
心の伊達市民 第一号
ブログのネタに困ると、昨年の手帳を引っ張り出す。
そして『今ごろは何をしていたかな?』を調べてみる。
調べた結果は『あー、そうだった』と、予想通りにマンネリの行動が書いてある。
ここで「昨年の手帳を見る」という行動を起しているのだから、まだボケてはいないと思う。

都電「荒川線」の荒川車庫前駅近くで
ある雑誌に「認知症の割合」という記事があった。
私の一番恐れているのが「認知症」なので、「認」という字を見ただけで記事を読む。
それが「認証」、「認可」、「認識」、「認定」だったりすることもある。
日本人の男性では65歳で16%、80歳で35%、95歳で51%が認知症になるそうだ。
私はまだ35%には入っていないと自分では思っているが、認知症というのは自覚している人は少ない。
だから私が軽くても認知症であることを知っているのは、たぶん女房だけだろう。

「荒川車庫前駅」と「荒川遊園地前駅」の間。
さて手帳には5月は「都電・荒川線のバラの撮影」と書いてあった。
そこで今年も5月後半の晴れた日に、荒川線沿線のバラを見に行くことにした。
そして今回はバラだけでなく、1ヵ所に留まり、色々なデザインの都電の撮影もすることにした。
都電は私の経験でも、見た目は旧型だが新品という車両や、レトロ感を出した車両もある。
写真の題材としては、「バラと都電各種」も面白いと思ったのである。

都電の車両の各種
今回はマンネリにならないように、定点撮影をして色々な形の都電を撮ろうと考えた。
大塚駅前から都電「荒川線」に乗ったら、車内は大混雑だった。
いまは「東京さくらトラム」という洒落た名前になった都電だが、今でも庶民の足となり貴重な路線のようだった。
昔の都電が発車する時の「チンチン」という音は、今でも出すようになっている。
バラの花が多いのは荒川車庫前の辺りと終点の「三ノ輪橋」なので、今回は荒川車庫前と荒川遊園地前の間で撮影することにした。

電車を降りて、線路沿いのバラのところに行ってみた。
しかし残念ながら、バラの花は枯れかけていた。どうやら今年は昨年より1週間も早く花が咲いたらしい。
例年なら撮影に来ている人と出会うのだが、今回は誰も来ていない。
みんな事前に調べていて、もっと早い時期に来ていたのだろう。それでもめげずに、良さそうなバラを探して歩き回った。気温27度の中では汗だくで、年寄りにはかなり辛い。

都電は次から次へとやって来る。
上りと下りが代わる代わるに来るので、5分に2回は撮影チャンスがある。
都電が良く写る場所と、バラの花が残っている場所は必ずしも一致しない。
それでもなんとか場所を確保して、都電の撮影を続けた。
趣味とは変なものである。私の場合は「花が好き」とか「撮り鉄」ではないので、心構えがなっていない。
結局は大した写真も撮れずに、帰りの都電に乗ったのである。

この頃のことだがブログのテーマを決めると、なぜか古い歌の歌詞が浮かんで来るようになった。
バラの花では2007年に、マイク真木が歌って大ヒットした「バラが咲いた」という歌があった。
いまになってこの歌詞を見ると、「なぜこの歌がヒットしたんだろう?」と感じる。
この年がどんな年だったかを調べてみた。
すると「安倍首相の突然の辞任」、「参議院選挙で自民が歴史的敗北」、「食品偽装表示事件」などがあった。特に思い出すのは北海道のミートホープの牛肉偽装、不二家の消費期限切れ牛乳使用、他にも「赤福」、「比内鶏」、「船場吉兆」など次々と問題が発覚した年だった。バラの花から、変な話に飛んでしまった。

(おまけの話)
バラの花で別の話題である。
マンションのデジカメクラブの女性会員のS子さんが、素晴らしいバラの写真を撮ったのを見せてもらった。その写真は画面全体がバラに囲まれた中に東京タワーが見えるという、なんとも凄い写真だった。
写真を撮影したのが芝公園と聞き、雨の合間を縫って私も撮影に行ってみた。
「二番煎じ」ではあるが、私も同じような写真を撮りたかったのである。

芝公園から東京タワーを見る。
芝公園は浜松町駅から歩いて10分くらいのところにある。
隣は増上寺で、その後ろに東京タワーがある。
芝公園に行くと、広場の前で先ず目に入るのがバラの花壇だった。
真っ赤なバラをアーチ状にしてあり、バラのアーチを通して東京タワーが見える。
「そうかー。S子さんはここから撮影したんだな」と分かった。

