て誕生しました。 そこに店長兼パン職人として抜擢されたのが浩一さんでした。 浩一さんは『ibox』に入社して12年、そしてパン職人としては30年のキャリアをお持ちです。 イラストレーターを目指していた若かりし頃のおはなし 「実は、若い頃はイラストレーターを目指していました。」 と、取材は唐突なお話から始まりました。 「え?フリーのイラストレーターですか!? 若い頃からパン職人を目指していたのではなかったのですね!」 「はい。僕は幼稚園の頃から内気で、新聞の折り込み広告の裏が白い紙を見つけては、絵ばかり描いている子でした。山口県の高校を出てから、18歳で東京の美術系の専門学校に入りました。友達と切磋琢磨をし、新しいものは何か?今は何を求められているのか?を常に探求しながら、プロへの道を模索していました。コンテストにも頻繁に応募していました。入選したりもして、そこそこに評価をしていただきましたが、それだけでは食べてはいけないよな…と、中途半端な自分に限界を感じ始めていたのが24歳頃でした。」 「未練はありませんか?」 「昔の仲間が活躍しているのを見ると、“もう少し頑張ってやっていればよかったかな…”とパン職人に転向したことを少し悔やむ瞬間もあります。いまでも家では時々絵を描きますし、そうそう!ここの店の看板の絵も、幟の絵も、必要に迫られて描きました笑 当時の絵はほとんど処分してしまいました。断ち切るためにね。でもね、正直後悔しています笑」 「もったいない!とっておけばこのお店に飾れたのに!」 「笑 そうですね。あの頃は『アンディ・ウォーホル』『バスキア』『キースヘリング』など、ニューヨークで活躍していたストリートアーティストに影響されていました。 なんていうか、ポップアートの世界って80年代のサブカルチャー的な音楽とも繋がっている。そういうものに刺激を受けながら、「いま、一番新しいものはなんだ!」と、プロのアーティストを目指す友人たちと語ったり、試したりするのが楽しかったですね。」 パン職人として立つと決心したこと イラストレーターの道を諦めようと考えていた浩一さん。 ある日、パン職人の募集広告に目が止まりました。 「いきなりパンですか?」 「はい。パンと絵との間に共通点を感じました。絵は白い紙にゼロからモノを作り出す作業です。そしてパンも同じく何もない作業台に粉を乗せるところからモノを作り出す作業です。どちらも『ゼロから作る』というところが共通していました。」 「なるほど〜。だから抵抗なくこの世界に入れたわけですね。」 パン職人としては2年おきくらいに店を変え、その店の良いところを学んでこられました。 例えば、東京の自由が丘では、全国展開をしているパン屋で働いたそうです。 「様々な形態で店を出している会社でしたが、僕がいたところは粉から作る店だったのがラッキーでした。そこには10年いました。その後、大好きな湘南地域の鎌倉・葉山・藤沢・逗子などの有名店でパン作りの技と歴史を学びました。鎌倉ではチーフを任されていました。」 「湘南が大好きだった浩一さんが何故、北海道にやって来たのですか?」 「たまたま山口の実家に一時帰省していた時、自由が丘のパン屋でお世話になった人に声を掛けられたのです。『いい話があるよ』って。それがiboxのパン職人を募集しているという話でした。その人は伊達市出身の人でした。」 縁とは不思議なものです。 山口県出身の湘南好きな人が、最初にパン修行をしたところで出会った人に誘われて、今は北海道の伊達市にいるのですから。 『boulangerie ibox 弄月店』店長としての浩一さんがが目指す店とは iboxのパンは、今まで修行して来たパン屋のベスト版的なパンだと言い切った浩一さん。 「いろいろな嗜好の方に美味しいと感じていただけるようにバラエティーに富んだラインナップになっています。でも強いこだわりは『本物であること』。例えば、クロワッサンならばフランスの伝統的な技法とレシピで作っていますし、バケットもベースはメソポタミア時代から続くフランスの伝統を大切にした作り方ですし、フォカッチャならばイタリアの伝統的なレシピと技法で作っています。伝統と歴史を大切に、決して色褪せない本物を追求しつつも、やはり地域性も大切にしなければいけないと考えています。それぞれの伝統を重んじながら、どれだけ地域仕様にアレンジできるかが勝負どころです。そして、美味しいということを一番大切にしたい。」 思いがけず壮大なお話が飛び出し、すっかりのめり込んでしまった筆者でしたが、究極の答えにストンと納得してしまいました。 ものすごくシンプルで真理であると思いました。 「材料にこだわる」「地元食材を使っている」「健康にこだわる」「添加物は使わない」というお話は今まで色々なところで伺ってきました。 当然、この言葉の背後には「だから美味しい」と続くのだと思いますし、素晴らしい理念だと思っています。 ところが 『美味しいということを一番大切にしたい』 という答えを、ストレートに伝えてくれた飲食店さんは意外と少なかったことに気づきました。 