
心の伊達市民 第一号
春が近づくと「花」の話題が増えて来る。
ビルに囲まれて雪も降らずただ寒いだけの東京では、公園の花の便りが心待ちとなっている。
「三寒四温」というが、近ごろは段々と春が近付いているような気配が感じられる。
少し前に「蝋梅」を見に行った浜離宮恩賜庭園では、そろそろ菜の花が咲いているだろうと思い出掛けて行った。
浜離宮恩賜庭園は我が家からも歩いて行けるので、天気が良い日には1人で歩いて行くことが多い。以前は我が家の窓から浜離宮恩賜庭園の「菜の花畑」が見えた。
それが2年ほど前に目の前にタワーマンションが建ってしまい、窓から見えなくなってしまった。
中央区は次々とタワーマンションが建設されるので、私と同じような目に遭っている人は多いだろうと思う。それは都会に住む宿命である。
都道2号線の側道を歩いて行った。前の終末は春のような陽気だったのに、この日は冬に逆戻りとなってしまった。天気は良いので、それほど寒くは感じない。
庭園内は欧米系の観光客が大勢来ていた。
私は以前から感じているのだが、アジア系の観光客を見掛けない。
まだアジア系の観光客は、自然を愛でるというまでの心の余裕が無いのかもしれない。
「菜の花」は今が見頃のようで、来ている人も少なくて、写真を撮るには具合が良かった。
菜の花の写真を撮っていたら、女房からLINEで連絡が入った。
画面を見て驚いた。親しくしていた親戚の男性が、急に亡くなったという知らせだった。12月に彼の家族と一緒に食事会を開催したばかりだった。
その時は特に体調が悪そうではなかった。
ただ多少、ボケ気味で、家族は困っているようだった。私が彼と話した時は、特にボケているとは感じなかった。「まだらボケ」だったのかもしれない。
家に戻って、女房から詳しい話を聞いた。
すると前日に昔の仲間との会合に出掛けて行ったが、夜8時になっても戻らないので心配していた。その後、渋谷警察署から連絡があり、『保護しているから、引き取りに来てほしい』とのことだった。
彼は恥ずかしいのか家に戻っても詳しい話をせず、夕食を食べてすぐに寝たそうだ。
翌日の朝に妻が見に行ったら、既に亡くなっていたそうだ。そうなると大変で、警察の検視官が来て事件性を確認する。
『葬儀は家族だけで、簡単に済ますので行わない』との連絡もあった。
私の理想とする亡くなり方だった。(合掌)
(おまけの話)
春めいて来たので、そろそろ木場公園の横の水路の土手に植えられた「河津桜」が見られると思った。マンションの友人のFさんが楽しみにしているので、先ずは私が1人で下見に行って来た。
Fさんは私より6歳の年長者で、しかも「要介護2」で、自宅で自分で人工透析を行っているので足腰が弱っている。しかも1人住まいなので、あまり楽しみが無いようだ。
彼は花が大好きで、私の撮った花の写真を見るのを楽しみにしている。
Fさんは中央区から「タクシー券」が支給されているので、たまに私も彼と一緒に花の写真を撮りに行く。その為には私が事前に花の状態を見に行かねばならない。
まあ幸いに私は大した病気は抱えていないので、「出来ることはしてあげたい」と思っている。
あまり遠くはタクシー券が不足するので、木場あたりが一番遠い場所である。
そこで浜離宮の後に、木場公園に向かった。
「汐留駅」から大江戸線で「門前仲町駅」で降りる。
そして都バスで「木場公園駅」で下車して、数分歩く。
河津桜は木場公園の中ではなく、横を流れる水路の土手に植えられている。
土手に上がったら、花が全く咲いていない。花の蕾の先に、赤い花びらの先端がのぞいている。
上流に歩いて行くと中間に橋があり、その先の河津桜は今回も昨年と同じように咲いていた。場所は離れていないのだから、同じ河津桜といってもDNAが違うのか?
