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(続)あいつとの32年間の空白を埋めるために(4)

スペインに弟が去る際に、
僕はまた横浜で見送りをしたわけだが、
もしかしたらもう2度と会えないかもなと
覚悟をした。

癌は小康状態を保っていたものの、
いつまた動き出すかわからない。
動き出したら、もう打つ手はないだろう。
ここまでできることは
すべてやってきたのだから。

あいつとしっかりと握手をし、
「元気でな」とだけ言った。
これがこいつの見納めだなと
後ろ姿を見送った。

妙に寂しくなった。

その少し前には
両親が住んでいた横浜のマンションを売却し、
母にはサ高住に入ってもらうための
引越しの準備。
これを二人でやったわけだが、
それは大変だった。

なにしろ15年もひとつのところに住むと
家の中は、物でいっぱいとなる。
歳をとるとどこに置いたかわからなくなるのか
老眼鏡や懐中電灯などくだらないものが
いくつもいくつもでてきて、
とにかく二人で捨てまくった。

二人で両親の物持ちの性格を批評しながら
一緒にしたこの整理作業は
あとでとってもいい思い出になるだろうなと思った。


そしてあいつがいなくなってまた数ヶ月、
時は過ぎていった。

スペインに戻った弟は、
かつてイビサ島で日本食バーをやっていたのだが
そこに戻る気力も体力もなく、
マドリードでアパートを借りて
仕事もせずに静かに過ごしていた。

たまに連絡をしてみると、
病院にも行って、免疫療法などを
試しているとのことだった。

しかし、戻って3ヶ月ほど経った昨年の夏。
緊急入院をしたとの事後報告があった。
かなりやばかったらしいが、
一命は取り留めた。
だが、喉に穴を開けて
管を通したらしい。

結局、退院はできたものの、
QOL(生活の質)はかなり落ち、
肺の状態も良くなかったようで、
いよいよ外出するにも一苦労となった。

それでもあいつは一人暮らしをしながら
アパートの外廊下で日向ぼっこをしては
たまに市場に買い物に行き
マグロなど買ってきては
自分で料理もしていた。

「また奇跡の復活だな」

とLINEでやり取りしながら
あいつをからかうと、

「今回のはやばかった・・・
本当に死ぬかと思った」

なんて言っていた。

そして秋になり、冬になり・・・
僕ら夫婦はローマ・イスタンブールの旅行に合わせて
弟のいるマドリードに立ち寄ることにしたのだ。

(つづく)


弟のアパートの部屋の中からマドリードにて

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豊浦町でワンコたちと暮らし、たまに海で遊ぶ日常をつづります。

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