
心の伊達市民 第一号
ブログ閉鎖中の話題(2017年7月16日)
毎月1回、中央区役所から区報が届く。
どうというような内容の記事は無いが、「催事案内」は良く見る。
時間つぶしに役立つ面白い行事とか、講演会、音楽会、落語会などの案内があるからだ。
そんな記事の中に「築地居留地研究会発表」というものがあった。
以前から築地居留地という言葉は聞いていたので、かなり興味を持った。
「居留地」という言葉で最初に頭に浮かぶのは、「インディアン居留地」である。
かなり前に友人のプロカメラマンの案内でニューメキシコ州にバルーンの写真撮影に行った時に、インディアン居留地を訪問したことがあった。
今ではインディアン居留地は観光資源となっていて、住民は自宅から自動車で居留地に通って来てお土産を売っているのを知って、がっかりした覚えがある。
最近ではインディアンと言ってはいけないらしく、ネイティブ・アメリカンというようだ。
その中の1人の男が「日本人か?」と聞くので「そうだ」と答えたら、「俺は横須賀に居たことがある」と言われて、「ここまで来て、横須賀はないだろう!」と思ったが、言わなかった。
築地居留地であるが、日本政府は開国した時に外国人が勝手に色々なところに住まないように居留地を設けたのである。これは東京だけでなく、横浜や関西などの港がある町にある。
その居留地の歴史を研究している団体があり、2ヶ月に1度くらいの割で発表会を行っている。そこで暇人で興味本位の私は、土曜日の午後に出掛けて行った。
発表会の場所は聖路加国際病院付属の聖路加国際大学で行われた。
50~60人は入れる教室は、ジジババで埋め尽くされていた。
司会者はなぜか白人中年男性で、この人の日本語はネイティブであり驚く。
今回の発表者は早稲田大学1年生の男性と、韓国人で慶応大学留学生の中年少し前の女性だった。
司会者の話によると、今回のように若い人が講師になって話をするのは初めてだそうだ。早稲田大学の学生は「築地居留地を現代風に開かれた国際交流の場所にするための建築を考えたい」と提案した。
韓国人女性は丸メガネで、いかにも研究者らしいいでたちである。
彼女は現在はソウルの名門大学である「梨花女子大」で博士課程で研究をしているらしい。彼女の発表は「居留地の居住空間の研究」であったが、なにぶんにも韓国には腹を立てている私なので、「築地居留地の研究より、正しい慰安婦の歴史問題を研究して欲しい」と言いたくなったのである。
(下の居留地の説明)
白色は居留地・・・・外国人は借地をして、自分で家を建てて地代を払う。
赤色は雑居地・・・・日本人が建物を建てて、外国人は家賃を払って住む。
(おまけの話)
聖路加国際病院は日野原重明名誉医院長で有名な病院である。
昔の築地居留地という場所は、まさに現在の聖路加国際病院のある場所なのである。
彼は先日の7月18日に、呼吸不全で自宅で亡くなった。105歳だった。
この年になると、もう亡くなる時は老衰ではないかと思う。
その時の様子を「築地居留地研究会」の会長が発表の前に我々に話してくれた。
私が日野原名誉医院長の年まで生きるとすると、あと30年もある。
彼ほどの人物なら惜しまれるだろうが、私なら飽きられる。
日野原氏は最後の延命措置の「胃ろう」を拒否して、自宅に戻ってから静かに亡くなったそうだ。
彼は日航機ハイジャック事件の飛行機に乗り合わせ、4日間の人質生活を経験している。またオウム真理教の地下鉄サリン事件では、当日の外来患者を全て断り被害者全員を受け入れた。誠に立派な医者であり、多くのファンがいるし、尊敬の的となっている。
築地居住地研究会はその聖路加国際病院の協力を得ているので、研究会の発表の前には全員で起立して1分間の黙禱で日野原氏を偲んだのである。(合掌)
北海道伊達市に2003年夏より毎年季節移住に来ていた東京出身のH氏。夏の間の3ヵ月間をトーヤレイクヒルG.C.のコテージに滞在していたが、ゴルフ場の閉鎖で滞在先を失う。それ以降は行く先が無く、都心で徘徊の毎日。
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布でつづる千羽鶴 [1000PEACE / 室蘭・札幌]
