「来年のことを言うと、鬼が笑う」と言う言葉があるが、「去年のことを言う」と鬼は怒るのだろうか? 「昨年の今ごろは何をしていたか?」を調べるのは、私は手帳ではなくブログである。そして分かった。靖国神社の「秋の例大祭」に行っていた。
そこで特にやることも無いので、今回も靖国神社に行ってみた。


 神門には皇室の御紋「十六葉八重表菊」がある。



どうせ行くなら例大祭の2日目の当日祭の18日が良い。
靖国神社のホームページを開いて見たら、次のように出ていた。
『当日祭には天皇陛下のお遣いである勅使が参向され、陛下よりの御幣物を献じ、御祭文を奉上されます』。この時は勅使が古式豊かな衣装で、静々と神殿に向かう姿が見られる。


神官が揃って拝殿に向かう前の儀式。



地下鉄大江戸線で「勝どき駅」から「森下駅」に行き、そこから新宿線に乗り替えて「九段下駅」で降りる。九段下駅を出ても、靖国神社に向かう人はほとんどいなかった。境内のイチョウはまだ紅葉していないし、「菊花展」の菊の花は今年の暑さで例大祭に間に合わなかったようで、花はまだ蕾ばかりだ。


「菊花展」を開催中。



午前10時になり、「斎館・社務所」から白装束の神官たちが現れた。
出発前の儀式を終えて、参道を拝殿に向って「浅沓」の木の音を揃えて歩いて行く。神官たちが拝殿に去ったので、10時30分の天皇勅使の来訪まで時間があるので、能楽堂の前に行き「剣舞」を見て時間を待った。
そこには私がビックリした恰好のオヤジが1人いて、剣舞を見ていたが何者だろうか?


 能楽堂では「剣舞」を披露していた。



10時15分になったので、拝殿に続く参道で待ち構えることにした。
その頃になると、混んではいないが人垣が出来た。
私は社務所の真向かいに場所を確保できたので、出発前からの様子が見える。
反対側には10時前から、関係者らしき正装した男女が整列している。

30分くらいした時に、整列していた若い女性の顔が白くなり、倒れそうになった。直射日光の中で、慣れない和服で30分も立っていたので、貧血を起こしたらしい。救急班が来て、社務所に連れて行ったのが見えた。


天皇陛下の勅使が拝殿に向かう



10時30分になり、神官を先頭に天皇勅使が前後2人で供物を担いで、拝殿に向って行った。私の目の前で、左折して中門鳥居を通って拝殿に到着した。
静かな境内を「浅沓」の出す「カツ、カツ」という音だけが響く。

その間、わずか3分くらいだ。アッという間の出来事だった。
外国人観光客が珍しそうに見ていたが、日本人でも珍しい光景だ。


 「お供物」はなにだろう?



私は規制されていない横の建物の陰から、その後の様子を見ていた。
天皇勅使は拝殿の下で、供物にかけてあった布を取り外した。
そして中から白い細長いものを取り出した。そして拝殿の奥の本殿に入って行ったと思われる。そこで儀式が行われるのだろうが、私は天皇勅使が戻って来るのを待った。

20分くらいで出て来たが、待つている20分はものすごく長く感じる。
そして帰りは手ぶらで、また社務所に向って歩いていったのである。
神官が登場した10時から、天皇勅使が帰るまで60分弱のショータイムだった。


 儀式が終り戻って行く(アート風に撮影)



(おまけの話)
昨年も例大祭で写真を撮った後に皇居東御苑にいったので、今年も同じようにしてもマンネリなので何かないかと考えていた。

そんな時にテレビの夕方のニュースで、『皇居の生き物たち-環境変化で何が起こっているのか?-』という企画展が丸の内で開催されているのを知った。会場は東京国際フォーラムからも近い、明治安田ビレッジであった。


「明治安田生命」本社建物は「重要文化財」



内堀通りに面した「明治安田生命保険」のビルは、重厚で近寄り難い。
建物の壁に付けられたプレートを見たら、1934年に竣工した「重要文化財」と書かれていた。企画展は本館の中ではなく、その横の新しい建物の1階で行われていた。

パネルによる説明と写真が中心で、他に僅かな動物の剥製も飾られていた。ビデオもあったが、その時は映像を流していなかった。


「皇居の生き物たち」の企画展会場



飾られたパネルに植物と動物の写真とその説明があるが、文字が小さいので高齢者には読み難い。天皇陛下が採取したものをDNAで分類したら、「新種」だと分ったという説明もあった。皇居は外部と遮断されているので、種の保存などので将来の研究にも役立つようだ。

昼休み時だったが、サラリーマンは横目で見て通り過ぎて行った。
今回の「おまけの話」はマンネリを避けたが、マンネリ以上の良い企画が無い場合は、「マンネリも悪くない」と感じた日だった。


 左から「たぬき」、「イタチ」、「すっぽん」


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北海道伊達市に2003年夏より毎年季節移住に来ていた東京出身のH氏。夏の間の3ヵ月間をトーヤレイクヒルG.C.のコテージに滞在していたが、ゴルフ場の閉鎖で滞在先を失う。それ以降は行く先が無く、都心で徘徊の毎日。

コメント

  1. Shinji
    Shinji
    返信

    勅使とか神官とか御幣物とかの言葉をきくと、日本は神国、天皇制、の国なんだと思い出す。それほど、日常の意識からは遠い存在。貴重な目撃情報をありがとうございます。

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