
kayaker
(前回までのあらすじ)
インターネット社会に生きる我々はもはやプライベートなど無いに等しくなってきている。
特に世界のインターネット検索を牛耳るGoogleにおいては、その広範な無料サービス提供の対価として、インターネット利用者の個人情報をゲットし、利用しているのである。
そんなG様(Google様のこと。爺様ではない)をなんとか出し抜けないか・・・。
そこで密やかな抵抗として、ストリートビュー撮影のために撮影車で我が物顔で撮影するG様のプライベート行動を、自らの仕掛けである「ストリートビュー」で世界に露出させる試みをしたいと思ったわけである。
函館にいたG様
さてさて、ともあれ、G様は函館にいたのである。
7月に伊達にいたからもしかしてずっと道南を彷徨いていたのであろうか。
函館の客先に打ち合わせに向かう途中だったのだが、
目的地まであと2-3kmというところで突然G様とすれ違ったのだ。
今回も出会った時はあっという間であった。
ドライブレコーダーなる高価なものは拙車(とは言わないか・・)に装備はないわけで、
突然来られても「あ”〜・・・」てなもんで通り過ぎていくばかり。
しかし、今回は打ち合わせまでの時間に余裕があったし、
比較的交通量の少ない道であったので、
すれ違ってからすぐに左に寄せて一時停止した。
Uターンして追っかけてやろうと思ったのだ。
それで後ろの車をやり過ごし、
早くUターンしてG様を追いかけたかったところだったが
対向車が何台か来てしまい、
結局G様の撮影車との間には5台くらい入っただろうか。
そして数百メートル先に行ってしまった状況で後ろから追いかけた。
ええい、前の車どもが邪魔だ。
しかし追い抜きもかけられない。
そんな先行者も1台左折し、1台右折し・・・と
次々に僕の前方から消えていった。
が、G様は前方にまだ現れない。
と、かなり前方の信号で赤信号。
しめた!この信号で止まってくれていれば・・・
と期待して信号待ちの列に並んだが、
なんとそこに止まっていた車3台にG様の姿はなかったのである。
またしても逃したか・・・
いやいやいや・・・・
本当に残念である。
今回は尻尾まで捕まえていたのに・・・・
客先との約束の時間もあったので、
ここで諦めるしかない。
泣く泣くコンビニでまたUターン。
失意のうちに車を走らせていると・・・・
出た!奴だ!・・・
出たのである。
ストーキングされているとも知らず
相変わらず我が物顔でのうのうと撮影しているG様が
対向車線を向こうから曲がって来るのが見えた。
多分見失った時に横道に入って撮影しながら本道に戻ってきたから
今頃またすれ違うことになったのであろう。
いや〜ほんと、ラッキーである。
僕にはこいつがカモネギに見えた。
で、すかさずさっきから助手席に撮影体制にしておいたiPhoneを左手で取り出して
すれ違いざまにシャッターを押した。
カシャ!
・・・
一瞬であった。
時速40km同士ですれ違うのだから時速80kmの車を撮影するわけで、
多分撮影可能な距離からすると0.4秒くらいしかチャンスはないはず。
僕はすぐに車を左に寄せて停車させ、ちゃんと撮れたかドキドキしながらチェックした。
すると・・・
おー!!一瞬のチャンスを捉えて
まあよく撮れているではないか。
スズキのアルト。
ルーフには2000万画素の全方位カメラが積載されているのがわかる。
結構地味だから意識しないとカメラだってことも気づかれないかな。これ。
軽自動車だし・・・。
問題はここから・・・
さてさて・・・
G様のお姿を捉えることができてまずは最初のハードルをパスした。
問題はここからである。
僕の目的はG様のプライベートな姿をG様自身の仕掛けで世界中に露出させることである。
つまり、僕がカメラで撮っているところがストリートビューに写っていないと意味ないわけ。
どうなんだ?ストリートビューに写ってる?
