
心の伊達市民 第一号
終活と平均寿命
ブログ閉鎖中の話題(2017年9月8日)
ネツトを検索していたら、右端に「ENDEX2017」という広告バナーが出ていた。
これは多分、「ENDING EXPO 2017 」の略だと思った。
どうして私がENDINGに興味を持っていることが分かったのだろう?
インタ―ネットの広告というのは、誰にでも同じ広告が届くのではない。
その人が必要としているだろうと思われる広告が、自動的に配信される仕掛けになっている。

「エンディング産業展2017 」の会場入り口。
これを考え出した人は凄いと思う。
要するに、これは人生最後の重大イベントに関係している見本市である。・・・らしい。
見本市会場が東京ビックサイトなので、我が家から近い。
なんでも興味がある私は、そこで見本市の無料入場券を入手する為に「事前登録」をした。
そして都バスに乗って、会場のビッグサイトに向かったのである。

霊柩車の後部。霊柩車は儲かるのか、メーカーが4社も出ていた。
までに色々な見本市を見たことがあるし自社で見本市に出展もしていたが、 このような見本市の見学をするのは私は生まれて初めてである。
会場に入って驚いた。大変な盛況で、他の見本市との違いば坊さんがウロウロしていることくらいである。坊さんはこの見本市に何を見に来ているのだろうか?

職人が石像を彫る実演をしていた。
なにしろエンディングなのだから、みんな口も開かず静かに見て廻るのかと思ったら、これが大違いで売り込みも激しく、すぐにカタログを持ち切れないほども渡される。
私は知り合いの葬儀社の社長夫妻と一緒にヨーロッパ旅行に行ったことがあるが、私の思っていた人とは大違いだった。彼は仕事で常に厳粛に振る舞っているせいか、旅行に行った時は羽目を外して滅茶滅茶明るかった。葬儀関係者はネアカなのかもしれない。

「立派な墓ほど無縁仏になる」と友人の葬儀屋が言っていた。
2008年に公開された日本映画に「おくりびと」というのがあった。
俳優の本木雅弘が主役の納棺師を好演したので、よく覚えている。
会場に「納棺師コンテスト2017」とお知らせが出ていたので、「何でも見てやろう」の私は「おくりびと」を思い出してコンテスト会場に入ったのである。そこでは4人の女性が納棺師の技能を競っていた。

納棺師コンテストは4人で争われた。死人役はアルバイトかな?
死人役が浴衣で寝かされていて、納棺師が美しく、優雅に着替えさせるのを競う。
決して死人の素肌や下着を見せないようにして、片側から着替えをさせる。
寝かせたままで靴下を履かせ、ワイシャツを着せてネクタイを結ぶ、そして背広を着せる。
それをたった15分で行うのであるから、見事な技である。
棺桶のコーナーに行ったら、「試しに寝てみますか?」と係員に言われたが、「寝たままになる」のが怖くて断った。

どうせ燃やしてしまう棺桶なのに、もの凄く豪華なものもある。
会場では目新しい企画も多くある。
ロボットのペッパーに読経と説法をさせたり、ペットの葬儀関係も多いし、遂には宇宙葬なんて謳って「お骨をバルーンで成層圏に送って、そこで宇宙にばら撒く」そうだが、そこまでやっていいのだろうか?
それにしても、徘徊ジジイの私の興味は遂に極まった。
残るは「あの世の体験」か、「臨死体験」だけとなった。

ロボットの坊さんの読経と説話。(ここだけはTV取材が多かった)
(おまけの話)
平均寿命というものには誤解がある。私も勘違いしていたのだから・・・・。
例えば「2017年の平均寿命」というのは「2017年に生まれた人が何歳まで生きるか?」ということを示しているだけで、「私が何歳まで生きるか?」また「あと何年生きるか?」ということではない。

私の父は56歳で亡くなった。母は86歳で亡くなった。
父は還暦を迎えられなかった。母は喜寿、傘寿はクリアし、あと少しで米寿だった。
私は還暦はとうの昔に過ぎ、古稀も過ぎ、あと2年先の喜寿に向かっている。自分でも怖い。
私の60歳の時は現役だったので、還暦など祝わなかった。

織田信長が活躍した時代は「古墳時代」に属する平安時代(784年~1184年)
昔は還暦を迎える人が滅多にいなかったので、還暦を祝ったのである。今は60歳はまだ現役の人が殆どなので、還暦は祝わない人が多い。・・・と思う。
赤い「ちゃんちゃんこ」を着せられて、大黒頭巾を被らされて、これを恥ずかしいと思わない人は相当の強心臓の持主だろう。でも還暦を迎える人が少なかった時代の方が、なにかと良かったのではないかと思っている。

