
心の伊達市民 第一号
徒然なるままに(26)
【間違い探し】
我が家でとっている新聞の日曜日の紙面に「間違い探し」のページがある。
クロスワード・パズルもあるが、私はそちらには興味が無くて「間違い探し」をやっている。
これはボケ防止になるのではないかと思うのだが、肝心の間違いがなかなか見付けられない。
1回の絵に「9個の間違いがある」と書いてあるのだが、これが難しい。
発見できなくてイライラして来る。だから大体、2個くらい発見したところで止めにしてしまう。
ボケ防止のつもりの「間違い探し」が、心臓に悪いかもしれない。

「間違い探し」はメチャメチャ難しい。
【クラシック音楽】
ゴールデンウィークに丸の内で「MARUNOUCHI MUSIC FES」というイベントがあった。
丸の内界隈のビルが協力して演奏会場を用意し、観客に無料でクラシック音楽の演奏を楽しんでもらうという企画だった。私は「丸ビル」と「東京ビル」の演奏を聞きに行った。クラシック音楽の生演奏を聴くのは何年ぶりだろうか? 思い出せないほど昔のことだ。
40歳くらいの時に友人に誘われて、義理で室内楽団の会員になったこともあった。
その時、以来かもしれない。丸ビルではピアノとバイオリン、東京ビルでは管楽器の四重奏であった。
久し振りにクラシックの生演奏を聴いて、少しだけ心が洗われたような気分になった。

ピアノとバイオリンの演奏会(丸ビル)
【330円ラーメン】
浅草には名店が数多くある、しかし観光客がそこを目当てに来るので、いつも行列が出来ている。
そこで歩き廻った挙句に、結局私が行き着くのは「めんまる」である。
ここはラーメンだけのメニューで、値段は330円と時代が間違っていないかと思うような値段である。
私はこの店が気に入っている理由はいくつかあるが、「東京ラーメン」、「量が少な目」、「値段がバカ安」、「道路で食べる」の4つである。店のある場所は「ひさご通り」で観光客もほとんど来ない。
店の外にテーブルと椅子が出ていて、この雰囲気が台湾やベトナムを思い出させるのである。
この懐かしいような解放感の雰囲気が堪らず、次にまた行ってしまうのである。

道路を普通に人々が通り過ぎる店「めんまる」
【ゴールデンウィークの浅草】
ゴールデンウィークは、「引退オヤジ」にはやることが無くて困る。
「浅草の様子はどうなのか?」と思い、出掛けて行った。地下鉄駅を出るところから、混雑が始まっていた。
「どらやき」で有名な行列の出来ている「亀十」を横目で見ながら、横断歩道を渡る。
仲見世通りは歩けないほどの人出だ。日本人観光客だけで、こんなに混んでいる光景を初めて見た。
これで中国人観光客が来るようになったら、どうなるのか? 入場制限が必要かもしれない。

人力車も大量に出番を待っていた。
【写真撮影OK】
家具屋の「ニトリ」退店の後に入った、銀座に新規開店した「ダイソー」へ行ってみた。大混雑だった。
その理由は「1500円以上のお買い物のお客様に、ダイソー特性のエコバッグを進呈」とあったからではないか?
銀座に次々と安売り店が進出し、以前のような「銀座は高級」というイメージが揺らぎカジュアル化して来た。ダイソーの店の中の掲示板に驚いた。「写真撮影OK」と書いてあった。
堂々と「写真撮影OK」と書くところを見ると、余程、「他社は追従できないだろう」という自信の表れかもしれない。

「写真撮影OK」(ダイソー)
【DUTY FREE】
コロナ禍で日本に外国人観光客が来なくなった。
ビジネスに関係無い私にとっては、店もレストランも観光地も混まないので大歓迎である。
特に銀座での中国人のマナーの悪さに辟易としていた私には、静かな銀座が戻って嬉しかった。
あるデパートではコロナ前に、外国人観光客用にブランドショップを集めたフロアを作り、免税手続きのフロアも設けた。いまや免税手続きフロアは売り場に変り、ブランドショップも閉店が続いている。
全くお客のいないフロアを通る時は、気の毒で身を縮めて歩いて行く。

