
心の伊達市民 第一号
和船を漕ぐ
ブログ閉鎖中の話題(2018年5月25日)
4月6日に門前仲町の大横川で、「深川桜まつり」のイベントで和船に乗った話を書いた。
その時の船頭の話で「毎週水曜日に横十間川の親水公園で、定例操船を行っている。希望すれば櫓こぎ体験も出来る」と聞いた。
これは面白そうだと思い、マンションの友人達を誘って出掛けることにして計画を立てた。

下調べに行った時の横十間川親水公園。
和船の定例操船を行っているのは、「和船友の会」という団体で、ホームページによると「和船友の会は1995 年に失われつつある和船を動態保存して、その操船技術を伝承するために江東区の呼びかけに応じて元漁師、船大工、地方での経験者などが集まり創設されたボランティア団体です。未経験者であっても練習して船頭になることができます。
通常は、江東区海辺の横十間川親水公園で乗船体験や櫓こぎ体験など、お客様に無料で乗っていただく活動を通して和船の操船技術の維持継承の活動をしています」とある。

和船は桟橋を離れる。
私は和船には思い出がある。
中学生の頃のことだが、友人(Eさん)と霞ヶ浦に釣りに行き、そこで和船を借りた。
Eさんが「俺は和船を漕げる」と言ったからだ。2人で和船に乗り、係の人が竹竿で船を岸から押し出した。和船の後ろに立ったEさんは、いっぱしの船頭のように見えた。
岸から離れた和船を格好良く漕いだのは良かったが、船は同じ場所をグルグル回るだけだった。
係員が別の船で近付き、「無理です」と言って、我々の船を岸に戻したのである。

江戸和船は船腹に銅板が張ってあり、粋を表現しているそうだ。 穏やかな水面を和船は滑るように進む。
晴れ男の私にしては珍しく、計画した水曜日に続けて2回も雨が降って延期となった。
やっと晴れた日には、参加者が減って私を含めて3人になってしまった。
横十間川親水公園の受付で住所・氏名・電話番号を書いて、救命胴着を身に付けて船は岸を離れた。
最初は船頭さんが自分で漕いで、操船方法を教えてくれる。そして我々の番になった。
いざとなったら、結構、難しい。でも船頭さんの手助けで、なんとか前に進む。

船頭さんの手助けで、和船を漕ぐ私。
和船は音も無く静かに進むので、とても気持ちが良い。
たった15分くらいの経験だったが、3~4日やれば、私でも出来そうに感じた。
帰りは下調べをしておいた「実用洋食」の店に行ったが、生憎の定休日だった。
仕方なく、近くの中華レストラン「バーミヤン」に入る。

船頭さんはボランティアで、この船頭さんは元サラリーマンだった。
ランチを頼んでしばらく経った頃に、Xさんが席を立った。
そして席に戻って来たら、ウーロン茶を手に持っていた。
私は「Xさん、それは有料ですよ」と言うと、慌てたXさんは「エ~、無料じゃないの!、それでは返して来る」と言った。私はとんでもない展開に、ただ見ているしかなかった。

和船は5艘あり、この日は3艘が使われていた。1日に100人くらい来るようだ。
サーバーからコップに注いだウーロン茶を手に持ってドリンクバーに戻ったXさんは、係員を見付けて何か話している。戻ったXさんに聞いてみた。「係の人はなんと言っていた?」。
「返されても困るので、飲んで下さい。でも2杯目からはお金を払って下さい」と言われたそうだ。
Xさんはファミリー・レストランの「ドリンクバー」を知らなかったらしい。
他にも、もう1人のYさんの可笑しな話があるが、別の機会に・・・。
こういう人達と付き合っていると、私の方が先にボケそうだ。

左足を前にして、腰を入れて櫓をこねるように漕ぐ。
(おまけの話)
和船の乗船の為に、事前に1人で現地に行ってランチの場所を探しておいた。
行きのバスで窓の左側に見えた「実用洋食」という看板が気になっていた。
そこで下見の帰りに3停留所戻ったところでバスを降りて、「実用洋食 七福」に入った。
店先の白い暖簾は歴史を感じさせるように、清潔に何回も洗っているような感じが良い。

洋食「七福」
外から見た感じと違い、中は地元で愛されているような庶民的な作りだった。