日本人の平均寿命の推移。
北海道伊達市に2003年夏より毎年季節移住に来ていた東京出身のH氏。夏の間の3ヵ月間をトーヤレイクヒルG.C.のコテージに滞在していたが、ゴルフ場の閉鎖で滞在先を失う。それ以降は行く先が無く、都心で徘徊の毎日。
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【あの人に会いに】真摯に向き合う [ 本田 梢さん / 洞爺 ]
むしゃなびエリア(胆振地区・虻田郡)にて 会いに行ってみてほしい ”人” にフォーカスする企画 【あの人に会いに】vol.7 今回は、洞爺に7月18日にオープンした 『いわきち料理店』店主の 本田 梢(こずえ) さんです。 『好き』では進めなかった料理の道 「子どもの頃、家族の誕生日や母の日には早起きして、料理を作ってサプライズしていました。それが原点」 「あと、食べるのが大好きでした。3歳の時にはラーメン一人前食べてたくらい(笑)」 子どもの頃から食べること、そして誰かのために料理を作って喜んでもらえることが大好きだった梢さん。高校卒業後は調理の専門学校へ進学することを決めていました。しかし、受験を目前に控えたある日、飽食問題や世界の食の不均衡について考えるようになり、自分の進路にも疑問を持ちました。 「中学生の時に、狂牛病が流行って多くの牛が殺処分されました。人間中心にまわる世界に疑問を抱くようになり、食べ物の背景について考えるようになりました」 「日本では食べ物を沢山捨ててしまっていて、でも他の国には食べ物が無いらしい……そんなジレンマに気付いて。料理をやっている人はもう沢山いるし、私はやらなくても良いのかなとか、悩んでしまって」 料理の道に進めないと感じた梢さんは、受験の1か月前に急遽進路を変更。短大へ進学し、卒業後は一般企業に就職しました。家に帰れないほどのハードワークをこなしながら、自身の理想と社会との葛藤も感じていました。 「学生の頃にインドに行ったときに出会った日本人の方が、帰国後、自給自足のような暮らしをしていて……。そんな自然と近い暮らしが理想だと心のどこかで思ってはいたけど、普通に生活していると、そんな暮らしは非現実的なように感じていて。実現している人を目の当たりにしたことで、自分の本当の考えに気付いてしまったというか……。そういうのもあって、会社勤めは長く続かずに辞めちゃうんですよね」 まず、自分自身が平和であること 退職を決め、その後の1年間は環境活動に参加していました。 「原発問題で青森や泊まで行ったりしました。でも、怒っている自分たちと、現地でそれが正しいことだと思っている人たちと。もし私たちの考え方が認められたとしても、反対の人たちは納得がいかないまま、今度はまたその人たちの怒りで繰り返しなんだ……と思って」 平和を想っているのに、そのベースが世の中への怒り。戦争などネガティブなものの原因となる心を自分も持っているということが、自分を見れば見るほどわかってきました。 「一番近くにあって、責任を持てるのはまず自分。個々が集まって全体になるから、自分自身が平和であることが一番の基本だと思って」 そんな気付きを経て、梢さんは環境活動を離れ、無期限の旅に出ることにしました。 「いつ帰ってくるかもわからなかったから、母と握手をして実家を出てきました」 インドに1年滞在 中国、タイ、ラオス、イギリス、イタリア……そして学生の頃に訪れたインドも再訪し、1年ほど滞在しました。 インドでは、梢さんが今も大切な習慣としている”ヴィパッサナー瞑想*”を本場で体験する機会に恵まれました。 「瞑想って神秘的なことではなくて、すごく地味な作業。反応せず観察する練習。私は良いものだなと思って、それから続けています」 *ヴィパッサナー瞑想:「ものごとをありのままに見る」という意味の、インドの最も古い瞑想法のひとつ。宗教儀式ではなく、欲望・嫌悪・無知を取り除く心の浄化のための実践法。日本では10日間のコースが開講されており、社会から完全に離れ、人と会話せず、沈黙の中で自己観察によって自己浄化を行う。コースは無償で、修了者の寄付と奉仕で運営されていることも特徴。 「他には、自然農をやっている夫婦のところで何か月か暮らしました。すごくパワフルな場所で、来た当初に表情が暗かった人が滞在していると生き生きとしてくるっていうくらい力のある所でした」 結果的に2年弱の旅となり、帰国しました。また会社に所属して働くイメージはできず、帰国後は山小屋で働くことにしました。 山小屋にて、料理への想いが再燃 一度は閉ざした料理の道、歩み始めることにしたきっかけは山小屋でのお仕事でした。 「山小屋で料理担当となり、一日中料理をするようになって。料理は自己流だったので、誰かの元でちゃんと学びたいと思い始めました」 その頃には精進料理* やマクロビオティック* などに出会っていた梢さん。自分の理想と矛盾なく、その場の感覚を満たすだけではない料理があることを知り、再び志したいと思うようになりました。 *精進料理:仏教の戒に基づき殺生や煩悩への刺激を避けることを主眼として調理された料理。作る過程も仏道修行の一つとされる。食材と向き合い、なるべく無駄が出ないように調理することが特徴。 *マクロビオティック(マクロビ):玄米菜食を基本とした日本発祥の食事法。暮らす土地の旬のものを食べる、食材は丸ごといただくという二大原則がある。 ところで、山小屋で働かれるということは、登山好きだったのでしょうか。 「同僚たちに『満月の日に稜線まで行こう』と誘われて。何もわからぬまま付いていったんですけど、暗いから景色もなくて、空気も薄くて、すごく苦しくて。もう絶対登山やらない、って思ったんですよ」 「でも、稜線を抜けたときに、世界がガラっと変わって……。満月に照らされた、白い山が見えるんですよね。その瞬間に、全部一掃されて」 それからは、休憩時間にはトレーニングとして山を歩いたり、休みがあれば他の山に行ったり、更にはテントを持って一週間も山に行くほどの登山好きに。 「山と瞑想は、一生続けるだろうなと思います」 欠落を埋めるため、必死にもがいた10年間 料理を学ぶなら東京!と、鎌倉や東京の精進料理、懐石料理、日本料理店にて修業を積みます。日本料理の現場は、どこも凄まじい厳しさでした。 「とにかく必死で。仕事に笑顔や楽しさは不要という感じで、雑談も一切なく。でも、本当に料理に真剣な人しかいませんでした」 職場では怒号が飛び、夜遅くに帰宅してからも更に勉強。まさに修業と言う名の日々。 「ルームシェアをしていたので、コンビニのイートインスペースで朝4時まで勉強したり……」「賄いでも、親方のOKが出るまで何度も作り直すので、仕事終わりに毎日(他のお店の)冷やし中華ばかり食べに行ったり……」 梢さんは必死に食らいつきましたが、1年ほど経った頃、心身共に限界を迎え続けられなくなってしまいます。 「『また挫折しちゃった』と思って。凄く怒られていたのもあって、その時は自分が世界一の落ちこぼれだって本気で思っていました。いつも辞めてばっかりで、志して来たのにまた辞めちゃうんだ、って」 それでも、料理への想いはどんどん大きくなっていき、その後も場所を変えて修業を続けました。 しかし、そのどこもまたハードな現場でした。緩やかな環境で働くという選択肢もあったはずなのに、いつも厳しい環境に身を置いていた梢さん。 「”欠乏している、足りていないところを埋めなきゃ”って思いこんでいて。弱いのにストイック。だから飛び込んでいっては、限界になって折れちゃう。しなやかじゃないというか……」 そんな修業期間にも、終わりは訪れます。 「ふと、『もう北海道に戻るタイミングだ』と思って」 札幌出身の梢さん、『東京には勉強に来ていて、いつかは北海道に帰る』と思っていました。とうとうその時が来ました。自然の近くで、根を張って暮らせる場所を求めた結果、ご縁があり洞爺湖に辿り着きました。お店を開くと決めてから、10年ほど経った頃でした。 『いわきち料理店』オープン 『いわきち料理店』は、日本料理や重ね煮がベースのやさい料理店です。 「最初は誰も来ないと思ってたんです。誰も来ない日が一日もなく、来てくれたことが嬉しかったです」。とにかく謙虚でひたむきな梢さん。料理に対する想いも自分が主体ではありませんでした。 「つくる人は一番の黒子だなと思っていて。野菜や食材があって、その野菜を作った土や太陽、生産者、運ぶ人、器を作る人、その器の土、火のエネルギー……いろんなものが集約して一皿になる」 「でも、食べ物って一瞬でなくなっちゃうし、記憶に残らなくても、”〇〇さんの料理”って思ってもらわなくても良いと思っていて。忘れられても、いろんな命が食べた人の心・身体に引き継がれていくものだから、ちょっと役に立てたらな、と」 「精進料理というと、肉食べないとか作法とかってなっちゃうけど、もっとベースのことだと思っていて。作るときの心の在り方、自分自身の修業。多分、心が純粋になっていくと、慈悲とか祈りの気持ちが沸いてくると思ってる」 とはいえ、ただ美味しいものをつくっています!と微笑む梢さん。創意工夫が散りばめられた美しいお料理の数々をぜひ体験してみてください。 そして、料理姿は凛々しく、しかしお話してみるとふわ~っと柔らかい、相反する雰囲気を兼ね備えている梢さんに会いに、お店まで足を運んでみてください。 【いわきち料理店】 (洞爺社会福祉協議会向かい、水の駅から徒歩2分) やさい料理店 veggy Japanese 日本料理や重ね煮がベースのやさい料理 昼 11時~13時半 L.O 夜 17時半~19時半 L.O ●やさい懐石 種と実コース ※4日前までの完全予約制 ●季節の御膳 一汁三菜・香の物 ●おそうざい [量り売り販売] 木曜日のみ(15時半から19時半) ※容器をお持ちください、容器代は別料金です。 ■ご予約方法 Line:@049zwhqi instagram:@iwakichi.toya ↓
misaki
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