もうひとつ、このチャレンジで難しいところは、
G様は動画撮影をしているわけではないというところだ。
つまり、何秒かの間隔でシャッターが切られ、
それを繋ぎ合わせてストリートビューを作っているわけ。
だから僕が車の中からカメラを向けて撮影しているときにG様が写してくれているかどうかは実はわからないのだ。
実はこの問題には恥ずかしながらあとで気づいた。
だが撮影は一瞬だが、
カメラを構えていたのは2秒くらいあったはずだから・・・・と
淡い期待をもちながら、そろそろ今回の函館の写真がマップに
アップロードがされただろうと思った9月の中頃になってストリートビューをチェックした。
撮影場所は写真のデータにしっかりと位置情報で記録されている。
この事実自体、G様の掌の上にいるということだが、まあいいか・・・
その場所あたりをストリートビューで開いてみる。
(つづく)
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むしゃなび読者の皆様へ 新年明けましておめでとうございます。 旧年中は、多くの皆様にご訪問いただきまして誠にありがとうございました。 Riettyとして、記事を書かせていただくことになって2年目。 2022年も、Riettyが出会った「好き」「楽しい」「いいね!」を皆様と共有できるような記事を書いていきたいと思っています。 引き続き、どうぞよろしくお願いいたします。 さて。 閑話休題。 新年第一弾は、伊達の歌姫 Artist 藤河 ちあきさんのご紹介です。 昨年末、待ち合わせしたのは伊達の牧家さんでした。 待ち合わせ時間より少し前に到着し、ちあきさんを待つ筆者。 そして、ちあきさんが入店した時とても驚きました! 彼女の周り全体を優しい光が包んでいる。 うまく表現できませんが、これがオーラなのか!と感じました。 ↑注文したアイスカフェオレを嬉しそうに写真を撮るちあきさん♡ 藤河ちあきさんは、伊達市のご出身。 歌手への道を決定づけたのは5歳の時のことでした。 5歳のちあきちゃんが「将来は歌手になる!」と決めた出来事があったそうです。 それは、「なりたいな…」ではなかった。 「なる!」でした。 ちあきさん自身、「あれは決意でした。」と語っています。 大好きな歌を高校までは独学で学び、高校卒業後は東京へ出て修行の道を歩き出しました。 実はちあきさん、イラストレーターとしてもジャズシンガーとしても有名な水森亜土さんの大ファンでした。 亜土ちゃんグッズをたくさん持っていたそうです。 そして偶然にも親友のお父様が亜土さんの知り合いだったこともあり、水森亜土劇団の門を叩くことになりました。 劇団員としても亜土さんの運転手としても働き、約一年間、住み込みで修行をしました。 その後も学び、働き、各所で歌い続けながら6年の歳月が流れました。 けれども…。 なかなか芽が出ず、生活することにも疲弊してしまったちあきさんは、悩んだ末に帰郷することを決意しました。 13年前のことです。 「自分はダメなのかな…。」 それは、まさに打ちひしがれての帰郷でした。 つまりは挫折…。 ↑大好きな海。ここが藤河ちあきの心の拠所なのだそうです。辛い時もここに来ていたそう。 それでも。 「私には歌で生きていく以外は考えられませんでした。でも、そのためにはどうしたら良いのかも、その頃はわからなかった。 辛くて、辛くて、アルバイトをしたりしながら気を紛らわせて暮らす日々がしばらく続きました。」 その間、結婚も経験しました。 子供も二人授かりました。 しかし、結婚生活には2年でピリオドを打ちました。 親御さんからは経済援助を受けない決意でがむしゃらに働いていた日々。 二人の子供を抱え、困窮した生活に地獄も感じていたと言います。 それでも。 どうしても忘れられない歌への道…。 「私が生きる道で大切なものって何だろう? やっぱり歌を唄いたい…。 でも…。」 子供という宝ものを大切にすることが第一だとは分かりながらも、悶々と自問自答する毎日が続きました。 なんとか立ち直らなければと本も読み漁りました。 特に心理学や哲学の本を好んで読んだと言います。 そんなある日、ある人物と食事をしながら話したことがきっかけで、ちあきさんの歌道の第二の扉が開かれることになりました。 その後は様々なご縁が繋がる中で、レストランを初め各種イベントで唄うチャンスを得られる様になっていき現在に至ります。 思えば。 筆者が藤河ちあきさんの歌を初めて聴いたのは、伊達ウクレレ協会さんの小さなコンサート会場でした。 確か7年前のこと。 初めて聴いたちあきさんの歌にもちろん感動しましたが、どことなく寂しげに見えた訳が、これらのお話を伺い、なんとなく分かったような気がしました。 ちょうど、自分の道を暗中模索していた頃だったのですね。 「つい5年くらい前までは、人前で唄うと物凄く緊張して声が震え、なかなか克服できないでいました。自分でイメージトレーニングをするうちに、気がついたら声が震えていないことに気がつきました。場数を踏んだことで克服できたのかもしれませんが…。」 