
心の伊達市民 第一号
神社の「お祭り」と言えば、普通は「夏祭り」だろう。
ところが中央区の鉄砲稲荷洲神社では、ゴールデンウィークの真っ最中にお祭りが行われる。コロナ禍の時はお祭りは大声を出すし密着するので、どこでも自粛されていた。
鉄砲稲荷洲神社は3年ごとに「本祭」が行なわれるが、3年前の前回は自粛した。
そして今年は6年ぶりの「本祭」となった。この神社の歴史は古く、1184年もの歴史があるそうだ。
4月末に歌舞伎座の近くの「三原橋」で、神輿が5艘展示されているのを見た。
これは四乃部連合町会の初めての試みだそうで、祭を盛り上げるために飾ったそうだ。
そこで5月3日に宮神輿の渡御があるので、午前10時に鉄砲洲稲荷神社に行ってみた。
すると隣の鉄砲洲児童公園に、大勢の氏子たちが各町内の色々な法被を着て集まっていた。中央には大きな宮神輿が置いてあった。
御輿はたった1艘の宮神輿だけであり、「変だなー」と思いネットで調べてみたら、「各町内の神輿の渡御は翌日(4日)に行われる」と分かった。
10時に渡御が始まる予定がネットに上がっていたが、なかなか出発しない。
法被姿の男達は思い思いに、町内会毎に神輿の前で記念写真などを撮っている。
11時近くになり、やっと動きが出た。
お囃子の台車に続き、神輿が続く。やっとお祭り気分になって来た。
しかし住吉神社や富岡八幡宮のような派手な掛け声も無く、水も掛けない。
割合に静かな掛け声で、お囃子に続き神輿は狭い路地を進んで行く。
進んで行く内に少し担ぎ手も声が大きくなって来たが、掛け声がなんと言っているのか分からない。大人しいのは担ぎ手にサラリーマンが増えたのが、その一因かもしれない。
掛け声は「わっしょい」と言っているらしい。
この語源は「和し、背負え」から来ているらしい。ところどころにある町内の詰所の前では、神輿を上下に揺らして挨拶代わりのようだ。
私は家を出る前に、神輿の巡行のコースを調べてプリントして持参した。
しかし神輿は最初からコースが違うし、出発時間も違う。
路地の角に設置されたカーブミラーに映る神輿の絵が面白そうなので、先回りして撮影ポイントを探して待った。計画通りに神輿はカーブミラーに入って来た。
その後は神輿の後を付いて歩くのも疲れるので、一行から離れて銀座の方で待つことにした。
神輿の一行は歌舞伎座には、予定表より少し早めにやって来た。
道路の反対側から撮影しようと考えて、場所を確保した。
これは良かったのだが、晴海通りは通行量が多いので、なかなか車が途切れない。
10数枚の写真を撮ったが、車の入らない写真は1枚だけだった。
もし歌舞伎座側にいたら、神輿の関係者と観衆にもみくしゃにされて、撮影どころではなかったと思う。
(おまけの話)
この日は最高気温が24.2度だったようだが、快晴の中を歩き回ったせいか、もっと暑く感じた。新橋演舞場の横の日陰に腰掛けて、神輿の一行を待つことにした。
時間があるのでスマホをチェックしていて、目を上げたら「鳳輦」の一行が通り過ぎて行った。この行列は静々と進むので、スマホを見ていた私は気が付かなかったのである。
私は慌てて「鳳輦」の後を追ったら、新橋演舞場の後ろにある「築地川采女橋公園」で止まった。そこには詰め所が用意されていて、どうやらここでなにかやるらしい。
「鳳輦」とか、「采女」とは難しい漢字で、私は読めなかった。
帰ってから調べたら、「鳳輦」は「ほうれん」で、「采女」は「うねめ」と読むと分った。これが読めた人は、「漢字選手権」に出られるだろう。
「築地川采女橋公園」では、神主が鳳輦を前にお祓いをしているのが見えた。
外国人観光客が何人もいて、スマホで動画を撮影していた。
私が用意して来た巡行図を見ても、神輿と蓬莱のコースが分かれて書かれていない。
