
心の伊達市民 第一号
武漢ウィルス(76)・・・・5つの(小)
東京都の新型コロナウィルス感染者が、11月18日に493人と一挙に増えた。
それが19日に532人、20日に522人、21日に539人と500人台と連続して過去最高を記録し続けている。
(その後、少し人数は減っている)
それに驚いた小池都知事は19日に、会食時の感染予防策の新しい標語を発表した。
それは「5つの(小)」である。

「5つの(小)」は、「少人数」、「小一時間」、「小声で」、「小皿に分けて」、そして「小まめに」(マスク、手洗い、消毒、換気)である。
英語の標語が好きな小池都知事だが、「5つの(小)」ばかりは英語では無理だ。
以前には「東京アラート」で都庁とレインボーブリッジを赤く染めたが、いまはもう止めた。次に「With コロナ」なんて言っていたが、あれはどうなったのだろうか?

最近はまた新型コロナウィルスに関するニュースが、大きく報道されている。
【政府の新型コロナウィルス感染症対策分科会は20日、感染が急速に拡大している地域では当面3週間、飲食店の営業時間を短縮するほか、「Go To キャンペーン」の運用を見直すよう政府や都道府県に求める提言をまとめた】。
その一方で、分科会は「Go to キャンペーンが原因となって感染が拡大しているエビデンスは無い」とも言っている。私は専門家の言うことが良く分からない。

政府も驚き、21日に菅総理大臣が「Go to キャンペーン」の見直しを発表したが、その後、札幌と大阪がキャンペーンから除外された。
12月1日に小池都知事が菅総理大臣にねじ込み、その日の内に政府は『東京発着の65歳以上の人、基礎疾患のある人の「Go to travel」の利用を自粛』するように要請した。
私は思う。「Go to travel と感染者増加の関係の、具体的なエビデンスを示してくれ!」

東京都の新規感染者数が増えていることは間違いないが、数字は少し違うと思う。
その理由は「感染者数に他県からのPCR検査委託数を含んでいる」からだ。
地方都市では個人的な有料のPCR検査が出来ないところが多く、その為に検査希望者は東京の検査機関に検体を送っている。そこで「陽性」と判断されると、東京都の感染者数に数えられているそうだ。
私としては、これは除外して欲しい。

最近の発表では「年齢別」の感染者数も分かるようになった。
私は更に知りたいのが、男女別と国籍別の人数である。
テレビなどで見る限り、なんとなくサラリーマンが多いように感じる報道である。
しかし私の少ない経験からは、東京都は昼食時の女性が問題のように感じている。
特に中年以上のグループが、マスクもしないで大声で話しているのを見掛ける。

またクラスターの発生している場所には、外国人出稼ぎ労働者の多い町がある。
外国人出稼ぎ労働者は仕事の関係で、どうしても同じ町に住むようになる。
アパートの1室に大勢で、しかも入れ替わり立ち代り住む。だからどうしても集団感染が起きやすい。
そのような理由で、外国籍の人数も発表して欲しい。これは差別ではないと思う。

(おまけの話)
以下はネットで見た記事からであるが、かなり納得出来る。
コロナ禍の実態は感染者数でなく死者数で見るべきだろう。9月28日時点で1544人。
フランス、スペイン、イタリアの3万人台、英国の4万人台に比べ桁数が違うほど少ない。
国内の他の死因と比べてみる。2019年の交通事故死は3715人、自宅浴槽での溺死は5166人に上る。
コロナ死よりはるかに多い。だが、交通事故を防ぐために「車に乗らないように」とは言われない。
浴槽は危険だから「入浴は止めましょう」という行政からの要請はない。

身体に関わる死因ではどうか。インフルエンザによる死者は3517人。インフルエンザが元で他の死因に算定される人は1万人前後と言われる。
また、高齢者に多い誤嚥性肺炎の死者は、なんと年間4万335人だった。
では、誤嚥をなくすため「食事は口から食べないように胃瘻に切り替えましょう」という要請が大勢だとは思えない。どう見てもバランスを欠く。
社会のインフラを止め、文化を沈黙させ日常生活を壊すほどのことなのか疑問を感じてしまう。

次に亡くなるのはどの世代か。8月26日時点で把握できた死者1184人の年齢別内訳を厚労省が公表している。80歳以上の死者が684人で、70歳代の死者312人を合わせた70歳以上の比率は84.1%となり大半を占める。一方、2019年に亡くなった日本人は138万1098人。
その年齢別をみると、70歳以上は85.0%である。コロナによる死者と1ポイント弱しか違わない。
加齢によって免疫力が弱まっていく高齢者が亡くなるのは、自然の摂理だろう。極めてまっとうな出来事。
コロナ対策を特別視することがいかに奇妙なことかが分かる。

