
心の伊達市民 第一号
中央区観光協会の特派員ブログに「往年の街の景色をしのぶ」というのがあり、そこに「京橋区」の話が載っていた。私は14年前にこのマンションに越して来たのだが、近所の古い民家に「京橋区」の表札があった。
何丁目か覚えていないのが残念で、写真を撮っておけば良かったと思っている。
そこでブログにあった古い住所表示を見るために、わざわざ出掛けて行った。
勝鬨橋を渡ったすぐ右手に「天竹」という和食店があり、以前はよく行ったが今回は2年ぶりくらいだ。
ここで食べるのは「かき揚げ丼」で、紋甲イカが山ほど入ったかき揚げが丼に乗って出て来る。久し振りにランチにご飯ものを食べたら、その後に歩くのが苦しかった。
また2年の間に1000円になり、30%くらい値上がりしていた。
「京橋区」に付いて調べてみたら、京橋区というのは1878年から1947年まで東京都に存在した区である。その場所は現在の中央区の南部で、銀座1丁目~4丁目、数寄屋橋、木挽町(現在の歌舞伎座辺り)、築地、新富町、八丁堀、佃町、月島、晴海、石川島、他などである。「勝どき」は書いてないので、ここら辺は「月島」に含まれていたのかもしれない。
今でも古い家屋が少し残っている場所があるので、晴海通りで築地市場の向かい側の裏の方を見て廻った。
有名な三軒長屋があるので、注意して軒先を見たら、なんと古い住居表示が残っていた。
旧住所は「京橋区小田原町二丁目十三番地」で、現在は「中央区築地6丁目7-7」になっている。
その先の中央区役所に行く途中の角に「宮川食鳥鶏卵」という店がある。
この店の鶏肉が新鮮で安いらしく、いつでも入店待ちの列がある。
店は明治35年の創業で、もう100年以上も続いている。
建物も古く、壁は銅板で緑青が吹き出ている。
こういうところにこそ旧住所表示が残っていると思い、店の周りを見て廻ったが、残念ながら無かった。
「宮川食鳥鶏卵」の前を通り過ぎて、昭和通りの方へ進んだ。右側に中華料理店の「萬福」がある。この店も古く、創業年はハッキリしないが初代が屋台から始めたのが大正時代らしく、昭和4年に現在の場所に移った。
現在のラーメンの原点である「中華そば」を始めたのは、この店という話もある。
私は2度ほど入ったことがあるが、昔ながらの店内で昔の味の中華そばを食べて、懐かしい思いに耽ったことがある。
「萬福」の向かい側は「西安刀削麺」である。
経営者が変ったのか、店の外装が新しくなっていた。ここには1度、食べに入ったことがある。その理由であるが、なんと我が家の2匹の猫は、この店の2階の屋上で飼われていたのである。
しかし飼い主が持て余してしまい、捨て猫になる時にボランティアの人が引き取ったのである。そして我が家にやって来たという経緯があるので、「どんな人が飼っていたのか?」と思い見に行ったのであった。
その時の様子では店もボロボロで、「餌も碌にもらえていなかったのでは?」と感じた。
旧住所表示を探す旅だったのだが、ここまでには最初に見付けた「京橋区小田原町」以外は発見できなかった。「西安刀削麺」の横の路地を進むと、右側に「チョウシ屋」というコロッケ専門店がある。
この店は昭和2年の創業の老舗で、ポテトコロッケはここが元祖と言われている。
中央区特派員ブログに載っていたのが、「銀座3丁目1-6」なので、この辺りと思い旧住居表示を探した。
するとコロッケ屋の自社ビルの入口上に、現在の住所の上に旧住居表示を見付けた。
だが残念だが、多分、自作だと思うが「(旧)京橋区木挽町三丁目一番地」と書かれた小さなプレートがあった。これは残念だが、私の探していた「旧住所表示」のプレートではなかった。
「チョウシ屋」の少し先に甘味処の「よしや」がある。
その角を左に入ると「よしや」の和菓子販売店がある。
この店は1922年の創業であるが、この辺りの老舗はみんな100年も続いている。
創作和菓子が有名だが、ここでは希望すれば「どら焼き」に好きな焼き印を押してくれる。私がここへ越して来る前に女房はこの店に焼印も注文して、どら焼きに焼印を押してもらい料理教室の生徒たちに配っていた。
「よしや」を左に見て先に進むと、晴海通りに出る。すると道路の向こう側に「京橋郵便局」が見える。そこの住所は築地だが、なんと「京橋区」の頃からあった郵便局なので、今でも「京橋郵便局」なのである。
(おまけの話)【銀座】
昭和通りを越えて、いよいよ本場の銀座である。
今まで歩いた場所も住所こそ「銀座」であるが、私はそちらは「築地」とか「木挽町」にして欲しい。銀座で旧住所表示を探すのは無理だと思い、古い建物を探して歩いた。
最初に見付けたのが、昔からあるような「たばこ屋」で、見たところから年季が入っている。扉が閉まっていたが、閉店ではないと思う。念のために旧住所表示を探したが、やはり無かった。