夫婦2人で経営しているようで、奥さんがきびきびと注文を取り料理を運ぶ。
「店名の実用洋食って、なんですか?」と聞きたかったが、とても聞ける雰囲気ではない。
壁に張り出したメニューの数が凄い。「本当に、こんなに作れるの?」と思った。

メニューの数がすごい。
壁のメニューから、「メンチカツ定食」を注文した。値段は670円で、銀座辺りの半値以下である。仰々しくメニューがテーブルに置いてなくて、余計なところに金を掛けず、壁のメニューを見てから注文してもらい、「味で勝負」というところが「実用」なのだろう。「実用洋食」の意味は分からなかったが、とても満足できたメンチカツだった。

メンチカツ定食(670円)
北海道伊達市に2003年夏より毎年季節移住に来ていた東京出身のH氏。夏の間の3ヵ月間をトーヤレイクヒルG.C.のコテージに滞在していたが、ゴルフ場の閉鎖で滞在先を失う。それ以降は行く先が無く、都心で徘徊の毎日。
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自然と人との調和を追求したい 〜美のクリエイター 長友加也の世界
お二人のお子様のママ。 そして。 珈琲焙煎所のオーナー。 またある時は。 ヨガインストラクター&美容整体師。 と、思えば。 時に少女。 時に少年。 果たしてその実態は…。 以前から、いつか取材をさせていただきたいと思っていた長友加也氏。 ようやくお話を伺うことができました。 お邪魔したのは『TOYACAFE』。 6年前に壮瞥町の地域おこし協力隊として移住をして来られ、3年の任期を終えて開業されたのが壮瞥温泉町の湖畔にある珈琲焙煎所『TOYACAFE』でした。 長友加也氏は静岡県浜松市生まれの39歳。 日本女子体育大学をご卒業されているので、バリバリの体育会系体質かと思いきや、意外にもそういう方ではありません。 いえ、そういう面も持ちながら感性豊かでしなやかな方です。 『TOYACAFE』を拠点に20年ほどのキャリアを持つ美容整体と、13年のキャリアを持つヨガインストラクターの仕事もマイペースで行っていらっしゃいます。 「珈琲焙煎については独学でした。小さな子どもがいますので、親になってからは、あくまでも子どもを中心に置いた上で、自分がやりたいことは何かを考えながら無理のないペースでやってきました。」 珈琲焙煎所のオーナーとしての加也さんについても詳しく書きたいところですが、そこの部分については今回こらえて…。 主にフェアトレードの豆を丁寧に手煎りで焙煎されているとだけ伝えておきます。 この度取材をさせていただいたのは、最近宣言された新たな肩書き『フォト(動画)クリエーター』としてのお仕事についてでした。 一見、お一人で何役も同時にこなすのは超人的だ!と思ってしまうのですが、なぜか加也さんからは、必死感というか、がむしゃら感というか、がんばっている感が伝わってきません。 淡々と。 粛々と。 自然体で自分の想いの方向に向かっているという自由な雰囲気を醸し出している。 これってものすごくクール! かっこいいなあと思います。 そんな加也さんに自己分析をしていただきました。 出た……宇宙人。 実は前回の記事の主人公も宇宙人でした ^^; 筆者はどうも宇宙人に引き寄せられるらしい…。 かくいう自分も宇宙人? いやそれはさておき…。 さらに続けてこう話されました。 これを伺って安心しました。 決してセンスだけで物事を極めているわけではなく、とことん追求してめいっぱい努力し、きちんと結果を出す人だということがわかったからです。 でも決してそれを表に出さない。 やはりかっこいい。 さらに尊敬してしまいます。 さて。 話をフォト(動画)クリエーターに戻します。 このお話。 実は加也さんのキャリアに裏付けられていました。 なんて素敵な!! これは、加也さんならでは、加也さんだからこそ撮れるものです。 そして今も続々と撮影依頼が来ているそうです。 独立宣言をするや否や舞い込む依頼に加也さん自身が驚いているご様子でした。 それは、これまでの加也さんの活動や発信が、必要な方にしっかりと伝わっていた証だと思います。 