北海道伊達市に2003年夏より毎年季節移住に来ていた東京出身のH氏。夏の間の3ヵ月間をトーヤレイクヒルG.C.のコテージに滞在していたが、ゴルフ場の閉鎖で滞在先を失う。それ以降は行く先が無く、都心で徘徊の毎日。
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Rietty
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釣って、焼いて、食べられる!新たな「すいしゃ」 <今シーズンの営業は終了しました> ~春・夏もイベント開催予定、続報を待ちましょう~ 2022年春に惜しまれながらも閉店した、豊浦町のカフェ兼地場産物販売加工施設「すいしゃ」が、この冬リニューアルオープン!ホタテの直売、さらにホタテ釣り体験やホタテの噴火焼きが楽しめるお店となり、話題を呼んでいます。 すいしゃ店長 ”のむちゃん” こと、噴火湾とようら観光協会の野村さんにお話を伺いました。 豊浦町で開催されている ”世界” 大会 店内に入ってみると、「♪ ホタテホタテホタテ~♪」頭から離れなくなるBGMが聞こえてきます。豊浦町民にはおなじみ、「TOYOURA世界ホタテ釣り選手権大会」テーマソングです。新すいしゃのメインコンテンツは、「ホタテの釣り堀」なんです。 「TOYOURA世界ホタテ釣り選手権大会」とは、毎年3月に開催されている豊浦町の一大イベント。豊浦町の基幹産業である水産業の中でも一番の水揚高を誇るのがホタテ。このホタテを活用し、公式ルールを設定して競技化、”世界”大会として開催しています。 ホタテ釣りのルールは簡単。水槽の中の口の開いたホタテに、釣り糸を垂らして専用仕掛けを入れ、口が閉じた瞬間に釣り上げます。1ラウンド3分間で、釣った枚数が多い方が勝利。 その人気は簡単には本選に出場できないほどで、まさに選手権大会!64名の本戦出場枠を目指して、全国各地から挑戦者が集まり、予選から白熱します。 すいしゃでは、このホタテ釣りを誰でも気軽に体験できるんです!「ホタテの釣り堀」は、なんと3分1,000円で釣り放題!さらに万が一釣れなくても”3枚保証”付きなので安心です。 取材に伺った日は、小学生やもっと小さい子もチャレンジしていました。大人もやり始めると段々熱が入り大盛り上がり。北海道を車で旅しているという長野県からのお客様もいらっしゃり、スタッフかのようにノリノリで撮影に応じてくださいました。ありがとうございました! ”活きが良いホタテ” の秘密 「実は、『ホタテ釣り』に使うホタテは、どのホタテでも良いわけではないんです」 「ホタテ釣り」は仕掛けに食いついてもらわなければ釣れないため、ホタテの”活きの良さ”が重要。なるべくホタテにストレス・ダメージを与えず、弱らせずに出荷することが求められます。そのため、付着物を手作業で落とし、さらに特別な機械で優しく汚れを落としているという、北海スキャロップさんのホタテのみ使用しているそうです。釣り堀の中には、海水を循環装置でろ過し酸素を送るポンプも設置され、ホタテの鮮度は抜群です。 ホタテの一番美味しい食べ方?!新名物「噴火焼き」 「『噴火焼き』は、伊達の石材屋さんで特注した 溶岩プレート を使っています!」 有珠山周辺で採掘した天然の溶岩で作られた石のプレートの上にホタテを並べ、金物のバケツ缶をかぶせてセット。数分すると、缶の上部から蒸気がもくもく!これが新名物「噴火焼き」です。「蒸気が出る穴は自分で開けていて、噴火っぽくなるように、穴の大きさ、個数、位置など何度も試しました」 点火してから約10分、店員さんが缶を開けに来てくれます。オープンの瞬間は蒸気がぶわ~っと。 生と焼きの間のようになる、ちょうど良い加減の蒸し焼き。溶岩プレートの遠赤外線効果でふっくらジューシーに仕上がります。あらゆるホタテを食べてきた地元民たちも唸る美味しさ。そのままでも十分濃厚な味わいですが、醤油やトッピング(別売)のバターもあり、その相性は言うまでもありません!現在すいしゃのメニューはこちらのホタテのみなのですが、とても大ぶりなので、ホタテだけでも満足度が高いと評判です。 もちろん、ホタテ釣りをせずに「ホタテを食べるだけ」や「ホタテを持ち帰り」も可能です。ホタテの発送も受け付けています。また、店内にはホタテの加工品がずらり。ちょっとしたギフトに良いですね。 3月いっぱいで「すいしゃ」は一度クローズとなりますが、豊浦町はホタテの次はいちごの季節。春・夏も「すいしゃ」でのイベントを企画中とのこと。続報を待ちましょう! まずは残り三日の営業日、ホタテを存分に味わいに、足を運んでみてくださいね。楽しい店長に会えますよ~! すいしゃ【期間限定オープン!】 ホタテ釣りを楽しんで新鮮なホタテをその場で焼いて食べよう! 【2025年残りの営業日】 ●3月22日(土) ●3月26日(水) ●3月29日(土) 11:00~15:00(ラストオーダー14:00) https://toyoura-feel.com/stay/suisya/ ちなみに…… 店内の白い壁は漆喰塗り、この漆喰は豊浦町の”ホタテ漆喰”なんです!ホタテの殻を再利用した漆喰は、調湿・空気清浄など様々な効果などがあると言われています。ご来店の際は美しい”壁”にもご注目ください!
misaki
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☆洞爺湖からの極上ラグジュアリーを届けたい 〜LUX Hokkaido Advisor代表 佐藤 徹氏の人生第二ステージ物語
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Rietty
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