銀座で古いビルと言えば多くのファンがいる「奥野ビル」で、現在は多くのギャラリー、アトリエ、ショールームなどが入居している。このビルの歴史が興味深い。
『もともとこの場所にはオーナーの奥野亜男氏の祖父が経営する工場があったのだが、1923年の関東大震災で倒壊してしまう。工場を大井町に移し、1932年に銀座に残っていた土地に高級賃貸アパートメントを建設した』。
銀座に工場があったとは驚きだ。私はこのビルのエレベーターが好きで、たまに行くと乗ってみる。ドアは手で開閉する、昔ながらの方法で懐かしい。
あまりに古いので乗る時に「大丈夫か?」と思うが、入居者は毎日、乗っているので大丈夫なのだろう。
旧住所表示の「京橋区」を探す旅だったが、結局は最初に築地6丁目に見付けたものだけだった。しかし年のせいか古いものが好きになり、「あの頃は良かったー」と言って若者に馬鹿にされるのだろう。でもその若者も年を取り、私と同じことをするに違いない。
この度の最後は「京橋区」の名前の発祥である、「京橋」で終りする。
京橋とは『東海道の起点である日本橋から京へ上る最初の橋』から名付けられた。
今回の旅で思ったことがある。古い地名には「地名で分かる歴史」があるのだから、あまり簡単に変えるべきではない。
北海道伊達市に2003年夏より毎年季節移住に来ていた東京出身のH氏。夏の間の3ヵ月間をトーヤレイクヒルG.C.のコテージに滞在していたが、ゴルフ場の閉鎖で滞在先を失う。それ以降は行く先が無く、都心で徘徊の毎日。
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確固たる想いを洞爺湖で実現させたい! 〜『湖の膳舎 なかむら』 和食職人 中村 悠佑氏〜
2023.4.25 OPEN以来、ずっと気になっていた方をようやく取材することができました。 今回の主人公は『湖の膳舎 なかむら』代表 中村 悠佑さん 千葉県出身、東京都育ち、1児のパパです。 “ My洞爺湖! “ そんな勘違いをしてしまいそうになる景色。 広い窓いっぱいに洞爺湖が見渡せる贅沢空間にその店舗は存在しています。 和食職人と言うと、中学校を出て直ぐ料理の修行をするようなイメージがありましたが、中村さんは和食職人としては珍しい大卒者です。 「本当は、高校を出たら直ぐに飲食業につきたいと思っていました。早くこの世界に入りたかったのです。けれども、親の説得を受けて大学へ行くことになりました」。 とにかく飲食業が好きだった中村さんは、高校一年生の時からファミリーレストランやイタリアンレストランで、大学に入学してからは居酒屋でアルバイトをする日々でした。 「大学では文学部に所属していました。 実はあるリース会社に就職も内定していました。 でも、居酒屋でアルバイトしていた時に感じた、お客様が料理とお酒を楽しんでいる雰囲気がとても好きだったという気持ちを捨てきれず、どうしても飲食業への道が諦められず、その会社を断ってしまいました」。 そんな中村さんが大学卒業後に選んだのは調理師専門学校への入学でした。 「最初はフレンチ志望でした。 かっこ良く見えたんでしょうね。 授業では、和・洋・中をそれぞれ学ぶのですが、授業の中で試食をした時に体にも舌にも自分は和食に向いていると実感しました」。 専門学校卒業後、中村さんは赤坂や新宿の料亭で働き始めました。 修行時代の始まりです。 「就職して初めて飲食業の本当の厳しさを知りました。 労働環境は劣悪でしたよ笑 勤務時間は07:00~25:00 休みの日も糠床をかき混ぜるために出勤していました。 それでもそれほど辛いとは感じなかった。 修行時代を6年ほど過ごし、独立を決めました」。 29歳の時に独立を決めた中村さんは、東京中野の駅前に店舗を構えました。 30席もある店だったそうです。 “ この人みたいになりたい! と憧れる人はいない “ ときっぱり言い切った中村さん。 どこかで聞いたことがある…と思ったら、大谷選手が言った言葉でした。 「え?彼もそんなことを言っていましたか」。と、ご存知なかったご様子。 「修行時代、味付けはさせてもらえませんでした。味付けは最高の位置にいる人の仕事ですからね。 だから、味覚のトレーニングと料理の独自の研究は常に怠りませんでした。 自分の味付けは自分の店を始めてから学びました」。 なるほど。 以前、ある方から、洗い物をする時に鍋についたものやお客様の皿を舐めて味を覚えたという話を聞いたことがありましたが、やはり料理人の世界は厳しいのですね。 「妻は自身で店を持つことを夢に持ち割烹料理店で修行しており、2人で店をスタートしました。