
心の伊達市民 第一号
ブログ休止中の話題(2017年11月15日)・(天候・・・晴れ、 気温・・・30度)
今回の私の旅は「台湾に今も残る日本時代の建物、痕跡」を探すことである。
11月2日の早朝から台湾に向かった。
午前4時30分に自宅前にMKタクシーに来てもらい、羽田空港国際便の出発口まで送ってもらった。料金は高速道路を含んで7880円だった。
こんな早い時間には大江戸線も走っていないし、浜松町からのモノレールも走っていないからタクシー以外では羽田空港に行けないからだ。
羽田空港で同行者の頼(Lai)さんと落ち合って、搭乗口に向かう。
今日の飛行機はチャイナ・エアラインの午前7時25分発「CI 223便」である。
早朝便の為か機内は80%くらいの搭乗率だった。
台湾には桃園国際空港を利用するお客が多いが、私達は古い松山空港を選んだ。
航空料金は高いが、その方が市内から近く、とても便利だからだ。
台北・松山空港には午前10時20分に到着した。時差は1時間なので、4時間の飛行である。空港が近付き地上が見えると怖い。住宅やビルが密集している上を飛行機が降りて行く。もし事故が起きたら、大惨事になることは間違いない。
また飛行機が台北に近付いた時に左手に見えて来る赤い中国風の建物の「圓山大飯店」は豪華で、世界の名士が宿泊する歴史あるホテルであり「台湾に来た」と感じさせてくれる。
空港に着いたら頼(Lai) さんの知り合い(高さん)が車で出迎えてくれた。
彼の会社に立ち寄り、ウーロン茶をご馳走になってからランチに行く。
どうやら高級な飲茶の店のようで、小籠包がとても美味しい。
食後は宿泊先の圓山大飯店に向う。チェックイン時間には早過ぎるので荷物だけを預かってもらう。
頼さんがどこかに電話をすると別の車が迎えに来た。頼さんの同級生の友人の連さんだ。中華系の人というのは、チョットした知り合いでも平気で頼る。
それを今回の旅で、私は度々、経験することになる。
連さんは川沿いの古い町(老街)を徒歩で案内してくれた。
台湾では京都の商家に似て、道路に面した間口が狭い。
京都は間口の広さで税金が決ったようだが、台湾では違う。川や港に近い家は海賊や異民族からの襲撃を避けるために細長い家にしてある。今はマンションになっているが、彼の住んでいた場所を見に行ったら、港に近いので間口が6メートル、奥行きが80メートルもあり驚いた。
この近辺は、現在も日本時代の古いレンガ作りの商店が多く残っている。
その一角にある食堂で、3人で夕食を食べた。
私に珍しい経験をさせたい連さんが選んだ店は「米食館」という店で、メニューの全てが米で作った料理だった。初日の昼飯から不味いものを食べてしまった。
でも2人に悪いので「不味い!」とは言えなかった。
(おまけの話)
頼さんは語学が堪能で、台湾語、北京語、客家(はっか)語、日本語、英語の5ヶ国語を話す。
彼は戦前からの台湾語、戦後、日本が去った後の蒋介石が統治した時代の北京語、彼の家族のルーツの言葉である客家語、日本に留学して覚えた日本語、その後、仕事で覚えた英語という5種類の違う言葉を話す。
子供の頃はお婆さんが客家語しか分からないので、家族は客家語で話していたそうだ。
元々、台湾にいた本省人の友人や知り合いとは台湾語で話す。
蒋介石は中国大陸で毛沢東との戦いに敗れて台湾に逃げて来て、台湾に政権を樹立した途端に北京語を公用語として台湾人に強制した。だから学校では北京語で、本省人が学校で台湾語を話すと体罰を受けたそうだ。
台湾語、客家語、北京語はとんでもなく違う言葉だそうである。
漢字を使うので「方言みたいなものだろう」と思っている人がいるが、全く違う言葉だそうだ。
日本語も漢字を使っているが中国語とは全く違うし、朝鮮(韓国)とベトナムは以前は漢字を使っていたが、今は独特の文字を使っているが、中国語とは全く違う言葉である。だから全く違う5ヶ国語を話すのは本当に凄い。
頼さんの頭の中はどうなっているんだろう?
