
心の伊達市民 第一号
トルコの軍艦「クナルアダ号」
東京湾視察クルーズで、東京国際クルーズ・ターミナルの前を通過した。
するとなぜか商業クルーズ船の施設なのに、軍艦が停泊していて驚いた。
そこで「東京みなと丸」を降りたその足で、「ゆりかもめ」に乗って東京国際クルーズ・ターミナルに行ってみた。
いつも巨大なクルーズ船が停泊しているところで見た軍艦は、かなり小さく見えた。
後ろの甲板に国旗が掲揚してあり、船には満艦飾の各国の国旗が飾られていた。
船の国旗を見ても、どこの国か分からなかった。中国の国旗とよく似ているが違う。
4階の見学デッキから見ていても、なにも動きが無い。
巨大なクルーズ船を見慣れているので、あまり面白くなく写真を撮って家に帰った。
家に帰ってからネットで調べたら、その船はトルコの軍艦だった。
トルコは正式名は「トルコ共和国」であり、船はコルベット艦「TCG KINALIADA」であった。読み方は「クナルアダ号」だそうだ。今回は日本とトルコの外交関係樹立100周年を祝うため、トルコ海軍の「クナルアダ号」が12日午前に入港したのだった。
「コルベット艦とは何か?」を調べたら、「沿岸で対潜などの防衛任務につく小型艦艇」のことだった。ネットニュースでは「14日、15日に一般公開される」と分った。
一般公開の時間が分からないので色々と調べたら、東京国際クルーズターミナルには「詳しくはトルコ大使館に問い合わせて下さい」と出ていた。
そこで在日トルコ共和国大使館のホームページを開いたら、X(旧ツイッター)で『6月14日、15日の両日、10:00~12:00、及び14:00~16:00の間、一般公開します。来艦希望者は身分証明書の提示が必要になります』とあった。
家から近いし、トルコの軍艦を見られるのも珍しい経験なので、翌日の午前10時の最初の回に行くことにした。
この日は熱中症警報が出ているほどの暑さで、最高気温の予想は32度だった。
女房は『なにも熱中症警報が出ている日に出掛けないで、家で休んだら?』と言われてしまった。氷入りの麦茶を持ち、麦藁帽を被って出掛けて行った。
家の前から東京BRTに乗り、豊洲市場前で「ゆりかもめ」に乗り換えた。
10時から公開だが、9時30分に東京クルーズ・ターミナルに着いた。
2階の受付に行ったら、すでに100人以上が並んでいたのには驚いた。
周りを見たところ、並んでいるのはほとんど男性で、しかも年齢的に現役世代だった。
私の少し前に40代くらいの女性が1人でいて、トルコ海軍の帽子を被っていた。
私の後ろにはジジイがいて、その男は透明の大きなバッグに犬のぬいぐるみを詰め込んでいた。そしてその犬たちが水兵の帽子を被せられていた。なんだか「海軍オタク」ばかりが来ているようだ。
10時になり受付が始まった。身体検査と手荷物の検査がある。
これはどうやら海上自衛隊の職員が、お手伝いでやっているようだった。
その先の身分証明書の検査はトルコ人で、片言の日本語を話した。
そこをパスすると、その先の待合室のような場所に案内されて、パイプ椅子に座って順番を待つ。ここまで来るのに、40分も掛かっている。
やっと我々の番が来て船に案内されたが、その時は11時15分になっていた。
20人ずつのグループになり、船内に案内された。
乗船の前に「船内は撮影禁止」と言われたので、今回のブログでは船内の写真が無い。
案内役はトルコ海軍の男だが、体格は日本人と変らない。
日本語が全く話せないので、ただ船内を先頭になって歩くだけだ。
ただ狭い船内の通路を歩くだけなので、何がなんだか分からない。
この船は2017年建造の新鋭艦である。ヘリコプターが格納されていた。操舵室にも案内されたが、デジタル化がなされている。案内の途中で見えたが、ミサイルは8基あった。一般公開なら、言葉の分かる人に案内して欲しかった。
(おまけの話)
トルコの教科書には日本が出ている。だからトルコ人はみんな日本に友好的である。
その事情は次の事件があったからだ。『19世紀末、オスマン・トルコ帝国アブドゥルハミト2世は、日本への親善使節団を派遣した。団長にはエミン・オスマン海軍少将が選ばれ、使節団の船はエルトゥール号だった』
『明治22年7月14日にイスタンブール港を出港した船は、明治23年6月7日に横浜港に到着した。親善活動を終えて9月16日、エルトゥール号は串本町大島樫野埼沖を航行していたが、折からの台風に遭遇し航行の自由を失い、岩礁に激突した』。