今回の取材でわかったこと。 『TOYACAFE』を拠点に置き、珈琲焙煎所・フォト(動画)クリエイター・ビューディーサロン(美容整体・ヨガ)と多方面に活躍しつつも、それは全て1本の軸を外れない活動でした。 365日の時間割の中で、全てが子育を中心とした隙間時間に見事に整理されていました。 長友加也氏は、しなやかな自由人かつ被写体に寄り添う美のクリエーターでした。 *画像は全ていただいたものです。 ―長友加也 情報― 長友加也Instagram https://instagram.com/kaya.n_film?igshid=YmMyMTA2M2Y= 長友加也Facebook https://www.facebook.com/takeuchi.kaya TOYACAFE Instagram https://instagram.com/toyacafe?igshid=YmMyMTA2M2Y= TOYACAFE HP https://toya-cafe.localinfo.jp クリエーター依頼 https://toya-cafe.localinfo.jp/pages/2702246/page_201903191041?fbclid=PAAaaRlA7qepU9u58JEGPIduBSXwsST_TFMjY2g7B4tXbxadOYI92yOhEeYlM (2023年1月取材)
Rietty
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【あの人に会いに】地域にひらく [ 坂本瑠美さん / 洞爺 ]
むしゃなびエリア(胆振・虻田地区)にて 一度は会いに行ってみてほしい、 地域を盛り上げる ”人” にフォーカスする企画 【あの人に会いに】vol.2 今回は、2024年6月2日(日)に 洞爺八幡神社にて開催される 『とうや古本市』の主催者 坂本瑠美さんにフィーチャーします。 瑠美さんが暮らしているのは洞爺地区。一緒に町を歩いてみると、並外れた情報量に驚きます。 「ここは〇〇さんが管理してくれてる場所でね……」「ここの道は子ども達と歩くのにとっても良い場所で……」「あ、〇〇さんがいる!寄っていこう!こんにちは~」……と、こんな様子でエンドレスに繰り出される地域のお話。 この地区の住民はほぼ全員知り合い、町のあらゆることに詳しい、まさに地域の生き字引。そんな瑠美さんなので、もう何十年も洞爺地区の住民かと思いきや……なんと移住してまだ8年だと言います。 「何年も前から居る人みたいだって、洞爺に来て数週間の時にはもう言われてたね (笑)」 多くの人と繋がり、大量の情報を蓄積し、それをまた人へ繋げていく。瑠美さんにとってはとても自然なことなのかもしれません。 移住の決め手は、子どもが沢山いること 瑠美さんは帯広市出身。清水高校の総合学科に進学します。とても自由な校風で、好奇心の赴くままに楽しく過ごし、”キャンプ好き”となっていきました。卒業後は札幌の調理専門学校へ。そこで旦那様と出会い、結婚・出産。若くして母となりました。瑠美さんについて特筆すべきことのひとつは、”子どもと仲良しな母ちゃん”。 「長男がもう20歳!長女も中3、子育てが終わっちゃうのが寂しい!!!」 札幌や江別で長く暮らしていましたが、よくキャンプに訪れていた洞爺湖に惹かれ、移住を決めます。長男が中学校に進学するタイミング、長女が小学校2年生の時でした。 「札幌はモノも人も多くて沢山繋がれるけど、都会ならではの子育てのしにくさもあって。例えば、騒音問題だったり、公園でボール遊びしちゃダメだったり、子どもだけで遊びにいけるところがなかったり……」 洞爺地区で、自由に遊ぶ地元の子ども達を見かけていたことが、のちに移住の決め手となりました。 地域に根差し、広がり続ける人脈 食べるの大好き、食べさせるのも大好き!な瑠美さんは、調理師として働いていましたが、洞爺移住後は「生産者側を経験したかった」と農家へ。3年程働き、調理の道へ戻ろうと転職を考え始めた頃に新型コロナウイルスが流行します。飲食業は縮小、調理師としての就職先は狭まっていました。