
心の伊達市民 第一号
銀座通りから数寄屋橋方面に向かって1本目の道路は「ガス灯通り」という名前である。
この道に入ると道路は煉瓦が敷き詰められていて、ところどころにガス灯が立っている。「ガス灯通り」の入口にはプレートが埋め込まれていて、一帯は「煉瓦街」と呼ばれている。
そこで今回は銀座のガス灯を探す旅に出掛けた話である。
ほとんどのガス灯は「ガス灯通り」にあるが、明石町にも多くあることが分かり最初に見て廻った。
明石町という場所は聖路加国際病院の辺りで、明治2年(1869年)に設けられた外国人居留区があった場所である。
聖路加国際病院の裏にいまでも「居留地通り」があり、当時を偲ばせる。外国人が多く住んでいたので、ガス灯も沢山あったと思われる。
現在でもガス灯が残っているのは、明石小学校角地(1基)、明石小学校正面癌間右側(3基)、「リハポート明石」(1基)、「明石区民館」(1基)、「聖路加国際病院駼いスラー記念館」(2基)の合計8基である。
この8基の中で、ガスで明かりを灯しているのは、下の写真の「石区民館横」のものだけだと思う。
解説では『明石町のガス灯の柱はコリント風様式で、上部にある左右20センチの腕金や下部に施された帯状の操り形など、特徴的な装飾が見られる鋳鉄製の柱4である。照明ランプ部分は電気灯として使用されていたランプを修復した上で、後年になって取り付けられた。柱部分は形状や材質から判断して、明治末期のガス灯のものである』とあった。
多分、明石区民館以外のガス灯は、ガスを止めて電燈にした時に、柱だけを利用したものだろうと想像する。
明石町から銀座に出た。最初に行ったのは、松屋デパートの裏に当たる場所にある「王子ホールディングス」(旧王子製紙」の本社前である。
ここのガス灯は立派なもので、本社の周りに8基も設置されている。夜にはガスで灯が灯るようだ。
ガス灯通りの歴史を調べてみたら『ガス灯が日本で初めて敷設されたのは横浜で、1872年だった。2年後の1874年には銀座の街にも灯るようになり、ガス灯は文明開化の象徴と言われた。ガス灯は電気に変り廃止となったが、東京ガス100周年を記念して復元した』とある。
設置されているガス灯は飾りだけでなく、夜になると本物のガスで灯が灯るのかもしれない。その内に、夜に確認に行く必要がありそうだ。
『銀座煉瓦街は1872年に銀座から築地一帯が消失した大火をきっかけに、明治新政府が開化政策の1つとして着手したものである。ロンドンやパリにならい家屋を石造りにして火事が延焼しない街にする計画で、大通りの道幅は当時としては画期的な広さで27メートルもあり、歩道と車道を分けて街路樹も植えられ1874年に完成した』。
現在のガス灯通りは『約29年前までは通りの名前も丁目によってまちまちで、4丁目は「文化通り」、3丁目は「ガス灯通り」、2丁目は「観世通り」と呼ばれていた』そうで、いまは1丁目から4丁目までを「ガス灯通り」と呼ぶそうだ。
ガス灯通りを4丁目から入ると、すぐ左手に映画館の「シネスイッチ」がある。
この映画館にも時々、行くが、どちらかというと少しマニアックな映画を上映している。その先の右側にはレストラン「煉瓦亭」があり、いつも入店待ちの行列が出来ている。
煉瓦亭のホームページを開くと、『明治28年、西洋料理店として銀座に創業し、カツレツに代表されるフライものやハヤシライスなどの料理を開発し、日本で最初に洋食店と呼ばれるようになった店です』とある。
3丁目から先になると、少し人通りも少なくなる。
私が気になったのはガス灯ではなく、道路の煉瓦である。
この通りもビルの建て替えや店の入れ替わりで、電気、水道、下水、ガスなどの工事が頻繁に行われている。
掘り返した場所を埋め直しているが、そこはアスファルトになっている。
煉瓦通りが斑模様になっていて、とても見苦しい。
工事をした業者に「煉瓦に戻せ!」とは言えないのだろうか?
(おまけの話)
王子ホールディングス本社前のガス灯は非常に立派である。ガス通りのガス灯とは比較にならない。正面に5灯のガス灯が2基、建物の左側に1灯が4基、右側に2灯が2基設置してある。その理由が知りたくて、王子ホールディングスのHPから質問をしてみた。
しかし1ヶ月以上も経つのに、なにも返事が来なかった。
でもこのガス灯は形だけ真似していて、電球を使っているはずだと思う。
ガス灯通りを4丁目から1丁目に向かって歩いて行った。
すると3丁目の最後の場所の両側のガス灯に明かりが灯っているのが見えた。
「ガスかな?」と思ったが、ハッキリしない。炎が揺らぐ感じの電球かもしれない。
そこで確認の為に、中央区観光協会に「現在もガスを使っているのですか?」と問い合わせた。
しかしここも1ヶ月以上も経っても、なにも返信は無かった。
せめてどちらも『分かりません』くらいは返信すべきでは?
