
心の伊達市民 第一号
冬が近づき寒くなって来たとはいえ、まだ昼間は17~19度もありポカポカ陽気である。
そうなると自然の中に出て行きたくなるものだ。
そこでそろそろ和田倉門の銀杏の紅葉が、見頃ではないかと思い出掛けてみた。
都バスを「東京フォーラム前」で降りて、皇居方面に歩いて行った。
皇居のお堀に沿って、和田倉門へと歩いて行く。この道にもイチョウ並木があるので、それを見ながら行きたくて終点の「東京駅丸の内南口」まではバスに乗らなかった。お堀では鴨が遊んでいる。歩道を駆け抜けて行くランナーがいる。外国人ユーチューバーなのか、動画を撮りながら歩いて来る男がいる。
みんなポカポカ陽気の中で、自由気ままに行動している。
和田倉門の交差点を左に曲がると、そこは東京駅から続く行幸道路で両側にイチョウ並木が続く。この道路は広く左から「歩道」、「車道」、「銀杏並木」、「広い歩行者専用道路」、「銀杏並木」、「車道」、「歩道」となっている。多くの人達は中央の道路をブラブラしながら歩いている。
ウエディング・ドレスとタキシード姿の男女が、記念写真の商売人の指示でポーズを取る。それを素早くカメラマンが撮る。見ている「こちら」が恥ずかしくなる。最近は銀座4丁目交差点や東京駅前などにも出没しているが、これを規制は出来ないのだろうか?
ベンチに座ってゆっくりと紅葉を見ようと思ったが、どこのベンチも塞がっている。
ホームレスのような男が寝そべっていて、1人でベンチを占領している。
仕方ないので、和田倉噴水公園に行ってみた。
手前の噴水は水を噴き上げていない。
一番奥の長さ30メートルの滝のような噴水が、丁度、水が落下しているのが見えた。
急いでそちらに行き、滝の裏側から写真を撮った。
この滝の噴水では以前に同じ構図で、その時は水のカーテンの向こう側で子供がジャンプしている瞬間を撮影出来た。その写真を千代田区観光協会のフォトコンテストに応募したら、入選したことがあったので「二匹目のドジョウ」を狙ったのである。
私の希望としては「水のカーテンを通して銀杏の紅葉が見える」を考えたのだが、残念だがそう上手くは行かなかった。しばらく色々と試していたら、急に噴水が止まってしまった。ここの噴水はタイマーで、水を出す時間を調節しているのである。
次は大噴水のところに移動して、水が噴き出すのを待った。
10分くらい待ったが、やっとこの噴水の水が吹き上げた。でも3つの内の1つだけだった。私の立つ場所を色々と変えてみたら、「噴水と紅葉」が収まる写真が撮れた。
ここの噴水は噴き上げている時間が短く、知らない人は「故障かな?」と思ってしまう。私は公園のHPから管理者に『なぜ常に水を出さないのですか?』とメールで問い合わせたが、まだ返事は無い。
和田倉噴水公園を出て、東京駅に向かった。
向こうからは大勢の欧米系の観光客がやって来る。みんな皇居二重橋を見に行くのだろう。最近は観光地に行くと、欧米系の観光客をよく見るようになった。
アジア系は見た目では分からない。ベトナム人は私は見慣れているので、大体分かる。
インドネシア人とマレーシア人の女性は、イスラム教徒ならスカーフをしているから分かる。全く分からないのが台湾人、シンガポール人など中華系の人達と韓国人だ。
私でさえ日本の観光地が面白いと思っているのだから、外国人にはもっと面白いのだろう。
(おまけの話)
以前にJCIIに写真展を見に行った時に、もらってきたハガキに「越路吹雪賛歌」という名の写真展があった。
そのハガキを詳しく見たら、「丸の内フォトギャラリー」で開催中と分かった。
新東京ビルの1階の「丸の内フォトギャラリー」は、壁のショーウィンドーのような場所に写真が飾ってあるだけだった。
少し拍子抜けがした。しかもガラスの中に写真が飾ってあるので、天井の照明が反射して写真が見難いのである。「2階にもある」と案内板に出ていたので、そちらに行ってみた。こちらは1階からの吹き抜けで回廊のような構造になっていて、その壁に写真が展示してあった。かなり広い場所なので、写真の数も多いのが良かった。
私は若い頃に越路吹雪のファンとまではいかないが、彼女が好きだった。
