
心の伊達市民 第一号
ブログ閉鎖中の話題(2017年2月15日)
旅の2日目の朝は屋根から落ちる雪の音で目が覚めた。
家人はまだ寝ているので起こさないように手探りでタオルを探し、そっと部屋を出る。
暗いので出口で躓く。女房が「お風呂に行くの?」と聞いて来た。
気兼ねして静かに出たのに、無駄になった。
まだ外は暗いので、館内のテラス風呂に行く。
総ヒノキで出来た風呂に浸かると、川の向こう側の木々が風呂場の灯りに照らされて、
昨夜の雪で真っ白に見える。
しばらく静かに温泉を楽しみ、明るくなったところで露天風呂に行く。
こちらは長靴に履き替えて、石段を15メートルくらい登る。
石段の凍結防止のために温泉の湯が流されていているから、石段はビチャビチャである。着替えの小屋に注意書きがあった。
「 くま、たぬき、きつね等の野生動物が出ますので、夜間の外出はご遠慮ください」。
早朝であるし、石段も登らなければならないし、野生動物も出るし、それになにしろ寒いのだから誰も来ない。しばらくお湯に浸かって体が暖まったら、外に出て冷気に当る。寒くなったら、またお湯に浸かる。これを繰り返す。
露天風呂への出口には「夜間の1人での入浴は危険ですので、お止め下さい」と書いてあったなーと思い出す。
朝食後、出発時間までにやることが無いので、また風呂に入る。やはり誰もいない。
午前9時30分発の船に乗る。今日の便はこの1回だけだそうだ。
宿の女中さん達が桟橋で手を振って、我々を見送ってくれる。
従業員は住み込みだが、中には小さなモーターボートで通って来る人もいた。
最後でもう一度、「秘境の一軒宿に来た」という気分にさせられた。
帰りの船は昨日より寒い。昨夜の内に雪が大分降ったようで、両岸は来た時よりもっと真っ白になっている。後ろを振り返ると水面にたつ航跡が芸術的な模様となっている。
20分くらい我慢して船の外で写真を撮っていたが、さすがに我慢の限界を超えて来たので暖かい船内に戻る。
帰りはまた新幹線の出発時間の調整の為に、美術館巡りをする。
版画家の棟方志功が数年間だけ富山県で疎開生活をしていたことが縁で、美術館や生活をしていた家が公開されている。
温泉宿の記憶が強過ぎているので、あまり面白くない。
富山駅の近くのホテルで富山県の郷土料理の昼飯を食べ、新幹線に乗って家に着いたのは午後5時30分だった。帰ってから案内書を見たら「ゆったり度3の旅」とあった。
(おまけの話)
今から30年ほど前に、友人の女社長に誘われて「おわら風の盆」を見に行った。
女社長の友人が女流人形作家で、「おわら風の盆」が行われる八尾町に住んでいた。
私は初対面だったが、彼女は農家を借りて、そこで1人で人形制作を行っていた。
農家は家が広いので、我々は彼女の家に泊めてもらい歩いて盆踊りを見に行った。
人形師の家には几帳が2基あった。私は几帳というものを、その時に初めて知った。
着物を掛ける衣桁というのがあるが、それに似てはいるが全く違うものである。
これは平安時代の公家の間仕切り、英語でパーティションである。
どうしても欲しくなった私は「譲って!」とお願いした。
彼女は「お金に困ったら、1基なら譲ります」と言った。
それからしばらくして彼女から連絡があった。「几帳を譲ります」・・・と。
そして交渉の結果、15万円で几帳を購入したのである。
あの頃の私は羽振りが良かった。今でもそれは我が家の玄関に飾ってある。
「几帳面」という言葉は、この几帳から来ている。
北海道伊達市に2003年夏より毎年季節移住に来ていた東京出身のH氏。夏の間の3ヵ月間をトーヤレイクヒルG.C.のコテージに滞在していたが、ゴルフ場の閉鎖で滞在先を失う。それ以降は行く先が無く、都心で徘徊の毎日。
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確固たる想いを洞爺湖で実現させたい! 〜『湖の膳舎 なかむら』 和食職人 中村 悠佑氏〜
2023.4.25 OPEN以来、ずっと気になっていた方をようやく取材することができました。 今回の主人公は『湖の膳舎 なかむら』代表 中村 悠佑さん 千葉県出身、東京都育ち、1児のパパです。 “ My洞爺湖! “ そんな勘違いをしてしまいそうになる景色。 広い窓いっぱいに洞爺湖が見渡せる贅沢空間にその店舗は存在しています。 和食職人と言うと、中学校を出て直ぐ料理の修行をするようなイメージがありましたが、中村さんは和食職人としては珍しい大卒者です。 「本当は、高校を出たら直ぐに飲食業につきたいと思っていました。早くこの世界に入りたかったのです。けれども、親の説得を受けて大学へ行くことになりました」。 とにかく飲食業が好きだった中村さんは、高校一年生の時からファミリーレストランやイタリアンレストランで、大学に入学してからは居酒屋でアルバイトをする日々でした。 「大学では文学部に所属していました。 実はあるリース会社に就職も内定していました。 でも、居酒屋でアルバイトしていた時に感じた、お客様が料理とお酒を楽しんでいる雰囲気がとても好きだったという気持ちを捨てきれず、どうしても飲食業への道が諦められず、その会社を断ってしまいました」。 そんな中村さんが大学卒業後に選んだのは調理師専門学校への入学でした。 「最初はフレンチ志望でした。 かっこ良く見えたんでしょうね。 授業では、和・洋・中をそれぞれ学ぶのですが、授業の中で試食をした時に体にも舌にも自分は和食に向いていると実感しました」。 