そんな中、変わらずに募集があったのが保育園の給食室でした。 「午前は給食の調理をして、午後は学童スタッフとしても勤務できることになって。学童で子ども達と遊ぶのが、とっても楽しかったんだ~!ずっと一緒に遊んでいられる!」 偶然たどり着いた二つ目の天職。現在は学童の職員となり、時には給食センターやとうや水の駅食堂TSUDOUにて調理師も続けています。母でありながら3足の草鞋!とても忙しそうですが、まだまだそれだけではありません。 NPO法人地域自然活動センター森・水・人ネットの理事、PTA活動、洞爺八幡神社の総代、等々……ここに書ききれないほど多くの団体に携わっています。あちこちから声をかけられるひっぱりだこ、人脈は広がり続けます。 地域の神社をもっとオープンに! 沢山の活動のうちの一つ、洞爺八幡神社で開催している『とうや古本市』はどのようにして始まったのでしょうか。 きっかけは、瑠美さんが町内会の役割の一つとして、たまたま総代*になったことから。長く神社を支えてきた会長や総代たちの想いを聞き、動き出します。 「総代を務めたい人も少なくて、町内会で回り番でっていう感じで……もっと地域の若い人に楽しんで場所を繋いでもらわないとっていう危機感があったんだよね。会長も、もっと自由に使ってと言ってくれていて」 氏子……氏神様がお守りする地域に住んでいる人々。氏神神社の運営・維持、行事などを行う。 総代……氏子の総代表。祭祀や保持活動に努める役割を持つ人々。 ”本好き”という共通点があった会長や総代たち、話はとんとん拍子で進みました。 「(当時)本屋が無いこの地域で、本を手にとれる場所が欲しいよね、とよく話していて。神社での開催だから(予算をかけず)”ばくりっこ”で。この地域だとどんな本が出てくるんだろう、という興味もあったしね」 とうや古本市は、不要な本を持参し欲しい本を持って帰る、”ばくりっこ”スタイル。ゆったりとした境内では『その本は〇〇さんのオススメだよ』、『これ面白いね』と会話が生まれ、来場者が本を通して繋がっていきます。 「小さい頃この境内で遊んでいたという人たちが、『神社で何かやってる!』とたまたま来てくれたことがあって、そういうのも嬉しいよね」 ただ場を繋ぐためのイベントではなく、持続可能な開催を目指して主催者が楽しむことを大切にしていることも、とうや古本市の特徴。『焚き火で焼き芋がしたい』、『地域の楽しいお店も呼ぼう』……そうして、地域住民にも毎年楽しみにされるイベントとなりました。 子ども達のたまり場をひらきたい 地域のために動き続ける、実行力抜群の瑠美さん。これからやっていきたいこと、目指すところはあるのでしょうか。 「誰もが気軽にふらっと集まれるような、子ども達のたまり場を作りたいなと思っていて」 学童で日々子ども達と触れ合い、真っすぐな好奇心に共鳴していくうちに、もっと探求できる場をひらいてあげたいと思うように。 「大人は知りたいことを自分で見つけられるし、すぐに調べることもできる。でも、子ども達が自分でリーチできるものって、自分の周りにある環境だけ。すぐ近くに沢山の面白いこと・面白い人がいるから、それを繋いであげられる場所がほしいなって」 そんな場所ができたなら、子どもだけでなく大人も楽しめるスポットになりそうです。老若男女がワイワイ集い、誰でもフラットな関係で、好奇心のままに学びを追求できる……素敵な”未来の場”のイメージが浮かびました。 来る6月2日(日) のとうや古本市は、そんな明るい未来の話が自然と生まれる場所でもあります。とにかく多忙な瑠美さんとゆったり話せる、貴重な機会かもしれません。新緑が眩しい、気持ちの良い境内を楽しみに、ぜひ足を運んでみてください。明るい瑠美さんにつられて、笑顔になってしまうこと間違いなしです。 <とうや古本市> 日時:2024年6月2日(日)10:00~15:00 場所:洞爺八幡神社(虻田郡洞爺湖町字洞爺町1番地) ★入場無料、飲食や雑貨など各種出店あり ★お家に眠る不要な本がありましたら、ぜひご持参ください! ★とうや古本市は、年2回、春・秋に開催しています。今回が5回目!