東京のお店は住宅街のひっそりとした場所で始めましたが、そこの住宅街にお住まいのお客様はもちろん、近隣の会社様の接待の需要も有り様々なお客様にお越し頂いておりました。その店は、12年間営んでいましたが、北海道行きを決め2023年1月31日に閉じました」。 きっと惜しまれつつ閉じられたのだと思います。 それが証拠に、その時のお客様が東京から洞爺湖までお食事にいらっしゃると言います。 「中村が洞爺湖に店を出したらしいと聞きつけた中野の割烹料理屋時代のお客様がわざわざ来てくださいました。 本当にありがたいです」。 「ところで、何故、洞爺湖を選ばれたのですか?」 「妻の美佳が北斗市出身なのです。いま娘は3歳なのですが、子育ては自然豊かな北海道で育てたいと予々考えていました。そういう視点で北海道を旅した時に、洞爺湖がとても気に入りました。移住するならここが良いなと。でも、果たしてここで商売が成り立つのか? とても不安でした」。 そんな心配を余所に、オープン直後から多くの客様が足を運ぶ店となりました。 「雑誌の「Poroco」や「Ho」に掲載されたことは大きな宣伝になり、とても感謝しています。 札幌圏の方も来てくださるようになりました。ですのでお陰様で夏は順調でした。でも、冬が心配だった。ところが、今度はインバウンドのお客様もたくさん来てくださるようになりました。 シンガポール・タイ・台湾の方が多いです。 海外のお客様は積極的にGoogleにコメントを入れてくださいますので、それをご覧になったお客様がまた来てくださいます」。 予約専門のお店のため、来店者数に合わせて仕込みができるのも強みのようです(席が空いていれば飛び込みも受け付けてくださるそう)。 「どのお料理も素材の味が最大限に生かされていますが、取引先の生産者さんはどのように選ばれているのですか?」 「洞爺湖に引っ越してきたのは2023年の2月で、店のオープンは4月でしたので、野菜は根菜くらいしか手に入らない時期でした。お米は移住前から財田米を食べ比べ、宮内農園さんのお米を食べて「この美味しいお米なら洞爺でお店が出来る」と確信を持てました。宮内農園の佐々木ご夫妻には他の農家さんをご紹介頂いたり、自分達で道の駅で買って美味しかった農家さんにアポを取ってみたりとオープン前は奔走の毎日でした。出来るだけ地元の食材を利用し、地元の方にこんな美味しい食材が地元に有ったんだ!と再発見していただけるようなお店を作っていきたいです」。 特別なものを使うのではなく、地元の方がよく食べているものを使いたいという考え方は素敵だと思いました。 「地元食材を使いながらも、今まで無かった店、今まであまり食べる機会が無かった料理を、職人技で提供する店になりたいと考えています。 とは言え、いまは未だ試行錯誤の段階です。 地元の方に足を運んでいただくためには地域性も大切にしなければいけませんから」。 「ところで、お二人にお尋ねします。移住して良かったなあ〜と思う瞬間てどんな時ですか?」 「最高の食材がすぐ身近にあることが幸せです。 娘がのびのびと成長していると感じる時もまた移住して良かったと感じます」。と悠佑さん。 「洞爺湖を眺めながら大好きな温泉に入っている時です!笑」と美佳さん。 明るい美佳さんは早くも常連さんの人気者です。 「最後に目指しているスタイルがあればお聞かせいただけますか?」 「洞爺湖ならではの和食の店を確立したいです。この素晴らしい借景の中で、洞爺湖でしか食べられないものを提供したい。そのためにも、もっともっと洞爺湖のことを知りたいですし、洞爺湖の食材のことを研究したいです」。 そう力強く語った中村さんの元に、保育園から帰ってきた娘さんが「ありがとうございます!」と言いながらニコニコと現れました♡ ―湖の膳舎 なかむら 情報― 電話 080-9269-2578 住所 北海道虻田郡洞爺湖町洞爺湖温泉186-85 Instagram https://www.instagram.com/nakamura0321?igsh=MWR1bm9ieTBya28yNw==
Rietty
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アートで楽しむまち歩き!ムロランアートプロジェクト2021
