
心の伊達市民 第一号
ブログ閉鎖中の話題(2017年9月20日)
15日の夜に翌日の天気予報を調べていた。
16日は「親鸞の日」なので、久し振りに築地本願寺の午前7時の読経に行こうと思ったからである。
ネット情報によると、台風18号が日本列島を横断するという予報が出ていた。
9月16日に九州に上陸し、17日に関東地方に来そうな感じがしている。
そんな時に「日米友好祭 2017 」というイベントが9月16日、17日の2日間に横田基地
で開催されることが分かった。
天気予報では16日の午前中は雨が降らないように思えたので、築地本願寺の後に「雨は降らない」と自分で決めて、思い切って横田まで行くことにした。
午前9時過ぎに青梅線の牛浜駅で降りる。そこから歩いて10分で米軍基地の第5ゲートに着くはずが、見学希望者が多くゲートまで行列が続いていて30分も掛かった。
入場に際しては運転免許証かパスポートの提示が義務付けられているのに、あまりの混雑のせいか手荷物検査だけでパスさせていた。
私が急に横田基地に行こうと思い立ったのには、理由がある。
最近の北朝鮮の過度の挑発により、米軍が北朝鮮を先制攻撃することもあり得ると思っているので、その緊張度合を米軍基地で実際に肌で感じてみようと思ったからだ。
基地の中に入って、なんだか拍子抜けした。全く緊張感が無いのである。
見学者が入れる場所は制限されていて、入れる場所は駐機場と滑走路に向かう進入路だけで、その広い空間に多くの飛行機が並べられている。希望者は機内に入れるが順番待ちの列が長く諦めた。広場の一角には多くの横田基地のお土産屋と食べ物屋が出ている。私も試しに本場のホットドックを買って食べたが美味しかった。
でも値段はドルなら3ドル、円なら400円という現在の為替相場の2割高は納得できない。
今回、陳列されていた飛行機は、どうみても旧式の輸送機ばかりだ。
亡くなった航空マニアのHくんがいたら、詳しく解説してもられるのに残念である。
私の期待していたオスプレイ、最新戦闘機F-35、「死の白鳥」と言われている戦略爆撃機のB-1Bなどの展示は無かった。これはきっと軍事機密なのだろう。
でも、米軍の主力空軍部隊は沖縄、岩国、三沢基地などに配備されているに違いない。
今回のイベントには日本の自衛隊も大いに協力しているようで、基地の片隅ではミサイルを撃ち落とすスカッドの展示や、戦闘服の試着・撮影のサービスも行っていた。
また12時近くには輸送機の離陸実演と、パラシュート降下も見せていた。
2時間半ほどの滞在で疲れ切って、出口に向かった。
そこには相変わらず入場を待つ人達の行列があったが、もう荷物検査も止めていた。
米軍基地もかなりいい加減だ。日米安保は大丈夫かなー?
