
心の伊達市民 第一号
ある日に、浅草の片隅をウオッチしてみた。
「捨て目」をしながら歩くと、思い掛けないものに遭遇する。
今回は六区の「すしや通り商店街」から、吾妻橋近くまでウロウロしてみた。
商店街の中ほどに「十和田」という名の日本蕎麦屋がある。
この店の女将さんが60年以上前に「おかみさん会」を立ち上げて、全く人気の無かった浅草を盛り上げた功労者なのである。それが今では当時を知る私には、考えられないくらいに観光客で溢れている。「女性の力」恐るべし!
浅草公会堂の前は「オレンジロード」という名の道路で、アスファルトの上をオレンジ色に染めている。以前は「区役所通り」という名だったが、区役所が移転してそこが公会堂になるのを機会に洒落た名前にしたいと考えて「オレンジ通り」になった。
公会堂の前には有名な役者、歌手、落語家、芸能人の原寸大の手形とサインが地面に埋め込まれている。ハリウッドのチャイニーズ・シアター前の真似をしたんだろう。
この場所は公会堂に入る人が通るので、手形によっては削られてサインの見えなくなっている人のもある。今回は割合にハッキリ見えて、誰でも知っている「森 光子」と「鶴田 浩二」の手形を掲載した。
オレンジ通りを歩いていたら、路地に派手な電飾が見えた。
近付いてみたら、手相による「占い屋」だった。
この電飾が目まぐるしく、表示を変える。
「恋愛」、「結婚」、「相性」などに、次々と変る。
占いは「ひっそり」とやるのが当り前と思っていた私は、その派手さにビックリした。
「新仲見世通り」を歩いて行った。
「仲見世通り」というのは浅草寺に向かう参道である。
「新」が付いた「新仲見世通り」は、それと直角に交差している商店街である。
外国人観光客も多く歩いているこの通りで、ビックリするものを見付けた。
それは刺青をした「キューピー」である。なんと1体、19,800円である。
褌をしたキューピーは三社祭のつもりかもしれないが、私には悪趣味に見える。
キューピーの発祥の地のアメリカ人が見たら、怒るのではないか?
新仲見世通りを進むと、左側に「天然たい焼き」の鳴門鯛焼本舗がある。
私はここでいつも鯛焼きを買って食べるが、今回もそうした。
少し前は280円だったが、それが値上げして300円になっていた。
鯛焼きを食べながら目の前の店を見たら、派手な衣装が売られているのが目に入った。
Tシャツ、半纏、着物などに「これでもか!」というほど派手な絵が刷り込まれている。「誰が買うのだろう?」と思ったが、店があるのは観光客が買うからかもしれない。
浅草を歩いていると、夏は浴衣、冬は着物姿の女性を多く見掛ける。
頭をスカーフで隠したイスラム圏の女性もいる。
着物を着て日本風の観光地を歩き、人力車に乗るのが日本観光の定番なのだろう。
貸衣装の値段が気になったので、看板に近付いてみた。
すると以前の「3000円」から値上がりして「3850円」で、どこの店も同じような値段だった。テレビで見たが、人力車の車夫の、冬のボーナスが100万円とは驚いた。
仲見世通りの終りは「浅草松屋デパート」に突き当たる。
右に行けば「吾妻橋」で隅田川を越える。
橋の袂からは「日の出桟橋」行きの、定期観光船が出ている。
右側の歩道を歩いていたら、変な看板が出ていた。
「餃子とビールは文化です」とあるが、私はそんな文化を初めて知った。
だいぶ昔に俳優の石田純一は「不倫は文化」と言って女性達から袋叩きにあったことがある。「餃子とビールは文化」なら、誰も文句は言わないだろう。
(おまけの話)
役所広司がカンヌ映画祭で最優秀主演男優賞を受賞したが、「PERFECT DAYS」で彼が演じた平山という男のことである。彼の住んでいるアパートは東京スカイツリーが見えていて、どうやら曳舟か押上駅の近くのようだ。毎朝、軽自動車で渋谷に行き、トイレを掃除して戻る。風呂屋に行った後に、自転車で隅田川を渡り浅草に出る。
そして地下の「焼き鳥屋」に入る。私はあの辺りにはよく行くので、場所が分かった。
松屋デパートの前に、地下に降りる階段がある。そこを降りて行くと、今どき驚きの「800円」の床屋がある。床屋の名前は分からない。書いてないのである。
床屋から先の両側が飲食店街になる。
私が行った時は昼間なので、床屋以外は営業している店はほとんど無い。