旧市街地のレトロな街並みで知られる室蘭駅周辺で、アートとまち歩きを楽しむイベントが10月9日から始まりました。 ムロランアートプロジェクト(MAP)。 室蘭の歴史的建造物が期間限定のアートギャラリーに大変身!10月31日まで土日限定で観覧できます。 初日の10月9日(土)に遊びに行ってきました。 まずは本部のある旧室蘭駅舎へ。公式パンフレットが配布されています。 この黄色いパンフレットがまち歩き「MAP」として、道案内をしてくれます。 さっそくまち歩きスタート! 旧室蘭駅舎には室蘭出身のアーティスト・中村岳さんのインスタレーションが展示されています。 初日のこの日、公開製作が行われていました。完成まであと少しというところの製作風景です。 明治45年に建造された旧駅舎の構内に、巨大な立体作品が次第に姿を現してきました。 鮮やかな赤茶色が室蘭の工場風景や鉄を彷彿とさせます。ドームのような不思議な形。設計図はなく、インスピレーションで形を作っていくのだそうです。 国内各地で活躍する中村さんですが、出身地の室蘭では今回が初の本格的な製作・展示となります。完成したインスタレーション、ぜひ生でご覧になってみてください。 続いて、千穐萬歳堂(せんしゅうばんぜいどう)へ。 大正14年に建てられた歴史ある倉庫です。入り口から佇まいというか、存在感に圧倒されました。こういう建物が保存されていることもすごいことだなあ、と思います。 中は改修され、ギャラリーとなっています。 1階は室蘭工業大学山田研究室のプロジェクト、2階は川上りえさんの造形作品が展示されています。木骨石造ということで、石の壁と木の骨組みが独特の雰囲気を醸し出していました。建物とアートのコラボレーション!美術館での展示とは全く違う味わいがありますね。 坂をのぼって次の会場へ。 景色を眺めながら気持ちよいまち歩き!会場間が遠すぎず近すぎず、程よい距離でコースが組まれており、お子さんから高齢の方まで、歩きやすいのがポイントです。 旧丸越山口紙店。こちらも大正時代の建造物です。レンガの壁からロマンの香りが漂ってくるよう!ゆっくり眺められるのは徒歩ならではですね。 古い調度品に溶け込むようにして、岩崎麗奈さんの写真作品が展示されていました。作品と建物、どちらも見応えがあります。普段は入ることができない建物だけに内部を見られる貴重な機会でもあります。 途中にカフェや飲食店が多くあるので、ランチやお茶を楽しむのもおすすめです。昔ながらの甘味処として親しまれる「すずや」に立ち寄りました。若者からマダムまで、幅広い年齢層の女性客が甘いものを楽しんでいました。 MAPにもおすすめリストが載っています。 室蘭プリンスホテルでは、10月8日〜10日の3日間限定でMAP連動企画として「中央町懐古展」が開催されました。来場者はホテルのクラシックな雰囲気の中、昔の写真や映像を楽しんできました。 さて、最後は中央町たのしま横丁(大辻医院跡地)へ。 初日のこの日、オープニングイベントとして大黒淳一さんによる音楽ワークショップが開催されました。街の音を録音して、音楽をつくる一日限りのスペシャル企画。地域の子ども達で賑わっていました。 音楽作りの様子。公式Facebookをご覧ください↓↓ ムロランアートプロジェクトは「室蘭の未来地図をつくる」をコンセプトに3カ年開催を予定しています。 プロジェクト代表の荒井純一さんは 「繁華街だった室蘭駅周辺をコンパクトに歩けるルートを制作しました。室蘭は普段気づかないポテンシャルがたくさんある街だと思います。アートや街歩きを通してそれを発見してもらえたらと思います。」 と話していました。 建物、まち歩き、アートと、いろんな切り口からいろんな楽しみ方ができるところが面白いな、と思いました。古い建物と現代アートがお互いに美しさを引き立てあって、新しい街の魅力が生まれ出てくるような、そんなワクワクする気持ちになりました。 芸術の秋、ご家族やお友達と出かけてみませんか。 各会場では入り口で消毒、検温、記名を行い、感染対策に配慮されています。 Muroran Art Project2021 2021年10月9日〜10月31日 土日のみ開催 12:00〜18:00 入場無料 ※MAPは旧室蘭駅舎で配布されるほか、公式HP(https://muroranart.wixsite.com/website)からダウンロードできます。 主 催 / Muroran Art Project 協 力 / 大町商店会、室蘭工業大学山田研究室、蘭歴建見会 後 援 / 室蘭市、室蘭商工会議所、室蘭観光協会、北海道新聞室蘭支社室蘭民報社、FMびゅー 助 成 /北海道開発協会助成事業 会 場・展示アーティスト :旧室蘭駅舎(MAP本部)中村 岳 | 千穐萬歳堂(海岸町3-2-6) 川上りえ 室蘭工業大学 山田研究室 |旧丸越山口紙店(海岸町2-5-8) 岩崎 麗奈 | 中央町たのしま横丁(中央町1-2-7):大黒 淳一 (10.9日のみ) 詳細・最新情報はこちらからどうぞ ムロランアートプロジェクト muroranart.wixsite.com/website Facebook
むしゃなび編集部
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