ブログ閉鎖中の話題(2018年8月5日)


8月3日に阿佐ヶ谷の七夕祭りの写真を撮りに行った。
なぜかと言うと、阿佐ヶ谷には中学・高校時代に一緒の学校に通ったEさんが住んでいることを思い出したからである。Eさんの家は元は駅前のケーキ屋さんで、彼は大学を卒業後にケーキ職人になった。
私は彼の作るエクレアに「モカ味を作れよ!」とアドバイスしたら、このモカエクレアが大ヒットした。




JR阿佐ヶ谷駅南口を出ると・・・・。

 

ここへ越して来てから、なんとなくEさんと疎遠になっていたので、七夕祭りの機会に彼に会おうと思った。携帯に電話をしたが、以前の電話番号が使われていない。PCにメールを出したが、返信が無い。
もう連絡の方法が無くなった。


そこで氏名を頼りにネットで住所を調べ、その住所を頼りにグーグル・ストリートビューで見たら、家が新しくなっていた。もうそこに住んでいないのかもしれない。




パール商店街というあか抜けない名前のアーケード商店街入り口。

 

次にネットで分かった住所で電話番号を調べたら、家庭の番号が分かったので電話をしてみた。
ところが、「現在、この電話は使われていません」とアナウンスが流れた。
次に同級生のゴルフ会の事務局の女性にメールで問い合わせたが、「分からない」という返事があった。
こうなったら、七夕祭りに行って、Eさんの家を訪ねるしかないと思った。




「数年前までの方が、もっとお金を掛けて派手だった」というEさんの話。

 

ところが急に事態が動いた。
なんと当のEさんから電話があったのである。「俺が誰だか分かる?」と言うが、私は分からない。
しばらく話をして、やっと分かった。


思い掛けないことが起きたので、動揺していたからだろうと思う。
Eさんは私が送信したメールを読んだのだそうだ。
彼はPCを開いても誰からもメールが来ていないので、1ヵ月に1度しかメールを開かないのだそうだ。




豚がぶら下がる。

 

Eさんと待ち合わせをしたので、久しぶりにJR阿佐ヶ谷駅で降りた。
そこにEさんが私を待っていた。7年ぶりなのだが、Eさんも町も変わっていないことに驚いた。
中央線の快速電車も停まらない駅なので、町は段々と寂れて来ている感じがある。
早速、南口の「パールセンター商店街」と「すずらん通り商店街」が七夕飾りのある場所に行く。




「おそ松くん」と「ドラえもん」

 

商店街の名前からして少しレトロで、「流行から取り残された商店街」のように感じる。
それでも、七夕飾りはけっこう見事だった。
Eさんの店があった北口商店街はなにもイベントも無く、今では全く寂れている。
彼はこの地で父親の代からケーキとカステラを作って売っていたが、「この地での商売は難しい」とシミジミと言っていた。




「たい焼き」もぶら下がる。

 

Eさんは今は悠々自適の老後生活で、月の半分は宇佐美にある別荘で過ごしている。
私も中学時代はよくEさんの家族と一緒に海に近い宇佐美の別荘に行ったが、その時に売り物にならないカステラの耳がおやつに出て来た。それが美味しくて、今でも思い出す。


誰でも思い出には、なぜか食べ物が登場する。それにしても、仕事を辞めてストレスが無くなったせいか、Eさんは若く見える。50代と言っても通るほど、髪の毛も真っ黒だった。




「アンパンマン」もぶら下がる。

 

(おまけの話)
同じく3日の夜に築地本願寺の盆踊りの様子を見に行った。
私はこの寺の檀家なので、威張って行ける。でも、今までに一度も盆踊りで踊ったことは無い。
大学生の時に社交ダンスが流行ったが、私は恥ずかしがり屋なので女性と密着して踊るなんて出来なかった。幸いに結婚した女房もダンスが好きではなかったので、私は恥をかかず助かった。




築地本願寺に行くと、大勢の人が来ていた。

 

阿佐ヶ谷に七夕の撮影に行き、夕食を自宅で食べた後に築地本願寺に行ってみた。
盆踊りは午後7時から始まる。一日から始まった盆踊りは3日目で、この日が最終日だった。
本堂右手の駐車場に櫓が組まれて、浴衣姿の女性が踊っている。
もちろん流れる曲は「東京音頭」である。




本堂右側の駐車場に櫓が組まれて、大勢の人が踊っている。

 

「ハア踊り踊るなーら チョイト東京音頭 ヨイヨイ」で始まるやつだ。
「花の都の 花の都の真ん中で サテ ヤットナ ソレ ヨイヨイヨイ」と続く。
自分じゃ踊ったことも無いのに、なぜかこの歌詞を覚えている。
どうでも良いことを覚えていて、覚えておかなければならないことを忘れる最近の私である。




老いも若きも「東京音頭」を踊る。


伊達季節移住のススメ 心の伊達市民 第一号

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北海道伊達市に2003年夏より毎年季節移住に来ていた東京出身のH氏。夏の間の3ヵ月間をトーヤレイクヒルG.C.のコテージに滞在していたが、ゴルフ場の閉鎖で滞在先を失う。それ以降は行く先が無く、都心で徘徊の毎日。

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