misaki
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温めつづけた想い。「鹿の子」は夢のかたち
2021年5月1日 オーナーさんのお言葉をお借りすれば…。 壮瞥町に「ひっそりと」オープンされたのは、雑貨屋「鹿の子(かのこ)」さんです。 若い頃から雑貨好きで、収集もされていたというオーナーの三松こずえさん。 いつの日か自分の雑貨屋をもちたい! 壮瞥町の子育て支援センターにて保育士のお仕事をされながら、夢をあきらめずにいた 三松こずえさんは、この度、念願の雑貨店をオープンさせました。 このときはまだちょっと緊張した面持ちでした♡ どうやらこちらの店舗、ご自宅とひと続きのようです…。 はじめから店舗付き住宅として建てられているのでは? そう、奥様の夢を知る旦那様のご協力があってのこととお見受けいたしました。それを証拠に、取材中もせっせと外回りを整備する旦那様がいらっしゃいました♡ オープン初日は奥様を心配する旦那様の方が、そわそわと落ち着かないご様子に思わずほっこり ^^ アンティーク雑貨も並びます。 電笠も素敵。 有珠山ジオパーク友の会手工芸部会の作品も並びます。 お取扱い商品は、ガラス製品・「po-to-bo-」の陶製アクセサリー・「エル・ディマンシュ」のはがき・リネン・生活雑貨・絵本・アンティーク雑貨など、こずえさんのお気に入りのものたち。 ガラスでも陶器でも不思議な温かさを持っています。 きっと、こずえさんの温かさが商品にも映っているのだと思います po-to-bo-の陶器アクセサリー ハリオのアクセサリー こちらもハリオ アンティークガラス雑貨とリネン さてさて。 皆様、ここでちょっと「子鹿のお尻」と入れて検索してみてください♪ すると、とっても可愛い子鹿のお尻画像がいろいろ現れますよね? いかがでしょうか? キュンとなるほど可愛いでしょ? 思わず触れたくなるでしょ? とても癒やされるでしょ? エルディマンシェのはがき。 実はこれこそが「鹿の子」さんが目指すところなのです。 そこに存在するだけでほんわか癒やされる。 保育士さんならではの視点のような気がします。 響きも可愛いですし。 洞爺湖や昭和新山がある美しい景観のなか、小さな店ながらもホッとする空間でありたい。 特にいまコロナ禍で、人の心までもが殺伐としたものになりそうな空気にあって、「鹿の子に行くと落ち着くよね。癒やされるよね。」と、人々が自然と足が向いてしまう。 そんな肩の力が抜けて息抜きができる空間でありたい。 それが、こずえさんの想いなのです。 お友達からのお花もたくさん。 「今はオープンできたことが嬉しくて先のことはあまり考えられないですが、将来は、作家物の展示会などもできたらいいななんて思っています。」 と、恥ずかしそうに笑い、そして続けた言葉。 「ひっそりと、のんびりと出来たら嬉しいです。」 あくまでも控えめなこずえさんです。 きっと、そんなお人柄に惹かれたお客様が、くつろぎの場として訪れることと思います。 絵本のなかに入り込んだような「鹿の子」さん。 シンプルで優しく可愛いものたちに目移りしますが、一番可愛く魅力的なのは こずえさんでした。 ゆっくりと流れる時間を、皆様もお楽しみくださいね。 店舗情報: 雑貨屋「鹿の子」 北海道有珠郡壮瞥町字壮瞥温泉81-37 営業日 土・日・祝日 ★不定休ありますので、Instagram や Googlemap でご確認ください。 電話 0142-82-3700 mail kanokotokonoka@gmail.com ※地図修正しました(2021.05.03 編集部) ※記事の内容は取材時の情報に基づいています(取材2021年)。 ※シェア、リンク大歓迎です!
Rietty
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きのこから森を観て、森から地球を観る 〜愛ある きのこアドバイザー 中嶋潔ワールドへようこそ!
