年をとると昔話が多くなるが、これは仕方ない。新しいことが起きないからだ。
ブログのネタを考えていた時に、現役の時に知り合った人達の顔が頭に浮かんで来た。
私は仕事の関係で知り合った人とは、リタイアを機会にすべて清算した。

こちらがしなくても取引が無くなれば、縁も切れてしまうのが普通であろう。
そんな人達の中から、心に残っている人を選び出してみた。
もうアチラの世界に逝ってしまった人、全く連絡も付かない人だけに登場してもらう。

(今回の写真は昨年の7月に山手線「大塚駅前」から「庚申塚」までの、都電「荒川線」の様子です)




「Aさん」(?)
Aさんの会社は貴金属商で、私の会社は真鍮やアルミ材を購入していた。
彼は在日韓国人だが、そのことは本人から聞いたことは無い。
会社に行ったらオヤジの会長を紹介されたが、全くの韓国人だった。
その後、彼は私の入会していたゴルフクラブの会員権を買って、一緒に毎週のようにゴルフをした。

日本風の生活に拘っていたAさんなので、親しくなってもなかなか韓国に関わる話は出来なかった。私がリタイアを決めたら、それを境に急に疎遠になってしまった。
数年後に新宿で偶然に出会ったので話をしたが、まだ現役だったAさんとはもう全く話が噛み合わなかった。




「Bさん」(亡)
ある時、身の上話を聞いたら、高卒で四国の今治から大阪に丁稚奉公に出たそうだ。
その後、転職し名古屋の会社に就職した。その会社が東京営業所を設立することになり、東京に出て来た。更に10年後くらいに、取引先を説得して独立した。
私は応援を頼まれたので、彼の独立を応援した。

麻雀くらいしか知らなかった彼に、私はゴルフを教えた。
また女子事務員との浮気がバレて、相手の亭主に怒鳴り込まれたのでアドバイスもした。その内に自信過剰となり、独立時の応援の恩も忘れ自分の利益しか考えなくなった。そして段々と疎遠となった。
風の便りでは、私のリタイア10年後くらいに亡くなった。




「Cさん」(亡)
Cさんとは私の会社が、見本市に出品したことで知り合った。
最初は私の会社が機器を購入する側だったが、その内にCさんの会社からシステムの発注を受けた。それがCさんの東京での成功となり、課長から部長、そして事業部長までのし上がった。私の会社も、その事業がメインとなって行った。

彼は麻雀が大好きで、私は夕方から会社を訪問し終業後に午後11時まで麻雀を付き合い家まで送って行った。でも私は勝負に手心は加えなかった。
それが気に入られたのか、ゴルフも付き合い、自宅にも呼ばれた。
なんとか利益の出ている内に会社を閉められたのも、Cさんのお陰かもしれない。




「Dさん」(亡)
彼の能力は良く分からないが、女性社員は影で「鼻毛のD部長」と呼んでいた。
この会社は今では日本を代表する会社になったが、大企業なのでDさんは学歴で出世したようだ。普段は外出はしないで、事務所でのんびりしている。

私が訪問して夕方になると、私の車に一緒に乗って帰った。家の近くに行くと、ジローという名のカフェがあり、そこへ立ち寄って話をした。そして家へ送ろうとすると、『もう一軒行こう』と言うのが常だった。
酒飲みが「もう一軒」というのは分かるが、カフェのハシゴをする変な人だった。




「Eさん」(?)
都内で機械専門商社の社長だった創業者のEさんは、早口の男だった。
ある時、創業時の話を聞いたら、『話せば分かる人を社員にする仕事をしたいと思った』と言っていた。バブル最盛期に隣の敷地を買い取って、そこにビルを建てて、今までのビルと連結した。

だからビルとビルの間には電車の連結器の上のような板があり、揺れると板が移動した。ところがバブル崩壊で5億円の負債を抱えて倒産し、私の会社も被害を被った。

ここからが凄い。
どうやったのか彼は銀行と粘りに粘り交渉し、個人破産は逃れていた。彼の趣味は韓国の切手収集で、高いものは「1枚でマンションが買える」ほどだと自慢していたが、あの切手はどうなったか?




「Fさん」(亡)
Fさんとは彼が創業間もない頃に知り合い、私の会社の機械を継続的に購入してくれた。10周年記念パーティに呼ばれた時に、同じ席になったFさんの先輩に話し掛けられた。彼は『Fさんは酒と競輪におぼれてどうしようもない男だったので、自分が仕事を世話した』と言っていた。

それが当たり会社は大きくなり、出身地の新潟工場の完成式に招かれた。故郷に錦を飾ったのである。それからは親しく付き合い、会社訪問時には自宅に上がり、昼飯に初めて「コシヒカリ」をご馳走になった。
私のリタイア後にFさんの会社は長女が社長になり、飛躍を遂げたようだ。
HPを見たら、いまでは孫が社長になり、タイとベトナムにも工場がある。




(おまけの話)
私は「色々な人との出会いが、私の人生を豊かにしてくれた」と感じている。
出会いの中で、他人から教わったことは多い。その人も私に「教えた」とは思っていないだろう。

自分で勉強して身に付けたことより、私は誰かから教えてもらったことの方が多いと思う。一方で私が誰かに何かを教えたかどうかは分からない。相手が「そう思う」かどうかだからだ。 




人生には「あの時、あの人に出会わなかったら」、ということがある。
これは良いことと、悪いことの両方に言える。
仕事に関しては、「あの時、あの人に出会ったから」というチャンスがあった。

今回、取上げたAさんからFさんまでが、みんなそんな人達だった。
特にCさん、Dさん、Fさんは私の会社が下請けからメーカーに脱皮する時に大いにお世話になった。




一方で「あの時、あの人に出会ってしまったから」という不運も多くあった。
Eさんはそんな中の1人で、彼の会社の倒産で私の会社は大きな被害を被った。
ここには登場しない人達だが、現役の時には多くの会社の倒産に出会ってしまった。

でもなんとかリタイア出来たのだから、「良い出会い」と「悪い出会い」は差し引きでは「少しプラス」だったように感じている。人生は「それでいいのだ!」。 



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北海道伊達市に2003年夏より毎年季節移住に来ていた東京出身のH氏。夏の間の3ヵ月間をトーヤレイクヒルG.C.のコテージに滞在していたが、ゴルフ場の閉鎖で滞在先を失う。それ以降は行く先が無く、都心で徘徊の毎日。

コメント

  1. Shinji
    Shinji
    返信

    まさに、”人に歴史あり” です!

  2. 恩人(Y)
    恩人(Y)
    返信

    musyanavi君とは現役時には住む世界の違いからか、余り交流がなかった。雇われ社長として頑張っていた頃、妻の看病もあって退役が頭の隅に出てきたころに彼と再会し、直ぐに引退を勧められそれがきっかけとなってスムーズに退くことができた。運の良さと体力で上り詰めたサラリーマン時代であったが、リタイア後の人生にまで思いもよらなかった処、将に「運よく」退役できたのもH君のアドバイスのお陰である。感謝しかない!

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