ブログ閉鎖中の話題(2017年6月2日)

1月に同級生のYさんに頼まれて老人会の行事の企画を立てて、 「銀座七福神巡り」のガイドを買って出た。
その時の評価が良かったのかどうか分からないが、5月にまた新しい企画を頼まれた。

そして今回は「レインボーブリッジを歩いて渡り、お台場を楽しむ」という企画が承認されて、またガイドをすることになった。


JR新橋駅・汐留口で待ち合わせ。



午前10時にJR新橋駅の汐留口で待ち合わせたら、今回は他の行事と重なったという
事情もあり、参加者は10名だった。
「ゆりかもめ」の新橋駅の運賃表の前まで行って、そこで今日の行動を説明する。
「新橋駅から芝浦駅まで行きます。そこから歩いてレインボーブリッジに向かいます」。


レインボーブリッジの登り口で「通行止め」と言われて困る。



私の引率で老人会のメンバーは「芝浦駅」で降りて、みんなで元気良く歩き出す。
そして私は気が付いた。前回と歩いている時に見える景色が違うようだ。
今さら仕方ないので、先に進む。次の駅に来たが、まだ違う。
更に進む内に気が付いた。降りる駅は「芝浦」ではなく、「芝浦埠頭」だったのだ!


通行再開で歩道を歩く老人会のメンバー。(男性3人、女性7人)



私のボケのせいで、みんなは20分くらいは余分に歩く羽目になってしまった。
芝浦埠頭駅に近付いたら、交通整理の警官が何か言っている。
うるさい中で聞き取れたのは「レインボーブリッジは交通止めです」ということだった。

「エー!」と思ったが、今さらどうしようもない。レインボーブリッジに登る塔の入口に着いたら係官がいて、「今日は交通事故のため歩けません」と言う。


このバスが追突事故を起こしたらしい。



私「何時になったら通れるようになりますか?」
係「分かりません」

レインボーブリッジを歩く企画なのに、仕方なく幹事のYさんに相談する。
「いつになったら通れるのか分からないのだから、ゆりかもめに乗ってお台場に行こう」ということになり、芝浦埠頭駅に戻る。


外の景色は金網越しで見る。



駅に行く陸橋の上で、私は諦め切れず振り返ってレインボーブリッジを見た。
すると遠くでハッキリとは見えないが、車がノロノロと動いているように見える。
そのことをYさんに告げると、「俺が見に行って、結果を電話する」ということになった。しばらくして、「11時30分から通れるようになる」と電話があった。


ところどころにある見晴らし場所は金網が無い。



最初から私が間違えずに芝浦埠頭駅で下車していれば、20分は早く着いていたはずなので、交通止めを知ったら「ゆりかもめ」に乗ってしまったはずである。
これこそ「災い転じて、福となす」ではないかと思い、我々はラッキーだと思い直す。
そしてみんなで気持ち良く、レインボーブリッジを歩いて渡ったのである。


お台場が近付き振り返ると「遠くまで来たものだ」と感じる。



(おまけの話)
レインボーブリッジを渡り、お台場の洒落たレストランでランチを食べた。
テラス席からはレインボーブリッジと、その先に我が家が見える。
メンバーの1人が言った。「自然も良いが、ここから見る作られた景色も素晴らしい」。


お台場の洒落たテラス・レストランで洒落ていない老人会のメンバー。



食後はフジテレビのエスカレーターに乗った。ただ乗っただけだ。
そして「ゆりかもめ」で終点の豊洲に向かう。
途中の「市場前駅」で途中下車して、目の前の問題の豊洲市場を見ながら、私が実際に内部に入って見たことを解説し、築地市場の方が危険であることを教えた。


「ゆりかもめ」の最後部から見る景色。



次の電車に乗り、2駅先の豊洲駅で降りる。
ここまでが今回の老人会の企画である。
みんなは都バスで東京駅八重洲口に向かう。私はみんなと別れて、新橋駅行きに乗り勝どき南詰で降りて我が家に戻った。

みんが喜んでくれたので、私も嬉しい。
でも「老人会」という名前は止めた方が良いのでは?
気持ちまで本当の老人になってしまいそうだ。


豊洲の町の風景。


伊達季節移住のススメ 心の伊達市民 第一号

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北海道伊達市に2003年夏より毎年季節移住に来ていた東京出身のH氏。夏の間の3ヵ月間をトーヤレイクヒルG.C.のコテージに滞在していたが、ゴルフ場の閉鎖で滞在先を失う。それ以降は行く先が無く、都心で徘徊の毎日。

コメント

  1. 多摩のY(老人会元会長)
    多摩のY(老人会元会長)
    返信

    その時はお世話になりました。懐かしい日々を思い出しましたヨ!6年前には元気に歩くことが出来ていたのですね!写真の中の老人の中には既に退場してしまった方もいるが、女性群の皆さんは相変わらずにお元気です。老人会の加齢が進行すると、メンバーの減少が顕著になるが、中々若返りが進まない。70代の老人?は、まだ自分は「老人」ではない、と入会を拒絶する時代でもある。確かに、「老人会」という名称を替える試みもあるが、実態はやはり「老人会」であることには変わらないのだから!

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