きのこ観察会にて この日は、倶知安にある「GURUGULU」というオフグリットのゲストハウスで「きのこ観察会」が行われました。 参加者は小さなお子様から大人までの15~6人。 この日筆者は、「きのこ観察会」への参加と、今回の主人公 中嶋潔氏 の取材目的で出かけて行きました。 お天気最高の野外活動日和♪ 実は筆者、潔さんの観察会には“きのこ”以外でも参加しています。 今回で4回目。 中嶋潔ワールドは、毎回飽きることなく楽しい時間を過ごせます。 何故かって? それはきっと、森愛溢れる潔さんと森にいると、とても楽しくて、平和で、幸福感が何倍にもなるから。 森がいっぱいの日本に住んでいて良かった! 地球に生まれて良かった! そんな幸せの時間を与えてくれる人だからです。 子どもも大人も惹きつける潔さんの技はひとえにお人柄が成すものです。 子どもって、そういうところを察する力に長けていますので、すぐに人気者になってしまいます。 中には、きのこ博士くん候補生のように詳しい子もいました。 毎回観察会を楽しみにしているご家族もいらっしゃるようです。 そして観察会の締めは約11種類もの“きのこ”が入ったうどんを毎回振る舞ってくれます。 実は皆、これも大の楽しみ🎶 林床への興味 実は潔さんは、あの難関資格「森林インストラクター」でもあり、「きのこアドバイザー」でもある森の人。 2001年から6年間林業に携わり、現在はニセコのリゾート会社にお勤めです。 「北大のポプラ並木が倒れたり、支笏湖周辺の森の木が軒並みなぎ倒された大きな台風が来た2004年、悲しいことにリストラに遭ってしまいました。管理する木がほとんど倒れて無くなってしまったからです。でも林業の仕事が大好きだったのでその後は民間会社の林業部門で働きました。林業に携わっていた6年間で行っていたのは、育苗・植林・伐採・管理。おもにトドマツ・アカエゾマツ・カラマツ・ミズナラ・ケヤマハンノキなどを植えていました。働き始めた頃は何も知らなかった樹木の名前も、毎日触れて観察をしているうちに、2年で倶知安周辺の樹木は全て覚えてしまいました。この地域の樹木について、ある程度把握できてきた時に、次に興味が湧いたのが、いつも樹木のそばの地面にいる、きのこたちでした。」 「興味を持ち始めた頃から直ぐに“きのこ観察会”を催すようになりました。自分自身はまだまだよくわからなかったので、黙々と独学もしつつ、『誰か詳しい人!?』と呼びかけて興味がある人や詳しい人と一緒に観察をすることで少しずつ覚えていきました。最初の頃は図鑑を森に持って行き、調べながら歩いていました。でもそれをやるとなかなか進まず多くを観察できません。実は、“きのこ”ってまだ良く分かっていないことが多いです。日本には5千〜1万種類くらいはあると言われていますが、その内、名前が付いているのは2500種類くらいです。そしてそれらのうち、一般的な図鑑に掲載されているものが800種類ほどです。名前のない不明菌と呼ばれるものの方が非常に多いことになります。実際に森を歩いていてもわからないものがたくさんあるわけです。だから、図鑑を持ち歩くのはとても非効率になります。ある日、北海道大学名誉教授の五十嵐教授の観察会の仕方を見て衝撃を受けました。森の中では一切図鑑を開かなかったのです。だから、僕も現場で図鑑を開かずに、種を言い当てることができるようになる努力をしました。きのこ用のカメラを買い、色々な角度から写真に収めてあとで調べるという方法をとりました。10年くらい続けてやっと種の見分けに信憑性が出てきたかな〜。」 にわか仕込みで覚えようとしている筆者には耳が痛い話です^^; 「また、FaceBookでは『北海道のきのこ好き』というグループを作って、常に新鮮な情報交換をしています。オンライン上の趣味のグループって、とかくイザコザが起きやすいのですが、このグループは居心地の良いグループにしたかったので、しっかりルールを守り、ネット上のマナーをわかってくれる人のみを承認するようにしています。自分がなかなか見られない“きのこ”も皆さんがシェアしてくれるのでとても勉強になります。」 