よく考えれば当たり前の台詞に、目から鱗の気持ちになった筆者でした。 伝統と歴史を重んじる浩一さんの姿勢は 『長年受け継がれて来ているものは美味しいからだ』 という実感と自信の表れなのでしょう。 「boulangerie ibox 弄月店」はね、 街の中で人の集まる中心にiboxがあるといいなと思っています。 だから、月一で『ふくろう市』というタイトルで イベントも開催しています。 店の知名度をもう少し上げたいですし。 それとね、 パンも美味しいけれど珈琲もめちゃくちゃ拘っていますよ! 恵庭の「珈琲きゃろっと」という店の物なのですが、 豆はもちろんのこと、マシンのセッティングもすごいこだわりようです。」 確かに、マシンの珈琲でこれだけ美味しいものは正直経験したことがありません。 本当に美味しい! 「それと、弄月店ができる前、だて道の駅に出店したことも大きかったです。あそこは食材が実に豊富に揃っているので選ぶのが楽しい。基本は地産地消です。でも『美味しいこと』にはこだわるので、地元以外のものも取り入れます。」 浩一さんが迎えたい最期とは 「どんなお爺ちゃんになりたいですか?」 と質問してみました。 「お爺ちゃんになれば、たぶんここは退職をしているから、その時は自宅のパン屋で仕事をしながら死にたいな。ある日、パンを焼いていたらね、タイマーが鳴るんです。でも僕は動かない。そのことに気づいた弟子が覗き込むと僕は死んでいる。最後に焼いたパンを取り出し、弟子たちがみんなでそのパンを食べる。みんなでってところが大事。そんなストーリーが僕の中では出来上がっています。」 泣きそうになりました。 その姿が映像で浮かんだからです。 そして、イラストレーターの道に今でも未練を感じていると語っていた浩一さんはもうそこには居ませんでした。 最期はパン職人として死にたいと語りました。 良かった…。 心からそう思いました。 取材の間中、絵本を捲るような物語をお聴きし、歩んでこられたその道を振り返りながらも、しっかりと最期を見ているお姿とパンが重なりました。 浩一さんが捏ねた全てのパンを味わってみたくなった筆者です。 ―boulangerie ibox 弄月店 情報― 〒052-0013 住 所 伊達市弄月町59-35 定休日 月曜日(不定休あり) 電 話 0142-82-8310 E.mail takeda.kouichi@tarap.org
Rietty
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お腹と心が喜ぶごはん。ほっとするカフェ 洞爺湖「MITTSU みっつ」
ふらりと一人で入りたいお店に出会いました。 「MITTSU」のオーナー二瓶光子さんは、東日本大震災をきっかけに洞爺湖町に移住して来られた方。 当時、洞爺湖町から入っていた震災ボランティアNPO団体からのお誘いがなければ洞爺湖町には来ていなかったと言います。 ご縁は不思議ですね。 極限状態の時、人の繋がりは本当にありがたいものだと思います。 移住後は、2014年に現在の場所から300mほど離れたところでカフェとハンドメイド作品を取り扱う「MITTSU」を開業され、現在の場所に移転してからも丸4年になるそうです。 お食事メニューは A. ベジプレート(材料は野菜のみ) B. ベジプレート+肉料理 の二種類。 私はAをいただきました。 とてもとても優しいほっこり味。 おいしかった~! メニューは日替わりです。 「できる限り地元の野菜をふんだんに使うこと」 をポリシーにされていらっしゃいます。 「足りない場合は伊達野菜も使います。」 とのこと。これは伊達市民としても嬉しいです♡ 同じメニューをお弁当にもできるそうですし、ご予算や内容のご相談も受け付けてくれます。 1個からでもOK。 10個以上の時には5日前までのご注文をお願いしますとのことでした。 そして、もうひとつのお顔。 実は洋服の仕立て・リメイク・お直しなどの技術者さんでもあります。 夜の営業もなさっているのに、ふたつのお顔を同時にこなすスーパーウーマンです。 幸せを伝播させる笑顔の裏に、秘めた底力を感じる素敵人でした。 5月にはお友達とアロマのワークショップを開催予定だそうです。 そして、夏には店をリニューアル予定とか。 洞爺湖町の女性たち。 エネルギー満開です♪ ※夜の営業は2021年4月現在、予約制でひと組のみとなっています。 ※記事の内容は取材時の情報に基づいています(取材2021年)。メニュー、料金は変わることがありますのでご注意ください。 ※シェア、リンク大歓迎です!
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便利屋の域を超えた「田舎の便利屋 ウイコーポレーション」&「シンタ」代表 宇井尚さん
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