「TOKYU PLAZA」の免税品売り場は人影も無し。
【不二家のソフトクリーム】
将棋の「叡王戦」のスポンサーは「不二家」である。叡王は言わずと知れた「藤井聡太」である。
テレビでは対局の時に藤井聡太叡王が、不二家のどんなお菓子を食べたかを放送している。
銀座数寄屋橋交差点の角に「不二家」がある。藤井聡太が叡王になってから、店が混むようになった。
私はこの店の隣の不二家のスタンドで、「ソフトクリーム」を買って食べることがある。
濃厚でとても美味しい。問題は店内で食べることが出来ないのである。
そこで私は晴海通りの車道が青になった時を見計らい店に入りソフトクリームを注文する。それをもらって店を出ると、丁度、歩道が青になる。そして私はソフトクリームを持って歩道を渡り、数寄屋橋交番の裏のベンチに座り、道行く人々を眺めながらソフトクリームを食べる。
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数寄屋橋交番裏でソフトクリームを食べる。
(おまけの話)
誰でも知らないことは山ほどあるはずだ。私も今までに知らなくて、恥ずかしい思いをしたことが何回もある。女房は子供の頃に、天気予報「波浪注意報」のことを「ハロー注意報」だと思っていたそうだ。
だが年齢を重ねるに連れ「知らなくても恥ずかしくない知識」と、「知らないと恥ずかしい知識」があると知る。その線引きは難しいが、自分の所属しているグループによるかもしれない。
しかし最近はインターネットの発達により、多くの人達が自分の守備範囲以外の知識を持つようになった。
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嬉し恥ずかし小学校1年生(靖国神社)
その代表例が政府の「新型コロナウィルス対策分科会」のことではないだろうか?
専門家の集りにしては専門的な発言は無く、「マスク」、「自粛」などといつまでも言っていた。
テレビには感染症の専門家が出て来て、人によって違うことを言う。
ネットに登場する専門家も違うことを言う。外国では対策を止めた国もあし、ロックダウンをしている国もある。こうなると専門家は「知らなくても恥をかかない」という状況が起きて、彼らは恥をかかないで助かっている。

PCR検査場は、いまは暇なようだ(新橋BRT停留所前)
ある時、寝床でラジオを聞いていたら、女性アナウンサーが「よりせき」と言っていた。
その時は「なに?」と思ったが、話の流れで「寄席」だと分った。
大学を出て入社試験に合格し、アナウンサーになったほどの人が「寄席」も知らないとは驚いた。
これは「知らないと恥ずかしい」という単語の範疇を越えていると思う。
あの後、たぶん彼女は会社での評価が落ちてしまっただろうと思う。

