
心の伊達市民 第一号
武漢ウィルス(100)・・・・いつまで続く
先日の高熱でクリックでPCR検査を受けた時の続きである。
体温計で測った最高体温は「38度」だった。
友人達からは『さぞ辛かったでしょう?』と慰めの言葉が送られて来た。
ところが実際は、私は普段となにも変らなかった。自分では高熱を感じていなかったのである。
体温計で測ったら「38度あった」というだけのことで、もしかしたら高齢で高温を感じなくなっているのだろうか?

昼飯に入った蕎麦屋の貼り紙
最近の私は新型コロナウィルスに関することを書くと、段々と過激になって来ているように感じている。
私はワクチン接種の3回目も終り、「これでもう安心」と思っていたら、どうもそうではないらしい。
新型コロナウィルスに関して、「そもそも」のことを覚えている人はいるだろうか?
当初は「ワクチンは2回、打てば良い」と専門家は言っていたのではないか?
それが海外でオミクロンが出て来たら、「ワクチンが効かなくなったので、3回目を打て」となった。
話が違う。「2回でOK」と言った専門家は、今になっても『そんなこと言ったっけ?』みたいに黙っている。

NISSAN ギャラリーのF1レースカー(銀座4丁目)
ヨーロッパでは「ステルス・オミクロンBA2」という新しい変異株が登場し、現在のオミクロンより更に1.5倍の感染力だという。ワクチン先進国のイスラエルでは、1月から4回目のワクチン接種が進められている。
3回目が効かないとなったら、政府は次に「4回目を打て」と言い出すだろう。
そして4回目が終ったら、次は「5回目」となり、永遠にこれが続く。
「いい加減にしろ!」と言いたい。政府と分科会は製薬会社の回し者か?

かいのマンションの1階広場の光の模様
こんな無節操な感じでワクチンを打ち続けていて、人類は大丈夫かと心配になって来た。
「ワクチンで人工的に体内に抗体を作ることを繰り返していると、人間が自然に抗体を作り出す能力を失ってしまう」と言う感染症の専門家もいる。
オミクロンに感染しても、持病を持っている人と高齢者以外は重症化しないと言われている。
更に死亡する人の割合も、インフルエンザに罹った時の半分くらいだそうだ。
もう欧米の国々のように規制をしないで、自然に任せた方が良い時期ではないだろうか?

晴海から豊洲に行く橋から見た旧IHIの錆びた引込線陸橋
過去の感染症の例から分かるのは、「なんだか分からないが終息した」ことである。
私のお爺さんは運悪くスペイン風邪に罹り亡くなったが、あの時も「なぜスペイン風邪は収まったのか?」は謎のままだそうだ。
1918年~20年にかけて世界的に大流行したスペイン風邪に付いては、スペインが可哀そうである。
発生源はアメリカらしいが、スペインに駐留していたアメリカ軍からスペインの市中に広がったのに、名前をスペイン風邪とされてしまい、いかにも名前からスペインが発生源のようになってしまっている。

ある日の夕方の「天使の梯子」
以前から私は政府の分科会は、本当に「日本の医学界の知能を集めたのか?」と疑問に思っている。
尾身会長は「自粛」ばかり言っていて、2年も経っても自粛の科学的な根拠を示していない。
「分からない」のなら、正直に「分からない」と言ってくれ! その方が誠実さを感じられる。
権威付けられた人は「ごめんなさい」や「分かりません」が言えないようだ。
分科会に入っていない専門家がネットで色々と発言している。
この際、そのような人達を分科会のメンバーに加えてもらえないだろうか?

閉店した後に取り壊される古いビル(数寄屋橋)
私が気に入らないのは尾身会長である。彼がインタビューに答えると、それがテレビニュースで放映される。その時の彼の言い方に問題がある。『・・・・と私は個人的に思います』と、良く言うのである。
政府の分科会会長の肩書でインタビューに答えているのに、『私は個人的には・・・』はないだろう!
もしこれが上場企業の社長のインタビューで、社長が『私は個人的には・・・』と発言したら、メディアは非難轟轟であろう。なぜ記者たちは誰も『個人的な話ではなく、分科会の意見を述べて下さい』と言わないのだろう? なんだか不思議なインタビューである。

