
kayaker
Googleは何でも知っている。
インターネットと切り離せない世界に生きることは
もうあなたの個人情報は隠せないということだ。
あなたがインターネットで検索するキーワードや通販履歴から
あなたの好みのファッションや書籍も
あなたの交友関係も
あなたがネットでアクセスするヤバい情報もエッチな映像も
そしてスマホを持つあなたがいつどこにいるかくらいは
すべて把握してG様は記録しているのだ。
ネット検索で表示させる情報の順番や
何の情報を表示させるかさせないかさえも彼らの手の内にある。
ネット上の情報はフィルターにかけられているのだ。
ゆえに、GoogleのことをG様と呼ぶのである。
(もちろんネット上にはその情報にアクセスできるハッカーや団体もいるのだが)
なんてこった。
僕らは奴らになんの抵抗もできないのか・・・
世界の道を歩く
Google Street Mapで伊達市の大手門を見ると・・・
他にもリアルな情報が握られている。
みなさんはGoogle Street Viewなるものを知っているだろうか?
日本中、いや、世界中の道をドライブしたり歩いたりできる仮想空間である。
自分の住所をこれで検索してみるといい。Google MapからStreet Viewが開ける。
すると見事に自分の家が道からどんなふうに見えるのかがわかる。
つまりあなたがどんな家に住んでいるのか出ているのだ。
駐車場に車があれば、どんな車に乗っているのか?
庭には何が咲いているのか?
もしかしたらあなた自身が愛犬と散歩をしているのが写り込んでいるかも。
いやいや、ほんとプライベートなんてないわけだ。
しかし、これってどうやって撮影されているのか?
まさか衛星からはあなたの家の正面は撮れない。
そう、彼らは車を使って撮影して回っているのである。
ささやかな抵抗
G様がバイトを使って専用車で撮影しているのはわかっている。
インターネットでも公表済みだ。
G様はこんな車を世界中に何台も走らせているのである。
ならば我々の街でも走っているのをみるはずだ。
実際ここ数年で何回か北海道のいろいろなところで見かけてはいる。
そこでG様に対するささやかな抵抗を思いついた。
「G様を逆撮影してやる!」
つまりG様の車を僕が逆撮影し、
その写されている残念な姿をGoogle Street Viewに自ら掲載させ
「G様のプライベートが奪われているところを晒してやる」という
なんの足しにもならない一般市民のささやかな抵抗である。
ということで
それからというもの、車を走らせる時は常に(というか忘れてなければ)
彼らの出現に用心するようになった。
見つけた!
とはいうものの、
G様が走らす撮影車はそんじょそこらに走ってはいない。
しょっちゅう同じところを走るわけがない。
Google Street Viewの撮影日を見ても、
場所によっては数年前の古い画像である。
変化のある都会はともかく、多分人口規模によって撮影頻度が違うのであろう。
それでしばらくしたらG様へのレジスタンス作戦はすっかり忘れてしまっていた。
ところが、ある日。
天災とG様は忘れた頃にやってくる。
この前の7月に伊達市内の国道37号線を走っている撮影車に出くわした。
しかしあっという間であった。
ストリートビューの撮影記録を見ると確かに2022年7月。
あの時確かにG様が通り過ぎた痕跡だ。
この時、G様の撮影車の撮影はできなかった。
またしても僕のプライベートを撮影し、
消えていったのだ。
だが、この8月に出張中の函館でまた出くわしたときは
ついにG様の車を捉えてやったのであった。
(つづく)
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Rietty
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08/01(火) 原体験に導かれて〜好きを極めた永遠の鉄道少年 横山靖樹氏
