
心の伊達市民 第一号
最近は頭髪の伸びも元気が無くなり、床屋に行くのも40日に一度になった。
10時頃に行き付けの有楽町の床屋「ニュートーキョー」に行った。
現役の時はこの店の新宿店に行っていたが、そこが経営不振で有楽町店と統合されたので、私は引っ越しを機会に有楽町店に行くようになった。
その店はビルの中にあるので、入口には検温用のカメラが設置してある。
そこで私は店に入る前と、調髪後の写真を撮っている。どうということもないが、なんだか決りになってしまった。
マンションの友人のYさんがメールに添付して動画を送って来た。
その動画は有楽町駅脇にある、台湾のケーキ「クニャーネ」の店の横の壁に映写された「ウサギ」だった。有楽町の床屋まで行ったのだから、それを見に行った。
それは「サイネージ広告」で、大きな画面に動画や広告を映し出していた。特に知らせてもらうほどのものではなかったが、お礼は伝えておいた。
「クニャーネ」も買ったことは無いが、これは台湾のケーキかなー?
その時に、向かい側の有楽町駅前で、「罪なき屋台」という良く分からないイベントをやっていた。それは㈱ZENB JAPANという会社のイベントで、「食に対する我慢から解放したいという想いから、ミツカンのグループ会社が企画した」ものだそうだ。
そして有料(100円)でその会社の製品である「ヌードル」で作ったラーメンを食べさせていた。私も試しに食べてみたが、湯飲み茶碗くらいの大きさの器に「エンドウ豆」で作った麺のラーメンだった。有料の試食も珍しいが、あんな少量で100円は高いのではないだろうか? 味は私の好みでなかった。
都バスで「勝どき」へ戻り、大江戸線で「新宿西口」に出て、そこから都バスで「中野」に行った。中野に行った事情は「おまけの話」で・・・。
大江戸線の電車が来たら、私の乗った車両は運良く「子育て応援スペース」だった。
この車両は数は少ないが3両目と6両目に設けられていて、車内に描かれた子供向きの絵が素敵だ。私はこの車両に乗れた時は、「ラッキー!」と思う。
新宿西口から、初めてバスに乗って中野まで行ってみた。
1階のバス乗り場には行先別にプラットホームがあり、中野行きは12番の関東バスだった。JR快速行けば中野までは1駅で、5分くらいで到着する。
バスもそんなに時間は掛からないだろうと思ったのが大間違いで、アチコチ寄り道をして30分も掛かった。道中もあまり面白くないので、帰りはJRにした。
バスが中野駅に到着して下車すると、目の前は「中野サンプラザ」だった。
そこで変なことを思い出した。『むかし中野サンプラザという芸人がいたなー。いまはどうしているだろうか?』。
ネットで調べたら、彼は「爆風スランプ」というグループのミュージシャンだった。
現在は改名して「サンプラザ中野くん」で活動しているようだ。
中野サンプラザは若い頃に何度かイベントで行ったことがある。ニュースによると「老朽化で2023年に解体し、高層化される」ようだ。若い頃の思い出の建物が、どんどんと無くなって行く寂しさを感じる。
駅前の「中野サンロード」に入って行った。
今どきには珍しいアーケード街が続く商店街で、驚くほど賑わっていた。
小さな商店が密集していて、その先が「中野ブロードウェイ」でアーケードが続く。
ここの2階は「オタクの聖地」で、アニメやキャラクター好きなら誰でも知っている。
有名な店は「まんだらけ」で、以前に私は「都心を歩く会」で同級生達を案内したこともある。中野という街は新宿に近いので世間から埋もれている感があるが、意外に面白い町である。
(おまけの話)
今回の中の行きのメイン・イベントの話である。
ある日の夕方のTVニュースで、手作り点心の店「また明日」を取り上げていた。
その時は「変な店名だなー」と思って見ていたら、「ホタテ焼売」が美味しそうだった。女房が『食べてみたいわね』と言うので、わざわざ中野まで買いに行ったのである。
行ったはよいが、住所を詳しく調べて来なかった。「中野ブロードウェイ」ということだけが記憶にあった。
「行けばなんとかなる」と思ったのが大間違いで、その時に同時に肉屋と魚屋も紹介していたので、行った時には「何屋か、店名は何か?」も忘れてしまっていた。
近くの交番で聞いたら、『この地下にある』と言われた。
忘れたままに探していたら、お客が並んでいる店が3軒あった。幸いに向かい合っているのが肉屋と点心屋で、その時に「ホタテ焼売」を思い出した。