窓の外から突然現れて窓を拭く。これは驚くし、こちらが恥ずかしい。
北海道伊達市に2003年夏より毎年季節移住に来ていた東京出身のH氏。夏の間の3ヵ月間をトーヤレイクヒルG.C.のコテージに滞在していたが、ゴルフ場の閉鎖で滞在先を失う。それ以降は行く先が無く、都心で徘徊の毎日。
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自分に向き合い「茶〜しばく?」〜” チャシバクINN “ 的暮らし
オーナーの田中陽介さんは京都のご出身。 そして奥様の瑠奈さんは大阪のご出身。 お二人が2018年にオープンしたチャシバクINNは、客室4部屋のご自宅兼宿泊施設です。 只今、4月半ばの2022年度OPENに向けて準備中ですが、実はこの春、田中夫妻にとっての何度目かの大きな転機が訪れます。今回は、そんなチャシバクINNの秘話を陽介さんにお伺いしました。 ↑部屋からは洞爺湖が見えます。 学生時代の4年間、ニュージーランドで暮らした経験をお持ちの陽介さんは、2004年4月、加森観光 ルスツリゾートへの就職を決め、北海道留寿都村に移住して来られました。 ルスツリゾートでは、ベル・フロント・教育旅行営業・予約・レベニューなどのキャリアを積まれていたので、いわば宿泊業のプロフェッショナル。 INNを行うための土台が整っていたとも言えます。 けれども、後に脱サラをされた陽介さんの現在まで道のりは、チャシバクINNまっしぐら!ではありませんでした。 ルスツリゾート勤務時代、今の家に移り住む以前は社宅に暮らしていましたが、2012年より旧洞爺村あたりで家を探し始めました。 「洞爺湖畔には、留寿都に住んでいた頃によくキャンプをしに来ていました。通う毎にどんどん好きになり、湖畔に住みたいと思うようになりました。物件は、静かに湖を眺めるくらしができる洞爺湖北岸のエリアに魅力を感じていたので、このあたりで探していました。留寿都へ通勤するにも便利でしたし。」 そう。 つまり、初めからここで商売をしようと思っていたわけではなかったのです。 「偶然にも、毎日窓から洞爺湖を眺められる中古物件との出会いがあり、2013年10月に移り住みました。けれどもその頃は、インバウンドのお客さまがたくさん訪れていた頃でもありました。ですから、2歳になった息子の寝顔を見てから出勤し、帰宅してまた寝顔を見るという毎日が続いていました。そんな日々に疑問を持つようになっていったのです。」 息子さんが生まれた2011年、この年の3月に東日本大震災は起こりました。 親になった年にこの大震災を体験したことは、田中さんご夫妻の人生観に大きな影響を与えたことは容易に想像できます。 「いつ死ぬかわからない。 明日の命の補償なんてない。」 ということを誰もが痛烈に感じたことと思います。 とは言え。 たとえ考え方の変革は起きたとしても、ほとんどの人が日々の忙しさに埋もれてしまい、なかなか行動変革にまで及ばないことが多いのではないかと思います。 けれども。 田中さんご夫妻は行動を起こしました。 息子さんが4歳になり、幼稚園に上がった年。 2015年6月に、瑠奈さんがドーナツ屋を始めたのです。 材料にもこだわった " 豆乳焼きドーナツ " 『チャシバクドーナツ』の 誕生です。 決め手は瑠奈さんの一言でした。 「家の前にデッキを作ってくれたらドーナツとドリンクを出す店をやりたい。」 「大阪出身の妻は、帰省の際に奈良のお店で目にした光景が、" とてもいいなあ… " と思ったと話していました。そこには、おじいちゃん、おばあちゃん、小さい子どもまで美味しそうにドーナツを食べている姿があったそうです。チャシバクドーナツも、お客さまが湖畔散歩のついでにふらっと立ち寄ってくださったり、近所の子どもたちや親たちがおやつとして買いに来てくれる店にしたいと思ったそうです。」と、陽介さん。 ドーナツは。 ケーキのようにお洒落すぎず。 子どもから大人まで大好きで。 片手にドリンクを持ち、もう一方の手でドーナツを持ち、お散歩しながらでも気取りなく食べられる。 チャシバクドーナツは、原材料にもこだわって作られていますし、揚げてお砂糖をまぶしたものとは違うので、子どもでも、服も手も汚すことなく食べられるというのも良さだなあと、筆者自身が購入したチャシバクドーナツを運転しながら食べた時に感じました ^^; 母目線を感じます。 さて。 オンラインショップも開き、軌道に乗っていたのですが、再び転機が訪れました。 洞爺湖畔に購入した店舗兼自宅(店舗部分は陽介さんによるリノベーション)は、実は元民宿の二階建てでした。 そして、その後のオーナーが改築してアパート経営をしていた際に、2階の4部屋それぞれに風呂場とトイレを設置していました。 