
心の伊達市民 第一号
なにもやる予定が無い日は困る。そんな時は「仕事のある人が羨ましい」と感じる。
高齢者は仕事が無いのだから、殆どの人は暇を持て余しているはずだ。
何歳になっても仕事を続けられる人は幸せである。
でも多くの高齢者は軽い認知症が始まっているので、若い人の間に入って仕事をすると迷惑が掛かってしまう。
「日本人の寿命が伸びている」ことが、果たして幸せなんだろうか?
天気予報を見て晴天が続いて、やることが無い時には、私には「やること」がある。
それは東京都の所有するクルーザーの「東京みなと丸」に乗って、東京湾を案内してもらうことである。
平日の午後3時を過ぎる頃に、「ボー、ボー」という音が窓から入って来る。
この音は「東京みなと丸」が遊覧を終えて、浜離宮の前にある水門から係留地に入る時の警笛である。窓から見下ろすと、「東京みなと丸」がユックリと水門から入って行くのが見える。
旧型の「新東京丸」にも3回も乗船したが、ガイド付きで湾内を案内してくれる。しかも無料である。そこで天気の良さそうな日を狙って、乗船予約をした。
新造船の「東京みなと丸」が就航した2020年12月当初からは、なかなか予約が取れなかった。
ところが新型コロナウィルスのまん延で2021年2月に就航中止となったが、2021年11月1日から再開された。乗客数も半分の25人に絞ったが、コロナを恐れる人が多いのか団体客優先の申込枠が無くなったようだ。
お陰で個人でも予約が取り易くなったのは、私にはとても良かった。
私は以前の「新東京丸」に3回乗船したが、前方がガラス張りで良かった。しかし現在運行中の「東京みなと丸」はそこがスクリーンになっていて前が見えないのが残念だ。
「東京みなと丸」は午前10時30分と、午後1時45分の2回、就航している。
私は今までは午前10時30分発の船に乗船していた。
また太陽の方向も考えて船の進行方向の右側に着席していたが、今回は初めての午後便で、しかも進行方向の左側に着席しようと決めていた。左側は窓から太陽の光が直接、入って来るが、復路は太陽を背にするので写真が撮り易い。
「東京みなと丸」が出航するのは「竹芝小型船船着き場」からである。
我が家からは東京BRTで新橋に出て、汐留駅から「ゆりかもめ」に乗れば1駅の「竹芝」で降りる。
そこから数分のところに、乗船場がある。所要時間は家から約30分くらいである。
いつもは午前便だが家からは散歩を兼ねて、1時間くらい掛けて歩いて行っていた。
今回は午後便なので早目に家を出て、午前便の「東京みなと丸」をレインボーブリッジの上から撮影しようと考えた。
その為に午前9時15分に家を出て、1階のスーパーでお昼ご飯を買う予定でいた。
玄関で靴を履いていたら、携帯電話が鳴った。
知らない番号だが、なにかあるといけないので出てみた。
すると「東京みなと丸」の係員の女性で、『今日の午後便は強風の為に出航を中止します』と言われた。家にいると「強風」なんて、まるで感じない。どうやら海の上は違うらしい。
しかし「中止」には驚いた。今までの3回でそんなことは無かったので、「強風で中止」ということがあるとは考えてもいなかった。もう靴を履いてしまい女房も見送りに玄関に来ているので、今さら靴を脱いで戻るわけにもいかない。
例えて言えば、『ご馳走を目の前にして箸を持ったら、料理を引っ込められた』と言う感じだろうか?
