心の伊達市民 第一号

手紙とメール 

少し前だが、友人(Hさん)から手紙をもらった。その友人は時々、私に手紙を送って来る。
字は達筆である。本人は下手と言っているが、私から見れば達筆である。
もっとも私より字が下手な人はあまりいないのであるが・・・。


私は「字が上手になりたい」と以前から思っている。
なぜなら「字が上手だと、教養のある人」のように思われるから羨ましいのである。




Hさんから届いた達筆の手紙

 

Hさんは以前は、パソコンでメールを送ってくれていた。
また私の書く「むしゃなび」に必ず毎日、コメントを送って来ていた。
それがある日からパッタリと来なくなったので心配して、こちらから電話をしてみた。


すると『パソコンの具合が悪く、メール機能が使えない。ブログは読めている』と言った。
そこでブログのコメント欄に記入する方法を教えたら、今度はそこに毎日、コメントを書いてくれるようになった。




JRのガード下に今も残る昔の映画ポスター

 

郵便に関わる英語を調べてみた。
「郵便」は「Post」であり、「郵便局」は「Post office」である。
でも「郵便ポスト」は「Post post」ではなく「Mailbox」である。


「手紙」は「Mail」である。「切手」は「Stamp」だが、「判子」も「Stamp」で紛らわしい。
「速達」は「Express」、「書留」は「Registered mail」である。
「e-mail」は「electronic mail」の略である。
下らない話だが、「手紙」は中国語では「トイレットペーパー」のことである。




 

かなり昔のことだが、仕事でアメリカに赴任したEさんと手紙でやり取りしていたことがある。ある時、彼から『アメリカにはe-mailという便利なものが出来た。
仕事でも使うようになったが、日本にも出来ると便利だよ』と手紙が届いた。


いまになって考えると、「e-mailを手紙で知らせる」という冗談のような話だった。
その彼は日本に「e-mail」が普及する前に病に倒れてしまい、e-mailで連絡を取れるようになる前に永遠のお別れになってしまった。




懐かしい牛乳箱(ここに毎朝、牛乳が配達された)

 

私に届く手紙のほぼ全てが広告宣伝か、税金関係、年金関係、請求書関係、保険関係で、個人から個人への手紙は全く無いのが寂しい。


北海道伊達市の市役所から封書が届いた。これは「心の伊達市民」に対する連絡事項か、1年に1回の請求書である。今回は特産品と情報誌に付いてのアンケートのお願いだった。
私はこれに答えて、それをスキャンしてメールで伊達市役所の送った。




中央区に今も残る戦前の建物

 

ところがとんでもない間違いをしてしまった。
アドレス帳から選んだのは「伊達市の友人グループ」だった。
1つ上にあるアドレスを間違えてクリックしたのに気が付かず、そのまま「送信」を押してしまった。


だから伊達市の多くの友人達に、私のアンケートの答えが届いてしまったのである。
この時ばかりは自分でも「ボケたなー」と思った。そしてすぐにお詫びのメールを送信したのである。手紙で送り返せば、こんな間違いは起きなかったのである。




「緑青」がいい感じを出している。

 

手紙を書かない私だが、1年に1回だけ手紙を書いている。
その時期は必ず1月で、年賀状に対する返事である。
送り先は私の現役の時の社員で、彼はいまは社長をしている。


年賀状にいつも近況と私に対する感謝の言葉が書いてある。
感謝すべきは私の方なので、手書きではないがパソコンでA4に2枚ほどの文章を書いて、サインだけは自筆で送っている。この時には「手紙はいいなー」と思う。




いまも人が住んでいるらしい。

 

(おまけの話)
22歳の時にNY世界博覧会の日本館の従業員として、アメリカにいた。
その時はまだ「e-mail」なんて陰も形も無い時代だった。
なにしろその時に日本で一番高いビルが、東京駅前の丸ビルの10階だったのだから。


ニューヨークでの経験が珍しく、私はせっせと実家に手紙を書いた。
私の人生で、一番多くの手紙を書いた時だった。




「アメリカ本土を爆撃した男」★★★

 

たまにオヤジから返事が来たが、私の知らせるアメリカの事情が理解不能のようだった。
いまでは当たり前になっている、「ファミリーレストラン」、「ガードマン」、全国を巡らす無料の高速道路などを知らせた。


その数年後に日本でも「すかいらーく」や「日本警備保障」などの会社が出来た。
私の送った情報を理解できるオヤジだったなら、いち早く先端の商売を始められたのにと残念だった。




「本日は、お日柄もよく」★★

 

「ファッション」という言葉も日本には無く、「服飾」と言っていた。
「レジャー」などはもっと無く、代わりの言葉も無かった。
当時は「人種差別」も残っていて、黄色人種の日本人は白人と黒人の間の存在だったように思う。


私がニューヨークからせっせと送った手紙は母が保管しておいてくれたが、それもいつの間にか紛失してしまった。青春時代がいっぱい詰まった手紙だったので、とても残念に思っている。




「エンデュアランス号の大漂流」★★

 

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北海道伊達市に2003年夏より毎年季節移住に来ていた東京出身のH氏。夏の間の3ヵ月間をトーヤレイクヒルG.C.のコテージに滞在していたが、ゴルフ場の閉鎖で滞在先を失う。それ以降は行く先が無く、都心で徘徊の毎日。

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