
心の伊達市民 第一号
以前に中央区がシニア向けに開催した、「般若心経」の写経教室に通ったことがある。
3ヵ月間の教室だったが、なぜか気に入ってしまい終了後も家で暇さえあれば写経をしていた。最初は薄い字で書かれたお手本をなぞって書く。しかし初めてだと、それが結構難しい。
それが終るとお手本の上に半紙を置いて、上からお手本をなぞって書くようになる。
その内に「なんとかなりそうだ」という境地に達して、手本を見ながら書くようになった。
1つのことに熱中すると、なかなか気分は良い。なにも考えずに、手本を見て書く。
しかし飽きっぽい私のことなので、極める前に飽きて止めてしまった。
写経を始めたそもそもの動機は、「知り合いの葬儀の時に、受付で筆を渡されて困った」ことに発している。
筆に限らず、ボールペンでも私は字が下手である。
「字の下手な人は教養が無い」と思われているのではないかと感じて、字が上手になりたかったのである。
般若心経は正式には「般若波羅蜜多心経」と言い、262文字のお経である。
元々はインドのサンスクリット語の経典で、それを「西遊記」で有名な三蔵法師「玄奘が中国に持ち帰り20年をかけて翻訳したのが現在の「般若心経」そうだ。経典の漢字はサンスクリット語と同じ音を当て嵌めたので、多くは特に意味は無いそうだ。
このお経の中には「空」が多く登場する。そこには「色即是空」という熟語が出て来るが、この意味は「世の中の事物や現象は実態が無く、全て無である」ということのようだ。私はまだその境地には至っていない。
なぜ般若心経の話になったかと言えば、新聞で「般若心経 私は歌う」という記事を読んだことからである。この本の著者は薬師寺寛邦という僧侶で、今治市にある臨済宗・海禅寺の副住職をしている人だ。
中央区図書館に蔵書がないか調べてみたら、生憎だが無かった。
そこで購入依頼をしておいた。
私の住む中央区は財政が豊からしく、私が希望した本は殆ど購入してくれる。
まことにありがたい中央区だ。
薬師寺寛邦師はミュージシャンでもあり、京都で「キッサコ」というグループを作り音楽活動をしている。そのグループ名を見た時に、私は「変な名前のグループ名だなー」と思った。ネットで調べてみたら、「キッサコ」とは漢字で「喫茶去」と書き、それは禅語だそうである。
その意味は元々は「お茶でも飲んで去れ」という叱責する意味だったそうだが、後にそれが「お茶でも召し上がれ」の意に解され、「日常即仏法の境地を示す語」と誤解されたとあった。
「キッサコ」の般若心経の動画を見た。
驚いたが般若心経というお経は、非常にリズムカルで音楽的だった。
どちらかと言うとジャズのようで、自然に体が受け入れるような感じである。
日本人のDNAが関係あるのかもしれないが、演歌よりは受け入れられ易いように感じた。生臭坊主が多い仏教界で、異色の僧侶が居ることに感動した。
【般若心経 私は歌う】「動画」・・・https://www.youtube.com/watch?v=_afssYk-CUQ
(おまけの話)
般若心経の話を書いたので、久し振りに門前仲町の「深川不動尊」に行ってみた。
自分でも般若心経と、深川不動尊の関係は分からないので調べてみた。。
すると深川不動尊は「真言宗」であった。
以前の私は仏教の全ての宗派が「般若心経」を唱えると思っていたら、全く違っていた。今でもそうだが私は宗教にはあまり関心が無いので、知らないことが多いと思っている。
そこでまたネットで調べたら、般若心経を採用している宗派は真言宗、禅宗、天台宗、法相宗のようである。
私の実家は禅宗であったが、私がここへ越して来て購入したロッカー式のお墓は「築地本願寺」なので、浄土真宗であった。だから般若心経は唱えないで、代わりに「正信念仏偈(しょうしんねんぶつげ)」を唱える。
・・・という次第で、私は都バスに乗って門前仲町の「深川不動尊」に向かった。
午前11時からの護摩供養を見るためである。
深川不動尊では護摩供養が1日4回、行われている。
私がこの護摩供養を好きなのは、盛大に火を燃やし、ほら貝・笛・太鼓を使い賑やかに供養を行うところだ。まるでジャズセッションのようだ。以前にベトナム人実習生を連れて行ったことがあるが、みな大喜びだった。
この様子を写真に撮りたいのだが、「撮影禁止」なのでお見せ出来ないのが残念だ。