『オスマン海軍少将以下587名が殉職、生存者わずかに69名という大海難事故となった。この遭難に際し、当時の大島島民は不眠不休で生存者の救助、介護、また殉難者の遺体捜索、引き上げにあたり、日本全国からも多くの義金、物資が寄せられた。69名の生存者は神戸に移送され、明治天皇は彼らのために侍医を派遣、』
『皇后陛下は看護師13名を神戸に派遣した。生存者は神戸で治療を受けた後に、10月5日、比叡、金剛の2隻の軍艦に乗船し無事イスタンブールに入港、トルコ国民の心からの感謝に迎えられた』。
私の世代なら、トルコ人と言えば「ユセフ・トルコ」である。彼はトルコ人の両親の間に横浜で生まれ、柔道対ボクシングの興業の選手を経て、54年に日本プロレスでデビューした。小柄だったが、彼のプロレスや、その後のレフリーの姿が目に浮かぶ。
もう1人は「ロイ・ジェームス」である。彼はトルコ人らしくなく、アメリカ人かと思っていたが、父はイスラム教の伝道師だった。友人のE・H・エリックの紹介で芸能界に入った。歯切れのよい司会者で、私は好きだった。なぜこの2人が日本で生まれたのか?
北海道伊達市に2003年夏より毎年季節移住に来ていた東京出身のH氏。夏の間の3ヵ月間をトーヤレイクヒルG.C.のコテージに滞在していたが、ゴルフ場の閉鎖で滞在先を失う。それ以降は行く先が無く、都心で徘徊の毎日。
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心の伊達市民 第一号
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木地師+α な多才人「工房夕花野」主宰 “ 石垣 拓也 “という人間に出会った。
大滝 三階滝近く、前夜雪が降り気温2度の寒い日。 広い建物にはストーブもなく、ほぼ我慢比べ状態の中取材をさせていただきました ^^; しかも2時間半。 今までの最長時間でした。 なぜならば、今回お会いした石垣拓也さんのお話がめちゃくちゃ面白い! それはもちろんお笑い的とかではなく、共感できるワクワク話が多かったのです。 もう、何をしに行ったのか忘れそうになるほどでした。 それはつまりはこんなお話し〜〜。 石垣さんは、今年の8月に置戸町から伊達市大滝区へ移住して来られた地域おこし協力隊員さんです。 そして、実は木地師でもあります。 そう、何を隠そうあの40年ほどの歴史がある「オケクラフト」の元職人さんでした。 しかも奥様も(奥様のお話はまた日を改めて。一緒に書いてしまうのは勿体ない程貴重な方なので〜)。 ここで少し「オケクラフト」についてご説明しますね。 https://okecraft.or.jp/about/ より引用 *〜〜〜*〜〜〜*〜〜〜*〜〜〜*〜〜〜*〜〜〜*〜〜〜*〜〜〜 『オケクラフトは、置戸町の「オケ」、昔から地域産業として生産されていた曲げ桶の「オケ」と、「クラフト」を合わせた地域クラフトブランドです。 1983年(昭和58年)に置戸町と著名な工業デザイナーであった秋岡芳夫さんとの出会いから始まりました。誕生以来、置戸町では町を挙げた活動として、作り手養成のための研修制度、オケクラフトの販売、作り手への材料提供などをおこない、オケクラフトの生産、普及に努めてきました。』 *〜〜〜*〜〜〜*〜〜〜*〜〜〜*〜〜〜*〜〜〜*〜〜〜*〜〜〜 地域を挙げてブランド作りに取り組み、成功した「オケクラフト」。 その影には元「Uni (鉛筆)」のデザイナーだった秋岡氏の存在がありました。 大量生産に疑問を持ち始めた秋岡氏が目指したのは、地域の木を使い、一つ一つ丁寧に作るクラフト職人を育てることでした。 その秋岡氏のマインドに共感し、師事されていたお一人が石垣さんだったのです。 でもちょっと疑問が…。 それは、何故、材料入手も販路も安定していた「オケクラフト」を卒業し大滝に来られたのか? 「たしかにオケクラフトを出るリスクはありました。オケクラフトにいれば販路は安定しています。 工芸家一本で食べていくのはとても難しいですから生活するには安心です。でも卒業しました。正直、職人として独立してもそれ一本では食べていけません。手作りなので数は作れませんから、収入は限られてくるのです。特にこの二年のコロナ禍では、それまで開催していた大手デパートでの展示会へもお客様が集まらなくなりましたし、中止になったものもありました。つまりコロナ禍での工芸品は、贅沢品で別に無くても困らない二の次の物になってしまったのです。」 ↑コロナ前までは札幌三越・さっぽろ東急百貨店などで展示販売をされていました。 