
心の伊達市民 第一号
少し前のブログで「海技教育機構」の帆船「日本丸」が、晴海埠頭公園の専用桟橋に着岸した話を書いた。
日本丸は2月8日に東京着となっていて、なぜかそのまま停泊を続けていた。
そして3月2日(木)の午後2時に離岸すると分った。
約1ヶ月の停泊なので、なにもやることが無い時には晴海埠頭公園に行って日本丸を眺めていた。公園の日本丸の停泊している場所へ入る道路には、数本の河津桜が咲いていて、マストと桜の構図の写真が撮れた。
3月2日の午前中に床屋に行った。以前は30日で床屋に行っていたが、最近は髪の伸びが遅くて45日となった。髪の伸びが遅いということは、もし癌になっても進行が遅いのだろうと、変なことで安心した。
私の行く床屋は新宿時代からなので、45年は通っている。
新宿の店は高層ビル内のあったが、客層のサラリーマンが定年を迎えて来なくなり閉店となった。その店の何人かの技術者が有楽町店に移ったので、私も一緒に移って来たのである。料金は安く、顔のクリームマッサージまでしてもらっても、午前10時までに入店すれば3500円である。
前日までは快晴で気温も20℃近く気持ちの良い日だったのに、2日の日本丸の出港となったら曇りとなった。天気予報では翌日はまた快晴なので、全く日本丸の撮影の時は恵まれない。昼飯をゆっくり食べる時間が無いので、ローソンに入りイートインでカップヌードルを食べた。
これは10年ぶりくらいだと思うが、3分待てば食べられるし、まあまあ美味しかった。
隣に中年のサラリーマンが来た。手にはペットボトルのお茶を持っていた。
そしてカバンから手作りのお弁当を出して食べ出した。これはルール違反ではないか?
都バスに乗って、終点の「晴海埠頭」まで行った。
そこから2~3分で晴海埠頭公園で、その端に「海技教育機構」の帆船「日本丸」が停泊している。日本丸は午後2時の出港だが早めに到着しておいて、もし出港が早まっても大丈夫のようにしておいた。
12時に日本丸の間近に行ったら、すでに全員が乗船済みのようだった。12時30分になったら、後ろの甲板に全員が集合して、朝礼のようなことが始まった。甲板は私の目線より上なので、良くは見えない。
船長か先生か分からないが、誰か指導者が全員に向って話をしている。
15分で話は終り、各自の持ち場に帰って行った。そしてその場で全員が体操を始めた。
「イチ・ニイ・サン・シイ・ゴオ・ロク」と掛け声をかけて体を動かしている。
それが15分続いた。それが終ると、また持ち場で集合して、指導者の話がある。
入港時に傷付いた船体の一部に塗装をする者、日の丸の国旗を掲揚する者、乗船用梯子を片付ける者などが、手際よく作業を進めているのが見える。12時45分頃にタグボートが2隻やって来た。日本丸の向こう側で作業をしているので、こちらからは見えない。
午後1時過ぎになったら、各自がそれぞれの持ち場で出港準備を始めた。
乗組員の生徒は紺色と薄茶色の制服を着ているが、どちらが上級生かは分からない。
日本丸を係留していた太い綱が外されて、船体内の巻き戻され行く。
いよいよ出港が近付いた感じがするが、まだ30分もある。
生徒達の作業は見えないが、操舵室の屋根の上に大勢の生徒が見える。
まだ2時までに4分あると思っていたら、突然のように日本丸が動き出した。
反対側のタグボートが引っ張っているようだ。
そして日本丸は静かに岸壁を離れ、船のディーゼル機関エンジンを使ってレインボーブリッジの方へ舵を切った。
豪華客船の出港時にあるような、「ボー!」という汽笛も無かった。
日本丸はユックリ、ユックリと進み、レインボーブリッジの下を通過して消えて行った。2時間にわたる無料のショータイムだった。また見に来たくなった。
(おまけの話)
3月1日のニュースで、ドイツの豪華客船「アマデア号」が国際クルーズ船の受け入れ第一号として、清水港に入港したと知った。
そこで東京国際クルーズ・ターミナルはどうなっているのかを調べてみた。
すると2日の午前8時に着岸で、3日の午後4時30分に離岸と分かった。
この客船は前日に清水港にやって来た「アマデア号」だった。
アマデア号の着岸も離岸も私にとっては時間が悪いので、3日の昼間に様子を見に行った。ほとんどの外国クルーズ船は早朝に入港し、出航は夕方から夜になる。東京観光の都合なのだろう。