そして10人ほど並んでいた列の最後に並んだのである。
私の順番が近付いて来て、前の人達の注文と店員の応対が見えて来た。
店先に蒸籠が4つ並んでいて、その中に別々に3種類の焼売と肉まんが入っている。
お客の注文に1人でテキパキと対応する女店員の姿に、私は見とれてしまった。
私の番が来て、「ホタテ焼売6個」、「餃子1パック」、「肉まん2個、あんまん1個」を買った。それ等はその日の夕食に出て来たが、美味しかったがわざわざ中野まで買いに行くほどのものではなかった。
北海道伊達市に2003年夏より毎年季節移住に来ていた東京出身のH氏。夏の間の3ヵ月間をトーヤレイクヒルG.C.のコテージに滞在していたが、ゴルフ場の閉鎖で滞在先を失う。それ以降は行く先が無く、都心で徘徊の毎日。
詳しくはこちらハッシュタグ
月別アーカイブ
「むしゃなび」はこちらの皆様に支援して頂いています
人気の記事
-
05/27(火) 写真で見る東京(100)・・・浅草の外国人
-
05/26(月) 「豊海水産ふ頭」と「水の消防ページェント」
-
05/28(水) 泉岳寺と高輪ゲートウェイ
-
05/29(木) 写真で見る東京(101)・・・蔦屋重三郎
-
10/24(木) 写真で見る東京(58)・・・信任状奉呈式

イベント
「観光・体験」カテゴリーのおすすめ記事
-
心の伊達市民 第一号
0
3
-
2024/12/14(土) プロジェクション・マッピング
心の伊達市民 第一号
0
1
-
2024/12/21(土) 今年も東京のイルミネーション
-
2025/03/18(火) 街角ウォッチング(1)
心の伊達市民 第一号
0
1
観光・体験に関する
特集記事
-
-
-
ふらり旅人からのゲストハウス 自由人 小林圭子氏 〜想いと直感のままに『ポンコタン』
今回の主人公は洞爺湖の近くでゲストハウス『ポンコタン』を営む小林圭子さん。 旭川出身の47歳。 洞爺湖に移住する前は名古屋で商売をされていました。 「北海道には30代後半からバイクにテントを積み、 ふらりと旅しに来ていました。」 洞爺湖との出会いは、 2018年に「幸せのパン」の映画の舞台になったところを見てみたくて 青春18きっぷでふらりとやってきたのが初めてでした。 ところで圭子さん。 なんと言うか・・・。 「以前、どこかで会いましたっけ?」 そんな錯覚を起こさせる人です。 あの、バリアフリーな雰囲気は一体どこからくるのだろうか? 探ってみたくなりました。 旭川から札幌へ。 そしていきなりポン!と名古屋へ飛んだ圭子さんが始めたのは、 なんと”バナナ焼き屋“のお店でした。 店の名前は「パピリカ」。 それはアイヌ語で「豊作」という意味です。 バナナ焼き屋をやろうと思った理由は〜。 「小さい頃から食べていたソウルフードだったから」 ただそれだけの理由で、 古くからお菓子文化が発達している(駄菓子の製造所も多い)名古屋で店を出そうとは、 普通はなかなか考えつかない。 でもそれをひょいっと始めてしまうところが圭子さん流。 深くは悩まない。 やりたいからやる。 ただそれだけ。 そんなシンプルさが、度胸を超えた何かを感じます。 パピリカ時代のHPを見つけました。 熊が鮭ならぬバナナを咥えている姿が なんともユニークで忘れないロゴです。 何事もサラッと話す割には材料にはかなりこだわっています。 卵も牛乳も使用していないので(カスタード以外)、 卵アレルギーや牛乳アレルギーの子どもを持つ親御さんも よく買いに来てくれたそうです。 そして白餡はしっかりと手作り。 バナナ焼きと言えば旭川の名物お菓子。 この時お話を伺うまで知りませんでしたが、 旭川のバナナ焼きにもバナナそのものやバナナエッセンスなど、 バナナフレーバーは一切入っていないそうです。 バナナ焼きとは、形からだけ連想するネーミングのようです。 とても美味しそう〜! 食べたかった〜! パピリカはすぐに地元に溶け込み、 8年間営業を続けました。 その時の繋がりは今も続いていると言います。 人懐っこいと言う表現とも違う、 相手に壁を作らせない不思議な力を圭子さんは持っています。 「いろいろなところから転勤してきた人たちが多く住むところでした。 近所の方がよく買いに来てくださっていましたよ。 家賃を払いつつ、 女ひとりが食べるだけの分はなんとか稼げていました。」 「ところで、ポンコタンは小さな村という意味。 