
心の伊達市民 第一号
東京都環境公社の主催で、毎月2回、埋立地の見学を「東京みなと丸」の上からと、「観光バス」で見学するツアーがあった。
これはしばらくの間、コロナ騒動で中止していたが、再開されたと思ったら次は「東京みなと丸」の故障で6ヶ月近く休止となっていた。
それがやっと再開となったのが10月25日からで、それに気が付いたので11月22日分の申し込みをした。
このツアーは無料なので、希望者も多く抽選となりそうだった。
しばらくして「当選」のお知らせがメールで届いた。
私は家族も行きたいだろうと勝手に考えて、3人分を申し込んでいた。
ところが当選を知らせたら、「東京みなと丸には何度も乗っているし、ゴミ処理場に行きたくない」と断られてしまった。仕方ないので、2名分をキャンセルして、1人での参加となった。
11月22日(水)の午前9時30分に竹芝小型船船着場から、「東京みなと丸」は出港予定なので、私は早めに現地に行った。
「ゆりかもめ」を「竹芝駅」で降りたら、私の前を小柄な小太りのオヤジが歩いていた。
彼はキャリーケースを引っ張り、黒い楽器入れを抱えていた。
そして私と同じく竹芝の「東京みなと丸」の受付の建物に入って行った。
しかし彼は乗客ではなく係員のようで、受付台の準備を始めたのである。
私は「東京みなと丸」の前の船「新東京丸」にも、何度か乗っている。
その船が古くなったので、舛添知事の時代にイタリアに豪華クルーザーを発注した。そして小池都知事の時代になって、日本に届いたのである。
船の名前を「東京みなと丸」と決めて、無料で東京湾を案内することを続けている。それがなにか重大な故障があったようで、しばらく運行を中止していたが、やっと10月後半から再開された。
今回のツアー「海と陸からの見学会」は当選通知が来た時は、実はあまり期待していなかった。その少し前に「東京湾夜景観賞ツアー」の応募していて、それに当選したかったからだ。
メールで「抽選結果 落選のお知らせ」が届いた時は少しガッカリしたが、最近は色々と落選続きで抵抗力が付いて来た。
メールには「定員を大幅に上回るお申込みがあり、厳正に抽選させていただいた結果、残念ながら今回は意向に添えない結果となりました」とあった。
まあこれに懲りずに、また申し込もう。
「東京みなと丸」はゆっくりと岸を離れた。今回の参加者は40名だった。
いつものように右側に大型クレーンが作業をする姿を見ながら、羽田空港の近くまで行く。そして左に旋回して、入り組んだ埋立地の中を進む。大きな島の全てが、埋め立てられたゴミで作られた造成地である。海の上で障害物が無いので、色々なものが見える。
私は何度も乗船しているので、説明員の話は飽き気味である。
この日は珍しく雲一つない快晴であるが、この船の残念なところは「窓が開かない」、「前方は仕切りがあって見えない」、その代わりに「正面に大型モニター画面があり、前方の映像を映し出している」ことである。
「東京みなと丸」は最終の目的地の船着き場へと、レインボーブリッジに向ってゆっくりと進んで行く。右手には「東京国際ターミナル」と「船の科学館」が見える。案内役の男性が最後の案内と、乗船のお礼の挨拶をした。
その時に船に乗る前に、私が見たオヤジの出番となり驚いた。
ウクレレを弾きご当地ソングの、「東京都の唄」を弾きながら歌った。
我々が下船する間もウクレレを弾いていて、思い掛けないお見送りだった。
どうやらボランティアで、趣味のウクレレを生かした活動をしているようだ。
(おまけの話)
「東京みなと丸」から下船して、すぐに大型バスに乗り換えた。
バスに乗ると、ゴミに関するビデオを見せられる。ゴミは焼却処分にすると、体積が20分の1になるそうだ。
その前に昼ご飯の時間が取ってあり、バスの着いたのはテレコムセンターだった。ここの場所を勝手に借りて、弁当を食べるらしい。
しかし現地に行ったら2ヶ所も食堂があるのが分かり、弁当持参の意味が無かった。食後はまたバスに乗り、ゴミ処理場と埋立地の見学である。
それが終ると、パンフレットとによると「注目のエリア」である「中央防波堤埋立処分場」へ、バスは入って行った。見学者はバスから降りず、社内からごみ処理の様子を見るだけである。場内はゴミを扱っているのに、かなり綺麗なのに驚く。
作業員の人数も少なく、機械化が進んでいる様子が見える。
