心の伊達市民 第一号
少し涼しくなって来たら、落ち着いて色々と考えることが出来るようになった。
いま一番の心配事は「私はいつまで生きるのだろう?」ということである。
現役の時は全く考えもしなかったことである。
引退してもしばらくは「やりたいこと」が多く、先のことはあまり考えなかった。それが「やりたいこと」の多くをやってしまった頃から、「私はいつまで生きるのだろう?」となった。
昔は「長寿は目出度い」ことだった。
私の若い頃は60歳の還暦で、「赤いちゃんちゃんこ」を着て嬉しそうにしている年寄りを身近に見た。自分がその年になった時には「60歳は当り前」になっていたので、何もせずに通り過ぎて行った。
それが70歳近くになると、ボチボチと同級生にお迎えが来た知らせを受けるようになった。そして特に親しくしていた友人の3人を失った。
私より誕生日が若い友人に先に逝かれると、心のダメージが大きい。
特に自らアチラヘ逝ってしまった友人の時は、『なぜ相談してくれなかったのだ?』と悔やまれた。いまのマンションで付き合っている友人達は私が70歳を越してから知り合った男達なので、同級生達のように心を許してはいない。
若さの溢れる時代を共に過ごした思い出も無いのだから、それも仕方ないと思っている。彼等とはたまにカフェでお茶をするが、「病気」と「介護」と「現役時代の会社」の話で建設的でない。
コロナのせいで同級生達と定期的に行って来た「都心を歩く会」も休止状態である。いまはメールだけで連絡をし合っているが、会わないでいると段々と疎遠になるようで怖い。家族以外とは誰とも会わない生活が2年半も続くと、1人に慣れてしまう。するとかえって面倒が無く、「これも悪くない」と思うようになった。「一人っ子」というのは、こんな感じなんだろうと思っている。
年と共に起きるのが、「忘れっぽい」、「目が悪くなる」、「耳が遠くなる」、「睡眠時間が短くなる」、「小食になる」など色々あるが、それでも家族は今でも私を「家長」として考えているのが困る。
忘れないように「なんでも手帳やメモに書く」ことを心掛けているが、それでも時々、そのメモを持って来るのを忘れることがある。手帳に書いた日にちを間違えて映画館に行ったら前日の予約で、入場料を2度払いしたこともある。
テレビを見ていると女房に「音が大き過ぎる」と言われてボリュームを下げられて、今度は私が聞こえないが黙って我慢している。毎日の夕食の支度をしている女房から、『何か食べたいものは無い?』と聞かれる。
小食になった上に、特に食べたいものも無くなって来たので返答に困る。
そこでデパートの食品売り場に行って店内を見て廻り、食べたいものを探すが、それでも無いから困る。
テレビやネットのニュースで高齢者が色々なことに反対して、デモなどに参加している姿を見ることがある。最近では安倍元首相の「国葬反対」デモである。
昔の年寄りはある年齢になると悟りの境地に達するのか、なんでも分かって静かに余生を送っていたように見えた。
いまの高齢者は「いいじゃないか」ということが無くなり、行動に出る。
そのエネルギーに感心する。
アンケートによると国葬に関しては高齢者になるほど反対が多いが、若者が反対するのなら分かるが、なぜ高齢者なんだろう? 高齢者の私が分からない時代になった。
やはり長生きし過ぎたようだ。
(おまけの話)
私の父は56歳で亡くなった。母は86歳で亡くなった。
父の家系は長寿なのだが、父はそうはいかなかった。母の父は40代で亡くなったが、母は長生きした。「家系と長生きは関係がある」と思っていたが、我が家ではそうでもない。
父の家系の私の従弟は多くがもう亡くなっている。私の兄弟姉妹は、まだ健在である。
なにが寿命やボケを決定するのか? 今さら知ってもどうにもならないが、でも知りたい。
親戚から帝国ホテルの「コンソメスープの缶詰」が12個も送られて来た。
その少し前にメールが届き、『主人がボケたのか、ネットでスープを25万円も買ってしまった。お礼は要らないから消費に協力して』と書いてあった。主人という男は90歳近いと思うが、困ったものだ。
彼は現役の時は外資系の証券会社で役員待遇を受けていたはずなのだが、ボケと現役時代とは相関関係は無いようだ。家族でありがたくスープを頂いたが、なんだか私だけが苦い味がしたように感じたのであった。
8月末に配達された中央区の「区報」の一面に「10の質問で簡単に認知症チェック」という大きな表が出ていた。そして9月21日は「世界アルツハイマーデー」と書いてあり、私はこんな日があるのを初めて知った。