常に学ぶ姿勢を止めない潔さんです、 そしてじきに、潔さんに転機がやってきます。 「ニセコのある会社から、スキー場ゴンドラの夏季営業を始めるに際し、山頂で自然体験部門を立ち上げるのでその担当者にならないかという話しが舞い込みました。好きな分野でしたので直ぐにお引き受けし、2007年から2020年に廃止されるまで担当しました。コロナ禍がきっかけでその部門はなくなってしまい、今は別のセクションにいるのですがあれは楽しい仕事でした。」 今ももちろん“きのこ”への愛は変わらず持ち続け、観察会活動はライフワークとして続けているというわけです。 「ところで、“きのこ”は確かに可愛くて面白いですが、それほどまでにのめり込んだのは何故ですか?どこにそんな魅力を感じたのでしょうか?」 「石炭期を終わらせたのは“きのこ”だという話を知っていますか?」 「え? あ…はい。一応ネイチャーガイドの端くれですので…」 「“きのこ”への興味は食べられるor食べられないだけではありません。まず、一期一会で神出鬼没なところが面白いのです。“きのこ”への興味を覚えてから20年超えてもまだまだ情報は更新し続けています。実に奥が深い。地球上の“きのこ”の登場は、酸素と二酸化炭素濃度のバランスに関係しています。地球上にきのこが登場する前、植物たちは枯れても分解されることがないので、その遺骸は地面に溜まり続け、それが石炭となって地面の中に二酸化炭素の多くを封じ込めてしまいました。そのため地球の酸素濃度はどんどん上がり続けましたが、“きのこ”を含む菌類の登場により、死んだ樹木を菌類が分解するようになり、石炭はできなくなってしまいました。その後、大気は現状の酸素濃度で安定し、土壌も変化し生き物は進化し、現生の植物が誕生しました。“きのこ”の登場は、地球上の生物や植物にとってとても大きな出来事だったのです。“きのこ”をはじめとした菌類が地球上の生命活動の重要な鍵を握っているわけです。」 なるほど〜。 もうかなり前のめりな筆者。 目がキラキラしているのを自覚しました。 もっともっとその続きを聴きたい衝動を堪えて、取材モードに戻しました。 同時にここで、潔さんが一体どんな子ども時代、青年時代を過ごしたのかということに俄然興味が湧いてきました。 潔氏 小学生〜大学生の頃 「小学生の頃は物知り博士的キャラでした笑」 「それって今と変わらないですね笑」 「そうだね。たぶん僕は父親の影響をかなり受けていると思います。父は兵庫県赤穂市生まれで海育ちだったので、海が大好きな人でした。よく釣りやキャンプへ行ったなあ。今でいうグランピングのようなキャンプも体験させてくれました。父自作の2段ベッドがテントの中にあったんです。自然の中での過ごし方の基本を習ったのは父からでした。そして、ものすごい読書家で聡明でした。物事を科学的に考えることがとても好きな人で、それを試してみるのも好きでした。手先もとても器用だったので、周りが驚くようなものを色々作っていたなあ〜笑」 お父様のことを楽しそうに話す潔さん。 “ 困った人” “ 変な人 ” という言葉が何回も出てきましたが、その言葉の裏にある尊敬と愛が込められていることも筆者には伝わっていました。 「例えばね、自宅の一角にコンクリートの建物を作って、屋上に畑を作ったこともありました。ところが階段がない。梯子で上るわけです。そして父親だけはトイレを使わず糞尿を肥料として屋上の畑に撒くわけです。周りは住宅街。当然臭う。当時、父はEM菌関連の本を読み漁って研究をしました。決して環境問題に傾倒していたというわけではなく、素朴な感情で超循環の暮らしをしたいと考え、自給自足を目指していたのだと思います。大変だったのはお袋だろうなあ〜笑」 「あ。こんなこともありました。当時大阪府に住んでいたのですが、自宅の近くに天の川という名の川が流れていて、その河川付近に遊んでいる土地があると放っておけない。開墾しちゃうんですね。特に迷惑を被る人はいないとは思いますが、まあ、今なら問題になりそうですよね…^^; とにかく、学校では学べない自由な世界があることを父が教えてくれました。」 