ネットで調べた限りでは、銀座には10か所にガス灯があることになっていた。
その1番になっている場所が、地図の上では東急プラザになっていた。
そこへ行って探したが見付からない。中央区観光協会があったので聞いてみた。
私 『この辺りにガス灯はありませんか?』
観光協会『ガストはありませんねー』
私 『違います。ガス灯です』
いくら探しても無いので、「みゆき通り」のガス灯に似た電柱と間違えではないかと思った。家に帰ってからもう一度、確認したらYahooの間違えで、住所は銀座一丁目で、地図に示した印の位置が違っていたのである。
北海道伊達市に2003年夏より毎年季節移住に来ていた東京出身のH氏。夏の間の3ヵ月間をトーヤレイクヒルG.C.のコテージに滞在していたが、ゴルフ場の閉鎖で滞在先を失う。それ以降は行く先が無く、都心で徘徊の毎日。
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確固たる想いを洞爺湖で実現させたい! 〜『湖の膳舎 なかむら』 和食職人 中村 悠佑氏〜
2023.4.25 OPEN以来、ずっと気になっていた方をようやく取材することができました。 今回の主人公は『湖の膳舎 なかむら』代表 中村 悠佑さん 千葉県出身、東京都育ち、1児のパパです。 “ My洞爺湖! “ そんな勘違いをしてしまいそうになる景色。 広い窓いっぱいに洞爺湖が見渡せる贅沢空間にその店舗は存在しています。 和食職人と言うと、中学校を出て直ぐ料理の修行をするようなイメージがありましたが、中村さんは和食職人としては珍しい大卒者です。 「本当は、高校を出たら直ぐに飲食業につきたいと思っていました。早くこの世界に入りたかったのです。けれども、親の説得を受けて大学へ行くことになりました」。 とにかく飲食業が好きだった中村さんは、高校一年生の時からファミリーレストランやイタリアンレストランで、大学に入学してからは居酒屋でアルバイトをする日々でした。 「大学では文学部に所属していました。 実はあるリース会社に就職も内定していました。 でも、居酒屋でアルバイトしていた時に感じた、お客様が料理とお酒を楽しんでいる雰囲気がとても好きだったという気持ちを捨てきれず、どうしても飲食業への道が諦められず、その会社を断ってしまいました」。 そんな中村さんが大学卒業後に選んだのは調理師専門学校への入学でした。 「最初はフレンチ志望でした。 かっこ良く見えたんでしょうね。 授業では、和・洋・中をそれぞれ学ぶのですが、授業の中で試食をした時に体にも舌にも自分は和食に向いていると実感しました」。 専門学校卒業後、中村さんは赤坂や新宿の料亭で働き始めました。 修行時代の始まりです。 「就職して初めて飲食業の本当の厳しさを知りました。 労働環境は劣悪でしたよ笑 勤務時間は07:00~25:00 休みの日も糠床をかき混ぜるために出勤していました。 それでもそれほど辛いとは感じなかった。 修行時代を6年ほど過ごし、独立を決めました」。 29歳の時に独立を決めた中村さんは、東京中野の駅前に店舗を構えました。 30席もある店だったそうです。 “ この人みたいになりたい! と憧れる人はいない “ ときっぱり言い切った中村さん。 どこかで聞いたことがある…と思ったら、大谷選手が言った言葉でした。 「え?彼もそんなことを言っていましたか」。と、ご存知なかったご様子。 「修行時代、味付けはさせてもらえませんでした。味付けは最高の位置にいる人の仕事ですからね。 だから、味覚のトレーニングと料理の独自の研究は常に怠りませんでした。 自分の味付けは自分の店を始めてから学びました」。 なるほど。 以前、ある方から、洗い物をする時に鍋についたものやお客様の皿を舐めて味を覚えたという話を聞いたことがありましたが、やはり料理人の世界は厳しいのですね。 「妻は自身で店を持つことを夢に持ち割烹料理店で修行しており、2人で店をスタートしました。東京のお店は住宅街のひっそりとした場所で始めましたが、そこの住宅街にお住まいのお客様はもちろん、近隣の会社様の接待の需要も有り様々なお客様にお越し頂いておりました。その店は、12年間営んでいましたが、北海道行きを決め2023年1月31日に閉じました」。 きっと惜しまれつつ閉じられたのだと思います。 それが証拠に、その時のお客様が東京から洞爺湖までお食事にいらっしゃると言います。 「中村が洞爺湖に店を出したらしいと聞きつけた中野の割烹料理屋時代のお客様がわざわざ来てくださいました。 