試しに10項目の質問に重症度を測る数値の1~4にチェックを入れてみた。
この点数が20点以上だと認知症の可能性が高いということのようだ。
私は8項目が1点で、2項目が2点だったので、合計で12点だった。まだ認知症は大丈夫のようだ。チェックをした区報をテーブルの上に置いていたら、女房に見られてしまった。
北海道伊達市に2003年夏より毎年季節移住に来ていた東京出身のH氏。夏の間の3ヵ月間をトーヤレイクヒルG.C.のコテージに滞在していたが、ゴルフ場の閉鎖で滞在先を失う。それ以降は行く先が無く、都心で徘徊の毎日。
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06/14(火) 愛こそ全てです! 占いスペース ”タリズマン“ の言霊
衝撃的な取材の始まり まずはちょい怪しげなタリズマン北條マスターの意外な経歴から。 東京の某大学教育学部出身の58歳。 教師である母と二人の母子家庭で育つ。 本当は獣医になりたかったが、奨学金を受けることに抵抗を感じ、獣医の道を諦める。 大学卒業後は教師ではなく、某大手金融関係の会社に就職。そして時代はバブル期。 怪しい?タリズマンのマスター 筆者が市役所通りにある”占いの館「タリズマン」“ の存在を知ったのは20年ほど前のことです。 「むしゃなび」ページを見た時、なんとなく警戒心を持ってしまう (本当にごめんなさい!)占い師の方がいるなあ…と、思ってしまったのが最初の出会いでした。 それから何度かお見かけすることはあったものの、「占っていただきたい!」という気持ちには、正直、この取材日までなりませんでした。 でも、取材を終えた今ならば「是非占っていただきたい!」と思っています。 店内はスピリチュアルなグッズでいっぱい 自分ではなくなっていた二年間 「1日に200万円くらい使うことに何の疑問も持たない毎日を過ごしていましたが、ある日、” そういえば、俺、万札しか使っていないし、受け取った釣りを使ったことないな ” そう思って数えてみたら、なんと溜まった釣り銭(札込み)が60万円もあったのです。もう愕然としました。その時、自分が自分でなくなっていることにようやく気づきました。だから会社を辞めました。辞めた時、2400万円くらい貯金がありました。 でも、お金の使い方の癖はそうそう直るわけもなく、退職後1年で900万円もの借金を抱えてしまいました。」 つまり、1年で3300万円使った計算になります。 「決定的に自分を否定したのは、飼っていた犬を餓死させたことでした。犬の餌すら用意してやれなくなっていました。たった数百円の金を握りしめ、電車に乗って、辿り着いたところで死のうと思っていました。 そんな気持ちで新宿をふらふらと彷徨っていた時、一人のホームレスに声を掛けられました。”おまえ、死のうと思っているだろ? 生きていてなんぼだぞ ” そう言われたんです。見抜かれたのがすごく悔しかった。なんでおまえなんかに言われなきゃいけないんだ!と心底悔しかった。」 日本の多くの霊験あらたかな各所をまわる 後日、そのホームレスを探しに行ったそうですが、どこを探しても、誰に聞いても、その手がかりは得られませんでした。 もうお気づきの方もいらっしゃるかもしれませんが、そのホームレスはマスターの守護霊だったのです。 つまり、人ではありませんでした。 (さて、皆様。 大丈夫でしょうか? 話について来られていますか?) 見えない世界のこと 世の中、見えている世界だけではないことに、筆者も薄々感づいてはいますが、何しろ誰にでも見えるものでないので、正直、胡散臭く感じてしまう人もいらっしゃることと思います。 けれども、「何かを察する」とか、根拠なく「そんな気がする」とかという経験は誰にでもあるはず。 そう、第6感的な。 きっとマスターは、それがしっかりと見えてしまい、しっかりと感じてしまう能力をお持ちなのだと思うのです。 多くの芸能人もお忍びで訪れる それが証拠に、このお仕事をされて33年。 なんと10万人以上の方を占って来られたといいます。 伊達の市役所通りでひっそりと占いスペースを営んでいらっしゃるにも関わらず、日本全国からお客様は集まってきます。 中には、有名芸能人の方も多数いらっしゃいます。 さて、話を戻します。 