東京国際クルーズ・ターミナルは晴海ターミナルの廃止により、2020年9月に完成した。しかしその後の「ダイアモンド・プリンセス号」による新型コロナウィルスの感染爆発で、クルーズは行われなくなった。
だから今回が開業後の、初の外国クルーズ船の入港となったのである。
都バスを1回乗り換えて「東京国際クルーズターミナル」で下車すると、目の前にターミナルが見える。でもターミナルまで歩くと、近くに見えるがかなりの距離がある。
ターミナルの建物に入っても、誰もいないでガランとしている。
クルーズ船の観光客達は都心の観光に出掛けているのだろう。まだ出港には4時間もある。エスカレーターで4階に上り、テラスに出て「アマデア号」を見る。
600人乗りの船はかなり大きい。乗客の姿は全く見えない。
テラスからでは近過ぎて、船の全体像の写真は画面からはみ出してしまう。
なにも動きが無いので、もうやることもなくターミナルを後にした。
北海道伊達市に2003年夏より毎年季節移住に来ていた東京出身のH氏。夏の間の3ヵ月間をトーヤレイクヒルG.C.のコテージに滞在していたが、ゴルフ場の閉鎖で滞在先を失う。それ以降は行く先が無く、都心で徘徊の毎日。
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ふらり旅人からのゲストハウス 自由人 小林圭子氏 〜想いと直感のままに『ポンコタン』
今回の主人公は洞爺湖の近くでゲストハウス『ポンコタン』を営む小林圭子さん。 旭川出身の47歳。 洞爺湖に移住する前は名古屋で商売をされていました。 「北海道には30代後半からバイクにテントを積み、 ふらりと旅しに来ていました。」 洞爺湖との出会いは、 2018年に「幸せのパン」の映画の舞台になったところを見てみたくて 青春18きっぷでふらりとやってきたのが初めてでした。 ところで圭子さん。 なんと言うか・・・。 「以前、どこかで会いましたっけ?」 そんな錯覚を起こさせる人です。 あの、バリアフリーな雰囲気は一体どこからくるのだろうか? 探ってみたくなりました。 旭川から札幌へ。 そしていきなりポン!と名古屋へ飛んだ圭子さんが始めたのは、 なんと”バナナ焼き屋“のお店でした。 店の名前は「パピリカ」。 それはアイヌ語で「豊作」という意味です。 バナナ焼き屋をやろうと思った理由は〜。 「小さい頃から食べていたソウルフードだったから」 ただそれだけの理由で、 古くからお菓子文化が発達している(駄菓子の製造所も多い)名古屋で店を出そうとは、 普通はなかなか考えつかない。 でもそれをひょいっと始めてしまうところが圭子さん流。 深くは悩まない。 やりたいからやる。 ただそれだけ。 そんなシンプルさが、度胸を超えた何かを感じます。 パピリカ時代のHPを見つけました。 熊が鮭ならぬバナナを咥えている姿が なんともユニークで忘れないロゴです。 何事もサラッと話す割には材料にはかなりこだわっています。 卵も牛乳も使用していないので(カスタード以外)、 卵アレルギーや牛乳アレルギーの子どもを持つ親御さんも よく買いに来てくれたそうです。 そして白餡はしっかりと手作り。 バナナ焼きと言えば旭川の名物お菓子。 この時お話を伺うまで知りませんでしたが、 旭川のバナナ焼きにもバナナそのものやバナナエッセンスなど、 バナナフレーバーは一切入っていないそうです。 バナナ焼きとは、形からだけ連想するネーミングのようです。 とても美味しそう〜! 食べたかった〜! パピリカはすぐに地元に溶け込み、 8年間営業を続けました。 その時の繋がりは今も続いていると言います。 人懐っこいと言う表現とも違う、 相手に壁を作らせない不思議な力を圭子さんは持っています。 「いろいろなところから転勤してきた人たちが多く住むところでした。 近所の方がよく買いに来てくださっていましたよ。 家賃を払いつつ、 女ひとりが食べるだけの分はなんとか稼げていました。」 「ところで、ポンコタンは小さな村という意味。 パピリカは豊作という意味ですよね? どちらもアイヌ語ですが、なにか特別な意味があるのですか?」 そんな筆者の質問に 圭子さんはまたもやあっさりと答えます。 「いや、なんとなくです。」 まただ…。 やはりこんな調子…笑 筆者はその言葉の背景を知りたい!と質問をしても、 決してはぐらかす訳ではなく、あくまでもサラッと答える。 想いが至極シンプルだからこそ、 きっとその時の直感のまま「なんとなくそうしよ」と 思った通りに動いてしまうのだろうと思います。 