心の伊達市民 第一号

世の中では、「おひとり様」が増えているようだ。
自分から「おひとり人様」を選んだ人、配偶者に先立たれたり、別れたりして「おひとり人様」になった人、相手が見付からず仕方なく「おひとり人様」のままでいる人など様々な「おひとり様」がいる。


中には「家庭内離婚」状態で、「おひとり様」状態の人もいる。世の中は複雑で様々である。
でも「おひとり様」は何でも自分で決め、自分の好きなようにできるという良さがある。




       天台宗ハワイ別院の大僧正「荒了寛」の絵説法


【旅(1)】
コロナ流行後、最近はそんな「おひとり様」を狙って、『おひとり様限定の旅」などという旅の企画がある。私もある時、そんな企画のバス旅行に参加したことがあるが、団体行動なのに誰とも話さず気楽な旅だった。参加者も「1人旅」を楽しむために来ているのだから、こちらから積極的に話し掛けたりしたら嫌がられる。


食事の時は同じテーブルに着くが、殆ど話はしない。だから私はなんだかやり難くなり、食べ終ったらすぐに外に出た。親しい人達と行く旅も楽しいが、「おひとり人様」の旅はなんといっても気配り不要なのが良い。




      仏像教室の仏像展をハワイで行った時はお世話になった。


【旅(2)】
以前はホテル以外の旅館では「おひとり様」は断られた。
「自殺でもされたら大変だ」というのが、その理由のようだった。
それが今では「おひとり様」歓迎の旅館が増えて来たのは、私には嬉しいことだ。


コロナ騒動が始まってから、私は2度ほど旅に出た。長野県と福島県だった。
どちらも写真撮影の「おひとり様」旅行だったが、旅館の人も必要以外は構わないでくれたのが良かった。




       荒了寛大僧正は2019年に亡くなった(合掌)


【レストラン】
私はランチはいつも外食である。だから当然のように「おひとり様」で食事となる。
店側も心得ていて「何人様ですか?」などと聞かないし、コロナ以降は1人用の席が増えて来た。
「おひとり様」用となると、席はどうしてもカウンター式となる。


コロナ以降は隣の席との間にプラスチックの仕切り板があり、「おひとり様」を強調しているように感じる。しばらく前から「1人焼肉」の店が出現した。
焼肉は人によって焼き具合に好みがあるので、「おひとり様」はとても良い。




       ハワイのホテル・オークラで夕食を共にした。


【引き籠り】
「おひとり様」の究極は「引き籠り」だろうと思う。
何年間も自室に引き籠るのは、家族は勿論だが本人も辛いのではないだろうか?
かなり前に10年以上も引き籠っていた地方の女性を、東京に招いたことがある。


一緒に東京見物をして、お昼には彼女のリクエストで浅草の「今半」で「すき焼き」を食べた。
そして元気に戻って行ったので、「これで社会復帰が出来る」と期待したのだが、また引き籠ってしまった。




     仏像教室でハワイ別院に生徒が彫った「十二神将」を奉納した。


【都会の中で】
都会という場所は、元々「他人は無関係」という冷たさがある。
毎日、出掛ける私にはこんなことは当り前であるから、なにも感じない。
特に盛り場では大勢の人達が行き交うのに、みんな自分のことに忙しく他人には構わない。


田舎では必要以上に他人に構うので、それが嫌で都会に出て来る人もいる。
「これだけ大勢の人達が歩いているのに、誰も知り合いはいない」という心地良さと同時に不思議な感じもする。




     80歳くらいの時も、大型のアメリカ車を運転していた。


【行楽地の1人】
「おひとり様」で行楽地に行くと、少し事情が変る。
なぜか行楽地には「おひとり様」が少なくて、家族連れ、恋人同士、仲間同士が溢れている。
そんな中に私が「おひとり様」で行くと、「誰か連れが欲しい」と感じる。


誰も話す相手がいない状態の行楽地は、人が大勢いるのに寂しく感じる。他の場所では感じないのだが。
たまに見掛けるが、誰彼となく話し掛けている寂しい高齢者がいるが、自分はああはなりたくない。




      私は荒 了寛大僧正の「絵説法カレンダー」が好きだ。


(おまけの話)
1人の行動の代表例は「読書」ではないだろうか?
私は家で何もすることが無い時は本を読む。それも普段は図書館で借りて来た本が多い。
特にお気に入りの作家もいないしお気に入りのジャンルも無いので、選ぶ本も「なんとなく」が多い。
書評で褒めていると借りることが多いが、それも当たりハズレがある。




         「エジプトの空の下」★★★


最近では書評で褒めていた外国の小説の、「悪い弁護士は死んだ上下」を借りて来た。
しかし半分まで読まずに返却した。その理由であるが、あまりに表現が「えげつない」からだ。


『裕福なシニアって、体の自由の利かない頭の弱い老人たちだけだ。カタカタ音を立てる入歯、歩行器、補聴器、鼻をつく尿の匂いに包まれている。もっと年金をくれ、もう一度股関節の手術をしてくれ、と常に要求ばかり突き付け、隙間だらけのすだれのような短期記憶で、小銭入れはたいてい家に忘れてくる』というような表現は気分が悪くなる。




        「悪い弁護士は死んだ上下」★


その一方で、老後に関する本も読むようになった。
世の中には色々な老後があると思うが、友人達は同じような環境なので、それほど違和感が無い。
そこで本の中で自分と違う老後を知ることになる。遠く離れて「おひとり様」で死んだ父のことで、父の存在を思い出すということもあるようだ。


「おひとり様」と自分では思っていても、血縁からは逃れられないのである。
それにしても「人は1人で生まれて来て、1人で死んで行く」と言われているが、「おひとり様」の心地良さに慣れてしまうのも怖いと思っている。




            「父がひとりで死んでいた」★★★


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北海道伊達市に2003年夏より毎年季節移住に来ていた東京出身のH氏。夏の間の3ヵ月間をトーヤレイクヒルG.C.のコテージに滞在していたが、ゴルフ場の閉鎖で滞在先を失う。それ以降は行く先が無く、都心で徘徊の毎日。

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