日本消防協会の入口の消火栓のオブジェ
(おまけの話)
なんでも縮めることが好きな日本人らしく、最近は「まんぼう」という言葉を聞くようになった。
これは「まん延防止等重点措置」のことだそうで、これでコロナを抑え込めなければ「新型コロナウイルス感染症緊急事態宣言」になるのだそうだ。
東京に発出されていて、2月13日が期限だった「まんぼう」が、感染者が思ったように減らないので3月6日まで延長となった。私の考えでは過去の例から考えて、「まんぼう」と感染人数には相関関係は無いと思う。

遊覧船も開店休業(日本橋)
私は「中央区いいねっ!」というfacebookのメンバーになっている。
このサイトには新しく開店した店に行った人の報告や、珍しい企画の紹介などが登場する。
ある日のことである。次のような投稿があった。
『2月の新橋演舞場の公演が休演となり、出店している銀座萬年堂本店さんが上生菓子がたくさんあるとのこと。マンボウ商人イジメの余波はこんな形でじわじわ来ます。本日のお茶の時間にいかがですか?』とあった。この先のことを考えると、萬年堂は新橋演舞場に補償も要求できないだろう。
みんな苦労をしているんだ!

大道芸もマスク姿で(浅草)
少し前にテレビニュースで、「生乳が余っていて、5000トン余りを廃棄するしかない」と知った。
全く勿体ない話なので、牛乳を飲み、ヨーグルトを食べ、極力、協力するようにしている。
三越デパートに行ったら、レストラン街のある店の前に看板が出ていた。
そこには店が「冬こそ牛乳でみんな元気に! 日本の酪農応援フェアを開催」と書いてあった。
学校の休校やイベントの中止などで、酪農以外の業界も相当に痛め付けられただろう。
私は消費者として応援するしかない。

