心の伊達市民 第一号

中央区はじめて物語

中央区観光協会が発行しているパンフレットに「はじめて物語マップ」というものがある。
表紙には『中央区は江戸文化の発祥の地。また明治における西洋文化の発祥の地であり、常に時代の先端を行く町として発展して来ました。いまでも町を歩けば、いたるところにその跡を見ることが出来ます』とある。確かにその通りで、私がここへ越して来てから中央区を歩き回ってそれを実感している。


中央区観光協会でもらったパンフレット


地図上に番号で色で示された「物語」は、3つからなっている。
『商いものづくり編』、『ぐるめ編』、『文化・文人・学舎編』である。
全部で約100ヵ所もあるが、多くは私が行ったことがあったり、知っているところだった。
しかし暇人の私は「ブログネタ」を探して、10~20ヶ所は行ってみることにした。



聖路加国際病院の西側のある「ガス灯」と「イギリス積み煉瓦」


先ずは明石町に行った。
ここには現在は聖路加国際病院があるが、明治日本の開国の歴史の町である。
長く続いた鎖国後の日本の開国に合わせて、東京には明石町に外国人居留地が作られた。

ここには外国公使館、領事館をはじめ海外からの宣教師、医師、教師などの知識人が居留し、教会や学校などを数多く開いて教育を行っていた。このため築地居留地は日本の近代化に大きな影響を与えた一地域を形成していたのである。



聖路加国際病院の西側の通りの名は「居留地通り」


現在はその面影は殆ど残されていないが、道路の標識にその名残が見える。
また多くの私立学校の創立の地で、以下の有名私立学校の記念碑が残されている。
慶応義塾、女子学院、立教学院、明治学院、青山学院、雙葉学園、暁星学院、聖路加国際大学など。

この地域は第二次世界大戦で東京大空襲があった時にも、ここは焼け残った。
連合軍は戦後の病院確保と、昔の居留地ということを考慮して空襲を行わなかったという説がある。



「慶応義塾」発祥の地     「青山学院」発祥の地


【日本最初の電気灯柱】
日本電燈会社が宣伝用にアーク灯をこの地に点灯した。それまではガス灯、ランプが主流だったので、その明るさに人々は驚き、毎晩多くの見物客が来た。


【銀座発祥の地】
銀座という地名は「江戸幕府が銀貨鋳造所を駿府城下から、この地に移したことに由来している。
すると「金座はあったのか?」と疑問が沸くが、江戸、京都、駿府、佐渡の4ヶ所にあったのである。
江戸の金座は現在の日本銀行のある場所である。


「銀座」発祥の地     「日本最初の電柱」の地


【東京税関発祥の地】
築地居留地に多くの外国人が住んだので、ここで税関業務を行う運上所を開設した。
現在は「水炊き」で有名な料亭「治作」の場所である。


【救世軍渡来の地】
12月になると松屋デパートの前に、毎年、救世軍の募金が始まる。
なぜかと思ったら、「英国より来日したライト大佐はこの地に日本最初の本営を設け、救世軍活動を開始した」



「東京税関」発祥の地     「救世軍」渡来記念の地


【日本最古のビアホール】
このビアホールは現存していて、銀座通りに現在もある「ライオン」である。
明治32年にエビスビールのプロモーションとして銀座に店舗を出したのが、日本のビアホールの始まり。


【味付け海苔発祥の地】
味付け海苔を考えたのは日本橋の「山本海苔店」の2代目で、明治天皇が京都へ還幸の際に東京土産として考案された。現在の中央区の区長は山本海苔店の副社長である。



「日本最古のビアホール」   「味付け海苔」発祥の店


(おまけの話)
【レバーフライ】(ひさごや) 創業/昭和7年
レバーフライを知っている人は、中央区とその近くの人だけだと思う。
私は引っ越して来た時に興味本位で買って食べたが、美味しいものではなかった。

解説『大恐慌で職をなくした職工さんが、当時は食べる習慣の無かった豚などの内臓の内、豚のレバーを油で揚げて屋台で売り出した肉フライがレバーフライの始まり』
これの特徴は手に持って食べられるように、片側に楊枝が串刺ししてある。



レバーフライ「ひさご家」


【手巻き寿司】(宝寿司) 創業/昭和46年
手巻き寿司は今では普通であるが、意外だったのは昔からあるものではなかった。
店は晴海通りの築地市場近くにあり、私は一度だけ入ったことがある。

解説『当時、若者の間で流行っていたソフトクリームをイメージし、片手に持って海苔がパリパリの内に食べられるように末広型にしたのが始まり』



元祖「末広手巻き寿司」発祥の店「宝寿司」


【カツカレー】(銀座スイス) 創業/昭和23年
創業は銀座7丁目らしいが、現在は築地の裏通りにある。
私は何度か行っているが、カレーの味が私の好みではなかったので最近は店の前を通るだけだ。

解説『宮内庁御用達の宝亭の料理長だった岡田進之助によって創業した洋食店。ある時、巨人軍ののスーパースターであった千葉茂が店に来て「カレーにカツレツを乗せてくれ!」と言って出されたのが始まり。
銀行員の初任給が3000円の時に、カツカレーは180円だった』。



「カツカレー」発祥の店「スイス」

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北海道伊達市に2003年夏より毎年季節移住に来ていた東京出身のH氏。夏の間の3ヵ月間をトーヤレイクヒルG.C.のコテージに滞在していたが、ゴルフ場の閉鎖で滞在先を失う。それ以降は行く先が無く、都心で徘徊の毎日。

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