「午前便は実行で、午後便が中止」じゃ仕方ないので、重い足取りで午前便の撮影に出掛けて行ったのである。
(おまけの話)
船がレインボーブリッジを通過する場所は、大体は分かっていた。
その場所に20分も早く着いてしまった。一眼レフカメラをリュックから取り出し、撮影の準備をしていた。
するとまだ時間にならないので、「東京みなと丸」が出航したのが見えた。
きっと全員が乗船したので、早目に出航をしたのだろう。
「東京みなと丸」はかなりユックリと、こちらに向かって進んで来る。
歩道と車道はガードレールで遮られているが、私と車との距離は2メートルくらいだ。
大型トレーラーが通過すると、風圧で体がよろける。その上に強風も吹いているので、少し怖い。「東京みなと丸」はアッという間に、レインボーブリッジの下を通過して去って行った。
この船は多分、1時間少しで戻ってくるはずなので、お台場まで行って往路とは反対側の歩道で待ち構えることにした。
「まだ時間はある」と思っていたら、遠くに「東京みなと丸」の姿が見えた。
慌てて準備をして、写真を撮る。
海との境には金網が張られていて、カメラのレンズは大きくて金網の隙間には入らない。船が近くに来た時は、画像に金網が写り込んでしまっている。
後で気が付いたが、私はコンパクトカメラも持って来ていたのだから、それで撮れば問題なかった。カメラマンとしては、まだまだだ。
・・・というわけで、またその内に「東京みなと丸」を予約しようと思う。
北海道伊達市に2003年夏より毎年季節移住に来ていた東京出身のH氏。夏の間の3ヵ月間をトーヤレイクヒルG.C.のコテージに滞在していたが、ゴルフ場の閉鎖で滞在先を失う。それ以降は行く先が無く、都心で徘徊の毎日。
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ふらり旅人からのゲストハウス 自由人 小林圭子氏 〜想いと直感のままに『ポンコタン』
今回の主人公は洞爺湖の近くでゲストハウス『ポンコタン』を営む小林圭子さん。 旭川出身の47歳。 洞爺湖に移住する前は名古屋で商売をされていました。 「北海道には30代後半からバイクにテントを積み、 ふらりと旅しに来ていました。」 洞爺湖との出会いは、 2018年に「幸せのパン」の映画の舞台になったところを見てみたくて 青春18きっぷでふらりとやってきたのが初めてでした。 ところで圭子さん。 なんと言うか・・・。 「以前、どこかで会いましたっけ?」 そんな錯覚を起こさせる人です。 あの、バリアフリーな雰囲気は一体どこからくるのだろうか? 探ってみたくなりました。 旭川から札幌へ。 そしていきなりポン!と名古屋へ飛んだ圭子さんが始めたのは、 なんと”バナナ焼き屋“のお店でした。 店の名前は「パピリカ」。 それはアイヌ語で「豊作」という意味です。 バナナ焼き屋をやろうと思った理由は〜。 「小さい頃から食べていたソウルフードだったから」 ただそれだけの理由で、 古くからお菓子文化が発達している(駄菓子の製造所も多い)名古屋で店を出そうとは、 普通はなかなか考えつかない。 でもそれをひょいっと始めてしまうところが圭子さん流。 深くは悩まない。 やりたいからやる。 ただそれだけ。 そんなシンプルさが、度胸を超えた何かを感じます。 パピリカ時代のHPを見つけました。 熊が鮭ならぬバナナを咥えている姿が なんともユニークで忘れないロゴです。 何事もサラッと話す割には材料にはかなりこだわっています。 卵も牛乳も使用していないので(カスタード以外)、 卵アレルギーや牛乳アレルギーの子どもを持つ親御さんも よく買いに来てくれたそうです。 そして白餡はしっかりと手作り。 バナナ焼きと言えば旭川の名物お菓子。 この時お話を伺うまで知りませんでしたが、 旭川のバナナ焼きにもバナナそのものやバナナエッセンスなど、 バナナフレーバーは一切入っていないそうです。 バナナ焼きとは、形からだけ連想するネーミングのようです。 とても美味しそう〜! 食べたかった〜! パピリカはすぐに地元に溶け込み、 8年間営業を続けました。 その時の繋がりは今も続いていると言います。 人懐っこいと言う表現とも違う、 相手に壁を作らせない不思議な力を圭子さんは持っています。 「いろいろなところから転勤してきた人たちが多く住むところでした。 近所の方がよく買いに来てくださっていましたよ。 家賃を払いつつ、 女ひとりが食べるだけの分はなんとか稼げていました。」 「ところで、ポンコタンは小さな村という意味。 