原体験 「父親に連れられて、今はなき室蘭機関区に蒸気機関車を良く見に行っていました。たしか2歳頃からだったと思います。当時は90%が貨物か客車を引っ張る機関車で、間近で聴く警笛の音に驚き、父の膝の上でビクッと飛び上がった記憶があります。」 そう語り始めたのは室蘭市舟見町ご出身の横山靖樹氏。 今回の主人公です。 数年前に伊達市役所を退職し、今は室蘭で週数日の仕事を請け負っていらっしゃるそう。 全く知らずに取材を申し込んだのですが、実はその世界の専門誌に登場する有名なモデラーとライターさんでもあることが発覚! なんとも恐れ多いことをしてしまいました。 ですが、とても気さくに丁寧に取材に応じてくださった横山靖樹氏でした。 「12歳になると鉄道模型に夢中になりました。二年間で貯めたお年玉1万1千円で初めて買ったのは金属モデル16番セット(日本規格のJゲージともいう)のBタンクと呼ばれるものです。だいたい6時間くらいで作ったかな…。当時はプラモデルがとても流行っていましたが、僕が作る鉄道模型は真鍮でできています。ですから、父からハンダ付けの道具を借りて作りました。今でもその時の模型は電源・レールともに保管してあります。」 わ! いきなり専門用語が出てきました。 Bタンクって何? 鉄道模型ってプラモデルとは違うんだ! 電源ということは動くの? これはお話に付いていけない予感…。 けれども靖樹氏は優しい口調で丁寧に説明してくださいました。 「Bタンクというのは動輪が二軸あることです。16番(Jゲージ)というのは実際の大きさの1:80の大きさと機能を表すものです。特徴としては加工がしやすくキットが豊富で精密にできます。つまり、より本物に近いものができる。精密に作ることができるので、1:80の大きさとパワーで本物っぽく動かすことができるのです。動かない鉄道模型は僕の中では認めていません。」 鉄道模型には強いこだわりがあるようです。 優しさの中に頑固さを見た瞬間でした。 鉄道模型への想いが熱い!! こちらも模型です。 雪煙を上げながら走るこの列車のカラーは国鉄色と呼ばれるオレンジ色です。 市役所現役時代から所属していた鉄道模型クラブの仲間同士の合同運転会などで、 情報交換やアドバイスをもらい技術を上げていったと言います。 なるほど! 文頭の画像は特別なものではなく、大きさは色々でも全て精巧に動くように作られているというわけです。 模型作りにどんどんハマる靖樹氏でしたが、子どもにはとても高価なのでそう簡単に買えるものではありませんでした。 ある日、中学生になった靖樹氏は鷲別機関区へ行きました。 「その頃は緩かったというか、車庫入りしている機関車に乗せてくれたり、警笛を鳴らさせてくれたりして、今でいう『体験』を通したさり気ない教育をしてくれたんです。」 結果、この時の体験は靖樹氏を『撮り鉄』の道へと駆り立てました。 北海道の蒸気機関車を撮りたい! 靖樹少年、ついに『撮り鉄』の旅を始めます。 「中学生の頃は学校の長期休みを使用しながら、日帰りで出掛けていました。カメラはお年玉で買いました。でも、ジュラルミン製のカメラバックと三脚は父が買ってくれました。」 「高校生になり、宿泊しながら撮りに行くようになりました。とは言っても、夜行列車を利用した車中泊です。いままで一度だけ遠軽の旅館に泊まったな。カメラは当時日給が高かった母方の親戚の酒屋のバイトをして一眼レフを手に入れました。室蘭は急な坂が多いでしょう。坂の下で車から荷物を下ろし、上り坂を担いで行くんです。キツかった…。」 「ところで、撮り鉄時代の面白エピソードや、車中泊や駅泊で困った思い出などありましたら教えていだけますか?」 「高校生時代からひとり旅を許されたのですが、予備フィルムやカメラ、列車時刻の確認、移動切符手配など、周到な準備で出かけるようにしていました。厳冬期 -25℃の道東の朝の出来事なんですが、メガネの金属製ヒンジがポロリと折れてしまいました。ツルの一つはかろうじて耳にかかっていましたが、直ぐずれて間抜けな顔に…。カメラファインダーも覗けず難義しました。メガネの予備を持たなかった失敗談です。また、あるお盆近くの日の出来事です。北見方面の長さ600m程の有名な怪談トンネルを訪れたのですが、トンネルの先は絶好の撮影スポットなので是非とも撮りたいと思っていました。信号所の職員さんに蛍光灯を点けてもらい、帰りもお願いしたのですが、帰りの約束の時間になっても蛍光灯は点かず辺りは真っ暗。職員さんは約束を忘れてしまっていたんです。山間はもう真っ暗でしたが、ダイヤを確認し勇気を振り絞りいざトンネルへ。そこで体験したのは超怪奇現象でした…。真っ暗なトンネル内で何度も転び、真っ黒になって信号所に助けを求めたところ、『あっ 忘れていた! また出たの!? 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Rietty
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