心の伊達市民 第一号

国際結婚


ベトナム人女性のFさんから、facebookに連絡が入った。
『お久し振りです。お元気でしょうか?今週の土曜日(2月25日)、先生はなにか予定がありますか? 今週末に夫と一緒に東京に行くので、橋本先生に会いたいので連絡しました』。

私は10年くらい前にホーチミン市に3ヵ月間滞在して、顧問先の会社の日本語学校で「俄か教師」をしたことがある。それ以来、ベトナムの知り合いはみな私を「先生」と呼ぶが、なんだか気恥ずかしいのである。


「新橋駅」から「ゆりかもめ」に乗った。



Fさんは2011年9月に実習生として、日本に来て3年間、滞在して工場で働いた。
帰国して1年後に、その時に貯めたお金で日本に留学して来て、札幌の日本語学校で1年間を過ごした。その時は私の伊達市の友人達に、『札幌に行く時は、Fさんに連絡してご飯をご馳走してあげて下さい』とお願いした。

みんな気持ち良く彼女に連絡して、ご飯をご馳走してくれた。これはとてもありがたかった。その後、大学進学を考えた時に、授業料が安く外国人用プログラムのある神戸の大学を候補にしていた。


「レインボー・ブリッジ」の歩道



そして私のいる東京は選ばず、神戸の4年制大学に入学した。
彼女の大学卒業時にはZOOMで卒業式を見た。それが私のZOOMの初体験だった。
大学卒業後は名古屋の会社に就職し、そこで現在の夫と出会ったのである。

人生とは不思議であり、思い掛けないことが起きる。それも最初の一歩を踏み出したことから始まった。何もしなければ、何も起きない。
でも起きて欲しくないことが起きることもある。難しいのが人生である。
彼女に話を聞いたら、『あの時の選択で良かった。後悔はない』と言っていた。


「レインボー・ブリッジ」の上から都心をパノラマ撮影


もともと今回の旅は男性の方が友人に会うために東京に来るので、それに彼女も同行したようだ。Fさん夫婦は大阪から夜行バスで東京に来た。そこで私は事前に2人の為に「東京観光コース」を作っておいた。普通の東京観光ではパンフレットに載っていない「レインボー・ブリッジの上を歩く」をメインにした。

夜行バスは午前7時に東京駅に着くそうで、それではあまりに早過ぎるので、午前8時30分の待ち合わせとした。東京駅丸の内南口で2人に会い、KITTEの中のスターバックスへ行った。


 「お台場海浜公園」では「ゆりかもめ」が遊んでいた。



ここで初対面の挨拶を交わし、東京観光に出掛ける時間調整をする。
男性は182センチもある長身で、なかなか男前で優しそうに見える。
職業は「障碍者就労継続支援事業所の施設長」をしているそうだ。
こういう職業の人に会うと、私は無条件に「偉いなー」と思ってしまう。

そして話は弾み、「国際結婚の難しさ」、「家賃を払うか? ローンでマンションを買うか?」、「子供を産むか?」、「将来設計」などドンドンと私的な話になって行った。


「自由の女神像」前では写真を撮る人で溢れていた。



1時間くらい話をした後に、いよいよ徒歩での「東京観光」に出発した。
JR山手線で「新橋駅」に降り、そこから「ゆりかもめ」に乗り「芝浦ふ頭駅」で降りた。そして5分ほど歩き、エレベーターで7階に上がり、いよいよ「レインボー・ブリッジ」を歩くことになる。

私がここへ来る時はいつも平日なので、土曜日のレインボー・ブリッジの様子を知らなかった。ジョギング、ウォーキング、写真を撮る人など、次々とやって来る。
40分くらいかけてユックリと橋を渡り、お台場海浜公園に出た。


 「ユニコーン・ガンダム」前も大勢の観光客が・・・。



その後はお決まりの「自由の女神」を背景にパチリ、ユニコーン・ガンダムと一緒にパチリ、夢の大橋でパチリと記念撮影をした。天気が良い土曜日だったので、お台場は大混雑だった。東京ビッグサイトまで歩き近くのレストランに入り、食事をしながらまた話の続きだった。

彼女達より2倍以上も人生をやって来た私の話を、2人は聞きたがる。
まだ結婚して間が無いので熱々の2人だが、国際結婚の難しさもアドバイスし、末永い幸せを願った徒歩観光旅行だった。「若いって、いいなー」と感じた1日だった。
家に帰ったら、万歩計は「1万2348歩」を示していた。


  観光コースの終着点「東京ビッグサイト」



(おまけの話)
Fさんに会ったら、以前に札幌で彼女に食事をご馳走してくれた友人達に「国際結婚」を知らせたくなった。今回の東京見物の時の写真を付けて、「覚えていますか?」という件名で伊達市の友人達にメールを送信した。

すぐに返信をくれたのが、壮瞥町のIさんだった。『覚えていますよ。おめでとう。お幸せにと伝えて下さい。その時は札幌駅の待ち合わせ場所の間違いで、会うのに苦労しました』と書いて来た。
Kさんは電話をくれたようだが私が出られなかったので、メールで『そうですかー。Fさんは無事結婚して、幸せそうにやっていますね』と暖かい言葉に溢れていた。


 レインボーブリッジのスタート地点「芝浦ふ頭」



Fさんはホーチミン市の日本語学校の卒業生なので、N先生にもメールで知らせた。
彼女は喜んで子供の写真を付けて、返信してくれた。
N先生はご主人がコーヒーの貿易をしていて、また自家用車も持っているベトナムでは豊かな家族である。

私はメールに『以前に頂いたコーヒーがとても美味しかった』と書いておいたら、『3月に社長が日本へ出張する時に持参してもらう』と返信が来た。なんだか催促したような感じになってしまい、気が引けた。
彼女は以前に日本企業で働いていたこともあり、その会社が男性ばかりだったせいか今でも彼女の言葉は男言葉である。


これから向かうお台場方面を見る。



伊達市のKさんからは『Fさんのことはよく覚えています。しばらくLINEで写真を送ってもらっていました。結婚相手は今回の橋本さんのメールで拝見しました。本当に幸せそうで、なによりです』。壮瞥町のHさんは『Hさんは覚えています。卒業、就職、結婚と順調ですね。末永く幸せを願っています』と書いて来た。

今回の国際結婚を、彼女を知っている人達にメールで知らせて気が付いた。
「もしインターネットが無かったら、わざわざ手紙を書いて、写真を同封してまで送らなかっただろう」と。最近はネットの問題点がクローズアップされているが、要は使い方次第である。


正面は「豊洲市場」、水陸両用バスが見える。     

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コメント

    Shinji

    Shinji

    3年間の日本の工場勤務、1年間の北海道の日本語学校、そして4年制の神戸の大学。努力家!それ以前にもヴェトナムで日本語を勉強したのでしょうから、偉い!!
    ところで、”国際結婚” という言葉は久しく聞きませんでした。

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北海道伊達市に2003年夏より毎年季節移住に来ていた東京出身のH氏。夏の間の3ヵ月間をトーヤレイクヒルG.C.のコテージに滞在していたが、ゴルフ場の閉鎖で滞在先を失う。それ以降は行く先が無く、都心で徘徊の毎日。

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