このお話しは、観光に関わる仕事をしている筆者にも痛いほどに分かり共感しました。 でも、石垣さんは安定を捨てました。 「納品先(オケクラフトの場合は町)が安定しているということは、同じものを大量に作らなければいけなくなります。ここまで育てていただいたことにはとても感謝をしています。でも、もっとチャレンジがしたかった。たとえ時間が掛かったとしても、たとえ少ししか作れなかったとしても自由な発想で手間暇惜しまず物づくりがしたかった。大量生産から少量生産に切り替えたかった。つまり、作る量を半分に減らせば質は上がる!という結論を出したのです。でも、収入は確実に減る。…ということは、他に収入が無ければ食べていけません。」 なるほど。 とても納得します。 さらに石垣さんのお話しは続きました。 「他の収入を考えた時、広い工房を持って “ ワークショップ ” や ” 体験学習 ”を行って収入源にしようと考えました。対象は子供と親子。作品の材料となる木が生える森へ出かけていき、森、そして木に親しんでほしい。作品の背景となる木についても知ってほしかったので、近代化された都市部に行くつもりはありませんでした。自然豊富な環境に恵まれた地域で、そこに住む方たちと連携しながら、みんなで自分たちの住む地域を盛り上げていける所を探していて辿り着いたのが大滝でした。というか、ここしかない!と思いました。自然環境も人も建物環境も全て自分たちには最適な場所だったのです。 ここは本当にポテンシャルが高いです。札幌や千歳からのアクセスもとても良いですし。 あとは、どんなコンテンツを作ってどう発信していくか?だと思っています。もちろん資金確保の問題もありますが…。」 ↑材料はその木が育った森が分かるものを生木で購入します。材となり薬に浸かったものや外国産のものは使いません。あくまでも安心安全な北海道産のものに拘っています。 ↑皮を剥ぎ、用途に合わせて切り出していきます。 ここまで伺って、筆者はワクワクが加速していってしまいました。 なんて素敵な方が伊達市に来てくださったのだろう!! しかも石垣さん、オケクラフトメンバーになる前は店舗マネジメントのお仕事を8年ほど経験されておられ、その構想のお話しがただの夢物語ではなく、きちんとマーケティング理論に基づくものだということが分かりました。 なんとも頼もしい限りです。 掘れば掘るほど壮大な構想が出て来るご様子でしたが、今回はここまでの取材にとどめることにしました。 続きは素敵な奥様(曲師)の取材の時に伺いたいと思いますので乞うご期待! ↑奥様もオケクラフトご出身の曲げ職人さん。早く取材させていただきたい! 最後に、近々のご予定を伺いました。 「現在準備中の工房が年明けには整いそうです。 将来のワークショプのために、近々、木育マスターの資格も取得しようと考えています。そして来年9月には料理研究家の菅田奈海さんとのコラボで「食育と木育」のイベントを行います。対象は近隣の子供達と親子。伊達市内の会場を予定しています。」 話しは尽きなかったのですがここでタイムオーバー。 でも、筆者が石垣さんとお話ししていてはっきりと分かったことがありました。 それは子供たち、そして選んだ地域への愛でした。 日本の宝としての子供たちに、自分の仕事として何ができるか? 同時に、家族とともに協力しあいながら生活を支えるためにはここで何がしたいのか? 選んだ土地で、地域全体、そして自分が楽しく幸せに暮らせるために何をすべきか? すでにその答えは出ていました。 それらを考えた上での大滝移住でありビジョンなのでした。 地域おこし協力隊で 木地師+αの多才人 石垣拓也さんが起こす風。 風向きを見届けつつ応援したいと思います。 伊達市、ますます楽しくなりそうです。 ↓「夕花野」Instagram https://instagram.com/yuhanano_hokkaido ↓夕花野オンラインショップ https://yuhanano.handcrafted.jp/ 夕花野 主宰 石垣 拓也 E.mail : gakkey326@gmail.com ※記事の内容は取材時の情報に基づいています。(取材2021年)
Rietty
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有珠善光寺 2台の門前市 仲良く営業中♪~伊達みやげ研究所&morning owl Japan~