(おまけの話)
米軍横田基地の向かい側に、私が大好きで学生時代から通うピザ店がある。
この店は今までにもこのブログに時々、登場する「ニコラス」である。
それが横田基地と私の最初の出会いだったが、基地の中には入れなかった。
次に横田基地に関ったのは、仕事である。
ある時、横田基地に私の会社が製造した組み立て式の整理棚の注文があった。
その時は勇んで組み立て作業の為に基地内に出掛けた覚えがあり、それが私の米軍基地に入った初めての体験であった。それは私が30代の時で、ベトナム戦争の真っ最中であった。
その頃に聞いた噂話だが、「ベトナムで戦死した兵士は飛行機で横田基地に運ばれて来る。彼らをアメリカに戻す前に死体の洗浄作業があり、アルバイトを募集している。日当は日本のアルバイトの10倍だ」と聞いたことがあった。
それからしばらく縁が切れていたが、仕事関係の友人の紹介で米軍将校と知り合いになり、一緒に近くの米軍施設である多摩ヒルズ・ゴルフコースに行くようになった。
その将校が帰国すると、日本に残る米兵を紹介してくれた。
そして3人目に知り合い、今でもお付き合いをしているのが、現在はペンタゴンに勤務しているKさんである。Kさんは日本に家を持っていて、たまに日本にやって来るので、彼に会うのが楽しみである。
北海道伊達市に2003年夏より毎年季節移住に来ていた東京出身のH氏。夏の間の3ヵ月間をトーヤレイクヒルG.C.のコテージに滞在していたが、ゴルフ場の閉鎖で滞在先を失う。それ以降は行く先が無く、都心で徘徊の毎日。
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10/08(日) ふらり旅人からのゲストハウス 自由人 小林圭子氏 〜想いと直感のままに『ポンコタン』
今回の主人公は洞爺湖の近くでゲストハウス『ポンコタン』を営む小林圭子さん。 旭川出身の47歳。 洞爺湖に移住する前は名古屋で商売をされていました。 「北海道には30代後半からバイクにテントを積み、 ふらりと旅しに来ていました。」 洞爺湖との出会いは、 2018年に「幸せのパン」の映画の舞台になったところを見てみたくて 青春18きっぷでふらりとやってきたのが初めてでした。 ところで圭子さん。 なんと言うか・・・。 「以前、どこかで会いましたっけ?」 そんな錯覚を起こさせる人です。 あの、バリアフリーな雰囲気は一体どこからくるのだろうか? 探ってみたくなりました。 旭川から札幌へ。 そしていきなりポン!と名古屋へ飛んだ圭子さんが始めたのは、 なんと”バナナ焼き屋“のお店でした。 店の名前は「パピリカ」。 それはアイヌ語で「豊作」という意味です。 バナナ焼き屋をやろうと思った理由は〜。 「小さい頃から食べていたソウルフードだったから」 ただそれだけの理由で、 古くからお菓子文化が発達している(駄菓子の製造所も多い)名古屋で店を出そうとは、 普通はなかなか考えつかない。 でもそれをひょいっと始めてしまうところが圭子さん流。 深くは悩まない。 やりたいからやる。 ただそれだけ。 そんなシンプルさが、度胸を超えた何かを感じます。 パピリカ時代のHPを見つけました。 熊が鮭ならぬバナナを咥えている姿が なんともユニークで忘れないロゴです。 何事もサラッと話す割には材料にはかなりこだわっています。 卵も牛乳も使用していないので(カスタード以外)、 卵アレルギーや牛乳アレルギーの子どもを持つ親御さんも よく買いに来てくれたそうです。 そして白餡はしっかりと手作り。 バナナ焼きと言えば旭川の名物お菓子。 この時お話を伺うまで知りませんでしたが、 旭川のバナナ焼きにもバナナそのものやバナナエッセンスなど、 バナナフレーバーは一切入っていないそうです。 バナナ焼きとは、形からだけ連想するネーミングのようです。 とても美味しそう〜! 食べたかった〜! パピリカはすぐに地元に溶け込み、 8年間営業を続けました。 その時の繋がりは今も続いていると言います。 人懐っこいと言う表現とも違う、 相手に壁を作らせない不思議な力を圭子さんは持っています。 「いろいろなところから転勤してきた人たちが多く住むところでした。 近所の方がよく買いに来てくださっていましたよ。 家賃を払いつつ、 女ひとりが食べるだけの分はなんとか稼げていました。」 「ところで、ポンコタンは小さな村という意味。 パピリカは豊作という意味ですよね? どちらもアイヌ語ですが、なにか特別な意味があるのですか?」 