我々のバスが走っている場所もそうだが、島全体がゴミで作られている。
木が植えられたり、雑草が生えていて、ゴミの上とは感じられない。
ガイドの女性の説明が「立て板に水」状態で、上手でゴミ問題が良く分かった。「燃えるゴミは燃やして埋める」、「粗大ゴミは粉砕して、燃えるごみと燃えないゴミに分ける。燃えないゴミは埋め立てる」。「資源ごみは再利用をする」などの説明を分かり易くしてくれた。
東京都はゴミの減量を優先しているそうで、地方都市ではゴミ袋は有料で、高い町では1枚120円のところもあるそうだ。
わずか1時間20分のバスの中の説明だったが、パンフレットももらったので、今日の見学ツアーでゴミ問題がよく分かったのである。
北海道伊達市に2003年夏より毎年季節移住に来ていた東京出身のH氏。夏の間の3ヵ月間をトーヤレイクヒルG.C.のコテージに滞在していたが、ゴルフ場の閉鎖で滞在先を失う。それ以降は行く先が無く、都心で徘徊の毎日。
詳しくはこちらハッシュタグ
月別アーカイブ
「むしゃなび」はこちらの皆様に支援して頂いています
人気の記事
-
08/26(火) 晴海埠頭客船ターミナルへ

イベント
「観光・体験」カテゴリーのおすすめ記事
-
2025/07/05(土) 天の川イルミネーション
心の伊達市民 第一号
0
1
-
2025/03/14(金) 写真で見る東京(81)・・・大手町のアート
心の伊達市民 第一号
0
2
-
2025/03/11(火) 昨日と今日は連休をいただいておりました☆
ホテルマンの幸せ
0
-
心の伊達市民 第一号
0
1
観光・体験に関する
特集記事
-
確固たる想いを洞爺湖で実現させたい! 〜『湖の膳舎 なかむら』 和食職人 中村 悠佑氏〜
2023.4.25 OPEN以来、ずっと気になっていた方をようやく取材することができました。 今回の主人公は『湖の膳舎 なかむら』代表 中村 悠佑さん 千葉県出身、東京都育ち、1児のパパです。 “ My洞爺湖! “ そんな勘違いをしてしまいそうになる景色。 広い窓いっぱいに洞爺湖が見渡せる贅沢空間にその店舗は存在しています。 和食職人と言うと、中学校を出て直ぐ料理の修行をするようなイメージがありましたが、中村さんは和食職人としては珍しい大卒者です。 「本当は、高校を出たら直ぐに飲食業につきたいと思っていました。早くこの世界に入りたかったのです。けれども、親の説得を受けて大学へ行くことになりました」。 とにかく飲食業が好きだった中村さんは、高校一年生の時からファミリーレストランやイタリアンレストランで、大学に入学してからは居酒屋でアルバイトをする日々でした。 「大学では文学部に所属していました。 実はあるリース会社に就職も内定していました。 でも、居酒屋でアルバイトしていた時に感じた、お客様が料理とお酒を楽しんでいる雰囲気がとても好きだったという気持ちを捨てきれず、どうしても飲食業への道が諦められず、その会社を断ってしまいました」。 そんな中村さんが大学卒業後に選んだのは調理師専門学校への入学でした。 「最初はフレンチ志望でした。 かっこ良く見えたんでしょうね。 授業では、和・洋・中をそれぞれ学ぶのですが、授業の中で試食をした時に体にも舌にも自分は和食に向いていると実感しました」。 専門学校卒業後、中村さんは赤坂や新宿の料亭で働き始めました。 修行時代の始まりです。 「就職して初めて飲食業の本当の厳しさを知りました。 労働環境は劣悪でしたよ笑 勤務時間は07:00~25:00 休みの日も糠床をかき混ぜるために出勤していました。 それでもそれほど辛いとは感じなかった。 修行時代を6年ほど過ごし、独立を決めました」。 29歳の時に独立を決めた中村さんは、東京中野の駅前に店舗を構えました。 30席もある店だったそうです。 “ この人みたいになりたい! と憧れる人はいない “ ときっぱり言い切った中村さん。 どこかで聞いたことがある…と思ったら、大谷選手が言った言葉でした。 「え?彼もそんなことを言っていましたか」。と、ご存知なかったご様子。 「修行時代、味付けはさせてもらえませんでした。味付けは最高の位置にいる人の仕事ですからね。 だから、味覚のトレーニングと料理の独自の研究は常に怠りませんでした。 自分の味付けは自分の店を始めてから学びました」。 なるほど。 