心の伊達市民 第一号

写真で見る東京(79)・・・古民家を探して

築地市場の道路を挟んだ向かい側の奥に、数軒の古民家が残っている。
第二次世界大戦の時の、米軍による東京空襲を逃れたからである。

その理由として、『築地にある聖路加国際病院は、マッカーサーが信徒であったアメリカ聖公会によって設立された病院』だったからという説がある。
また別の説では『戦後に必要となる病院を残したかった』というのもある。
今回はそんな築地の古民家を訪ねる旅に出た。


 今も立派に残る3軒長屋


都バスで「築地6丁目」で降りて道路を渡り、明石町方面に向かう。
すると少し先の右側に入る路地の角に、立派な三軒長屋の古民家がある。
上の写真の三軒長屋は不動産屋の資料では、2023年9月には「3軒で家賃が60万5000円、敷金が10ヶ月」と出ていた。

現在は既に入居済みのようで、中は見られない。
表札の出ている家、開店に向けてパート募集の張り紙のある家などで、今でも立派に使われている。



古民家の定義であるが、それは次のようなものである。
「登録有形文化財制度に合わせ、築50年を経過する木造軸組構法、または在来工法の住宅」と定められている。

また「一般社団法人全国古民家再生協会で定義は、昭和25年の建築基準法の制定時に既に建てられていた伝統的構造物の住宅」としている。
戦後に建てられた安普請のトタン屋根の家などは、50年以上経っていても除外されているのだろう。



古民家には2種類あるようで、「全て木造」と「外壁が銅張」があるようだ。
銅張の壁は建設当時は赤茶けた銅本来の色だが、時間の経過と共に緑色になり、これを「緑青」(りょくしょう)と言う。

「緑青」は銅の表面に付着する「サビ」で、銅の腐食を防ぎ、建造物の維持に役立つのだそうだ。下の写真は2階の窓だが、絶妙に意匠された肘掛け付の窓が素晴らしい。



古民家の数は多くないので、ビルとビルの間などに点在している。
多くは戦前からの建物なので、90年以上は経っていると思われる。
地方と違いこの辺りは利用価値があるので、ひっそりと高級な飲食店などが入っているようだ。そのまま住んでいる人もいるようで、個人の表札が出ている家もある。



戦争中のエピソードとして、『昭和9年に日米野球の為に来日した大リーガーのモー・バーグ選手は実はアメリカのスパイで、聖路加国際病院の屋上から東京の地理を撮影し、それが東京空襲の資料になった』という話もあるが、それは眉唾だと思う。

聖路加国際病院の屋上からでは今の高層ビルと違うから、東京の地理など分からない。
そんなウソ話を思い出しながら、ブラブラと築地の裏通りを歩いて行った。



歩いていて気が付いたが、緑青の外壁の家が多い。ある時期に銅板の外壁が流行ったのではないか? 全て木造は痛みも早いが、趣がある。
私の見た感じでは、緑青張りの壁の家は商売屋だったような気がする。
今でも大繁盛の「鶏肉屋」が緑青張りの壁だが、買い物客の行列で写真撮影が出来なかった。



(おまけの話)
ここからは古民家の部品というか、建築小物の写真を撮った話である。
三軒長屋の角の「トヨ」である。「トヨ」というのは、屋根の雨水を集めて地下に流す装置である。全て銅板で作られているので、緑青が噴き出している。いまではトヨはプラスチックの時代になってしまったが、私の子供の頃は戦後の物資不足からブリキだった覚えがある。 



同じ場所の店先の巻き取り式の屋根があったらしい証拠を見付けた。
これの名前が分からず、ネットで調べたら「オーニング(awning)」というものだった。それは「日よけ」や「雨よけ」を意味していて、巻き取り式の可動式テントである。

いまではあまり見掛けないが、私の子供の頃は商店には必ずあった。
でも巻き取り機は、もっと簡単なものだった。



三軒長屋にはお洒落なものがあった。
これも昔はよく見掛けたが、木戸の「覗き穴」である。
店が閉まった後に誰かが来た時に、いきなり木戸を開けずに、この覗き穴から確認したのだろう。新聞配達も、ここから新聞を投げ入れたのだろうか?

私の育った家も、いまから思うと古民家だった。
私が小学5年生の時にオヤジが買ったのだが、家には能舞台まであった。
その家はK子爵の別荘で、別棟にはビリヤード専門の建物もあった。そんなことを思い出した古民家の旅だった。


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コメント

    古民家(Y)

    古民家(Y)

    古民家も場所によっては価値が全く異なるようです。残す価値のある地域に存在する古民家は幸せ者ですね。中曽根元首相の別荘は古民家?だったのでしょうか?
    近頃の寒さを思いますと私にはとても住めそうもありませんが!
    それでも趣は感じ、昔懐かしい思いはありますね。

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北海道伊達市に2003年夏より毎年季節移住に来ていた東京出身のH氏。夏の間の3ヵ月間をトーヤレイクヒルG.C.のコテージに滞在していたが、ゴルフ場の閉鎖で滞在先を失う。それ以降は行く先が無く、都心で徘徊の毎日。

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