現在でもコロナ対策として、僧侶はマスク、護摩供養参加者の席は前後左右をアクリル板で仕切ってある。
午前11時になり、11人の僧侶が登場した。
先頭の5人がほら貝を吹いて進んで行く。もし彼らの中にコロナ感染者がいたら、参加者に振り撒いてしまう。大僧正が所定の位置に着き、いよいよ護摩供養が始まる。
声の良い僧侶が朗々と読経する。それに合わせて、大太鼓2人、中太鼓2人がバチを振り上げる。護摩供養の火炎が高く上がる。木魚のような楽器も打ち鳴らす。大太鼓の響きが体を襲う。40分ほどで全てが終ると、体の中のモヤモヤが追い出されたような気持になる。なかなか良い体験である。
北海道伊達市に2003年夏より毎年季節移住に来ていた東京出身のH氏。夏の間の3ヵ月間をトーヤレイクヒルG.C.のコテージに滞在していたが、ゴルフ場の閉鎖で滞在先を失う。それ以降は行く先が無く、都心で徘徊の毎日。
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布でつづる千羽鶴 [1000PEACE / 室蘭・札幌]
布をつなぐ、人をつなぐ、命をつなぐ。 今、室蘭からじわりじわりと広がり始めている集団アートの動きがあります。 ひとつひとつ”はぎれ”を手で縫って作られた、ハートをくわえた小鳥たち。ハート部分には参加者の名前やイニシャルが刺繍されています。これをタペストリーに縫い付けていき、どんどん集まっていくと…… 月へ向かうことりの群れが描かれた、巨大なタペストリーとなります。完成目標は1,000羽、長さ14m相当です。 ”月は星座と違って、世界中のどこから見ても同じ形だから”、”欠けて見えなくなっても、必ず光が戻るから” 、このデザインにしたそうです。 このプロジェクトの名前は「1000のことり」。布でつづる千羽鶴、アートによる平和の意志表示です。政治的なスローガンや言葉は一切使わず、”ころさないで”の一点で、そしてサイン(イニシャル・マークも可)の刺繍だけで、1,000人が繋がります。このタペストリーは完成後、「非戦」を求める場に飾られます。サイン参加者が使用することも可能だそうです。 ひとりひとりの想いが込められたパッチワークの美しさにエネルギーを感じます。現在、北は札幌、南は佐賀県まで参加者がいるとのこと。平和に心をよせるアートの波が、ゆるやかに広がっていっています。 今年20周年を迎える 『1000PEACE』 『1000PEACE』は、「戦争は昔話じゃない。現在進行形のリアルだ。お金も、地位もない、無名の自分にできることは何?」と感じた人たちが集まってできた有志団体です。 「未来の世代につながる具体的な行動をしている個人や団体を応援する」のが活動内容。対象は、国外・国内を問わず、忙しい日常の中で自分たちにできることをしています。活動内容は、その都度集まった人たちで自由に考え、話し合って決めます。 戦後60年の年であった2005年7月、募金を集めイラクの水支援に送ったことが始まり。そして今年20周年を迎えます。主に札幌を拠点に活動していましたが、今は室蘭に拠点が移っています。 直近では、パレスチナのこども達の心のケアの一環として、「パレスチナへのことり」プロジェクトもありました。北海道パレスチナ医療奉仕団の後発隊メンバーに「日本からのお土産」を託そうと、2024年10月~12月の間に子どもが描いた絵とカードを集めたのです。しかし現地の状況が緊迫し渡航を断念。次の渡航がいつになるかはわかりませんが、集まった169枚の絵はそれまで大切に保管されるとのことです。日本のこども達の絵とことり達がパレスチナのこども達に届く日が早く来ますように。 『1000のことり』に参加するには 1000PEACE には公的な事務所がないため、代表個人の連絡先が問い合わせ先となっています。「自分も参加したい」「ことりを預かって周りに声をかけるよ」という方がいらっしゃいましたら、下記問い合わせフォームよりお問い合わせください。 ~『1000のことり』参加の流れ~ ①お問い合わせフォームから『1000PEACE』と繋がる ▶直接お会いできる方 ②好きなことりセットを選ぶ ③参加シートにお名前を記入して戻す(ご自身で刺繍してもOK) ④片方のことりは自分のものに! ▶遠方の方 参加ハガキに記入していただき、後日、片方のことりが届きます。 実はことり達は双子で、1セット2羽になっており、片方は参加者が貰えるんです!ことりのハートにサインを縫って終わりではなく、このタペストリーがどこかで飾られるとき、自分のことりを探せるというワクワクが残されるのです。その場で終わりとならない、日常で忘れてしまいそうなときに思い出させてくれることりが近くにいてくれるのも大切ですね。ご興味を持たれた方は下記リンクよりお問い合わせください。 ~参加希望、お問い合わせはこちらまで~(筆者が代表の方をお繋ぎします。)
