
心の伊達市民 第一号
「鉄道開業150年」の行事に参加したら、急に東京駅のことが気になって来た。
私は東京駅には良く行く。1ヶ月に数回は行くと思う。
・・・と言っても、都バスの終点が「東京駅丸の内南口」だからである。
私が東京駅に行く時は、駅の改札口にベトナム人を迎えに行くことが多い。
また中央線で新宿より先に行った時の帰りには、そのまま東京駅まで乗車して来る。
新宿までなら私は大江戸線の方が便利だし、シルバーパスが使えるから東京駅には行かない。
そこで暇な時に、東京駅の探検をしてみることにした。
先ずはネットで東京駅の情報を集めてみたら、私の知らない場所がかなりあった。
その場所というのは「浜口雄幸首相暗殺現場」、「原敬首相暗殺現場」、「皇室専用貴賓出入口」、「ゼロキロ・ポイント」、「明治41年当時の支柱」、「ステンドグラス」、「ステーション・ギャラリー」などである。
他にもまだあるが、今回はここを含めた7か所を訪ねてみた話である。
【皇室専用貴賓出入口】
東京駅丸の内側の正面に「東京駅」と彫られた石板がある。ここで記念撮影をする観光客が多い。その後ろにあるのが「皇室専用貴賓出入口」である。
普段は扉が閉められているのでなにか分からないが、私は何度かこの扉が開くのを見たことがある。
一番多いのが新任の外国特命全権大使が信任状を天皇陛下に奉呈する時に、ここから儀装馬車に乗って皇居に向かう時である。
また天皇陛下が新幹線に乗る時も、ここから構内に入るのである。
【ドーム天井】
北口と南口にドーム天井がある。その真下にカメラを置いて、自撮りするとこうなる。
ドームには干支、クレマチスの花飾り、鷹型のレリーフで装飾されている。
干支のレリーフは、それぞれの干支が示す方位に従って配置されている。
しかしなぜか「子(北)」、「卯(東)」、「午(南)」、「酉(西)」の4つは無い。私がよく行くのは南口のドームで、下から見上げるレリーフが素晴らしい。
【ゼロキロ・ポイント】
鉄道には路線ごとに起点からの距離を示す距離標というものがあるそうだ。
「ゼロキロ・ポイント」はその起点を示している。東京駅といえども広いし長いので、中央本線、東海道本線、新幹線などに別々の「ゼロキロ・ポイント」がある。
私が見に行ったのは、一番見やすい山手線の4番線と5番線の線路と線路の間にある「ゼロキロ・ポイント」だった。
この写真では見難いが、「O」の中の下に「KM」という文字が浮き出ている。
【明治41年当時の支柱】
5番線と6番線の新橋寄りのホームの端に、今でも明治41年製造の鋳鉄の支柱が2本、記念に残されている。東京駅が開業したのが大正3年12月20日であるが、この支柱には「明治41年」と彫られている。
だからこの支柱は製造されたのが1908年で、設置されたのが1914年だから、製造の6年後である。
しかし不思議なのは刻まれた文字に「株式會社 東京・・・」らしきものが見えるのだが、なぜか削り取られている。その理由を調べたが、どうしても分からないので東京駅にメールで問い合わせ中である。
東京駅から京葉線に乗ろうとすると、大変長い距離を歩かされる。1キロ以上もあるのではないだろうか?