歩きながら写真を撮るが、どうも盛りは過ぎているようで緑の葉が出て来ている。
橋の手前の河津桜は、あと1週間くらい先に満開になるだろう。
その時にはFさんを案内して、またここに来ることになりそうだ。
広い通りに出たらもう河津桜は無いので、木場公園内に入る。
そこが木場公園の中間で、道路を跨ぐ大きな木場公園大橋が目立つようにそびえ立っている。橋の手前にたった1本の河津桜があったが、まだ2分咲きくらいだった。
最近は万歩計が5000歩に近付くと、股関節が痛み出す。
ところがこの日は割合に調子が良く、万歩計を見たら1万1000歩を少し越えていた。
暖かで気持ちの良い1日だった。
北海道伊達市に2003年夏より毎年季節移住に来ていた東京出身のH氏。夏の間の3ヵ月間をトーヤレイクヒルG.C.のコテージに滞在していたが、ゴルフ場の閉鎖で滞在先を失う。それ以降は行く先が無く、都心で徘徊の毎日。
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確固たる想いを洞爺湖で実現させたい! 〜『湖の膳舎 なかむら』 和食職人 中村 悠佑氏〜
2023.4.25 OPEN以来、ずっと気になっていた方をようやく取材することができました。 今回の主人公は『湖の膳舎 なかむら』代表 中村 悠佑さん 千葉県出身、東京都育ち、1児のパパです。 “ My洞爺湖! “ そんな勘違いをしてしまいそうになる景色。 広い窓いっぱいに洞爺湖が見渡せる贅沢空間にその店舗は存在しています。 和食職人と言うと、中学校を出て直ぐ料理の修行をするようなイメージがありましたが、中村さんは和食職人としては珍しい大卒者です。 「本当は、高校を出たら直ぐに飲食業につきたいと思っていました。早くこの世界に入りたかったのです。けれども、親の説得を受けて大学へ行くことになりました」。 とにかく飲食業が好きだった中村さんは、高校一年生の時からファミリーレストランやイタリアンレストランで、大学に入学してからは居酒屋でアルバイトをする日々でした。 「大学では文学部に所属していました。 実はあるリース会社に就職も内定していました。 でも、居酒屋でアルバイトしていた時に感じた、お客様が料理とお酒を楽しんでいる雰囲気がとても好きだったという気持ちを捨てきれず、どうしても飲食業への道が諦められず、その会社を断ってしまいました」。 そんな中村さんが大学卒業後に選んだのは調理師専門学校への入学でした。 「最初はフレンチ志望でした。 かっこ良く見えたんでしょうね。 授業では、和・洋・中をそれぞれ学ぶのですが、授業の中で試食をした時に体にも舌にも自分は和食に向いていると実感しました」。 専門学校卒業後、中村さんは赤坂や新宿の料亭で働き始めました。 修行時代の始まりです。 「就職して初めて飲食業の本当の厳しさを知りました。 労働環境は劣悪でしたよ笑 勤務時間は07:00~25:00 休みの日も糠床をかき混ぜるために出勤していました。 それでもそれほど辛いとは感じなかった。 修行時代を6年ほど過ごし、独立を決めました」。 29歳の時に独立を決めた中村さんは、東京中野の駅前に店舗を構えました。 30席もある店だったそうです。 “ この人みたいになりたい! と憧れる人はいない “ ときっぱり言い切った中村さん。 どこかで聞いたことがある…と思ったら、大谷選手が言った言葉でした。 「え?彼もそんなことを言っていましたか」。と、ご存知なかったご様子。 「修行時代、味付けはさせてもらえませんでした。味付けは最高の位置にいる人の仕事ですからね。 だから、味覚のトレーニングと料理の独自の研究は常に怠りませんでした。 自分の味付けは自分の店を始めてから学びました」。 なるほど。 以前、ある方から、洗い物をする時に鍋についたものやお客様の皿を舐めて味を覚えたという話を聞いたことがありましたが、やはり料理人の世界は厳しいのですね。 「妻は自身で店を持つことを夢に持ち割烹料理店で修行しており、2人で店をスタートしました。