「大人の女」という感じで、彼女が気怠そうに歌うシャンソンが良かった。
ある時、八王子にある「冨士森公園」という場所で、越路吹雪のコンサートがあり、それを女房とオフクロを連れて見に行ったことがある。
公演内容などはすっかり忘れているが、「冨士森公園」という名だけ覚えていた。
そこで今になって調べてみたら、どうもコンサートホールや劇場は無かったようだ。
そうなるとどうやら「体育館」でやったようだ。越路吹雪が体育館で歌ったとは、あの頃はのどかな時代だった。
シャンソンと言えば、思い出すのが四谷のシャンソニエ「蟻ん子」である。
誰に連れて行かれたのか忘れたが、『蟻ん子に戸川昌子が出演するから行こう』と誘われて、この時も女房と2人で行った。戸川昌子は売れっ子の小説家でもあり、シャンソン歌手でもあった。
あの時代はシャンソンが大流行りで、岸洋子、丸山明宏(現在の美輪明宏)、高英夫、菅原洋一などが活躍していた。シャンソンを聞くのが「お洒落」な時代だったのかもしれない。
「越路吹雪賛歌」の写真展を見て、私は一気に新婚時代に引き戻されたのであった。
北海道伊達市に2003年夏より毎年季節移住に来ていた東京出身のH氏。夏の間の3ヵ月間をトーヤレイクヒルG.C.のコテージに滞在していたが、ゴルフ場の閉鎖で滞在先を失う。それ以降は行く先が無く、都心で徘徊の毎日。
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『染まらないために染める』パンチラインな大和魂 〜異端児染師Aizome『I』
作務衣を纏った渋めの男性が現れると思いきや、目の前の染師は2パートに刈り上げたヘアスタイルの、抱いていたイメージとは程遠い方でした。 そのカッコいい雰囲気に釘付けになったところから取材は始まりました。 人生、何がきっかけで何が起こるかわからない。 金子夫妻と話をしているとつくづくそう思います。 「藍と出会って人生が変わった。」 今回お話しを伺ったのは、そうきっぱりと言い切る金子智志さんと愛さんです。 本当にこんなところに工房があるのだろうか…? 地図を頼りに探し当てた工房のある土地を見て驚きました。 湿地と田んぼに囲まれた広大な土地。 そこには、小屋を含め廃屋が何軒も建っていました。 「え!? こんな場所があったんだ!!」 それが筆者の第一声。 けれども同時に思ったこと。 それは〜。 「このお二人はなんて大きな夢を抱えているんだろう!」 ということ。 どんなに広い土地が欲しくても、この状況を見たら恐らくは誰もが諦めるだろうと思います。 なによりも廃屋の数が多いので壊すのが大変。 構築物も多い庭は広すぎて手入れも大変です。 ここを買うのは、たくさんお金を持っている人か、夢が大きく手入れが苦ではない人だと思いました。 現れたご夫婦と出会い、一目でこのお二人は後者だと直感しました。 ヒップホッパーが染師になると決めた日 金子愛さんは、伊達紋別駅近く「クリーニングのかねこ屋」の娘として生まれ、ピアノ教師を生業にされて今年で21年目。 その愛さんがパートナーとして選んだのは、ヒップホップに勤しみMCを生業にすることを志していた智志さんでした。 出会ったのは、その智志さんが夢をあきらめ、故郷の伊達市にUターンし、その後しばらくした頃のことでした。 「12年前、札幌から帰ってきてからは建築業に就いていました。」 そう話す智志さんの口から出てくる言葉は、とにかくイチイチ面白い! 韻を踏むような言葉がポンポンと出て来ます。 さすが、MCを目指していた方! 「僕、言葉が大好きだし大切にしているんです。ヒップホップをやっていたので、韻を踏む言葉の並びで、複雑な心の動きや物事の状況をバシッと表現するのが好き。そういうのパンチラインて言うんですよ。でもね、『言葉より藍!』と確信する出会いがあったんです。 藍に出会ったのは6年前でした。ニューヨークで寿司屋をやっている友達と会ったのですが、彼はアメリカに住みながら、日本人としての紺色にこだわりを持っていました。『和の心』を紺色=ジャパンブルーに求めていたのです。