
心の伊達市民 第一号
秋も深まり紅葉も終った。後は冬に向かうだけだ。
しかしその前に紅葉とは少し違うが、枯葉が美しい光景を現す場所がある。
1ヵ所目は聖路加国際病院近くの「あかつき公園」にある、「メタセコイア」の秋である。メタセコイアは巨木で、中国中部が原産地である。
日本名は「アケボノスギ」と言う。
この木は大きいので、広い場所に植えられている。
しかし「あかつき公園」はあまり広くないので、植えられているのは10数本である。
公園の中ほどに植えられていて、小さな森のような光景が見応えがある。
針葉樹である葉がレンガ色になり、その後、一斉に落葉する。その時は例えは悪いが、地面に大量の茶色の楊枝が落ちているような光景になる。
更にこの木は巨木なので、落ちた葉の数もすごく多い。
公園の清掃人は「また秋かよー。やんなっちゃうなー」なんて言っているかもしれない。この木の下は1年中、日が当たらないので夏場は助かる。
木製の大きなテーブルとベンチが置いてあるので、私は時々、ここで休憩して本を読んだりしている。子供連れの母親達も来ていて、子供を遊ばせている。
木の下に立ち上を見上げると、首が痛くなるほど背が高い。
葉の間を通して太陽の光が少しだけ、私に届く。
逆光の中でメタセコイアの葉が、金色に輝いて見える。
中央区は東京の真ん中だが、探せば色々な自然に出会える。
(おまけの話)
「メタセコイア」と言えば、やはり決め手は「水元公園」であろう。
ここにはメタセコイアの林があり、およそ1800本もの木がある。
なんと「あかつき公園」の本数の100倍であるから壮観だ。
でも我が家から水元公園に行くには、地下鉄とバスを4回も乗り継いで、上手く行っても1時間45分も掛かる。
この日はポカポカ陽気で、月曜日だというのに大勢の人達が来ていた。
現役の人達は死語となのでここに来ているのはほとんどが高齢者である。
男性は釣りかカメラ、女性は写生か友人と散歩、高齢夫婦はベンチでお休みである。
ここは葛飾区の湿地帯にある水郷公園なので、水鳥が多い。色々な鳥が池で泳いだり、空を舞っている。広さでは東京23区で一番である。
「メタセコイアの森」に向って歩いて行く途中にも、多くのメタセコイアが植えてある。理由は分からないが、その辺りのメタセコイアには大量の実が生っている。実の生っていない木もあり、その方が多いように感じた。
私は木に「雄雌」があるのかと思ったが、それはないようだ。
ネットでずいぶんと調べたが、その理由は分からなかった。
「メタセコイア」は貴重な木で、資料によると『昭和16年に植物学者の三木茂博士が「セコイア」とされていた植物化石を研究し、葉の特徴などからセコイアとの違いを発見し、「あとの」、「変った」という意味の「メタ」を付けて「メタセコイア」と命名し発表した。
「メタセコイア」は約2億5000年前から6600年前に生きていた植物で、日本をはじめ、北半球の各地で化石として発見されている』。
『昭和21年に中国四川省で自生している「水松」と考えられていた大木が、原生のメタセコイアであることが確認された。それ以来、メタセコイアは「生きている化石」として有名になった。この木は湿地を好むので、水辺に植えられることが多いが乾燥にも耐える』。
資料によるとかなり貴重な木のように感じるが、実は「挿木」で簡単に増やせるそうだ。だから現在では、日本中に溢れている。
メタセコイアの樹高は20メートルにもなる大木である。
林の中に入ると太陽の光も多くは届かず、またとても静かである。
中ほどには木製のテーブルとベンチが置かれているので、そこで持参した羊羹を食べ緑茶を飲んで休んだ。
公園に来ている多くの人は、陽の当たる場所で遊んでいて、ここにはあまり来ない。だからゆっくりと静寂を楽しめる。メタセコイアを楽しみ、また2時間近く掛けて家に戻ったのである。
北海道伊達市に2003年夏より毎年季節移住に来ていた東京出身のH氏。夏の間の3ヵ月間をトーヤレイクヒルG.C.のコテージに滞在していたが、ゴルフ場の閉鎖で滞在先を失う。それ以降は行く先が無く、都心で徘徊の毎日。
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Rietty
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