misaki
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愛こそ全てです! 占いスペース ”タリズマン“ の言霊
衝撃的な取材の始まり まずはちょい怪しげなタリズマン北條マスターの意外な経歴から。 東京の某大学教育学部出身の58歳。 教師である母と二人の母子家庭で育つ。 本当は獣医になりたかったが、奨学金を受けることに抵抗を感じ、獣医の道を諦める。 大学卒業後は教師ではなく、某大手金融関係の会社に就職。そして時代はバブル期。 怪しい?タリズマンのマスター 筆者が市役所通りにある”占いの館「タリズマン」“ の存在を知ったのは20年ほど前のことです。 「むしゃなび」ページを見た時、なんとなく警戒心を持ってしまう (本当にごめんなさい!)占い師の方がいるなあ…と、思ってしまったのが最初の出会いでした。 それから何度かお見かけすることはあったものの、「占っていただきたい!」という気持ちには、正直、この取材日までなりませんでした。 でも、取材を終えた今ならば「是非占っていただきたい!」と思っています。 店内はスピリチュアルなグッズでいっぱい 自分ではなくなっていた二年間 「1日に200万円くらい使うことに何の疑問も持たない毎日を過ごしていましたが、ある日、” そういえば、俺、万札しか使っていないし、受け取った釣りを使ったことないな ” そう思って数えてみたら、なんと溜まった釣り銭(札込み)が60万円もあったのです。もう愕然としました。その時、自分が自分でなくなっていることにようやく気づきました。だから会社を辞めました。辞めた時、2400万円くらい貯金がありました。 でも、お金の使い方の癖はそうそう直るわけもなく、退職後1年で900万円もの借金を抱えてしまいました。」 つまり、1年で3300万円使った計算になります。 「決定的に自分を否定したのは、飼っていた犬を餓死させたことでした。犬の餌すら用意してやれなくなっていました。たった数百円の金を握りしめ、電車に乗って、辿り着いたところで死のうと思っていました。 そんな気持ちで新宿をふらふらと彷徨っていた時、一人のホームレスに声を掛けられました。”おまえ、死のうと思っているだろ? 生きていてなんぼだぞ ” そう言われたんです。見抜かれたのがすごく悔しかった。なんでおまえなんかに言われなきゃいけないんだ!と心底悔しかった。」 日本の多くの霊験あらたかな各所をまわる 後日、そのホームレスを探しに行ったそうですが、どこを探しても、誰に聞いても、その手がかりは得られませんでした。 もうお気づきの方もいらっしゃるかもしれませんが、そのホームレスはマスターの守護霊だったのです。 つまり、人ではありませんでした。 (さて、皆様。 大丈夫でしょうか? 話について来られていますか?) 見えない世界のこと 世の中、見えている世界だけではないことに、筆者も薄々感づいてはいますが、何しろ誰にでも見えるものでないので、正直、胡散臭く感じてしまう人もいらっしゃることと思います。 けれども、「何かを察する」とか、根拠なく「そんな気がする」とかという経験は誰にでもあるはず。 そう、第6感的な。 きっとマスターは、それがしっかりと見えてしまい、しっかりと感じてしまう能力をお持ちなのだと思うのです。 多くの芸能人もお忍びで訪れる それが証拠に、このお仕事をされて33年。 なんと10万人以上の方を占って来られたといいます。 伊達の市役所通りでひっそりと占いスペースを営んでいらっしゃるにも関わらず、日本全国からお客様は集まってきます。 中には、有名芸能人の方も多数いらっしゃいます。 さて、話を戻します。 タロットカードを使いながら霊感と合わせる 自分の守護霊だったホームレスに出会ったその足で、マスターは六本木の「タリム」という占いの館に頭を下げ、占い師として雇ってもらうことになりました。 