家に帰ってから調べたら、私の持参したコース図は昨年のもので、今年のコースは発表していなかった。この後に鳳輦も神輿も出発点の鉄砲洲稲荷神社に戻るのだろうと思い、私の取材撮影はここで終りにしたのである。
北海道伊達市に2003年夏より毎年季節移住に来ていた東京出身のH氏。夏の間の3ヵ月間をトーヤレイクヒルG.C.のコテージに滞在していたが、ゴルフ場の閉鎖で滞在先を失う。それ以降は行く先が無く、都心で徘徊の毎日。
詳しくはこちらハッシュタグ
月別アーカイブ
「むしゃなび」はこちらの皆様に支援して頂いています
人気の記事
-
04/08(月) SAKURA HUNTER(2)・・・六義園と上野公園
-
04/18(木) 写真で見る東京(32)・・・浜離宮の御衣黄

イベント
「楽しむ」カテゴリーのおすすめ記事
-
2024/10/11(金) KITAUNGADISTRICT「第3倉庫と次の100年へ」出店のお知らせ
-
2024/12/22(日) デッサン会も無事に終了~
楽しむに関する
特集記事
-
12/28(水) 影の主役を選んだ人 『dj_hatass=畑吉晃』にプロ魂を見た
12月28日はディスクジョッキー(DJ)の日 皆様、12月28日は「ディスクジョッキー(DJ)の日」だということをご存知でしょうか? ラジオでのDJ活動の第一人者であり、ラジオ人気長寿番組「オールナイトニッポン」の最初のパーソナリティである糸居五郎さんの命日にちなみ、日本では12月28日は「ディスクジョッキーの日」として制定されています。 日本でDJという言葉がメジャーになったのは、ラジオでMC+曲をかけるというスタイルからだと言われています。 ということで、今回の主人公はDJ歴30年、MC無しの音だけでフロアを盛り上げてきた『dj_hatass』こと畑吉晃さんです。 畑さんは1969年生まれの53歳。 DJの世界との出会いは20歳くらいの頃だそうです。 年代的にはちょうどディスコブーム後半の頃になります。 黒服の人に誘われてこの世界に 畑さんの将来を決定づける出会いでした。 その中には、今でも一緒に活動をしている先輩DJの中居さんや、室蘭唯一のクラブ『Red Hill』の竹内さんもいました。 そしてもう一つ、衝撃的な出会いとなった音楽が “ハウスミュージック”と"テクノミュージック"。 それは、これまでに感じたことのないほどの興奮と感動を与えてくれたと言います。 ところで〜 そもそもDJって?と調べてみました。 DJの歴史 第二次世界大戦中から脈々と水面下で培われていた「曲をかけて踊る」という文化。 1960年、ニューヨークにLe ClubというナイトクラブがオープンしたところからDJ文化の原型が誕生していきました。 ただその頃は、曲を繋げるのではなく、1曲が終わったら次の曲をかけるというスタイルでした。 そして1969年、アメリカのニューヨークで、2台のレコードプレーヤーを使って途切れることなく曲を流すというスタイルが生み出されます。 そして1970年代、世間ではディスコが大流行しました。 また、1980年代後半から1990年台にかけてアメリカやヨーロッパなどでレコードプレイヤーを使って音楽を提供するディスコやダンスホール(以後クラブ)が人気となりました。 その空間で選曲し、切れ目のない音楽でフロアを盛り上げていたプレイヤーがいつしかDJと呼ばれる様になります。 そしてDJの演奏スキルやテクニックの向上とともに、DJが使用するレコードプレイヤー、ミキサーなどが進化していくのでした。 現在のDJスタイルとしては、アナログDJ・CDJ・PCDJなどが一般的だそうです。 ・ アナログ(レコード)DJとは、昔からの定番スタイルで、曲の繋ぎを考えながらレコード選びをし、音の厚みで勝負するスタイルです。 ・ CDJとは、多くを持ち運べないというレコードのデメリットをCDの普及により解消し、PCやCDレコーダー、メモリースティックなどの駆使によって音源の呼び出しも容易にプレイが出来るスタイルです。 ・ PCDJとは、より効率的であることを優先した先に生まれた技術です。持ち運びの出来る楽曲量の多さと、音源入手の手軽さにより、現在は主流のスタイルになっています。 「持ち運び」の利便性がKeyで進化していったスタイルの違いですが、結果、利便性だけではないメリットとデメリットが生じたようです。 音楽のジャンルによっては、アナログに勝るスタイルはなかったり、PCDJをやるにはPCや機材の知識が必要になったりとそれぞれに高度な知識とスキルを必要とされます。 怠らぬキャリア積み上げ このような歴史を持つDJですが、畑さんはこれらどのタイプでも対応できる実力をお持ちです。 素敵! フロアに出ていなくても勉強を続けるとは、まさにプロ魂です。 この時は室蘭のチーム対苫小牧のチーム。 お隣にいらっしゃるのが先輩DJの中居さんです。 チームの入場曲や得点が決まった時の『ゴールホーン』も畑さんたち、DJチームのオリジナルMIXだそうです。 その甲斐もあり、この日は見事に勝利! 「ところで、他にはどんなところでDJをされているのですか?」 楽しそうに話す畑さんでしたが、少し神妙な面持ちにも…。 ブログの最後に畑さんのSNSアカウントを掲載しています。 「DJに関するご相談はそちらからどうぞお気軽に!」とのことです♪ 意外な本業とは さてところで。 実は畑さんの本業は、ジオパーク推進協議会の職員さんです。 そして、筆者もとてもお世話になっている『洞爺湖有珠火山マイスター制度』の担当者でもあります。 とても優しく、みんなに頼られる兄貴的存在です。 そして事務所にいらっしゃる時の畑さんはDJとは全く別のお顔です。 なんと! それは意外! 畑さんが言うには、火山マイスターの皆さんが一生懸命に勉強したり、講師活動をしたりしている姿にとても感動して触発されたのだそう。 そうか…。 共通項はそこなんだ! 正直に書けば、取材をさせていただく前、事務所にいらっしゃる畑さんとDJをされている畑さんは全くの別人だと思っていました。 どちらかが裏で、どちららかが表。 でも、裏も表もどちらも素敵だなあと。 ところが違いました。 畑さんはどちらも表でした。 舞台に立つ人たちを裏方で盛り上げることに喜びを感じる人だったのです。 なるほど…。 確かに思い当たります。 畑さんは本当に話すのが苦手でいらっしゃいます。 何かを発表される時、「原稿なしでは話せません」と恥ずかしそうにします。 そして超棒読み…^^; ところが、一旦機材の前に立つと活き活きとした表情で、機材を自由自在に操り、音で意気揚々と皆様に語りかけ、フロアを盛り上げていきます。 ジオパーク推進協議会の職員さんのときとのギャップがスゴい! 人生の終わりまで『影の主役』を 「ところで、畑さんにとってのDJの魅力ってどんなところでしょうか?」 『影の主役』に喜びを感じるところ。 言い換えると、決して出しゃばらず表現して、場を支え盛り上げるところ。 とても畑さんらしいなあと思います。 「それでは最後に。” dj_hatass “として、将来どうありたいと考えていますか?」 ” dj_hatass =畑 吉晃 ”は、人生の終わりまで『影の主役』を望み、大好きな曲で送って欲しいと願う、DJのプロでした。 ディスコ全盛期を生きながら一度もディスコのドアを開いたことがない筆者ですが、人生初のディスコは” dj_hatass “に踊らせていただこうと思います。 [Instagram] https://instagram.com/dj_hatass?igshid=YmMyMTA2M2Y= [Facebook] https://www.facebook.com/profile.php?id=100005068364809
Rietty
0
Shinji