東京のお店は住宅街のひっそりとした場所で始めましたが、そこの住宅街にお住まいのお客様はもちろん、近隣の会社様の接待の需要も有り様々なお客様にお越し頂いておりました。その店は、12年間営んでいましたが、北海道行きを決め2023年1月31日に閉じました」。 きっと惜しまれつつ閉じられたのだと思います。 それが証拠に、その時のお客様が東京から洞爺湖までお食事にいらっしゃると言います。 「中村が洞爺湖に店を出したらしいと聞きつけた中野の割烹料理屋時代のお客様がわざわざ来てくださいました。 本当にありがたいです」。 「ところで、何故、洞爺湖を選ばれたのですか?」 「妻の美佳が北斗市出身なのです。いま娘は3歳なのですが、子育ては自然豊かな北海道で育てたいと予々考えていました。そういう視点で北海道を旅した時に、洞爺湖がとても気に入りました。移住するならここが良いなと。でも、果たしてここで商売が成り立つのか? とても不安でした」。 そんな心配を余所に、オープン直後から多くの客様が足を運ぶ店となりました。 「雑誌の「Poroco」や「Ho」に掲載されたことは大きな宣伝になり、とても感謝しています。 札幌圏の方も来てくださるようになりました。ですのでお陰様で夏は順調でした。でも、冬が心配だった。ところが、今度はインバウンドのお客様もたくさん来てくださるようになりました。 シンガポール・タイ・台湾の方が多いです。 海外のお客様は積極的にGoogleにコメントを入れてくださいますので、それをご覧になったお客様がまた来てくださいます」。 予約専門のお店のため、来店者数に合わせて仕込みができるのも強みのようです(席が空いていれば飛び込みも受け付けてくださるそう)。 「どのお料理も素材の味が最大限に生かされていますが、取引先の生産者さんはどのように選ばれているのですか?」 「洞爺湖に引っ越してきたのは2023年の2月で、店のオープンは4月でしたので、野菜は根菜くらいしか手に入らない時期でした。お米は移住前から財田米を食べ比べ、宮内農園さんのお米を食べて「この美味しいお米なら洞爺でお店が出来る」と確信を持てました。宮内農園の佐々木ご夫妻には他の農家さんをご紹介頂いたり、自分達で道の駅で買って美味しかった農家さんにアポを取ってみたりとオープン前は奔走の毎日でした。出来るだけ地元の食材を利用し、地元の方にこんな美味しい食材が地元に有ったんだ!と再発見していただけるようなお店を作っていきたいです」。 特別なものを使うのではなく、地元の方がよく食べているものを使いたいという考え方は素敵だと思いました。 「地元食材を使いながらも、今まで無かった店、今まであまり食べる機会が無かった料理を、職人技で提供する店になりたいと考えています。 とは言え、いまは未だ試行錯誤の段階です。 地元の方に足を運んでいただくためには地域性も大切にしなければいけませんから」。 「ところで、お二人にお尋ねします。移住して良かったなあ〜と思う瞬間てどんな時ですか?」 「最高の食材がすぐ身近にあることが幸せです。 娘がのびのびと成長していると感じる時もまた移住して良かったと感じます」。と悠佑さん。 「洞爺湖を眺めながら大好きな温泉に入っている時です!笑」と美佳さん。 明るい美佳さんは早くも常連さんの人気者です。 「最後に目指しているスタイルがあればお聞かせいただけますか?」 「洞爺湖ならではの和食の店を確立したいです。この素晴らしい借景の中で、洞爺湖でしか食べられないものを提供したい。そのためにも、もっともっと洞爺湖のことを知りたいですし、洞爺湖の食材のことを研究したいです」。 そう力強く語った中村さんの元に、保育園から帰ってきた娘さんが「ありがとうございます!」と言いながらニコニコと現れました♡ ―湖の膳舎 なかむら 情報― 電話 080-9269-2578 住所 北海道虻田郡洞爺湖町洞爺湖温泉186-85 Instagram https://www.instagram.com/nakamura0321?igsh=MWR1bm9ieTBya28yNw==
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