コロナ騒動で、なかなか遠い場所に住んでいる友人達にも会えないでいる。
私は中学・高校時代を一貫校で過ごしたので、その時の友人達とは会いたいと思う。
コロナの前は私が主宰して「都心を歩く会」を作り、俄か都会人となった私が彼らを連れて都内の色々な場所を歩いた。それがコロナでパッタリとお休みになっている。





「築地川銀座公園」の入口


お互いにもう後期高齢者なのだから、いつどんなことになるかは分からない。
そこで「マンボウ」こと「まん延防止等重点措置」が解除された時を狙って、同級生と会う機会を作った。丁度、タイミング良く築地川銀座公園に竜舌蘭が咲いているので、その鑑賞と食事会を企画した。
自分では「こんな良い企画は滅多に無い」と自画自賛である。
私は計画日を「竜舌蘭と桜とランチ」を考えて、3月後半を提案した。





竜舌蘭とカメラを構えるNさん


参加可能日のアンケートを取ったら、みんなが同時に参加できる日が無い。
私には都合の悪い日が無いのに、友人達は高齢者の割には忙しい人が多い。
この年になっても忙しい友人達が羨ましいような、気の毒のような感じだ。
仕方ないので、4月に延期して再度、みんなの都合を聞いた。
そして桜には少し遅いかもしれないが、4月7日に決定した。





最初に咲いた花は枯れて来た。


現地集合の人を除いて「東京駅丸の内南口」に集合としたので、私は彼らを迎えに行った。
今回はメンバー全員と飛び入りの1人を入れて、8人の参加の予定であった。
ところが数日前に飛び入りの1人からメールが入った。


『年を取ると突然、なにが起こるか分かりません。急に腰が痛くなり、整形外科に行き検査しました。その結果は坐骨神経痛で、薬も変えて様子を見ることにしました。現状では左足の痛みは取れません。回復にはまだ時間がかかると思いますので、今回は欠席します』とあった。




 
同級生達


東京駅丸の内南口には6人が集合した。
都バスで「築地」まで行くと、そこにはOさんが待っていた。これで総勢7名である。
すぐにみんなを横の築地川銀座公園に案内し、今回の目的である「竜舌蘭」を見ながら説明をする。


みんなはあまり「凄い!」というような反応を示さない。
私が『70年に一度しか咲かないんだ』と言っても、『そうなの』程度の反応だった。
花に派手さが無いので、「見れば終り」も仕方ないか。





4月7日の竜舌蘭


少し歩いて予約しておいた、築地市場の向かい側の和食店に入る。
個室が用意されていて、そこでメニューからランチを注文する。
久し振りに会ったので、話は弾む。しかし話題の殆どが「昔話」か「友人達の消息」である。
もう後期高齢者になって久しいので、将来の話が出ないのも当然である。





「魚月」のランチ(1350円)


食後は浜離宮恩賜庭園に、桜と菜の花畑を見に行くことにする。
足に問題のあるYさんはタクシーで、他の者はゆっくりと歩いて行く。
プロカメラマンのOさんは仕事があるので、途中で帰って行った。


公園に入ったら、2人はベンチに座り動かない。そこで残りの4人で園内を散策する。
八重桜と緑の花弁の「御衣黄」と「ウコン」にはまだ早いが、ソメイヨシノ以外の桜が真っ盛りだった。
30~40分でベンチで待っていた2人と合流し、浜離宮を出たところでタクシー組と新橋まで歩く組に分かれてお開きとなった。




 
浜離宮恩賜庭園の「菜の花畑」


(おまけの話)
中学・高校と6年間を一緒に過ごした友人というのは良いものである。
今さら見栄を張ったり、気取る必要もないからだ。
私は引退してから彼らと色々な会を作り、一緒に遊んでいた。
それは「デジカメクラブ」、「秘湯研究会」、「都心を歩く会」である。
しかし今はそのどれもが休止状態となってしまった。





「菜の花畑」の後ろの桜の木は満開


理由は色々ある。
新型コロナウィルスの蔓延もその理由の1つだが、それより大きいのが高齢化ではないかと思う。
「デジカメクラブ」は段々と、カメラに興味を失って来たメンバーが多かったように感じる。


「秘湯研究会」は秘湯を訪ねるのだが、メンバーの中心人物がコロナで亡くなってしまった。
「都心を歩く会」は、メンバーの中に足腰の具合の悪い人が増えてしまい、今では「都心を歩かない会」に成り下がってしまった。




 
桜の種類は不明だが、満開だった。


秘湯研究会ではEさんが、私の知らないような秘湯に行く計画を立ててくれた。
川底から熱い湯が沸き出している「尻焼温泉」は珍しかった。名前を忘れたが、滝がお湯だった温泉、私達が行った半年後に硫化水素中毒で亡くなった人の出た温泉、珍しい温泉を探しては行っていたあの頃が懐かしい。


「都心を歩く会」で多摩川を源流から羽田空港まで、何回かに分けて歩いた。大江戸線一周も行った。
あの頃はみんな元気だった。もう思い出の中で暮らすとのかと思うと、少々、寂しい。




 
花弁に止まり、蜜を吸うミツバチ


伊達季節移住のススメ 心の伊達市民 第一号

アクセス総数:1,390,237

北海道伊達市に2003年夏より毎年季節移住に来ていた東京出身のH氏。夏の間の3ヵ月間をトーヤレイクヒルG.C.のコテージに滞在していたが、ゴルフ場の閉鎖で滞在先を失う。それ以降は行く先が無く、都心で徘徊の毎日。

コメント

コメントを書く
お名前 必須

名前を入力してください。

メールアドレス
(表示されません)

正しいメールアドレスを入力してください。

コメント必須

コメントを入力してください。

コメントに不適切な言葉が含まれています

パスワード必須

パスワードを入力してください。

パスワードは半角小文字英数字で入力してください。

Cookie

心の伊達市民 第一号からの関連記事

伊達季節移住のススメ 心の伊達市民 第一号

アクセス総数:1,390,237

北海道伊達市に2003年夏より毎年季節移住に来ていた東京出身のH氏。夏の間の3ヵ月間をトーヤレイクヒルG.C.のコテージに滞在していたが、ゴルフ場の閉鎖で滞在先を失う。それ以降は行く先が無く、都心で徘徊の毎日。

心の伊達市民 第一号のよく読まれている記事(直近期間)

心の伊達市民 第一号のカテゴリー

心の伊達市民 第一号のハッシュタグ

心の伊達市民 第一号のアーカイブ