バラのアーチの間から東京タワーが見えた。
しかし自分の立つ位置をどう変えても、彼女の撮ったような写真にならない。
そもそも東京タワーの隣の高層ビルが邪魔なのに、彼女の写真にはそのビルが写っていない。
しかも手前のバラを明るくすると、遠くの東京タワーは色が薄くなってしまう。
東京タワーを適正露出にすると、今度はバラが暗くなり過ぎてしまう。
色々とやってみた結果、私の結論は「彼女は合成写真にしている」であった。
最近の彼女の見せてくれる写真は、いつもかなり加工がされている。
S子さん曰く、『写真はコンテストに出すので無ければ、色々と加工して綺麗なものが良い』。

東京タワーとバラの花
北海道伊達市に2003年夏より毎年季節移住に来ていた東京出身のH氏。夏の間の3ヵ月間をトーヤレイクヒルG.C.のコテージに滞在していたが、ゴルフ場の閉鎖で滞在先を失う。それ以降は行く先が無く、都心で徘徊の毎日。
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〜栄養と音楽で人生に彩りを〜
『ニュートリション&ミュージックルーム』 主宰 石岡祥子さんプロフィール ピアノ、ウクレレ、チャイルドコーチ 発達凸凹ちゃんレッスン オーソモレキュラー こども分子栄養学アドバイザー 中医学、自然、アロマ、ワイン好き HSS型HSP はじめて石岡祥子さんのプロフィールを拝見した時、正直「??」が飛び交いました。 自然、アロマ、ワイン好き…はともかく、音楽以外のお仕事が頭の中でつながらなかったからです。 この方は一体どんな方なのかしら…? そんな疑問を持ちながらも、顔いっぱいの笑顔にとても魅せられ、Instagramをフォローさせていただき、「いつか取材をさせていただきたい!」とチャンスを狙っていた筆者でした。 ということで、そのチャンス到来! 今回は『ニュートリション&ミュージックルーム』主宰 石岡祥子さんにお話を伺いました。 分子栄養学と音楽の関係のこと そこはグランドピアノが置かれた音楽教室でした。 いしおかミュージックルーム 「音楽業界でのお仕事は26年になります。ヤマハとローランドの講師資格を取得して、自宅教室を主宰しています。今でも室蘭教室はありますが、3年前に伊達市に移住してきたのです。」 早速、疑問を投げかけてみました。 「分子栄養学と音楽教室の関係が見えづらいのですが、具体的にどのような活動をされていらっしゃるのですか?」 すると祥子さんは、まるで音楽が流れるように話してくださいました。 「栄養学を学んだきっかけは、私自身の体調不良でした。不定愁訴もあり、常に体調がすぐれないことが悩みでした。そんな状況から抜け出したくて、7〜8年前から栄養学・漢方・中医学などを学び、食生活の改善や生活習慣の改善に取り組みました。その過程で出会ったのが分子栄養学でした。私自身初めて目にするものでしたが、ある方の講演を拝聴して強く感銘を受けたのです。 その後、トップ講師の方から分子栄養学を学ぶ機会を得て、分子栄養学アドバイザーの資格を取得したのが3年前のことでした。自分自身が分子栄養学に基づいて食生活の改善をした結果、みるみる体調が改善されていくのを実感しました。」 「なるほど…。活動の背景には祥子さんご自身の体験があったわけですね。でも、音楽との関連がいまひとつ見えて来ないのですが…。」 「26年間音楽教室をしていますと、3歳から習いにきてくださったお子様も成人します。とても長い期間のお付き合いになるわけです。ですから、幼児特有のイヤイヤ期やメソメソ期、思春期で不安定な時期なども時を一緒に過ごします。なかには発達がゆっくりめのお子様がいらしたり、とても繊細だったり、悩みを抱えていたり、そのような場面にも遭遇します。中には、それらが要因となって生きづらさを感じてしまうこともあるわけです。かつての私のように…。」 音楽教室といえども、20年以上も同じ時間を過ごされている中で、生徒さんの成長を音楽以外でも見守り、寄り添いながら、人間同士のお付き合いをされているということなのですね。 誰にも人生を謳歌してほしいという願いをこめて 「体だけでなく心の不調も、実は食生活改善によって大きく解消されます。体調がよくなるとパフォーマンスも上がることを知ったのは大きな収穫でした。本来、その人が発揮できるはずの力を支えているのは、毎日の食事と睡眠です。 分子栄養学的アプローチで、生活改善をすると日常のストレスも軽減されるということを、多くの方に知ってほしいと思っています。私がお伝えしていることは、私の心身で実証された実体験がベースです。そこに音楽をプラスすることで、人生をより楽しく謳歌してほしいと願って活動しています。」 「私の中では、音楽も食も人生をより豊かにするものだと思っています。