映画の主人公の通った「焼き鳥屋」を探した。
両側を見て廻ったが、映画に出てくるような構えの店は見当たらない。
どうやら私の想像していたのと違い、焼き鳥屋の場面は撮影所のセットで行ったようだ。酒を飲まない私が見ても、ここは相当に安い店ばかりのようだ。
飲み屋街の階段を上って外に出ると、向かい側に「神谷バー」が見える。
今回は酒を飲まない私が、飲み屋の話になっている。
神谷バーは明治13年の創業で、日本で初めて出来たバーで「デンキブラン」で有名ある。
ホームページを見ると『電気が珍しい明治の頃、目新しいものというと「電気〇〇」などと呼ばれ、舶来のハイカラ品と人々の関心を集めていました』とある。
「デンキブラン」という名は知っていたが、「なんだー。電気を使ってなにかしているのかと思っていたら、そんな理由だったのかー。
北海道伊達市に2003年夏より毎年季節移住に来ていた東京出身のH氏。夏の間の3ヵ月間をトーヤレイクヒルG.C.のコテージに滞在していたが、ゴルフ場の閉鎖で滞在先を失う。それ以降は行く先が無く、都心で徘徊の毎日。
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ふらり旅人からのゲストハウス 自由人 小林圭子氏 〜想いと直感のままに『ポンコタン』
今回の主人公は洞爺湖の近くでゲストハウス『ポンコタン』を営む小林圭子さん。 旭川出身の47歳。 洞爺湖に移住する前は名古屋で商売をされていました。 「北海道には30代後半からバイクにテントを積み、 ふらりと旅しに来ていました。」 洞爺湖との出会いは、 2018年に「幸せのパン」の映画の舞台になったところを見てみたくて 青春18きっぷでふらりとやってきたのが初めてでした。 ところで圭子さん。 なんと言うか・・・。 「以前、どこかで会いましたっけ?」 そんな錯覚を起こさせる人です。 あの、バリアフリーな雰囲気は一体どこからくるのだろうか? 探ってみたくなりました。 旭川から札幌へ。 そしていきなりポン!と名古屋へ飛んだ圭子さんが始めたのは、 なんと”バナナ焼き屋“のお店でした。 店の名前は「パピリカ」。 それはアイヌ語で「豊作」という意味です。 バナナ焼き屋をやろうと思った理由は〜。 「小さい頃から食べていたソウルフードだったから」 ただそれだけの理由で、 古くからお菓子文化が発達している(駄菓子の製造所も多い)名古屋で店を出そうとは、 普通はなかなか考えつかない。 でもそれをひょいっと始めてしまうところが圭子さん流。 深くは悩まない。 やりたいからやる。 ただそれだけ。 そんなシンプルさが、度胸を超えた何かを感じます。 パピリカ時代のHPを見つけました。 熊が鮭ならぬバナナを咥えている姿が なんともユニークで忘れないロゴです。 何事もサラッと話す割には材料にはかなりこだわっています。 卵も牛乳も使用していないので(カスタード以外)、 卵アレルギーや牛乳アレルギーの子どもを持つ親御さんも よく買いに来てくれたそうです。 そして白餡はしっかりと手作り。 バナナ焼きと言えば旭川の名物お菓子。 この時お話を伺うまで知りませんでしたが、 旭川のバナナ焼きにもバナナそのものやバナナエッセンスなど、 バナナフレーバーは一切入っていないそうです。 バナナ焼きとは、形からだけ連想するネーミングのようです。 とても美味しそう〜! 食べたかった〜! パピリカはすぐに地元に溶け込み、 8年間営業を続けました。 その時の繋がりは今も続いていると言います。 人懐っこいと言う表現とも違う、 相手に壁を作らせない不思議な力を圭子さんは持っています。 「いろいろなところから転勤してきた人たちが多く住むところでした。 近所の方がよく買いに来てくださっていましたよ。 家賃を払いつつ、 女ひとりが食べるだけの分はなんとか稼げていました。」 「ところで、ポンコタンは小さな村という意味。 パピリカは豊作という意味ですよね? どちらもアイヌ語ですが、なにか特別な意味があるのですか?」 そんな筆者の質問に 圭子さんはまたもやあっさりと答えます。 「いや、なんとなくです。」 まただ…。 やはりこんな調子…笑 筆者はその言葉の背景を知りたい!