お父様のお話を伺っていたのですが、途中から潔さん自身のお話を聴いている錯覚を起こすほど、お父様の影響を強く受けていらっしゃるなあと感じて、心の中でクスッとしてしまいました。 「中学生の頃は自転車少年でした。自転車の旅が好きで、高校の卒業記念に友達と13泊14日四国の野営旅をしたこともありました。高校時代はワンゲル部・新聞部・クイズ同好会を掛け持ちしていました。自然の中にいることも、ものを読んだり書いたりすることも当時から好きでした。北海道新聞のコラムを12年間連載したこともあります。」 しまった…。 またやってしまった…。 最近どうもうっかりとモノを書く人を取材相手に選んでしまいます。 潔さんは常に笑いながら話してくれるのですが、緊張が走った瞬間でした ^^; 「大学時代はワンゲル部一筋でした。山は本当に好きで、仏教系の大学で哲学を学んでいたのですが、卒業後は北アルプスの山小屋で夏から秋まで五年間、小屋番をしていました。」 小学生から大学生時代のお話を聴き終わり、目の前にいる潔さんを作り上げてきた道筋が見えた気がしてものすごく腑に落ちました。 キノコから森を観つづけた潔さんが成し遂げたい想いとは 「最後に、成し遂げたい想いがあったら教えていただけますか?」 筆者が投げかけた質問に、それまで、ニコニコと顔いっぱいの笑顔で話していた潔さんの顔つきが急に変わりました。 「キノコは森を観る窓だと思っています。」 そう切り出した話の続きはこうでした。 「北海道の70%は森林と言われています。ずっと森を観てきた人間として、キノコを通して北海道だからこその森の守り方・育て方・稼ぎ方などを仕組み化していきたいと考えています。ご存じですか?北海道の人工林の約50%はトドマツ林です。 そしてなんと、トドマツ林にはおそらく世界で一番キノコの種類が多く生えているのです。 しかも、トドマツ林は保護林の中には存在しない。つまり、林床の利用は自由です。 北海道にしかできない「トドマツ林限定のきのこの資格制度」を作りたいと考えています。その資格制度を作ることで、北海道の人工林に最も多いトドマツ林に生えるキノコを熟知している人を増やせば、世界で最もキノコを理解している人を増やすことになります。キノコの理解者を増やすことで、森は森のまま木々を適正に管理して守り・育てることができます。木を切って売る林業ではなく、林床のキノコを売って稼ぐ林業を成り立たせる仕組み作りをしたい。トドマツの林床に生えるキノコの中には、マツタケよりも高値で取引されるものもあるんです。そして、その仕組みを推進する立場として『トドマツ林限定のきのこマイスター』が存在する。人工林ってね、人里に近いところにあるわけです。しかも人工林には必ず林道があるし、トドマツ林には笹がない。それらもその新しい仕組み作りにはメリットになります。つまり、人が入りやすくキノコが生えやすい環境である宝の森と言えるわけです。つまり、何をやりたいのかをもう一度と言うと、”森は森のまま維持する林業”の仕組み作りのために「トドマツ林限定のきのこの資格制度」を作りたい!と考えているんです。」 土の中や倒れた木の中で、人間の目には触れない世界の中に無数に張り巡らされている菌糸たちのネットワーク。 そして、空気中に飛び出した見えない胞子たち。 地表の循環の立て役者キノコたちを通して語る潔ワールドの森愛・地球愛・人間愛にすっかり魅了され、潔さんの成し遂げたい想いを応援したくなった筆者でした。 ―中嶋 潔氏 情報― FB : https://www.facebook.com/kiyoshi.nakashima.18 FB : 「北海道のきのこ好き」 ・倶知安「風土館」にて時々講演をしています。 ・「北海道のきのこ好き」に参加すると、各種ワークショップ情報を得られます。 10/29にも倶知安「GURUGURU」にてキノコ観察会があります。
Rietty
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