以前、ある方から、洗い物をする時に鍋についたものやお客様の皿を舐めて味を覚えたという話を聞いたことがありましたが、やはり料理人の世界は厳しいのですね。 「妻は自身で店を持つことを夢に持ち割烹料理店で修行しており、2人で店をスタートしました。東京のお店は住宅街のひっそりとした場所で始めましたが、そこの住宅街にお住まいのお客様はもちろん、近隣の会社様の接待の需要も有り様々なお客様にお越し頂いておりました。その店は、12年間営んでいましたが、北海道行きを決め2023年1月31日に閉じました」。 きっと惜しまれつつ閉じられたのだと思います。 それが証拠に、その時のお客様が東京から洞爺湖までお食事にいらっしゃると言います。 「中村が洞爺湖に店を出したらしいと聞きつけた中野の割烹料理屋時代のお客様がわざわざ来てくださいました。 本当にありがたいです」。 「ところで、何故、洞爺湖を選ばれたのですか?」 「妻の美佳が北斗市出身なのです。いま娘は3歳なのですが、子育ては自然豊かな北海道で育てたいと予々考えていました。そういう視点で北海道を旅した時に、洞爺湖がとても気に入りました。移住するならここが良いなと。でも、果たしてここで商売が成り立つのか? とても不安でした」。 そんな心配を余所に、オープン直後から多くの客様が足を運ぶ店となりました。 「雑誌の「Poroco」や「Ho」に掲載されたことは大きな宣伝になり、とても感謝しています。 札幌圏の方も来てくださるようになりました。ですのでお陰様で夏は順調でした。でも、冬が心配だった。ところが、今度はインバウンドのお客様もたくさん来てくださるようになりました。 シンガポール・タイ・台湾の方が多いです。 海外のお客様は積極的にGoogleにコメントを入れてくださいますので、それをご覧になったお客様がまた来てくださいます」。 予約専門のお店のため、来店者数に合わせて仕込みができるのも強みのようです(席が空いていれば飛び込みも受け付けてくださるそう)。 「どのお料理も素材の味が最大限に生かされていますが、取引先の生産者さんはどのように選ばれているのですか?」 「洞爺湖に引っ越してきたのは2023年の2月で、店のオープンは4月でしたので、野菜は根菜くらいしか手に入らない時期でした。お米は移住前から財田米を食べ比べ、宮内農園さんのお米を食べて「この美味しいお米なら洞爺でお店が出来る」と確信を持てました。宮内農園の佐々木ご夫妻には他の農家さんをご紹介頂いたり、自分達で道の駅で買って美味しかった農家さんにアポを取ってみたりとオープン前は奔走の毎日でした。出来るだけ地元の食材を利用し、地元の方にこんな美味しい食材が地元に有ったんだ!と再発見していただけるようなお店を作っていきたいです」。 特別なものを使うのではなく、地元の方がよく食べているものを使いたいという考え方は素敵だと思いました。 「地元食材を使いながらも、今まで無かった店、今まであまり食べる機会が無かった料理を、職人技で提供する店になりたいと考えています。 とは言え、いまは未だ試行錯誤の段階です。 地元の方に足を運んでいただくためには地域性も大切にしなければいけませんから」。 「ところで、お二人にお尋ねします。移住して良かったなあ〜と思う瞬間てどんな時ですか?」 「最高の食材がすぐ身近にあることが幸せです。 娘がのびのびと成長していると感じる時もまた移住して良かったと感じます」。と悠佑さん。 「洞爺湖を眺めながら大好きな温泉に入っている時です!笑」と美佳さん。 明るい美佳さんは早くも常連さんの人気者です。 「最後に目指しているスタイルがあればお聞かせいただけますか?」 「洞爺湖ならではの和食の店を確立したいです。この素晴らしい借景の中で、洞爺湖でしか食べられないものを提供したい。そのためにも、もっともっと洞爺湖のことを知りたいですし、洞爺湖の食材のことを研究したいです」。 そう力強く語った中村さんの元に、保育園から帰ってきた娘さんが「ありがとうございます!」と言いながらニコニコと現れました♡ ―湖の膳舎 なかむら 情報― 電話 080-9269-2578 住所 北海道虻田郡洞爺湖町洞爺湖温泉186-85 Instagram https://www.instagram.com/nakamura0321?igsh=MWR1bm9ieTBya28yNw==
Rietty
0
-
Shinji