決して音楽と食を融合しようとしているわけではありませんが、どちらも人生には不可欠なものだと思っています。誰でも皆、人生を楽しみたいですよね。ところが、お子様でも大人でも、様々な心身の悩みを抱えていたり、生きづらさを感じていたりする方は多いです。ですので、私は音楽と食の面から、人生を楽しむお手伝いをしたいのです。分子栄養学を学んで実践していただくことで、心身の不調の原因を推測できるようになり、ご自分の身体を整える方法を知ることができます。分子栄養学も音楽も、その方の人生に彩りを加えることができるものと信じています。」 ここまでお話を伺い、ストンと腑に落ちました。 ものすごく納得しました。 祥子さんのお話は、自らのお体で実証済みですし、科学的裏付けもあるのでとても説得力があります。 さまざまな講座を開講☆ どの企画も興味津々! これらは既に終了した企画ですが、次回開催に期待したいです。 ※画像はクリックで拡大表示できます そして・・・ なんと! 8月10日には「なつやすみこども分子栄養クッキング」教室が開催されます! 皆様に人生を楽しく謳歌してほしい! 生徒さん、お一人お一人に寄り添いながら、栄養と音楽の両方からサポートを続けている石岡祥子さんです。 ―『ニュートリション&ミュージックルーム』情報― 住所 伊達市南稀府町 電話 090-9080-5877 ◆「お子さまとママを幸せにする栄養のお話」 パーソナルセミナー 2時間以内 4,000円(テキスト付き) ◆「からだ」と「こころ」に必要な栄養のお話 パーソナルセミナー 2時間以内 4,000円(テキスト付き) ◆その他個別相談 1回1時間〜1時間半 3,000円 ホームページ http://ishiokapiano.music.coocan.jp/ LINE公式 lnktr.ee/ShokoIshioka Instagram https://instagram.com/musicroom_is?igshid=YmMyMTA2M2Y=
Rietty
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引き継ぎ手募集!アイスプラント栽培、大滝の白戸さん
大滝区で「アイスプラント」という珍しい野菜を栽培する白戸和夫さんが引き継ぎ手を探しています。 南アフリカ原産のアイスプラントは多肉植物の一種で、サクッとした歯応えとプチプチした食感、塩気のある味が特徴のオシャレな野菜。中性脂肪の抑制や血糖値を下げる効果のある成分が含まれており、近年注目を集めています。 白戸さんがアイスプラント栽培を始めたのは13年前。当時は市場でも希少で、栽培方法も確立されていなかったそう。たくさんの研究と試行錯誤を重ね、独自のノウハウを開発しながら育ててきたのだとか。現在およそ3千株のアイスプラントが元気いっぱい育っています。出荷先は札幌方面のスーパーでサラダなど生食用として好評だということです。 詳しくは特集記事をご覧ください! https://mushanavi.com/specials/4448/ 育苗ハウスの中。なんだかかわいい! アイスプラントの苗。種から栽培しています。 ビニールトンネルが並ぶ白戸さんのアイスプラント畑 アイスプラントの収穫時期は6月〜11月。ポットで育てるため耕作機など、大型の農機具は不要。ハウスがあれば栽培でき比較的手軽に始めることができます。 栽培のポイントは土!貝殻や海砂などを混ぜ込んだ白戸さんオリジナルの用土がなんといってもよく育つ秘訣だそうです。農薬は使いませんが、独特の塩味を出すために夏と秋に数回、塩水を撒きます。 今シーズンもそろそろ終わりという時期ですが、ビニールシートの中では、はちきれんばかりに元気なアイスプラントがたくさん茂っていました。 うまく育つようになるまでに、多くの失敗と苦労があったそうです。このみずみずしさは長年の研究の賜物!葉を少しちぎって食べてみると、シャキシャキした歯応えとまろやかな塩味がとってもおいしかったです。 研究熱心でお元気な白戸さんですが、年々、体力的に大変になってきたため、苗や用土を譲り受けて代わりに育ててくれる方を探しています。伊達周辺の若手農家の方でアイスプラント栽培に興味のある方、白戸さんにご連絡ください(ハウスを一棟以上持っている方が望ましいそうです)。 匠の大地 白戸和夫 北海道伊達市大滝区優徳町 電話0142-68-6747 記事の内容は取材時の情報に基づいています(取材2021年11月)
むしゃなび編集部
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Rietty
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