「そこでは死ぬ気で働きました。1年1ヶ月で900万円の借金を返し終わった後は、お導きを受けるように高野山で3ヶ月の修行をしました。弥勒の世界に惹かれたのです。その後は札幌・苫小牧・函館と点々としながら、妻の故郷の伊達に根を下ろすことになりました。この占いスペースを開いて27年になります。」 お客様からいろいろなフィギュア類が集まってくる・・・ (さてさて、皆様‥。 もう一度お尋ねします。 大丈夫でしょうか? 話について来られていますか? Rietty大丈夫? とか思ってはいませんか? Riettyはもちろん大丈夫!) 実は、文章にはし辛いくだりもあったりで、分かりにくいかもしれませんが、そこはほら、見えない世界の話が多いので、ちょっぴり察しながらお読みいただければと思います。 霊力を高めるお祈りも欠かさない 何故占いを仕事にできるのか? そこで、一体何故どうして「占い師」なのか? それが皆様一番気になるところだと思います。 さきほど、この世に存在しないホームレスとの出会いのところでもサラッと書きましたが、つまりはマスターは霊能力者なのです。 守護霊と会話ができます。 ですので、相談に来られた方の守護霊のメッセージを代弁してお伝えする役目を担っています。 時に真剣な眼差しで何かを感じとる 「子どもの頃から、大人からすれば見えてはいけないものが見える子どもでした。でも当時の僕は、みんな同じように見えているものだと思っていました。ところがどうやらそうではなく、見えたことを口にしては嫌われるし虐められし友達も居なくなるのだということを学びました。例えばこんなエピソードがあります。ある人を見た時、この後この人は死ぬということが分かってしまう。それで、そのまま口にしたら、周りの大人に酷く怒られました。でも、確かにその方は死んでしまった。当然、気持ち悪い子どもという烙印が押されてしまいます。そんなことが何度かあったうちに、2度と見えたことを口にしなくなりました。例え見えても言ってはいけないということがわかったのです。だからもちろん、仕事にしようなんて思いませんでした。絶対に占い師なんかになりたくない!とさえ思っていました。ところが運命というか宿命というか…。今はこれが仕事になっているわけです。」 さあ、ここまで書いたお話を『信じるも信じないもあなた次第』です。 馬鹿馬鹿しいと思うのも、素晴らしいと思うのも皆様の自由です。 全てを救うのは愛 でも筆者は、たくさんのお話をする中で、マスターの 根底にある「地球への愛・世界への愛・自然への愛・人間への愛」を、とても強く感じてしまいました。 それが、次のお話に表れています。 「僕はお客様に生かされています。だからお守りしたい。」 「僕は、お客様に生かされています。だから、僕もお客様が楽しく命の継続をしていけるようにその方をお守りしている守護霊様の代弁者となります。お客様をお守りしたいと思っています。今この時代、一番大切なのは愛をおいて他には何もありません。生きている上で一番嬉しいこと、幸せなことを思い起こしてみてください。それは、自分にとって大切な人が、自分を認めてくれて側にいてくれることですし、家族になること、愛し合うことではないですか? だから、お客様が愛を持って生きられるように、愛に守られるように、守護霊様のお力を借りて道しるべを立てて差し上げたいのです。」 いかがでしょうか? 筆者はこのお話でとても腑に落ちました。 最後にこんな質問をさせていただきました。 「占い師をやってよかったと思いますか?」 「正直わからないです。でもこれしかできない。きっとお客さまの評価が全てなのだと思います。そして個人的には幸せです。家族もいますし。例え未来が見えたとしてもとても幸せです。もし皆様が “いかに生きるべきか?と迷われた時に、もし興味があったらどうぞ ”タリズマン“ の扉を開けてください。」 怪しいか怪しくないか決めるのはあなた次第 もう一度、書きます。 信じるも信じないもあなた次第です。 けれども、筆者は信じます。 ―タリズマン情報― 占いの80%は霊視。 タロットカードと併せながら占います。 今回のむしゃなび占いはこちら まずはお気軽にお電話で相談ください
Rietty
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