パピリカは豊作という意味ですよね? どちらもアイヌ語ですが、なにか特別な意味があるのですか?」 そんな筆者の質問に 圭子さんはまたもやあっさりと答えます。 「いや、なんとなくです。」 まただ…。 やはりこんな調子…笑 筆者はその言葉の背景を知りたい!と質問をしても、 決してはぐらかす訳ではなく、あくまでもサラッと答える。 想いが至極シンプルだからこそ、 きっとその時の直感のまま「なんとなくそうしよ」と 思った通りに動いてしまうのだろうと思います。 しかも、転機にはだいたい誰かが力を貸してくれる。 これはもう人徳です。 気負わず流れに任せるというのは、実は楽そうで楽ではない。 でも圭子さんは素直に誰かの力を借りながら、 とても自然にその技を使ってしまう。 「名古屋の友人がゲストハウスをしていたんです。 あらたに宮古島でゲストハウスを始めるにあたって、私も少し手伝いました。 その友人は度胸があるというかなんというか、 外国人が結構泊まりに来ていたのですが、英語は喋れないんです。 でもなんてことなくやっているのを見て、 私も妙な自信をつけてしまいました。 『そうか、英語ができなくても宿屋はできるんだ』 ってね。」 「その辺りから、ゲストハウスに興味を持つようになりました。 ちょうど、ふらりと洞爺湖へ足を運ぶ機会も増えていたこともあり、 洞爺湖の近くでゲストハウスをやることが ふわっとしたものから現実的になりました。 あ…その前にバナナ焼き屋を畳まないと。」 そう思った時、 店を丸ごと買いたいと申し出てくれた人が現れました。 それは元々はお客様だった友人で、古民家カフェを営んでいる方でした。 バナナ焼き屋営業終了2日後には洞爺湖に移住してしまうというスピーディーさ。 思ったらサラッと行動! その後、1年半をかけて建物をリフォームし、ポンコタンを開業されました。 「待っていてくれているような気がしていました。 洞爺湖はどっしりとしていて迎え入れてくれるような安心感がある湖だと感じています。 移住してすぐは、キャンプ生活をしながらあるホテルでバイトをしていました。 同時に物件探し。 そんな中、即決したのがこの建物でした。 借金も1000万円以上してしまいました。」 この建物は、昔、ある会社の社員寮だったところ。 なので、一部屋一部屋にトイレが付いていました。 さて、ゲストハウス「ポンコタン」は 内装・外装そのほとんどをDIYしています。 もともと建物に興味があったわけでもなかった圭子さんですが、 もの作り好きであったことが功を奏しました。 「必要に迫られた部分もありますが、 バナナ焼き屋時代に建物の内部構造にものすごく関心を持つようになりました。 そもそもは工事関係者への不満に端を発したのですが、 お陰で建築について色々知ることができました。 建物がどんなふうにできているのかを知るために、 分解しながら構造を理解していきました。 コンクリートにネジを入れるにはどうしたらよいか?とかね。」 冒頭に登場した仕切りに描かれた洞爺湖の絵は、名古屋時代の友人が描いてくれたもの。 「名古屋時代の友人たちは変人が多くて(笑) 尋ねてきては色々置いて行ってくれます。」 困ったふりをして、笑いながら話す圭子さんには、 遠くから支えてくれる友の存在に感じる安心感が表れていました。 圭子さんの仲間たちは、 「ポンコタン」のオーナーの とてつもなく自然体なおもしろキャラクターをよくご存知のようです。 「うちね。コンセプトなんてないのよね。」 圭子さん、突然、そうサラッと言った後でこう続けました。 「よく眠れました!って言ってもらえるのが一番嬉しいかな。 旅の途中で快適な時間をここで過ごしてくれたら、 それが一番嬉しい。 それとね。 今年の夏はすごく忙しかったのね。 借金あるからあと10年はやらないといけないけど、 とりあえず持続可能な宿を目指して働き方改革するわ(笑)」 「10年経ったら何するの?」 そんな問いに。 またもやサラッと 「わからないな」 と答える圭子さんでした。 帰り際 「また来て!」 と軽い調子で言われました。 「うん」 と答えてしまいました。 ポンコタンの魅力は この気安い感じなんだろうと思った筆者でした。 決して気負うことなく、 そのまんまの圭子さんが妙な安心感を与えてくれる取材の時間でした。 ゲストハウス ポンコタン 〒049-5721 北海道虻田郡洞爺湖町洞爺湖温泉97 080-6092-4967
Rietty
0