布をつなぐ、人をつなぐ、命をつなぐ。 今、室蘭からじわりじわりと広がり始めている集団アートの動きがあります。 ひとつひとつ”はぎれ”を手で縫って作られた、ハートをくわえた小鳥たち。ハート部分には参加者の名前やイニシャルが刺繍されています。これをタペストリーに縫い付けていき、どんどん集まっていくと…… 月へ向かうことりの群れが描かれた、巨大なタペストリーとなります。完成目標は1,000羽、長さ14m相当です。 ”月は星座と違って、世界中のどこから見ても同じ形だから”、”欠けて見えなくなっても、必ず光が戻るから” 、このデザインにしたそうです。 このプロジェクトの名前は「1000のことり」。布でつづる千羽鶴、アートによる平和の意志表示です。政治的なスローガンや言葉は一切使わず、”ころさないで”の一点で、そしてサイン(イニシャル・マークも可)の刺繍だけで、1,000人が繋がります。このタペストリーは完成後、「非戦」を求める場に飾られます。サイン参加者が使用することも可能だそうです。 ひとりひとりの想いが込められたパッチワークの美しさにエネルギーを感じます。現在、北は札幌、南は佐賀県まで参加者がいるとのこと。平和に心をよせるアートの波が、ゆるやかに広がっていっています。 今年20周年を迎える 『1000PEACE』 『1000PEACE』は、「戦争は昔話じゃない。現在進行形のリアルだ。お金も、地位もない、無名の自分にできることは何?」と感じた人たちが集まってできた有志団体です。 「未来の世代につながる具体的な行動をしている個人や団体を応援する」のが活動内容。対象は、国外・国内を問わず、忙しい日常の中で自分たちにできることをしています。活動内容は、その都度集まった人たちで自由に考え、話し合って決めます。 戦後60年の年であった2005年7月、募金を集めイラクの水支援に送ったことが始まり。そして今年20周年を迎えます。主に札幌を拠点に活動していましたが、今は室蘭に拠点が移っています。 直近では、パレスチナのこども達の心のケアの一環として、「パレスチナへのことり」プロジェクトもありました。北海道パレスチナ医療奉仕団の後発隊メンバーに「日本からのお土産」を託そうと、2024年10月~12月の間に子どもが描いた絵とカードを集めたのです。しかし現地の状況が緊迫し渡航を断念。次の渡航がいつになるかはわかりませんが、集まった169枚の絵はそれまで大切に保管されるとのことです。日本のこども達の絵とことり達がパレスチナのこども達に届く日が早く来ますように。 『1000のことり』に参加するには 1000PEACE には公的な事務所がないため、代表個人の連絡先が問い合わせ先となっています。「自分も参加したい」「ことりを預かって周りに声をかけるよ」という方がいらっしゃいましたら、下記問い合わせフォームよりお問い合わせください。 ~『1000のことり』参加の流れ~ ①お問い合わせフォームから『1000PEACE』と繋がる ▶直接お会いできる方 ②好きなことりセットを選ぶ ③参加シートにお名前を記入して戻す(ご自身で刺繍してもOK) ④片方のことりは自分のものに! ▶遠方の方 参加ハガキに記入していただき、後日、片方のことりが届きます。 実はことり達は双子で、1セット2羽になっており、片方は参加者が貰えるんです!ことりのハートにサインを縫って終わりではなく、このタペストリーがどこかで飾られるとき、自分のことりを探せるというワクワクが残されるのです。その場で終わりとならない、日常で忘れてしまいそうなときに思い出させてくれることりが近くにいてくれるのも大切ですね。ご興味を持たれた方は下記リンクよりお問い合わせください。 ~参加希望、お問い合わせはこちらまで~(筆者が代表の方をお繋ぎします。)
misaki
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有珠善光寺 2台の門前市 仲良く営業中♪~伊達みやげ研究所&morning owl Japan~