その時、僕の中に何か響くものを感じました。その日から、頭の中が紺色でいっぱいになりました。黎明館(藍の体験館)に通ったり、独学で学んだりしてすっかりと『藍』にハマってしまったんです。」 へ〜! パンチライン! 初めて耳にする言葉です。 最初は少々緊張していたお顔の智志さんでしたが、徐々に頬を緩め、次々とパンチラインをちりばめて語り始めました。 「とにかく藍染にハマって、3年間独学で染めていました。でもどうしても独学には限界がありました。そこで3年前、徳島の『BUAISOU』の研修生に応募しました。全国でわずか3名の狭き門に合格して研修生になることができ、12日間の研修をさせていただきました。そして、どうしても迷いがぬぐえず自信が持てなかった僕のやり方を『それでいい』とお墨付きをいただくことができたんです。嬉しかった。ようやくこのまま突き進んでいいんだ!と自信が持つことができました。」 『BUAISOU』について 世界各国からワークショップの依頼が殺到し、ハイブランドとコラボし、グローバルな活動をし続ける徳島の藍染工房です。 徳島県を拠点に、藍の栽培から染色、仕上げまですべてを一貫して行うBUAISOUは、古き良き伝統をそのまま受け継ぐのではなく、常に進化をし、先人たちをリスペクトしながらもそれを超えていく努力を続け、未来に繋ごうとしている。 わずか5人で運営する工房は、2015年4月されました。BUAISOUの名は、白洲次郎の邸宅「武相荘(ぶあいそう)」にちなんだものだそうです。 Bluem の誕生 ところで智志さん、『BUAISOU』研修においてお墨付きを得られたものの、しばらくは染師と建築の仕事の草鞋を二足履いていました。 けれども次第に口コミでオーダーが入る様になり、二足の草鞋を履いていては藍染の仕事が追いつかない状況になりました。 技術の確かさも証明されました。 それは「伊達美術協会」から表彰された『協会賞』という最高賞。 月と海、人間と自然を表した作品。 タイトルは『183672144288』 タイトルの意味はこうでした。 〜人と月と海の共通となる数字『18』。その18の倍数が人間の『生』を表し、目には映らない人と自然のつながりを人類が最も信頼し、裏切られてきた『数字』で表現しました〜 18:1分間に月が引き起こす波の回数=人間の1分間の呼吸の回数 36:人間の平均体温 72:人間の1分間の心拍数 144:人間の最高血圧 288:日数に変えると10月10日で妊娠期間と同じ 「人間が最も信頼し、裏切られてきた数字」この言葉だけで俄然実物を観てみたくなりました。 6月3日より2ヶ月間、「だて歴史文化ミュージアム」において展示会が開催されます。 「本格的に染師として生きていきたいと考えていたので、そのためにも自分の工房が欲しい!と思っていました。工房にする場所をずいぶん探したのですが、タイミングや予算も含め中々『ここだ!』という所に出会えなくて…。 がっくり‥としかけた一昨年の冬、出会ったのがこの場所でした。見に来たら一目惚れ。だいぶ荒れていましたが迷いはありませんでした。実はここ、子どもの友達のおばあちゃんの家だったところなのです。妻がそれを思い出してくれ、購入に結びつきました。」 昨年6月、ついに念願の城が手に入りました。 金子さんご夫婦にとっては夢に向かうThe 1’st stage『Bluem』です。 “ Blue “ × “ Bloom “ つまり青=藍 と開花。 藍で笑顔の花を咲かせたい! 藍で自分たちも開花したい! そんな想いが込められていました。 韻を踏む言葉が大好きな智志さんらしいネーミングです。 「『Bluem』は『藍』製品をカッコいいものとしてブランディングしていく場だと考えています。異文化交流はもちろん大事です。でも日本人として異文化を受け入れながらも、大和魂というか、『和の心』を『藍』を通して表現したい。だから『染まらないために染める』んです。ここを『まちのハブ』として育てて、いろんな人たちと繋がりながら行動して、自然を尊ぶ日本人のDNAを呼び覚ましたいんです。」 