タロットカードを使いながら霊感と合わせる 自分の守護霊だったホームレスに出会ったその足で、マスターは六本木の「タリム」という占いの館に頭を下げ、占い師として雇ってもらうことになりました。 「そこでは死ぬ気で働きました。1年1ヶ月で900万円の借金を返し終わった後は、お導きを受けるように高野山で3ヶ月の修行をしました。弥勒の世界に惹かれたのです。その後は札幌・苫小牧・函館と点々としながら、妻の故郷の伊達に根を下ろすことになりました。この占いスペースを開いて27年になります。」 お客様からいろいろなフィギュア類が集まってくる・・・ (さてさて、皆様‥。 もう一度お尋ねします。 大丈夫でしょうか? 話について来られていますか? Rietty大丈夫? とか思ってはいませんか? Riettyはもちろん大丈夫!) 実は、文章にはし辛いくだりもあったりで、分かりにくいかもしれませんが、そこはほら、見えない世界の話が多いので、ちょっぴり察しながらお読みいただければと思います。 霊力を高めるお祈りも欠かさない 何故占いを仕事にできるのか? そこで、一体何故どうして「占い師」なのか? それが皆様一番気になるところだと思います。 さきほど、この世に存在しないホームレスとの出会いのところでもサラッと書きましたが、つまりはマスターは霊能力者なのです。 守護霊と会話ができます。 ですので、相談に来られた方の守護霊のメッセージを代弁してお伝えする役目を担っています。 時に真剣な眼差しで何かを感じとる 「子どもの頃から、大人からすれば見えてはいけないものが見える子どもでした。でも当時の僕は、みんな同じように見えているものだと思っていました。ところがどうやらそうではなく、見えたことを口にしては嫌われるし虐められし友達も居なくなるのだということを学びました。例えばこんなエピソードがあります。ある人を見た時、この後この人は死ぬということが分かってしまう。それで、そのまま口にしたら、周りの大人に酷く怒られました。でも、確かにその方は死んでしまった。当然、気持ち悪い子どもという烙印が押されてしまいます。そんなことが何度かあったうちに、2度と見えたことを口にしなくなりました。例え見えても言ってはいけないということがわかったのです。だからもちろん、仕事にしようなんて思いませんでした。絶対に占い師なんかになりたくない!とさえ思っていました。ところが運命というか宿命というか…。今はこれが仕事になっているわけです。」 さあ、ここまで書いたお話を『信じるも信じないもあなた次第』です。 馬鹿馬鹿しいと思うのも、素晴らしいと思うのも皆様の自由です。 全てを救うのは愛 でも筆者は、たくさんのお話をする中で、マスターの 根底にある「地球への愛・世界への愛・自然への愛・人間への愛」を、とても強く感じてしまいました。 それが、次のお話に表れています。 「僕はお客様に生かされています。だからお守りしたい。」 「僕は、お客様に生かされています。だから、僕もお客様が楽しく命の継続をしていけるようにその方をお守りしている守護霊様の代弁者となります。お客様をお守りしたいと思っています。今この時代、一番大切なのは愛をおいて他には何もありません。生きている上で一番嬉しいこと、幸せなことを思い起こしてみてください。それは、自分にとって大切な人が、自分を認めてくれて側にいてくれることですし、家族になること、愛し合うことではないですか? だから、お客様が愛を持って生きられるように、愛に守られるように、守護霊様のお力を借りて道しるべを立てて差し上げたいのです。」 いかがでしょうか? 筆者はこのお話でとても腑に落ちました。 最後にこんな質問をさせていただきました。 「占い師をやってよかったと思いますか?」 「正直わからないです。でもこれしかできない。きっとお客さまの評価が全てなのだと思います。そして個人的には幸せです。家族もいますし。例え未来が見えたとしてもとても幸せです。もし皆様が “いかに生きるべきか?と迷われた時に、もし興味があったらどうぞ ”タリズマン“ の扉を開けてください。」 怪しいか怪しくないか決めるのはあなた次第 もう一度、書きます。 信じるも信じないもあなた次第です。 けれども、筆者は信じます。 ―タリズマン情報― 占いの80%は霊視。 タロットカードと併せながら占います。 今回のむしゃなび占いはこちら まずはお気軽にお電話で相談ください
Rietty
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山本英次