2006年 土日のみの営業で善光寺さんの門前市は始まりました。 「善光寺さんはもちろんのこと、伊達市の皆様のお力添えがあったからこそ門前市を始められました。」 当時を振り返り、そう語り始めたのは “伊達みやげ研究所”代表の赤塚文俊さんです。 その頃は仲間達と一緒に、木製の屋台を店舗にして門前市を開催されていたそうです。 けれども、店主たちの高齢化とともに屋台の老朽化も進み、一人抜け二人抜け、3年前からとうとう赤塚さんお一人になってしまいました。 ↑仲間とともに開催していた頃の様子です。 門前市を始めた頃の赤塚さんたちは、「伊達の文化財を活用して町の経済活性化を計りたい!」という強い想いのもと、週末の境内を賑わしていました。 お一人になった今でも、「観光振興の一助を担いたい!」という気持ちから、訪れた観光客にお勧め周辺スポットや善光寺・善光寺自然公園の見所などを語り、伊達の魅力の情報発信をしていると話していらっしゃいました。 「伊達は本当に素晴らしい資源がたくさんあるのです。」 このお話には筆者も激しく同意。 途中、取材だということを忘れてしまい語り合ってしまいました ^^; 対面販売の良さを大切にする赤塚さんの姿勢は、当然お客様にも伝わります。 「あ。おじさん居るかなあって思って来たのよ!」 取材中、登別からいらしたご夫婦が「鰐口もなか」を2箱買っていかれました。 「リピーターの方もいらっしゃり嬉しいです。」 心から頷いてしまう…。 ↑「鰐口もなか」は、地元有珠の老舗製菓店「日当製菓」さんが作っていらっしゃいます。 最中はもちろんですが、私は善光寺さんのお茶も強くおすすめします。 熱くしても冷やしても本当に美味しいのです。 お話をする中で何度も何度も赤塚さんの口から出たのは、「善光寺さんには本当に感謝しています。」という言葉でした。 そんな赤塚さんに、今後に向けての想いをお尋ねしました。 「自然・歴史・文化など、地域資源の保全も意識しながら伊達市の活性化をしたい!という想いを持つ、門前市の仲間を増やしたいです。」 控えめだけれど熱い心が伝わる言葉でした。 そして、その想いを繋ごうとしている若い門前市仲間が現れました。 “ morning owl Japan “さんです。 Japanとある通り、実はカナダのオタワに本店があります。 オーナーの西村ななさんは、札幌出身喜茂別在住。 オーストラリア・カナダ・ニュージーランド・アイルランドと、海外にトータル7年間住んでいらっしゃいました。 3年前に移動販売車でのカフェを始め、冬はニセコのヒラフ坂に常駐していらっしゃるのだそうです。 morning owl Japanを始めた時の想いを語ってくださいました。 それは、やはり豊富な海外経験から。 「向こうでは、キッチンカーが当たり前にあるのです。その文化を北海道にも根付かせたかったのです。」 そんな強い想いから、なんの躊躇いもなく一気にこの世界に飛び込んだのだそうです。 出店を断られることも多く、場所探しには苦労なさっているようですが、めげている様子は見せません。 「珈琲には特に力を入れています。こちらのエスプレッソマシーンは実は車より高いのですよ。」 ↑こちらのエスプレッソマシーンを載せているキッチンカーは他にはないとか。 珈琲豆は、札幌平岸のAce Coffee Roaster さんの浅煎り豆で、morning owl Japanオリジナルブレンドを作ってもらっているそうです。浅煎りなので豆の味がよくわかり、すっきりと美味しいです。 ↑ドリンクメニューがとっても豊富です。 要所要所に強いこだわりがあってほんと素敵♡ 常に筆者を真っ直ぐに見つめながらにこやかに話してくださる西村ななさん。 その目には、未来がはっきりと映っていると感じました。 「この店を通して、” 私もやってみたい “という方が意外と多いことを知りました。まだまだ認知度が低いキッチンカーですが、コロナ禍でも密にならないという利点もあります。共に北海道にキッチンカー文化を定着させられたら嬉しいです。」 ななさんは、最後にそう語ってくださいました。 ―善光寺門前市情報― 場所 有珠善光寺境内(伊達市有珠町124) 「伊達みやげ研究所」 冬季以外はほぼ毎日営業 代表 赤塚文俊 電話 090-9751-9065「morning owl Japan」 ひと月に週末のみ4回位営業 冬季は@ニセコ 代表 西村なな 詳細はQRコードを読み取りInstagramをご参照ください。 ※ 記事の内容は取材時の情報に基づいています。営業日等、変更になる場合があります(取材2021年)
Rietty
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