心の伊達市民 第一号

写真で見る東京(107)・・・京橋区

中央区観光協会の特派員ブログに「往年の街の景色をしのぶ」というのがあり、そこに「京橋区」の話が載っていた。私は14年前にこのマンションに越して来たのだが、近所の古い民家に「京橋区」の表札があった。
何丁目か覚えていないのが残念で、写真を撮っておけば良かったと思っている。

そこでブログにあった古い住所表示を見るために、わざわざ出掛けて行った。
勝鬨橋を渡ったすぐ右手に「天竹」という和食店があり、以前はよく行ったが今回は2年ぶりくらいだ。

ここで食べるのは「かき揚げ丼」で、紋甲イカが山ほど入ったかき揚げが丼に乗って出て来る。久し振りにランチにご飯ものを食べたら、その後に歩くのが苦しかった。
また2年の間に1000円になり、30%くらい値上がりしていた。        


 「かき揚げ天丼」(天竹)



「京橋区」に付いて調べてみたら、京橋区というのは1878年から1947年まで東京都に存在した区である。その場所は現在の中央区の南部で、銀座1丁目~4丁目、数寄屋橋、木挽町(現在の歌舞伎座辺り)、築地、新富町、八丁堀、佃町、月島、晴海、石川島、他などである。「勝どき」は書いてないので、ここら辺は「月島」に含まれていたのかもしれない。

今でも古い家屋が少し残っている場所があるので、晴海通りで築地市場の向かい側の裏の方を見て廻った。
有名な三軒長屋があるので、注意して軒先を見たら、なんと古い住居表示が残っていた。
旧住所は「京橋区小田原町二丁目十三番地」で、現在は「中央区築地6丁目7-7」になっている。


 旧住所表示「京橋区小田原町二丁目十三番地」



その先の中央区役所に行く途中の角に「宮川食鳥鶏卵」という店がある。
この店の鶏肉が新鮮で安いらしく、いつでも入店待ちの列がある。
店は明治35年の創業で、もう100年以上も続いている。

建物も古く、壁は銅板で緑青が吹き出ている。
こういうところにこそ旧住所表示が残っていると思い、店の周りを見て廻ったが、残念ながら無かった。


「宮川食鳥鶏卵」



「宮川食鳥鶏卵」の前を通り過ぎて、昭和通りの方へ進んだ。右側に中華料理店の「萬福」がある。この店も古く、創業年はハッキリしないが初代が屋台から始めたのが大正時代らしく、昭和4年に現在の場所に移った。

現在のラーメンの原点である「中華そば」を始めたのは、この店という話もある。
私は2度ほど入ったことがあるが、昔ながらの店内で昔の味の中華そばを食べて、懐かしい思いに耽ったことがある。


 中華料理店「萬福」



「萬福」の向かい側は「西安刀削麺」である。
経営者が変ったのか、店の外装が新しくなっていた。ここには1度、食べに入ったことがある。その理由であるが、なんと我が家の2匹の猫は、この店の2階の屋上で飼われていたのである。

しかし飼い主が持て余してしまい、捨て猫になる時にボランティアの人が引き取ったのである。そして我が家にやって来たという経緯があるので、「どんな人が飼っていたのか?」と思い見に行ったのであった。
その時の様子では店もボロボロで、「餌も碌にもらえていなかったのでは?」と感じた。


 「西安刀削麺」



旧住所表示を探す旅だったのだが、ここまでには最初に見付けた「京橋区小田原町」以外は発見できなかった。「西安刀削麺」の横の路地を進むと、右側に「チョウシ屋」というコロッケ専門店がある。
この店は昭和2年の創業の老舗で、ポテトコロッケはここが元祖と言われている。

中央区特派員ブログに載っていたのが、「銀座3丁目1-6」なので、この辺りと思い旧住居表示を探した。
するとコロッケ屋の自社ビルの入口上に、現在の住所の上に旧住居表示を見付けた。

だが残念だが、多分、自作だと思うが「(旧)京橋区木挽町三丁目一番地」と書かれた小さなプレートがあった。これは残念だが、私の探していた「旧住所表示」のプレートではなかった。


 元祖コロッケ「チョウジ屋」



「チョウシ屋」の少し先に甘味処の「よしや」がある。
その角を左に入ると「よしや」の和菓子販売店がある。
この店は1922年の創業であるが、この辺りの老舗はみんな100年も続いている。

創作和菓子が有名だが、ここでは希望すれば「どら焼き」に好きな焼き印を押してくれる。私がここへ越して来る前に女房はこの店に焼印も注文して、どら焼きに焼印を押してもらい料理教室の生徒たちに配っていた。

「よしや」を左に見て先に進むと、晴海通りに出る。すると道路の向こう側に「京橋郵便局」が見える。そこの住所は築地だが、なんと「京橋区」の頃からあった郵便局なので、今でも「京橋郵便局」なのである。


甘味処「よしや」



(おまけの話)【銀座】
昭和通りを越えて、いよいよ本場の銀座である。
今まで歩いた場所も住所こそ「銀座」であるが、私はそちらは「築地」とか「木挽町」にして欲しい。銀座で旧住所表示を探すのは無理だと思い、古い建物を探して歩いた。

最初に見付けたのが、昔からあるような「たばこ屋」で、見たところから年季が入っている。扉が閉まっていたが、閉店ではないと思う。念のために旧住所表示を探したが、やはり無かった。


 銀座2丁目の「たばこ屋」



銀座で古いビルと言えば多くのファンがいる「奥野ビル」で、現在は多くのギャラリー、アトリエ、ショールームなどが入居している。このビルの歴史が興味深い。

『もともとこの場所にはオーナーの奥野亜男氏の祖父が経営する工場があったのだが、1923年の関東大震災で倒壊してしまう。工場を大井町に移し、1932年に銀座に残っていた土地に高級賃貸アパートメントを建設した』。

銀座に工場があったとは驚きだ。私はこのビルのエレベーターが好きで、たまに行くと乗ってみる。ドアは手で開閉する、昔ながらの方法で懐かしい。
あまりに古いので乗る時に「大丈夫か?」と思うが、入居者は毎日、乗っているので大丈夫なのだろう。


 「奥野ビル」(銀座1丁目)



旧住所表示の「京橋区」を探す旅だったが、結局は最初に築地6丁目に見付けたものだけだった。しかし年のせいか古いものが好きになり、「あの頃は良かったー」と言って若者に馬鹿にされるのだろう。でもその若者も年を取り、私と同じことをするに違いない。

この度の最後は「京橋区」の名前の発祥である、「京橋」で終りする。
京橋とは『東海道の起点である日本橋から京へ上る最初の橋』から名付けられた。
今回の旅で思ったことがある。古い地名には「地名で分かる歴史」があるのだから、あまり簡単に変えるべきではない。


  昔の橋の柱「京橋」

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コメント

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    朝早くに目が覚めるのは歳を取ると仕方がない!6時丁度にPCのスイッチを入れ「ブログ★むしゃなび」を開く。今日は昔の住所表示を探す旅であった。日本の中心地にも操業100年を越す老舗が沢山あるが、その住所表示をそのまま残している建物は少なかったようである。奥野ビルには探索?で入店した事がある。
    ブログの最後に「いいね!」を押す場所があるが、何と今日は一番の「いいね!」をクリックできた。始めてのことである。

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北海道伊達市に2003年夏より毎年季節移住に来ていた東京出身のH氏。夏の間の3ヵ月間をトーヤレイクヒルG.C.のコテージに滞在していたが、ゴルフ場の閉鎖で滞在先を失う。それ以降は行く先が無く、都心で徘徊の毎日。

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