胆振地方の大雪の話題で、私が伊達市のゴルフ場に滞在していた時のことを思い出した。
それは古い話であるが、作詞家の「星野哲郎」の思い出である。
まだ私が30代の初めの頃だと思うが、日本にボーリングのブームがやって来た。
私の会社はボーリング場の椅子の金属部分の加工を請け負って、とても忙しく、また儲かっていた。


その時に会社の近くにボーリング場が出来て、そこの外壁に「星野哲郎杯」と垂れ幕が下がっていた。
私は「星野哲郎って誰なんだ?」と思っていたが、それもいつか忘れてしまっていた。



私はゴルフが好きで23歳で会員権を買って、毎週日曜日にはゴルフ場に行っていた。


その頃はまだゴルフにはブームが来ていなかったので、ゴルフ場はいつも空いていた。
私がメンバーになっていたゴルフ場は、いまでは考え難いがプレイするのに予約は必要なかった。
1人でコースに行って、スタートハウスで空いている組に入れてもらうのが常だった。





トーヤレイクヒルGCで


同じように1人で来てプレイする人が多かったので、その内になんとなく同じ時間帯の人達と親しくなった。ある時、初めて私の組に加わって来た人が、「星野哲郎です。よろしく」と言った。
そしてそのままプレイして、一日が終った。
次の日曜日に行くと、また星野哲郎さんと一緒になった。
彼はその時に、なんとなく『私のことを知らないの?』みたいな態度だった。



画家の大藪雅孝画伯(右)と一緒に


昼食の時に色々な話になった。
しかしゴルフ場ではかなり親しくなるまでは、誰もあまり個人的なことは質問しなかった。


私 『どこから来ているんですか?』
星野『小金井です』
私 『えー!小金井ですかー。私も小金井ですよ』
・・・ということになり、次回からは私が予約をして家まで迎えに行ってあげることにした。
その時もまだ、私は星野哲郎が何者かは知らなかった。



伊達市のKさんはゴルフが上手だった。


ある時、キャディさんが私に言った。
キャディ『橋本さんは芸能関係のお仕事をしているんですか?』
私   『エー、なぜそう思ったの?』
キャディ『だって星野哲郎さんと、いつも一緒にプレイしているから』
私   『星野哲郎さんって、何者?』
キャディ『エー!知らないんですか? 日本で一番有名な演歌の作詞家ですよ』





キャディさんに『星野哲郎は何者か?』を教えてもらい、初めて以前のボーリング場の「星野哲郎杯」の意味を知ったのである。私が「星野哲郎が何者か?」を知らずに一緒にゴルフをしていたので、それがかえって好印象をもたらした。
星野哲郎さんは私が「有名人だから近付いたのではない」と分かり、それ以来、もっと親しくなった。



トーヤレイクヒルGCの有珠コースで


ある時から私の提案で、『ハンディキャップをあげるので、私に負けたら1000円札に「負けました」と書いて、サインをお願いします』と言ったら、気持ち良く受け入れてくれた。
ハンデがあるので勝ったり負けたりしたが、勝った時にはサイン入りの1000円札をもらった。


先日、物入れを整理していたら、なんとその時の1000円札が出て来たのである。
彼は2010年に亡くなってしまったが、ハワイに一緒にゴルフにも行ったこともあるし、ずいぶんと色々な思い出がある人だった。



星野哲郎さんから頂いたサイン入り1000円札


(おまけの話)
ある時のことである。星野哲郎さんが『小金井市のゴルフ好きと、芸能界のゴルフ会を作ろう』と言い出した。そして会の名前は星野哲郎の作詞、船村徹の作曲、北島三郎が歌った「風雪ながれ旅」からとって「風雪会」とした。3ヵ月に1度くらいで開催される風雪会には、必ず参加するのは小林旭、若山彰だった。


他には大月みやこ、都はるみ、水前寺清子、他にも色々な人が来てくれたが、名前は忘れた。
ある時に私は優勝して、水前寺清子が提供してくれたキャディバッグをもらった思い出もある。





有名人というのは特殊な人達だと思ったことがある。
一緒に出掛けた時にお茶などしても、星野哲郎さんはお金を支払わない。
多分、それは悪気があってではなく、いつもマネージャーが支払うので自分が払う習慣が無いのだろう。


ところが一方で、もの凄く気前が良いところがある。
私は彼のジャケットを褒めたら、「じゃー、これをあげるよ」と言って脱いで渡されてしまった。





またある時は、私のニューヨークに住む友人が、『ニューヨークでレストラン業で大成功した男がいる。彼は苦しい時には星野哲郎さんの演歌に慰められた。今の自分があるのは、星野さんの歌であると言っている。日本に行くので星野さんに会えないだろうか?』と言った。


私が星野さんにそのことを伝えると、『いいですよ』と言って、日にちと場所を指定して来た。
そしてニューヨークから来た見ず知らずの男を私と一緒に料亭に招待し、その後、クラブも案内し、全員で6人分の勘定の約60万円を支払ったので驚いた。気取らず、偉ぶらず、好感の持てる人だった。



伊達季節移住のススメ 心の伊達市民 第一号

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北海道伊達市に2003年夏より毎年季節移住に来ていた東京出身のH氏。夏の間の3ヵ月間をトーヤレイクヒルG.C.のコテージに滞在していたが、ゴルフ場の閉鎖で滞在先を失う。それ以降は行く先が無く、都心で徘徊の毎日。

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