と質問をしても、 決してはぐらかす訳ではなく、あくまでもサラッと答える。 想いが至極シンプルだからこそ、 きっとその時の直感のまま「なんとなくそうしよ」と 思った通りに動いてしまうのだろうと思います。 しかも、転機にはだいたい誰かが力を貸してくれる。 これはもう人徳です。 気負わず流れに任せるというのは、実は楽そうで楽ではない。 でも圭子さんは素直に誰かの力を借りながら、 とても自然にその技を使ってしまう。 「名古屋の友人がゲストハウスをしていたんです。 あらたに宮古島でゲストハウスを始めるにあたって、私も少し手伝いました。 その友人は度胸があるというかなんというか、 外国人が結構泊まりに来ていたのですが、英語は喋れないんです。 でもなんてことなくやっているのを見て、 私も妙な自信をつけてしまいました。 『そうか、英語ができなくても宿屋はできるんだ』 ってね。」 「その辺りから、ゲストハウスに興味を持つようになりました。 ちょうど、ふらりと洞爺湖へ足を運ぶ機会も増えていたこともあり、 洞爺湖の近くでゲストハウスをやることが ふわっとしたものから現実的になりました。 あ…その前にバナナ焼き屋を畳まないと。」 そう思った時、 店を丸ごと買いたいと申し出てくれた人が現れました。 それは元々はお客様だった友人で、古民家カフェを営んでいる方でした。 バナナ焼き屋営業終了2日後には洞爺湖に移住してしまうというスピーディーさ。 思ったらサラッと行動! その後、1年半をかけて建物をリフォームし、ポンコタンを開業されました。 「待っていてくれているような気がしていました。 洞爺湖はどっしりとしていて迎え入れてくれるような安心感がある湖だと感じています。 移住してすぐは、キャンプ生活をしながらあるホテルでバイトをしていました。 同時に物件探し。 そんな中、即決したのがこの建物でした。 借金も1000万円以上してしまいました。」 この建物は、昔、ある会社の社員寮だったところ。 なので、一部屋一部屋にトイレが付いていました。 さて、ゲストハウス「ポンコタン」は 内装・外装そのほとんどをDIYしています。 もともと建物に興味があったわけでもなかった圭子さんですが、 もの作り好きであったことが功を奏しました。 「必要に迫られた部分もありますが、 バナナ焼き屋時代に建物の内部構造にものすごく関心を持つようになりました。 そもそもは工事関係者への不満に端を発したのですが、 お陰で建築について色々知ることができました。 建物がどんなふうにできているのかを知るために、 分解しながら構造を理解していきました。 コンクリートにネジを入れるにはどうしたらよいか?とかね。」 冒頭に登場した仕切りに描かれた洞爺湖の絵は、名古屋時代の友人が描いてくれたもの。 「名古屋時代の友人たちは変人が多くて(笑) 尋ねてきては色々置いて行ってくれます。」 困ったふりをして、笑いながら話す圭子さんには、 遠くから支えてくれる友の存在に感じる安心感が表れていました。 圭子さんの仲間たちは、 「ポンコタン」のオーナーの とてつもなく自然体なおもしろキャラクターをよくご存知のようです。 「うちね。コンセプトなんてないのよね。」 圭子さん、突然、そうサラッと言った後でこう続けました。 「よく眠れました!って言ってもらえるのが一番嬉しいかな。 旅の途中で快適な時間をここで過ごしてくれたら、 それが一番嬉しい。 それとね。 今年の夏はすごく忙しかったのね。 借金あるからあと10年はやらないといけないけど、 とりあえず持続可能な宿を目指して働き方改革するわ(笑)」 「10年経ったら何するの?」 そんな問いに。 またもやサラッと 「わからないな」 と答える圭子さんでした。 帰り際 「また来て!」 と軽い調子で言われました。 「うん」 と答えてしまいました。 ポンコタンの魅力は この気安い感じなんだろうと思った筆者でした。 決して気負うことなく、 そのまんまの圭子さんが妙な安心感を与えてくれる取材の時間でした。 ゲストハウス ポンコタン 〒049-5721 北海道虻田郡洞爺湖町洞爺湖温泉97 080-6092-4967
Rietty
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Shinji