「冬こそ牛乳でみんな元気に!」
北海道伊達市に2003年夏より毎年季節移住に来ていた東京出身のH氏。夏の間の3ヵ月間をトーヤレイクヒルG.C.のコテージに滞在していたが、ゴルフ場の閉鎖で滞在先を失う。それ以降は行く先が無く、都心で徘徊の毎日。
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06/01(水) 『鍛冶屋』に憧れ続ける『かじや』 (有)藤鉄工 代表取締役 加藤耕平氏
「子どもの頃から親父に仕事を手伝わされていました。でも、この仕事が嫌だったので継ごうとは思っていませんでした。」 加藤耕平さん58歳。 来年で創業50年になる(有)藤鉄工の二代目 代表取締役です。 お父様から事業を引き継いだのは2005年のこと。 高校卒業後、専門学校の建築科に進学した耕平さんは、卒業後、某建築会社に就職をし、大工からの修行を始めました。 けれども1年で退社。 家業を継ぐ決心をして伊達に戻ってきました。 お父様との子弟関係の始まりです。 ↑作業場には、様々な形の鉄製品や工具が並びます お父様が事業を興したのが1973年。 そのお父様の下で働き、50年目を迎える佐藤さん。 この日も黙々と仕事をされていました。 ↑御歳70歳の佐藤さん。ちょうど溶接の仕事をされているところでした。 50年間同じ会社で勤め上げる姿に胸が熱くなります。 「創業当時は、バルコニー・煙突のエント梯子・住宅関連の仕事の受注が多かったです。けれども時代の流れでアルミやステンレスが主流となり、仕事の依頼に変化がありました。ちょうどその頃、伊達市内の拡幅工事が始まり、店舗などの重量鉄骨鋼造物の仕事が多くなったのです。ところがそれも終わった15〜20年前になると受注がめっきり少なくなりました。製缶といって、建物以外の工事の依頼が来るようになりました。例えば週末処理場の汚水菅や製鉄所の設備工事の仕事です。さらに大打撃だったのは、東日本大震災をきっかけに原子力発電所の仕事が無くなったことでした。」 どんどん減っていく仕事…。 2012年に大きな転機が訪れます。 その年の年末にお母様が亡くなり、その翌年から仕事もすっかり無くなってしまいました。 「この時、家族とも相談し、佐藤さんにも相談し、廃業をする決心をしました。」と耕平さん。 意を決し、信頼を寄せている会社様のところへ行き、「廃業をするので佐藤さんと自分を使ってください。と頭を下げに行きました。」 結果として、廃業は思い留まることになりますが、そこから厳しい修行が始まりました。 加藤さん48歳、佐藤さん60歳の時です。 「相談先の社長の提案で、私は、その会社様の仕事を受注するために2年間修行に通うことになりました。修行をさせていただきながら仕事も作っていただき、佐藤さんには弊社工場で作業をしていただいていました。お陰様で新たな技術を習得することが出来、それまで受注をしたことがなかった漁業機具や船の仕事を請け負うことができるようになったのです。」 新たな技術習得のためとは言え、力仕事をするための片道50km以上の毎日の通勤は、さぞかし体にも堪えたことと思います。 「修行はなかなか大変なものでした。それまでは常に水平と垂直を確実に測りながら行う仕事だったからです。ですから、湾曲が多い船の仕事はとても戸惑いました。また、「鉄」一筋で来たため、ステンレスでできた漁業機具を扱う仕事にも戸惑いました。何もかも初めてのことばかりの修行でしたが、あの時お世話になったお陰で今があるので本当に感謝しています。」 それでも、時代の流れは安定をさせてくれません。 再び、ここ2〜3年の厳しい状況を経て、いままた少し仕事が戻ってきたそうです。 浮き沈みの激しさの辛さについては、筆者とは業種は違いますがとても理解できます。 「ところで、社名の由来を教えてください。どうして「加藤鉄工」ではなく「藤鉄工」なのですか?」 ↑作業場の2Fは事務所です 「親父が付けた社名なのですが、“加藤”と“佐藤” の共通文字 “藤” を採ったのだそうです。」 なるほど! お父様が佐藤さんを大切に想っていらっしゃった気持ちがよく分かります。 その先代の想いも引き継いだ耕平さん。 だからこそ、佐藤さんは50年も勤めておられるのですね。 さて。 空前のキャンプブームの昨今ですが。 実は、耕平さんは40年来の筋金入りキャンプ好きです。 しかも長年のコールマン製品コレクターでもあります。 そんなバックボーンを持つ耕平さんが、今ライフワークにしていること。 それは『kokoperi iron』というアウトドアガレージブランドの運営です。 ↓ショップはこちら。 https://kokoiron.thebase.in/ こちらの焚き火台ほかの鉄製品は、全て耕平さんの作品です。 鉄を使い、一つ一つに時間をかけ、丁寧に叩いて叩いて作られた本物が並びます。 鋳造ではありません。 「鍛冶屋」の仕事です。 もう本当に素敵です。 もちろん、オール鉄なので重量感もあります。 「重いですが、自分が使いたいものを作りました。」 ↑ココペリとはこの笛のようなものを吹いている妖精のこと ↑焚き火台「青海波」を筆者も経験させていただきました。模様越しの火がとても美しい。 ↑2022年4月 キャンプの様子。本物の道具に囲まれた耕平さんはとってもカッコいいです♡ ↑こちらのアウトドアフェスにも出店参加されます 「ところで、何故、そこまで鉄にこだわるのですか? 大好きなコールマンも鉄ではないのに…。」 「焼き入れをする鍛冶屋への憧れです。これら商品は確かに叩いて作っています。