北海道伊達市に2003年夏より毎年季節移住に来ていた東京出身のH氏。夏の間の3ヵ月間をトーヤレイクヒルG.C.のコテージに滞在していたが、ゴルフ場の閉鎖で滞在先を失う。それ以降は行く先が無く、都心で徘徊の毎日。
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03/01(金) 確固たる想いを洞爺湖で実現させたい! 〜『湖の膳舎 なかむら』 和食職人 中村 悠佑氏〜
2023.4.25 OPEN以来、ずっと気になっていた方をようやく取材することができました。 今回の主人公は『湖の膳舎 なかむら』代表 中村 悠佑さん 千葉県出身、東京都育ち、1児のパパです。 “ My洞爺湖! “ そんな勘違いをしてしまいそうになる景色。 広い窓いっぱいに洞爺湖が見渡せる贅沢空間にその店舗は存在しています。 和食職人と言うと、中学校を出て直ぐ料理の修行をするようなイメージがありましたが、中村さんは和食職人としては珍しい大卒者です。 「本当は、高校を出たら直ぐに飲食業につきたいと思っていました。早くこの世界に入りたかったのです。けれども、親の説得を受けて大学へ行くことになりました」。 とにかく飲食業が好きだった中村さんは、高校一年生の時からファミリーレストランやイタリアンレストランで、大学に入学してからは居酒屋でアルバイトをする日々でした。 「大学では文学部に所属していました。 実はあるリース会社に就職も内定していました。 でも、居酒屋でアルバイトしていた時に感じた、お客様が料理とお酒を楽しんでいる雰囲気がとても好きだったという気持ちを捨てきれず、どうしても飲食業への道が諦められず、その会社を断ってしまいました」。 そんな中村さんが大学卒業後に選んだのは調理師専門学校への入学でした。 「最初はフレンチ志望でした。 かっこ良く見えたんでしょうね。 授業では、和・洋・中をそれぞれ学ぶのですが、授業の中で試食をした時に体にも舌にも自分は和食に向いていると実感しました」。 専門学校卒業後、中村さんは赤坂や新宿の料亭で働き始めました。 修行時代の始まりです。 「就職して初めて飲食業の本当の厳しさを知りました。 労働環境は劣悪でしたよ笑 勤務時間は07:00~25:00 休みの日も糠床をかき混ぜるために出勤していました。 それでもそれほど辛いとは感じなかった。 修行時代を6年ほど過ごし、独立を決めました」。 29歳の時に独立を決めた中村さんは、東京中野の駅前に店舗を構えました。 30席もある店だったそうです。 “ この人みたいになりたい! と憧れる人はいない “ ときっぱり言い切った中村さん。 どこかで聞いたことがある…と思ったら、大谷選手が言った言葉でした。 「え?彼もそんなことを言っていましたか」。と、ご存知なかったご様子。 「修行時代、味付けはさせてもらえませんでした。味付けは最高の位置にいる人の仕事ですからね。 だから、味覚のトレーニングと料理の独自の研究は常に怠りませんでした。 自分の味付けは自分の店を始めてから学びました」。 なるほど。 以前、ある方から、洗い物をする時に鍋についたものやお客様の皿を舐めて味を覚えたという話を聞いたことがありましたが、やはり料理人の世界は厳しいのですね。 「妻は自身で店を持つことを夢に持ち割烹料理店で修行しており、2人で店をスタートしました。東京のお店は住宅街のひっそりとした場所で始めましたが、そこの住宅街にお住まいのお客様はもちろん、近隣の会社様の接待の需要も有り様々なお客様にお越し頂いておりました。その店は、12年間営んでいましたが、北海道行きを決め2023年1月31日に閉じました」。 きっと惜しまれつつ閉じられたのだと思います。 それが証拠に、その時のお客様が東京から洞爺湖までお食事にいらっしゃると言います。 