循環型ファッションを目指して ところで、今までの経済合理性は短期的にも長期的にも継続は難しい状況だと言われています。 そんな中、若い人を中心に高まってきたのが「気に入ったものを修理したり、染め直したりして長く使いたい」というニーズ。 衣料メーカー自体が「お客様に頻繁に買い替えさせる売り方ではなく、アフターケアを軸に『3つのR』をビジネスモデルの根幹にしていると言われています。 R:リユース(再利用) R:リデュース(使う資源を減らす) R:リサイクル(再資源化) の3つです。 「僕は自然のこと全然詳しくないです。SDGsとかもよくわからない。まあ持続可能な社会を目指そうということですよね。でも思うんですよ。藍もそうですが、人間は自然の恩恵なしには生きていけない。食べ物だってなんだって素材は全て自然が与えてくれています。でも、人間の勝手で飽きたり汚れたりすると簡単に捨てられてしまう。元は全て命なのに。そんな傷んでしまったり、汚れてしまったりしてしまったものを藍染によって甦らせることができるんです。幸い妻の実家がクリーニング屋なので、汚れやシミはしっかりと取り除いてから、新たな命を吹き込むことができる。おまけに堅牢性も増します。モノを大切に残すためのお手伝いができるのも幸せを感じることです。そうそう!あるピザ屋さんの窯から出た灰も藍染めに使えるんですよ。灰だって元は木。いただいた命に感謝して、最後までできるだけ捨てず使わせていただきたいと思っています。子どもたちの子ども、もっと未来の子どもたちのためにヒトが生きる源の自然を、僕らの役目として僕らの仕事で残して行きたいです。そう、『サスティナブルー』な仕事として。」 最後は韻を踏んで締めてくれました。 智志さんの中では当たり前の活動から生まれる循環。 ヒトもモノも自然もとても大切にされているお人柄が窺えるお話しでした。 人との出会いを一つ一つ丁寧に心に刻んでいるからこそ繋がっていく糸。 きっとお二人の出会いも…♡ 何度かその話を振りましたが、どうやらお二人だけのシークレットのようです ^^ お話しをしていて感じたのですが、ご夫婦のお人柄が多くの素敵なご縁の糸を手繰り寄せている気がしてなりません。 それを証明するかのようなイベントが、昨年の夏に開催された初イベント「草紙奏藍」でした。 先の見えないコロナ禍真っ只中、子どもも大人もみんなが疲弊してどんどん笑顔が少なくなっていく状況に、心を痛めていた金子さんご夫婦が立ち上がり開催されたのが、この『草紙奏藍』でした。 結果大盛況でしたが…。 思いついたのはいいけれど、正直他の作業もあり気持ちはいっぱいいっぱい。 広すぎる庭の草刈りはおろか、イベントに際しての環境整備もままならない。 途方に暮れそうになった時、助けてくれたのは、金子夫妻の活動を見守ってきた地域の方々や友人たちでした。 中には遠方から駆けつけてくださる方もいました。 畑違いの仕事から飛び込んだ『藍』の世界でしたが、元々のお二人の仕事や趣味の人脈のおかげで、予想を遥かに超えるお客様にお越しいただき、イベントは大盛況のうちに終わることができました。 もちろん、評判は上々。 きっと、今年の夏も期待されているのではないかと思います。 「今後もイベントは色々開催していきたいと考えています。全国シェア2位と呼ばれる篠原さんの藍の生産と“すくも”に加えて、染師としての技術や製品もグローバルに羽ばたかせて行きたいです。まずは「藍の町」伊達を歩く人たちの服や小物を藍色に染めたい!と思っています。」 2時間に渡った取材は、お話し上手な智志さんに乗せられ、素敵すぎる愛さんの笑顔に乗せられ、楽しくて楽しくてあっという間でした。 その楽しさはきっと、お二人に関わった方皆様が感じることだと思います。 I (藍)の形をバトンになぞり。 I (私)が染師として。 大和魂のI (愛)を届ける。 きっと、最後の『愛』は妻の愛さんと共に〜の意味が込められていることと思います。 AIZOME「I」 / Bluem 情報
Rietty
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