そんな筆者の質問に 圭子さんはまたもやあっさりと答えます。 「いや、なんとなくです。」 まただ…。 やはりこんな調子…笑 筆者はその言葉の背景を知りたい!と質問をしても、 決してはぐらかす訳ではなく、あくまでもサラッと答える。 想いが至極シンプルだからこそ、 きっとその時の直感のまま「なんとなくそうしよ」と 思った通りに動いてしまうのだろうと思います。 しかも、転機にはだいたい誰かが力を貸してくれる。 これはもう人徳です。 気負わず流れに任せるというのは、実は楽そうで楽ではない。 でも圭子さんは素直に誰かの力を借りながら、 とても自然にその技を使ってしまう。 「名古屋の友人がゲストハウスをしていたんです。 あらたに宮古島でゲストハウスを始めるにあたって、私も少し手伝いました。 その友人は度胸があるというかなんというか、 外国人が結構泊まりに来ていたのですが、英語は喋れないんです。 でもなんてことなくやっているのを見て、 私も妙な自信をつけてしまいました。 『そうか、英語ができなくても宿屋はできるんだ』 ってね。」 「その辺りから、ゲストハウスに興味を持つようになりました。 ちょうど、ふらりと洞爺湖へ足を運ぶ機会も増えていたこともあり、 洞爺湖の近くでゲストハウスをやることが ふわっとしたものから現実的になりました。 あ…その前にバナナ焼き屋を畳まないと。」 そう思った時、 店を丸ごと買いたいと申し出てくれた人が現れました。 それは元々はお客様だった友人で、古民家カフェを営んでいる方でした。 バナナ焼き屋営業終了2日後には洞爺湖に移住してしまうというスピーディーさ。 思ったらサラッと行動! その後、1年半をかけて建物をリフォームし、ポンコタンを開業されました。 「待っていてくれているような気がしていました。 洞爺湖はどっしりとしていて迎え入れてくれるような安心感がある湖だと感じています。 移住してすぐは、キャンプ生活をしながらあるホテルでバイトをしていました。 同時に物件探し。 そんな中、即決したのがこの建物でした。 借金も1000万円以上してしまいました。」 この建物は、昔、ある会社の社員寮だったところ。 なので、一部屋一部屋にトイレが付いていました。 さて、ゲストハウス「ポンコタン」は 内装・外装そのほとんどをDIYしています。 もともと建物に興味があったわけでもなかった圭子さんですが、 もの作り好きであったことが功を奏しました。 「必要に迫られた部分もありますが、 バナナ焼き屋時代に建物の内部構造にものすごく関心を持つようになりました。 そもそもは工事関係者への不満に端を発したのですが、 お陰で建築について色々知ることができました。 建物がどんなふうにできているのかを知るために、 分解しながら構造を理解していきました。 コンクリートにネジを入れるにはどうしたらよいか?とかね。」 冒頭に登場した仕切りに描かれた洞爺湖の絵は、名古屋時代の友人が描いてくれたもの。 「名古屋時代の友人たちは変人が多くて(笑) 尋ねてきては色々置いて行ってくれます。」 困ったふりをして、笑いながら話す圭子さんには、 遠くから支えてくれる友の存在に感じる安心感が表れていました。 圭子さんの仲間たちは、 「ポンコタン」のオーナーの とてつもなく自然体なおもしろキャラクターをよくご存知のようです。 「うちね。コンセプトなんてないのよね。」 圭子さん、突然、そうサラッと言った後でこう続けました。 「よく眠れました!って言ってもらえるのが一番嬉しいかな。 旅の途中で快適な時間をここで過ごしてくれたら、 それが一番嬉しい。 それとね。 今年の夏はすごく忙しかったのね。 借金あるからあと10年はやらないといけないけど、 とりあえず持続可能な宿を目指して働き方改革するわ(笑)」 「10年経ったら何するの?」 そんな問いに。 またもやサラッと 「わからないな」 と答える圭子さんでした。 帰り際 「また来て!」 と軽い調子で言われました。 「うん」 と答えてしまいました。 ポンコタンの魅力は この気安い感じなんだろうと思った筆者でした。 決して気負うことなく、 そのまんまの圭子さんが妙な安心感を与えてくれる取材の時間でした。 ゲストハウス ポンコタン 〒049-5721 北海道虻田郡洞爺湖町洞爺湖温泉97 080-6092-4967
Rietty
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