きっと、これはどんな仕事でも通る道。 でも、歌手として唄う場の数を増やすことは容易ではなかっただろうと察します。 「多くの方に支えていただいたから今があると思っています。 実は、今年の3月に開業届を出しました。 歌を生業にすることを決意したのです。 素晴らしいマネージャーさんにも恵まれました。 」 ちあきさんは、なんの迷いもないキラキラな笑顔で語ってくれました。 ↑藤河ちあき オフィシャルページのプロフィール写真です。 ところで、ちょっと思い切った質問をぶつけてみました。 ちあきさんなら真摯に受け止めて答えてくださると思ったからです。 「現在38歳でいらっしゃいますが、10代で売れている歌手が多い芸能界ですよね。ようやく順調に歌手活動が動き出したとは言え、ご自分の年齢を障害に感じることはありませんか?」 すると、キラキラの笑顔は一つも曇ることなく、ちあきさんはこう答えてくれました。 「それは全く感じていません。何故なら人にはそれぞれの夢の叶え方があると思っているからです。スピーディーに成し遂げる方もいれば、大器晩成型の人もいます。 あの…、私、100歳まで歌を唄い続ける予定なのです。 私の中には未来予想図がはっきりとあって、そこから逆算方式に、その予想図に到達するためには今は何をするべきか?と常に考えています。 私は私のペースでそこに到達すれば良いのだと思っています。だから、年齢は私にとって障害ではないです。」 ↑笑顔が本当に素敵♡ 続けてこんなお話もしてくださいました。 「誤解を受けると困るので、ほとんど人に話したことないのですが…。」 「え? そんな大切なお話を良いのですか?」 戸惑う筆者。 でも、真っ直ぐに見つめながらゆっくりと話してくださいました。 「私、二十歳を過ぎた頃から確信を持って感じていたことがあって…。」 これまでになく言葉を選び始めたちあきさん。 「ある日、車の中で歌っていた自分の声を聴いた時、自分自身がとても癒されたのです。 それはとても不思議な感覚でした。そこには、自分の声を客観的に聴いている自分がいました。その時に、『これは自分だけで聴いていたらもったいない!』って思ったのです。奢りでもなんでもなく。素直にそう思いました。この声は、この体に預けられたもの…、そんな感覚です。私の声という感覚というよりも、この体に預かった声という感覚です。どうしても、それ以外表現できないので、誤解されたら辛いのですが…。 だから、この預かった声を使って、世界にどうやって貢献したら良いだろう?と考える様になったのです。この声で唄った歌を聴いてくださった人と、癒しの時間を分け合っていきたいと考えるようになりました。」 「どうもこの体は良い声が出るらしい?」 そんな風にご自分の声を客観視していることを知り正直驚きました。 どう表現すれば、勇気を出して話してくださったちあきさんの想いを、読者の皆様に誤解されずに伝えられるだろうか?と、筆者自身がとても迷いました。 でも、ちあきさん自身の言葉をそのままお伝えすることにしました。 そして。 「歌を聴いてくださった方が、その場限りで癒されるのではなく、自分の存在・自分の命を大切にする気持ち、そして同じ様に周りの人の存在・命を大切にする気持ちを抱いていただくきっかけになれたとしたら嬉しいです。それが叶えば世界が幸せで溢れますよね。」 こんな愛いっぱいの言葉とともに、最後、さらに素敵な未来予想図を語ってくださいました。 ↑とってもママには見えない可愛らしさ♡ 多くの皆様にこのお預かりものの声をお届けするために〜 ☆SeicomartのCMソングを唄いたい! ☆久石譲のコンサートに出たい! ☆武道館で唄いたい! ☆紅白に出たい! ☆60代でスーパー弾き語りをしたい! というのが、ちあきさんの未来予想図でした。 でも、筆者は気づいていました。 ちあきさんは、「〜したい」と話しながら、実は「〜する」と決めていることを。 そう、5歳のちあきちゃんが「将来は歌手になる!」と決めていた様に。 ↑こちらは昨年12月に開催された「天才小学生ドラマーyoyoka」さんのコンサートにゲストで唄った時の写真です。 Yoyokaさんに自分の子供の頃を重ねていたのかもしれません。 伊達市に足場を置きながら。 人々とともに「愛と癒し」を分け合う歌を100歳まで唄い続けると決心した藤河ちあきさん。 「僕たちが一番のファンだよ!!」 と励ましてくれるお子様が、ちあきさんのエネルギーの源であることも間違いありません。 ジャンルを問わず歌いこなすちあきさん。 2022年も彼女の活動から目が離せません。 伊達市民としても、藤河ちあきさんを応援していきたいと思います。 ↑初のCDが2年前に発売されました。 ↑「藤河ちあきの My favorite things」にてラジオパーソナリティーも行っています。 藤河ちあき事務所 住所 室蘭市中島1-9-21 「!」音喜多 ※記事の内容は取材時の情報に基づいています(取材2021年)
Rietty
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