専門学校卒業後、中村さんは赤坂や新宿の料亭で働き始めました。 修行時代の始まりです。 「就職して初めて飲食業の本当の厳しさを知りました。 労働環境は劣悪でしたよ笑 勤務時間は07:00~25:00 休みの日も糠床をかき混ぜるために出勤していました。 それでもそれほど辛いとは感じなかった。 修行時代を6年ほど過ごし、独立を決めました」。 29歳の時に独立を決めた中村さんは、東京中野の駅前に店舗を構えました。 30席もある店だったそうです。 “ この人みたいになりたい! と憧れる人はいない “ ときっぱり言い切った中村さん。 どこかで聞いたことがある…と思ったら、大谷選手が言った言葉でした。 「え?彼もそんなことを言っていましたか」。と、ご存知なかったご様子。 「修行時代、味付けはさせてもらえませんでした。味付けは最高の位置にいる人の仕事ですからね。 だから、味覚のトレーニングと料理の独自の研究は常に怠りませんでした。 自分の味付けは自分の店を始めてから学びました」。 なるほど。 以前、ある方から、洗い物をする時に鍋についたものやお客様の皿を舐めて味を覚えたという話を聞いたことがありましたが、やはり料理人の世界は厳しいのですね。 「妻は自身で店を持つことを夢に持ち割烹料理店で修行しており、2人で店をスタートしました。東京のお店は住宅街のひっそりとした場所で始めましたが、そこの住宅街にお住まいのお客様はもちろん、近隣の会社様の接待の需要も有り様々なお客様にお越し頂いておりました。その店は、12年間営んでいましたが、北海道行きを決め2023年1月31日に閉じました」。 きっと惜しまれつつ閉じられたのだと思います。 それが証拠に、その時のお客様が東京から洞爺湖までお食事にいらっしゃると言います。 「中村が洞爺湖に店を出したらしいと聞きつけた中野の割烹料理屋時代のお客様がわざわざ来てくださいました。 本当にありがたいです」。 「ところで、何故、洞爺湖を選ばれたのですか?」 「妻の美佳が北斗市出身なのです。いま娘は3歳なのですが、子育ては自然豊かな北海道で育てたいと予々考えていました。そういう視点で北海道を旅した時に、洞爺湖がとても気に入りました。移住するならここが良いなと。でも、果たしてここで商売が成り立つのか? とても不安でした」。 そんな心配を余所に、オープン直後から多くの客様が足を運ぶ店となりました。 「雑誌の「Poroco」や「Ho」に掲載されたことは大きな宣伝になり、とても感謝しています。 札幌圏の方も来てくださるようになりました。ですのでお陰様で夏は順調でした。でも、冬が心配だった。ところが、今度はインバウンドのお客様もたくさん来てくださるようになりました。 シンガポール・タイ・台湾の方が多いです。 海外のお客様は積極的にGoogleにコメントを入れてくださいますので、それをご覧になったお客様がまた来てくださいます」。 予約専門のお店のため、来店者数に合わせて仕込みができるのも強みのようです(席が空いていれば飛び込みも受け付けてくださるそう)。 「どのお料理も素材の味が最大限に生かされていますが、取引先の生産者さんはどのように選ばれているのですか?」 「洞爺湖に引っ越してきたのは2023年の2月で、店のオープンは4月でしたので、野菜は根菜くらいしか手に入らない時期でした。お米は移住前から財田米を食べ比べ、宮内農園さんのお米を食べて「この美味しいお米なら洞爺でお店が出来る」と確信を持てました。宮内農園の佐々木ご夫妻には他の農家さんをご紹介頂いたり、自分達で道の駅で買って美味しかった農家さんにアポを取ってみたりとオープン前は奔走の毎日でした。出来るだけ地元の食材を利用し、地元の方にこんな美味しい食材が地元に有ったんだ!と再発見していただけるようなお店を作っていきたいです」。 特別なものを使うのではなく、地元の方がよく食べているものを使いたいという考え方は素敵だと思いました。 「地元食材を使いながらも、今まで無かった店、今まであまり食べる機会が無かった料理を、職人技で提供する店になりたいと考えています。 とは言え、いまは未だ試行錯誤の段階です。 地元の方に足を運んでいただくためには地域性も大切にしなければいけませんから」。 「ところで、お二人にお尋ねします。移住して良かったなあ〜と思う瞬間てどんな時ですか?」 「最高の食材がすぐ身近にあることが幸せです。 娘がのびのびと成長していると感じる時もまた移住して良かったと感じます」。と悠佑さん。 「洞爺湖を眺めながら大好きな温泉に入っている時です!笑」と美佳さん。 明るい美佳さんは早くも常連さんの人気者です。 「最後に目指しているスタイルがあればお聞かせいただけますか?」 「洞爺湖ならではの和食の店を確立したいです。この素晴らしい借景の中で、洞爺湖でしか食べられないものを提供したい。そのためにも、もっともっと洞爺湖のことを知りたいですし、洞爺湖の食材のことを研究したいです」。 そう力強く語った中村さんの元に、保育園から帰ってきた娘さんが「ありがとうございます!」と言いながらニコニコと現れました♡ ―湖の膳舎 なかむら 情報― 電話 080-9269-2578 住所 北海道虻田郡洞爺湖町洞爺湖温泉186-85 Instagram https://www.instagram.com/nakamura0321?igsh=MWR1bm9ieTBya28yNw==
Rietty
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