でも、絶滅危惧種的に刃物などを作っている人もいらっしゃる中で 漢字の “鍛冶屋” は名乗れないです。だから僕の場合は、“鍛冶屋” に憧れる ”かじや” です。」 「なるほど…そういうことでしたか。でもそういう謙虚なところが耕平さんの魅力だと思います。」 「それでも憧れを追っています。漢字の “鍛冶屋” に少しでも近づきたくて。自分なりに価値感を見出しながら、必要とされる存在になりたいと思っています。」 ↑服などを掛けたらとっても素敵なシングルハンガーもあります。丸いのはガラスの浮き玉。 ↑火を灯したら素敵なランタンです ↑こちらは新製品。叩いて叩いて造られた厚さ4.5mmの鍛造プレートは、キャンプはもちろんIHにも対応しています。ステーキやハンバーグを焼いたら美味しそう!ハンドルも別売であります。 『鍛冶屋』に憧れ続ける『かじや』。 どこまでも謙虚で熱い加藤耕平さん。 その仕事への想いと姿勢に心打たれた筆者です。 ー(有)藤鉄工 情報―http://www.date-f.net住 所 北海道伊達市舟岡町205-15電 話 0142-23-5769FAX 0142-23-6352E.mail fuji-i-w@cream.plala.or.jp↓Instagraminstagram.com/kokopelli_iron/?hl=ja
Rietty
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07/05(月) 便利屋の域を超えた「田舎の便利屋 ウイコーポレーション」&「シンタ」代表 宇井尚さん
伊達市大滝区の外れに位置する山奥に宇井尚さんの「田舎の便利屋 ウイコーポレーション」はあります。 宇井さんは、自然に恵まれた札幌市盤渓で生まれ、毎日自宅の裏山や小川で遊んで育ちました。 実に、現在住むところにそっくりな自然環境です。 これからの季節は枝打ちや草刈りの依頼が多いそうです。 今のお仕事の背景には、知的障害者のためのグループホームを運営していたお父様の影響が強くあるそうです。 ご家族で、そのグループホームの利用者さん達と共同生活をしていたという経験は、宇井さんが目指している「あらゆるものとボーダレスに関わり合える環境作り」に通じていると感じます。 羊の毛刈りも! 依頼されるお仕事は多岐に渡ります。 例えば…。 庭木の剪定・立木伐採・草刈り・冬囲い・薪割り・薪販売・引っ越し手伝い・買い物代行・農業体験サポート・蕎麦打ち・羊の毛刈りなどなど。 花壇作りの依頼も増えたそうです。 before 「造園技能士2級」の資格をお持ちです。after ご本人曰く。 「法に触れること以外ならなんでもご相談ください ^^」とのこと。 誰にとっても頼りになる存在です。 立木の伐採 宇井さんにはもう一つ、自伐林業者としての顔もあります。 管理されずに荒れ放題となっていた山を買い取り、その森を整備するための保全と利用を実践する団体「シンタ」の代表としての顔です。 現在、この森で切り出した原木を地元の大滝学園に卸していますが、将来は、シンタの森の薪をブランド化して、販売したいと考えているそうです。 「田舎の便利屋 ウイコーポレーション」代表と「シンタ」の代表としての二つの顔。 けれども実は、その二つは一本の軸でしっかりと繋がっていました。 宇井さんが抱く地域への、北海道への、日本への、地球への想いです。 それは「地域の皆様がずっと、気持ちよく暮らしていける町を作りたい。それがどんどん周りに波及していって、北海道に、日本に、世界に広がって行くように動き続けたい」ということ。 「そのためには、まず自分が気持ちよく暮らすこと、その場限りではなく、未来を見据えた暮らしをすることだと思う。」 そう話してくださいました。 筆者は激しく納得。 まさにSDGs。 その言葉の通り、宇井さんご家族は大滝の山奥で半自給自足暮らしをされています。 2002年、水源を探し、原野を切り開くところから始め、ご自分で家を建てました。 土地を耕し、畑も作りました。 まさに150年前の開拓者のごとく、全てパートナーのなつみさんと協力しながら行ったのです。 生き物やエネルギーの循環にもその頃から関心が高く、実践者として取り組んでいらっしゃいました。 田舎の便利屋 ウイコーポレーションを立ち上げて5年経った今、ゼロからスタートした宇井さんの活動を見続けてきた地域の方々にとって、すっかりなくてはならない存在となりました。 高齢者の多い大滝では、顔が見える関係を大切にしている田舎の便利屋 ウイコーポレーションは、「便利屋」を超えた見守り機能や中間支援機能も持ち合わせる団体として存在しています。 今、そのことをひしひしと感じていると話していらっしゃった宇井さん。 農業体験指導と、蕎麦打ちもされています。 それでも、現実的には作業自体はとても重労働。 ご自分が高齢になれば続けることは難しくなります。 そのことを考えた上で、夢があることを打ち明けてくださいました。 「将来、シンタの森の生き物大図鑑を作りたいのです!」 生き続ける森に自分が生きた証として残せる図鑑。 そして、それを見ながら森で遊ぶ人々。 「シンタの森のファーブル」になる夢を持つ宇井さんは、きっとそんな未来を思い描いていらっしゃるのでしょうね。 田舎の便利屋 ウイ・コーポレーション 伊達市大滝区豊里町49-1 電話 080-6073-3638 メール uipoko@icloud.com Facebook ※記事の内容は取材時の情報です(取材2021年)
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