2006年 土日のみの営業で善光寺さんの門前市は始まりました。 「善光寺さんはもちろんのこと、伊達市の皆様のお力添えがあったからこそ門前市を始められました。」 当時を振り返り、そう語り始めたのは “伊達みやげ研究所”代表の赤塚文俊さんです。 その頃は仲間達と一緒に、木製の屋台を店舗にして門前市を開催されていたそうです。 けれども、店主たちの高齢化とともに屋台の老朽化も進み、一人抜け二人抜け、3年前からとうとう赤塚さんお一人になってしまいました。 ↑仲間とともに開催していた頃の様子です。 門前市を始めた頃の赤塚さんたちは、「伊達の文化財を活用して町の経済活性化を計りたい!」という強い想いのもと、週末の境内を賑わしていました。 お一人になった今でも、「観光振興の一助を担いたい!」という気持ちから、訪れた観光客にお勧め周辺スポットや善光寺・善光寺自然公園の見所などを語り、伊達の魅力の情報発信をしていると話していらっしゃいました。 「伊達は本当に素晴らしい資源がたくさんあるのです。」 このお話には筆者も激しく同意。 途中、取材だということを忘れてしまい語り合ってしまいました ^^; 対面販売の良さを大切にする赤塚さんの姿勢は、当然お客様にも伝わります。 「あ。おじさん居るかなあって思って来たのよ!」 取材中、登別からいらしたご夫婦が「鰐口もなか」を2箱買っていかれました。 「リピーターの方もいらっしゃり嬉しいです。」 心から頷いてしまう…。 ↑「鰐口もなか」は、地元有珠の老舗製菓店「日当製菓」さんが作っていらっしゃいます。 最中はもちろんですが、私は善光寺さんのお茶も強くおすすめします。 熱くしても冷やしても本当に美味しいのです。 お話をする中で何度も何度も赤塚さんの口から出たのは、「善光寺さんには本当に感謝しています。」という言葉でした。 そんな赤塚さんに、今後に向けての想いをお尋ねしました。 「自然・歴史・文化など、地域資源の保全も意識しながら伊達市の活性化をしたい!という想いを持つ、門前市の仲間を増やしたいです。」 控えめだけれど熱い心が伝わる言葉でした。 そして、その想いを繋ごうとしている若い門前市仲間が現れました。 “ morning owl Japan “さんです。 Japanとある通り、実はカナダのオタワに本店があります。 オーナーの西村ななさんは、札幌出身喜茂別在住。 オーストラリア・カナダ・ニュージーランド・アイルランドと、海外にトータル7年間住んでいらっしゃいました。 3年前に移動販売車でのカフェを始め、冬はニセコのヒラフ坂に常駐していらっしゃるのだそうです。 morning owl Japanを始めた時の想いを語ってくださいました。 それは、やはり豊富な海外経験から。 「向こうでは、キッチンカーが当たり前にあるのです。その文化を北海道にも根付かせたかったのです。」 そんな強い想いから、なんの躊躇いもなく一気にこの世界に飛び込んだのだそうです。 出店を断られることも多く、場所探しには苦労なさっているようですが、めげている様子は見せません。 「珈琲には特に力を入れています。こちらのエスプレッソマシーンは実は車より高いのですよ。」 ↑こちらのエスプレッソマシーンを載せているキッチンカーは他にはないとか。 珈琲豆は、札幌平岸のAce Coffee Roaster さんの浅煎り豆で、morning owl Japanオリジナルブレンドを作ってもらっているそうです。浅煎りなので豆の味がよくわかり、すっきりと美味しいです。 ↑ドリンクメニューがとっても豊富です。 要所要所に強いこだわりがあってほんと素敵♡ 常に筆者を真っ直ぐに見つめながらにこやかに話してくださる西村ななさん。 その目には、未来がはっきりと映っていると感じました。 「この店を通して、” 私もやってみたい “という方が意外と多いことを知りました。まだまだ認知度が低いキッチンカーですが、コロナ禍でも密にならないという利点もあります。共に北海道にキッチンカー文化を定着させられたら嬉しいです。」 ななさんは、最後にそう語ってくださいました。 ―善光寺門前市情報― 場所 有珠善光寺境内(伊達市有珠町124) 「伊達みやげ研究所」 冬季以外はほぼ毎日営業 代表 赤塚文俊 電話 090-9751-9065「morning owl Japan」 ひと月に週末のみ4回位営業 冬季は@ニセコ 代表 西村なな 詳細はQRコードを読み取りInstagramをご参照ください。 ※ 記事の内容は取材時の情報に基づいています。営業日等、変更になる場合があります(取材2021年)
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Shinji