そのことは田中夫妻にとっての購入の決め手ではなかったのですが、陽介さんはこの家で宿経営をすることを思い付きました。 「この地域には温泉街と違い宿が少ないです。ですから、ここに宿を作るのは自分の役割かもしれないとも思いました。まさに運命のようなものも感じました。」 悩んだのはその宿のスタイル。 ここに陽介さんのこれまでの生き方が表れてきます。 ・13年間、リゾートホテルの社員としてホテル業の経験を積んだ。 ・ニュージーランドでは、学生的な貧乏旅でバックパッカーズ(日本でいうホステルやゲストハウス)を泊まり歩いた。 「学生時代とサラリーマン時代に様々なタイプの宿を経験したことが原体験となって、自分が好きな旅のスタイルにマッチしたものを作りたいと思いました。」 今のスタイルに行き着いた経緯や想いについては、陽介さんのnote https://note.com/chashibaku_inn/n/ne55019de8408 に詳しく書かれていますので、陽介さんの言葉でご覧くださいね。 陽介さんのお話しを伺っていると、今の暮らし方はなるべくしてなった、導かれてなった、そんな気がしてなりません。 ↑ツインルームです。とても清潔感があります。 さて、ここでもう一度チャシバクドーナツに話を戻します。 2004年に北海道移住。 2009年に結婚し2011年に子どもが生まれる。 2013年洞爺湖畔で中古物件を購入し転居。 2015年チャシバクドーナツを開業。 2017年35歳で会社を退職。そして1年かけてINNスペースをセルフリノベーション。 2018年チャシバクINNをオープン。 と、このように何度も転機を迎えた田中一家でしたが、実は2022年3月末までの営業でチャシバクドーナツが無期限休業となります。 「息子を屋久島の山海留学へと送り出すことにしたからです。それに関連して妻は2拠点生活になりますので、ドーナツ屋を続けることは不可能になりました。もともと、息子が高学年になったら多様な文化や自然、人に触れてほしいという願いから外国へ連れて行きたいと思っていました。ところがこのコロナ禍でそれが叶わぬ夢となってしまいました。もちろん、コロナ禍が落ち着けばいつかはできるかもしれない。でも、出来るだけ子どものうちに体験させてあげたかったのです。ですから気候も含め環境が北海道とは全く異なる屋久島を選びました。」 ↑夏の洞爺湖 チャシバクドーナツのファンはとても多いので、きっと残念に思う方も多いかと想像します。 でも、ファンの方々ならきっと、田中一家の暮らし方や生き方に共感する方が多いと思います。 今後のチャシバクを応援して行きたいですね。 さてさて。 ところで皆様。 「チャシバク」の語源をご存知でしたか? それは〜。 「茶〜しばく?」=お茶しない? なのだそうです。 これって実はコテコテの関西弁。 関西ご出身の田中ご夫妻ならではの発想です。 「ゆっくりお茶でも飲んで休んでいって」 そんな気持ちを込めて「チャシバク」としたのだそうです。 そしてこのロゴマーク。 旅するバクの絵がなんともユニーク。 こうして、様々な経緯で、旅する人々を迎えるチャシバクINNは4月15日(金)に再オープン(現在は休館中)します。 最後にチャシバクINNのコンセプトを伺ってみました。 『洞爺湖畔のいつもの空気をあじわえる、地元の暮らしに近い宿』 「旅には旅人それぞれのいろんな目的があります。旅人がここに泊まる時、ここを住まいとする僕らと同居するかたちとなります。旅人にはチャシバクINNの暮らしの形を体験することで、” あ〜こんな暮らし方もあるんだ “ とか “ こんな働き方があるんだ “ などの気づきを通して、” 自分の暮らしを見つめる “ “ 自分と向き合う “ そんな時間を提供できたらいいなあなんて思っています。 一言で言えば『暮らしのおすそわけ』かな。」 いつまででも眺めていられる美しい洞爺湖。 静かな街。 押し付けがましさを微塵もかんじさせない、優しく人懐こい陽介さんの笑顔。 そして心地よい部屋。 ↑シングルルームです。カバーやシーツなどはリネンを使用しています。壁の色が素敵。 チャシバクINNで過ごす時間は、間違いなく豊かであることを確信した筆者です。 チャシバクINN オーナー 田中陽介 住 所 北海道虻田郡洞爺湖町洞爺町109-1 電話 0142-82-3257 Web site. http://www.chashibaku.com/inn/i/ ※記事の内容は取材時の情報に基づいています(取材2022年)
Rietty
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