パピリカは豊作という意味ですよね? どちらもアイヌ語ですが、なにか特別な意味があるのですか?」 そんな筆者の質問に 圭子さんはまたもやあっさりと答えます。 「いや、なんとなくです。」 まただ…。 やはりこんな調子…笑 筆者はその言葉の背景を知りたい!と質問をしても、 決してはぐらかす訳ではなく、あくまでもサラッと答える。 想いが至極シンプルだからこそ、 きっとその時の直感のまま「なんとなくそうしよ」と 思った通りに動いてしまうのだろうと思います。 しかも、転機にはだいたい誰かが力を貸してくれる。 これはもう人徳です。 気負わず流れに任せるというのは、実は楽そうで楽ではない。 でも圭子さんは素直に誰かの力を借りながら、 とても自然にその技を使ってしまう。 「名古屋の友人がゲストハウスをしていたんです。 あらたに宮古島でゲストハウスを始めるにあたって、私も少し手伝いました。 その友人は度胸があるというかなんというか、 外国人が結構泊まりに来ていたのですが、英語は喋れないんです。 でもなんてことなくやっているのを見て、 私も妙な自信をつけてしまいました。 『そうか、英語ができなくても宿屋はできるんだ』 ってね。」 「その辺りから、ゲストハウスに興味を持つようになりました。 ちょうど、ふらりと洞爺湖へ足を運ぶ機会も増えていたこともあり、 洞爺湖の近くでゲストハウスをやることが ふわっとしたものから現実的になりました。 あ…その前にバナナ焼き屋を畳まないと。」 そう思った時、 店を丸ごと買いたいと申し出てくれた人が現れました。 それは元々はお客様だった友人で、古民家カフェを営んでいる方でした。 バナナ焼き屋営業終了2日後には洞爺湖に移住してしまうというスピーディーさ。 思ったらサラッと行動! その後、1年半をかけて建物をリフォームし、ポンコタンを開業されました。 「待っていてくれているような気がしていました。 洞爺湖はどっしりとしていて迎え入れてくれるような安心感がある湖だと感じています。 移住してすぐは、キャンプ生活をしながらあるホテルでバイトをしていました。 同時に物件探し。 そんな中、即決したのがこの建物でした。 借金も1000万円以上してしまいました。」 この建物は、昔、ある会社の社員寮だったところ。 なので、一部屋一部屋にトイレが付いていました。 さて、ゲストハウス「ポンコタン」は 内装・外装そのほとんどをDIYしています。 もともと建物に興味があったわけでもなかった圭子さんですが、 もの作り好きであったことが功を奏しました。 「必要に迫られた部分もありますが、 バナナ焼き屋時代に建物の内部構造にものすごく関心を持つようになりました。 そもそもは工事関係者への不満に端を発したのですが、 お陰で建築について色々知ることができました。 建物がどんなふうにできているのかを知るために、 分解しながら構造を理解していきました。 コンクリートにネジを入れるにはどうしたらよいか?とかね。」 冒頭に登場した仕切りに描かれた洞爺湖の絵は、名古屋時代の友人が描いてくれたもの。 「名古屋時代の友人たちは変人が多くて(笑) 尋ねてきては色々置いて行ってくれます。」 困ったふりをして、笑いながら話す圭子さんには、 遠くから支えてくれる友の存在に感じる安心感が表れていました。 圭子さんの仲間たちは、 「ポンコタン」のオーナーの とてつもなく自然体なおもしろキャラクターをよくご存知のようです。 「うちね。コンセプトなんてないのよね。」 圭子さん、突然、そうサラッと言った後でこう続けました。 「よく眠れました!って言ってもらえるのが一番嬉しいかな。 旅の途中で快適な時間をここで過ごしてくれたら、 それが一番嬉しい。 それとね。 今年の夏はすごく忙しかったのね。 借金あるからあと10年はやらないといけないけど、 とりあえず持続可能な宿を目指して働き方改革するわ(笑)」 「10年経ったら何するの?」 そんな問いに。 またもやサラッと 「わからないな」 と答える圭子さんでした。 帰り際 「また来て!」 と軽い調子で言われました。 「うん」 と答えてしまいました。 ポンコタンの魅力は この気安い感じなんだろうと思った筆者でした。 決して気負うことなく、 そのまんまの圭子さんが妙な安心感を与えてくれる取材の時間でした。 ゲストハウス ポンコタン 〒049-5721 北海道虻田郡洞爺湖町洞爺湖温泉97 080-6092-4967
Rietty
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