本当にありがたいです」。 「ところで、何故、洞爺湖を選ばれたのですか?」 「妻の美佳が北斗市出身なのです。いま娘は3歳なのですが、子育ては自然豊かな北海道で育てたいと予々考えていました。そういう視点で北海道を旅した時に、洞爺湖がとても気に入りました。移住するならここが良いなと。でも、果たしてここで商売が成り立つのか? とても不安でした」。 そんな心配を余所に、オープン直後から多くの客様が足を運ぶ店となりました。 「雑誌の「Poroco」や「Ho」に掲載されたことは大きな宣伝になり、とても感謝しています。 札幌圏の方も来てくださるようになりました。ですのでお陰様で夏は順調でした。でも、冬が心配だった。ところが、今度はインバウンドのお客様もたくさん来てくださるようになりました。 シンガポール・タイ・台湾の方が多いです。 海外のお客様は積極的にGoogleにコメントを入れてくださいますので、それをご覧になったお客様がまた来てくださいます」。 予約専門のお店のため、来店者数に合わせて仕込みができるのも強みのようです(席が空いていれば飛び込みも受け付けてくださるそう)。 「どのお料理も素材の味が最大限に生かされていますが、取引先の生産者さんはどのように選ばれているのですか?」 「洞爺湖に引っ越してきたのは2023年の2月で、店のオープンは4月でしたので、野菜は根菜くらいしか手に入らない時期でした。お米は移住前から財田米を食べ比べ、宮内農園さんのお米を食べて「この美味しいお米なら洞爺でお店が出来る」と確信を持てました。宮内農園の佐々木ご夫妻には他の農家さんをご紹介頂いたり、自分達で道の駅で買って美味しかった農家さんにアポを取ってみたりとオープン前は奔走の毎日でした。出来るだけ地元の食材を利用し、地元の方にこんな美味しい食材が地元に有ったんだ!と再発見していただけるようなお店を作っていきたいです」。 特別なものを使うのではなく、地元の方がよく食べているものを使いたいという考え方は素敵だと思いました。 「地元食材を使いながらも、今まで無かった店、今まであまり食べる機会が無かった料理を、職人技で提供する店になりたいと考えています。 とは言え、いまは未だ試行錯誤の段階です。 地元の方に足を運んでいただくためには地域性も大切にしなければいけませんから」。 「ところで、お二人にお尋ねします。移住して良かったなあ〜と思う瞬間てどんな時ですか?」 「最高の食材がすぐ身近にあることが幸せです。 娘がのびのびと成長していると感じる時もまた移住して良かったと感じます」。と悠佑さん。 「洞爺湖を眺めながら大好きな温泉に入っている時です!笑」と美佳さん。 明るい美佳さんは早くも常連さんの人気者です。 「最後に目指しているスタイルがあればお聞かせいただけますか?」 「洞爺湖ならではの和食の店を確立したいです。この素晴らしい借景の中で、洞爺湖でしか食べられないものを提供したい。そのためにも、もっともっと洞爺湖のことを知りたいですし、洞爺湖の食材のことを研究したいです」。 そう力強く語った中村さんの元に、保育園から帰ってきた娘さんが「ありがとうございます!」と言いながらニコニコと現れました♡ ―湖の膳舎 なかむら 情報― 電話 080-9269-2578 住所 北海道虻田郡洞爺湖町洞爺湖温泉186-85 Instagram https://www.instagram.com/nakamura0321?igsh=MWR1bm9ieTBya28yNw==
Rietty
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アートで楽しむまち歩き!ムロランアートプロジェクト2021
旧市街地のレトロな街並みで知られる室蘭駅周辺で、アートとまち歩きを楽しむイベントが10月9日から始まりました。 ムロランアートプロジェクト(MAP)。 室蘭の歴史的建造物が期間限定のアートギャラリーに大変身!10月31日まで土日限定で観覧できます。 初日の10月9日(土)に遊びに行ってきました。 まずは本部のある旧室蘭駅舎へ。公式パンフレットが配布されています。 この黄色いパンフレットがまち歩き「MAP」として、道案内をしてくれます。 さっそくまち歩きスタート! 旧室蘭駅舎には室蘭出身のアーティスト・中村岳さんのインスタレーションが展示されています。 初日のこの日、公開製作が行われていました。完成まであと少しというところの製作風景です。 