しかも、転機にはだいたい誰かが力を貸してくれる。 これはもう人徳です。 気負わず流れに任せるというのは、実は楽そうで楽ではない。 でも圭子さんは素直に誰かの力を借りながら、 とても自然にその技を使ってしまう。 「名古屋の友人がゲストハウスをしていたんです。 あらたに宮古島でゲストハウスを始めるにあたって、私も少し手伝いました。 その友人は度胸があるというかなんというか、 外国人が結構泊まりに来ていたのですが、英語は喋れないんです。 でもなんてことなくやっているのを見て、 私も妙な自信をつけてしまいました。 『そうか、英語ができなくても宿屋はできるんだ』 ってね。」 「その辺りから、ゲストハウスに興味を持つようになりました。 ちょうど、ふらりと洞爺湖へ足を運ぶ機会も増えていたこともあり、 洞爺湖の近くでゲストハウスをやることが ふわっとしたものから現実的になりました。 あ…その前にバナナ焼き屋を畳まないと。」 そう思った時、 店を丸ごと買いたいと申し出てくれた人が現れました。 それは元々はお客様だった友人で、古民家カフェを営んでいる方でした。 バナナ焼き屋営業終了2日後には洞爺湖に移住してしまうというスピーディーさ。 思ったらサラッと行動! その後、1年半をかけて建物をリフォームし、ポンコタンを開業されました。 「待っていてくれているような気がしていました。 洞爺湖はどっしりとしていて迎え入れてくれるような安心感がある湖だと感じています。 移住してすぐは、キャンプ生活をしながらあるホテルでバイトをしていました。 同時に物件探し。 そんな中、即決したのがこの建物でした。 借金も1000万円以上してしまいました。」 この建物は、昔、ある会社の社員寮だったところ。 なので、一部屋一部屋にトイレが付いていました。 さて、ゲストハウス「ポンコタン」は 内装・外装そのほとんどをDIYしています。 もともと建物に興味があったわけでもなかった圭子さんですが、 もの作り好きであったことが功を奏しました。 「必要に迫られた部分もありますが、 バナナ焼き屋時代に建物の内部構造にものすごく関心を持つようになりました。 そもそもは工事関係者への不満に端を発したのですが、 お陰で建築について色々知ることができました。 建物がどんなふうにできているのかを知るために、 分解しながら構造を理解していきました。 コンクリートにネジを入れるにはどうしたらよいか?とかね。」 冒頭に登場した仕切りに描かれた洞爺湖の絵は、名古屋時代の友人が描いてくれたもの。 「名古屋時代の友人たちは変人が多くて(笑) 尋ねてきては色々置いて行ってくれます。」 困ったふりをして、笑いながら話す圭子さんには、 遠くから支えてくれる友の存在に感じる安心感が表れていました。 圭子さんの仲間たちは、 「ポンコタン」のオーナーの とてつもなく自然体なおもしろキャラクターをよくご存知のようです。 「うちね。コンセプトなんてないのよね。」 圭子さん、突然、そうサラッと言った後でこう続けました。 「よく眠れました!って言ってもらえるのが一番嬉しいかな。 旅の途中で快適な時間をここで過ごしてくれたら、 それが一番嬉しい。 それとね。 今年の夏はすごく忙しかったのね。 借金あるからあと10年はやらないといけないけど、 とりあえず持続可能な宿を目指して働き方改革するわ(笑)」 「10年経ったら何するの?」 そんな問いに。 またもやサラッと 「わからないな」 と答える圭子さんでした。 帰り際 「また来て!」 と軽い調子で言われました。 「うん」 と答えてしまいました。 ポンコタンの魅力は この気安い感じなんだろうと思った筆者でした。 決して気負うことなく、 そのまんまの圭子さんが妙な安心感を与えてくれる取材の時間でした。 ゲストハウス ポンコタン 〒049-5721 北海道虻田郡洞爺湖町洞爺湖温泉97 080-6092-4967
Rietty
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アートで楽しむまち歩き!ムロランアートプロジェクト2021
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むしゃなび編集部
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Shinji