心の伊達市民 第一号
最近は小川榮太郎の「作家の値打ち」に登場し、評価の高い本を借りて読んでいる。
その本に登場する古井由吉の短編小説集の「辻」を読んだら、そこに「失踪する男」の話が出ていた。12話が全て道の「辻」に関係していて、ある男がふっと失踪したくなり10日ほど失踪した後に家に戻る話が出ていた。
子供も独立し、妻もあまり関係無くなり、責任を果たした結果のことである。
その気持ちが良く分かり、私も失踪したくなった。
でも死ぬのは問題無いが、失踪は家族が迷惑だろうなー。
辛坊治郎の太平洋単独ヨット往復を書いた、「風のことは 風に問え」を読んだ。
過酷な自然の海の上で、彼が体験したことを書いている。
「人間は必ず死ぬ。100%死ぬ。だから生きている瞬間が大事だ」。また「人は暇だと、色々と考え事をするようになる。退屈すると、考えないでいいことまで考えるようになる」とも書いている。
私の親しかった友人(H)も、ヨットで太平洋を横断した。
しかし太平洋では死なないで、福島原発事故のボランティア活動の最中に、交通事故で亡くなってしまった。残念で仕方ない。
前にも書いたが、私の父は56歳で亡くなった。母は86歳で亡くなった。
そこで大した根拠は無いのだが、私は2人の平均値の72歳で「終り」と決めていた。
それが今では10年も近くも過ぎてしまったのである。
しかし「72歳で終り」の可能性が、今までに1回だけあった。
それが延びてしまったのには、伊達市在住の石田医師が関係している。
10数年前だと記憶しているが、夏のある日に癌の病歴のある女房の定期検診のために、私は女房を車に乗せて虻田の石田医院に送って行った。その時に石田医師から、『ついでに、あなたもPSA検査をしたらどうですか?』と言われた。
なんの心の準備の無いままに、私はPSA検査を受けたのである。
その結果は女房は問題無く、私が「前立腺がんの疑いあり」だった。
なにも自覚症状が無かったので、驚いた。
9月に東京に戻り精密検査を受けたが、やはり前立腺癌で間違いなかった。
そして入院して「小線源療法」という、放射線を出す物質を前立腺に埋め込む手術を受けたのである。
あの時に石田医院で検査を受けていなければ、前立腺癌は自覚症状があまり無いので重症化して、今頃はこの世にいなかったと思う。
石田医師に助けてもらったお陰で、予定より10年近くも長く生きている。
これが良かったのかどうか? 結果は死ぬ時に分かるはずだ。
いまの私は「退屈すると、考えないでいいことまで考えるようになる」になっている。
リタイアして10年以上が過ぎた男達は、みんな私と同じではないだろうか?
「やっておきたいこと」、「食べたかったもの」、「行きたかった場所」もおおかた終ってしまった。
この先「どこまで行けばいいのか?」が心配になって来る。
「お金のこと」、「健康のこと」、「ボケないか?」、「家族との関係」、「1人きりにならないか?」など、考えてもどうにもならないことを考える。
一方で今までの人生で、「あの時、ああすれば良かった」、「止めておけばよかった」、「不義理をしてしまった」、「大変なお世話になったのに、十分なお返しが出来ないまま」、「言わなきゃ良かったこと」、「もっとハッキリ言えば良かったこと」などが、次々と頭をよぎる。
今さら後悔しても仕方がないのに、暇だと考えてしまう。
これが「人生の終りが近付いた兆候」なのかもしれないと思っている。
結局は自分でも分かっているが、私は「小人」なので、「不善をなす」なのである。
(おまけの話)
今年になり、親戚の男が3人亡くなった。
私より年長が1人、同じ年が1人、私より若い男が1人だった。
彼らの家族を見ていると、思ったより嘆き悲しんでいないのである。
どうやら男は長く患ったりボケが現れると、それまでと評価が変るようだ。
引退して家計の収入が年金だけになると、亭主は「お役御免」になる。
だからそれ以降は、家族に迷惑を掛けないように過ごさないといけない。
渥美清じゃないが、「男はつらいよ」である。
自分の人生を振り返ってみると、「たまたま運が良かっただけ」と思えて来る。
誰でも人生は人との偶然の出会いから始まる。だからなにも行動を起こさなければ出会いも無く、なにも起きない。しかし行動を起こしても上手く行くとは限らず、私の場合は失敗も多かった。
たまたま私はマイナスより、プラスが多かっただけにすぎないように思っている。
人生を振り返るようになると、そろそろ「お時間です」なのかもしれない。
滅多に考えることは無いが、「生まれ変わったら?」と考えた。
今までと同じ能力で生まれ変わったら、多分、今の厳しい経済社会では駄目だったろう。あの時代だから、私程度でも許されたのだと感じている。
時々、思う時がある。それは「オヤジが56歳で亡くならなければ」である。
「もし」は無いのを承知で言えば、私は今と違う人生だったろう。
すると女房も違うはずである。でもそれが良かったかどうかは分からない。
北海道伊達市に2003年夏より毎年季節移住に来ていた東京出身のH氏。夏の間の3ヵ月間をトーヤレイクヒルG.C.のコテージに滞在していたが、ゴルフ場の閉鎖で滞在先を失う。それ以降は行く先が無く、都心で徘徊の毎日。
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