明治45年に建造された旧駅舎の構内に、巨大な立体作品が次第に姿を現してきました。 鮮やかな赤茶色が室蘭の工場風景や鉄を彷彿とさせます。ドームのような不思議な形。設計図はなく、インスピレーションで形を作っていくのだそうです。 国内各地で活躍する中村さんですが、出身地の室蘭では今回が初の本格的な製作・展示となります。完成したインスタレーション、ぜひ生でご覧になってみてください。 続いて、千穐萬歳堂(せんしゅうばんぜいどう)へ。 大正14年に建てられた歴史ある倉庫です。入り口から佇まいというか、存在感に圧倒されました。こういう建物が保存されていることもすごいことだなあ、と思います。 中は改修され、ギャラリーとなっています。 1階は室蘭工業大学山田研究室のプロジェクト、2階は川上りえさんの造形作品が展示されています。木骨石造ということで、石の壁と木の骨組みが独特の雰囲気を醸し出していました。建物とアートのコラボレーション!美術館での展示とは全く違う味わいがありますね。 坂をのぼって次の会場へ。 景色を眺めながら気持ちよいまち歩き!会場間が遠すぎず近すぎず、程よい距離でコースが組まれており、お子さんから高齢の方まで、歩きやすいのがポイントです。 旧丸越山口紙店。こちらも大正時代の建造物です。レンガの壁からロマンの香りが漂ってくるよう!ゆっくり眺められるのは徒歩ならではですね。 古い調度品に溶け込むようにして、岩崎麗奈さんの写真作品が展示されていました。作品と建物、どちらも見応えがあります。普段は入ることができない建物だけに内部を見られる貴重な機会でもあります。 途中にカフェや飲食店が多くあるので、ランチやお茶を楽しむのもおすすめです。昔ながらの甘味処として親しまれる「すずや」に立ち寄りました。若者からマダムまで、幅広い年齢層の女性客が甘いものを楽しんでいました。 MAPにもおすすめリストが載っています。 室蘭プリンスホテルでは、10月8日〜10日の3日間限定でMAP連動企画として「中央町懐古展」が開催されました。来場者はホテルのクラシックな雰囲気の中、昔の写真や映像を楽しんできました。 さて、最後は中央町たのしま横丁(大辻医院跡地)へ。 初日のこの日、オープニングイベントとして大黒淳一さんによる音楽ワークショップが開催されました。街の音を録音して、音楽をつくる一日限りのスペシャル企画。地域の子ども達で賑わっていました。 音楽作りの様子。公式Facebookをご覧ください↓↓ ムロランアートプロジェクトは「室蘭の未来地図をつくる」をコンセプトに3カ年開催を予定しています。 プロジェクト代表の荒井純一さんは 「繁華街だった室蘭駅周辺をコンパクトに歩けるルートを制作しました。室蘭は普段気づかないポテンシャルがたくさんある街だと思います。アートや街歩きを通してそれを発見してもらえたらと思います。」 と話していました。 建物、まち歩き、アートと、いろんな切り口からいろんな楽しみ方ができるところが面白いな、と思いました。古い建物と現代アートがお互いに美しさを引き立てあって、新しい街の魅力が生まれ出てくるような、そんなワクワクする気持ちになりました。 芸術の秋、ご家族やお友達と出かけてみませんか。 各会場では入り口で消毒、検温、記名を行い、感染対策に配慮されています。 Muroran Art Project2021 2021年10月9日〜10月31日 土日のみ開催 12:00〜18:00 入場無料 ※MAPは旧室蘭駅舎で配布されるほか、公式HP(https://muroranart.wixsite.com/website)からダウンロードできます。 主 催 / Muroran Art Project 協 力 / 大町商店会、室蘭工業大学山田研究室、蘭歴建見会 後 援 / 室蘭市、室蘭商工会議所、室蘭観光協会、北海道新聞室蘭支社室蘭民報社、FMびゅー 助 成 /北海道開発協会助成事業 会 場・展示アーティスト :旧室蘭駅舎(MAP本部)中村 岳 | 千穐萬歳堂(海岸町3-2-6) 川上りえ 室蘭工業大学 山田研究室 |旧丸越山口紙店(海岸町2-5-8) 岩崎 麗奈 | 中央町たのしま横丁(中央町1-2-7):大黒 淳一 (10.9日のみ) 詳細・最新情報はこちらからどうぞ ムロランアートプロジェクト muroranart.wixsite.com/website Facebook
むしゃなび編集部
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