「中村が洞爺湖に店を出したらしいと聞きつけた中野の割烹料理屋時代のお客様がわざわざ来てくださいました。 本当にありがたいです」。 「ところで、何故、洞爺湖を選ばれたのですか?」 「妻の美佳が北斗市出身なのです。いま娘は3歳なのですが、子育ては自然豊かな北海道で育てたいと予々考えていました。そういう視点で北海道を旅した時に、洞爺湖がとても気に入りました。移住するならここが良いなと。でも、果たしてここで商売が成り立つのか? とても不安でした」。 そんな心配を余所に、オープン直後から多くの客様が足を運ぶ店となりました。 「雑誌の「Poroco」や「Ho」に掲載されたことは大きな宣伝になり、とても感謝しています。 札幌圏の方も来てくださるようになりました。ですのでお陰様で夏は順調でした。でも、冬が心配だった。ところが、今度はインバウンドのお客様もたくさん来てくださるようになりました。 シンガポール・タイ・台湾の方が多いです。 海外のお客様は積極的にGoogleにコメントを入れてくださいますので、それをご覧になったお客様がまた来てくださいます」。 予約専門のお店のため、来店者数に合わせて仕込みができるのも強みのようです(席が空いていれば飛び込みも受け付けてくださるそう)。 「どのお料理も素材の味が最大限に生かされていますが、取引先の生産者さんはどのように選ばれているのですか?」 「洞爺湖に引っ越してきたのは2023年の2月で、店のオープンは4月でしたので、野菜は根菜くらいしか手に入らない時期でした。お米は移住前から財田米を食べ比べ、宮内農園さんのお米を食べて「この美味しいお米なら洞爺でお店が出来る」と確信を持てました。宮内農園の佐々木ご夫妻には他の農家さんをご紹介頂いたり、自分達で道の駅で買って美味しかった農家さんにアポを取ってみたりとオープン前は奔走の毎日でした。出来るだけ地元の食材を利用し、地元の方にこんな美味しい食材が地元に有ったんだ!と再発見していただけるようなお店を作っていきたいです」。 特別なものを使うのではなく、地元の方がよく食べているものを使いたいという考え方は素敵だと思いました。 「地元食材を使いながらも、今まで無かった店、今まであまり食べる機会が無かった料理を、職人技で提供する店になりたいと考えています。 とは言え、いまは未だ試行錯誤の段階です。 地元の方に足を運んでいただくためには地域性も大切にしなければいけませんから」。 「ところで、お二人にお尋ねします。移住して良かったなあ〜と思う瞬間てどんな時ですか?」 「最高の食材がすぐ身近にあることが幸せです。 娘がのびのびと成長していると感じる時もまた移住して良かったと感じます」。と悠佑さん。 「洞爺湖を眺めながら大好きな温泉に入っている時です!笑」と美佳さん。 明るい美佳さんは早くも常連さんの人気者です。 「最後に目指しているスタイルがあればお聞かせいただけますか?」 「洞爺湖ならではの和食の店を確立したいです。この素晴らしい借景の中で、洞爺湖でしか食べられないものを提供したい。そのためにも、もっともっと洞爺湖のことを知りたいですし、洞爺湖の食材のことを研究したいです」。 そう力強く語った中村さんの元に、保育園から帰ってきた娘さんが「ありがとうございます!」と言いながらニコニコと現れました♡ ―湖の膳舎 なかむら 情報― 電話 080-9269-2578 住所 北海道虻田郡洞爺湖町洞爺湖温泉186-85 Instagram https://www.instagram.com/nakamura0321?igsh=MWR1bm9ieTBya28yNw==
Rietty
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