その途中のエスカレーターの下の広場の壁に、日本初の公共ステンドグラスがある。
テーマは「天地創造」で、原画は福沢一郎氏である。
当時の国鉄総裁の磯崎氏は原画を見た感想として、『人類永遠の世界を暗示し、洋々たる国鉄の未来を象徴する感動的な絵ですね。これがステンドグラスに出来るなら、毎日数十万人の旅客に見て頂ける芸術品になると思います』と語ったそうだ。
(おまけの話)
私の子供の頃の話であるが、駅への途中で知り合いに会うと、『どちらまで?』と聞かれた。いまなら『どこへ行こうと勝手だろう!』が、その頃の挨拶言葉だった。
普通は『ちょっと、そこまで」』と答えるのが礼儀だった。
いつの頃までかハッキリしないが、新宿とかその先に行く時に地元民は『東京に行く』と言っていた。別に東京駅に行くわけではないが、「都心へ行く」という意味だった。
それが今ではその「東京」に住んでいる私だ。
私が生まれて初めて東京駅に行ったのは、小学生高学年の時だった。
大阪に住む母の姉が上京するので、なぜか私も一緒に東京駅に出迎えに行ったのである。時間は忘れたが、大きな黒い車体の列車がホームに入って来る光景を良く覚えている。
母の姉の家族が乗って来たのは特急「つばめ」だった。それ以外は全く覚えていない。
あの頃は「東京~大阪」間の所要時間は8時間だった。今ではそれが2時間22分になった。
私は今までに「新年皇居一般参賀」以外で3回ほど偶然に、天皇陛下をお見かけしたことがある。1回は上野公園で、あとの2回は東京駅である。
最初は現在の「上皇陛下御夫妻」であるが、2014年11月に私が女房と旅行先から新幹線で東京駅に着いた時である。
2回目は現在の天皇陛下御夫妻が、2019年に地方に公務に出掛けられる時だった。
常に国民から見られているので、手を振り会釈をする。
車の時は寒くても窓を開けて手を振る。「天皇陛下は大変だなー」と思う。
北海道伊達市に2003年夏より毎年季節移住に来ていた東京出身のH氏。夏の間の3ヵ月間をトーヤレイクヒルG.C.のコテージに滞在していたが、ゴルフ場の閉鎖で滞在先を失う。それ以降は行く先が無く、都心で徘徊の毎日。
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いま、お馬さんと密な関係になってみた!LAKE TOYA RANCH
こちらの特集版にご訪問くださり、どうもありがとうございます^^ / 今後月に2~3回ほど、編集部のライターとして、皆様のお目目にかかることになりましたRiettyです。 この場では、私が出会った「好き」や「楽しい」や「いいね!」を皆様におすそわけさせていただきたいと思っています。 いろんなモノ。 いろんなコト。 いろんなヒト。 楽しむための情報の一つとして。 どうぞ末長くお付き合いくださいね ♡ さてさて。 国道230号線を留守都村方面に向かって車を走らせた時。 この看板を見かけたことはありませんか? 私、実はず〜〜っと気になっていたのですが、ついに曲がってみました。 すると…。 まずお迎えしてくれたのはこの子。 プードルのラヴィン君です。 まだ子供なので、「お客様だ〜!」とはしゃぐ姿がとても可愛い。 北海道弁では「おだつ」感じ。 そして誘導されるように歩くと…。 たくさんのお馬さんたちがのんびりお食餌中でした。 ここは、洞爺湖にほど近い月浦町にある「LAKE TOYA RANCH」さんです。 おっとり優しいお馬さんに跨り、ホーストレッキングや引き馬などを体験できるところです。 早速、体験してみました。 乗せてくれたのはヨーロッパ系ハーフリンガー&どさんこのミックス、大食漢のマックス君。 男子ですが可愛い顔立ちです。 山岳馬なので体力があります。 まずは「よろしくね ♡」とご挨拶。 そして、マックス君の相棒はアメリカ産クウォーターホースのローラちゃん。 カウボーイが乗るお馬さんです。 でも、ここで乗っているのはとても素敵な美人インスタラクターさん♡ トレッキングに出かける前に、「進め」「止まれ」「ターン」の手綱捌きを教わりました。 とても良くトレーニングをされているお馬さんたちなので、的確なアドバイスのもと、少しの練習と、「仲良くなりたい!」という気持ちがあればすぐに乗れるようになれます。 さあ! いざ! トレッキングに出発〜! 緊張と興奮でワクワク&ドキドキ☆ 親切なインストラクターさんは、ほとんど後ろを見た状態で爽やかに優しく指示をくれます。 上り坂は前傾して。 下り坂は後ろに反り気味に。 軸を保とうとするので、インナーマッスルが鍛えられそうです。 太腿の内側も締まりそう。 なかなかの運動量です。 二次的効果を密かに期待してしまいます。 途中、雪が降り出しました。 グリーンシーズンも良いけれど、白い雪原や山道を歩くのは本当に気持ちがいい ♡ お馬さんが一緒にいると、見慣れたはずの洞爺湖の景色が非日常なものに変わります。 お馬さんとの密なトレッキング。 元気に迎えてくれるラヴィンちゃんと、穏やかなお馬さんたちと、親切なスタッフさんたちに優しい時間をいただきました。 もちろんワイルド&イケメン社長 高橋洋一さんも、はにかみながら歓迎してくれます ^^ / 最後に地元密着耳寄り情報!!(地域外の皆様にはごめんなさい) 絶対にお得!! 絶対におすすめ!! 見逃さないでね♪♪ 帰りは高橋社長とラヴィン君が見送ってくれました。 レイクトーヤランチ情報 電話 0142-73-2455 住所 虻田郡洞爺湖町月浦44番地(カーナビ住所検索はうまくいきませんので、レイクトーヤランチと入れて検索してください) アクセス 洞爺湖温泉街より車で5分 E.mail toya@jphorseriding.com ※記事の内容は取材時の情報に基づいています(取材2021年) ※シェア、リンク等大歓迎です!
Rietty
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確固たる想いを洞爺湖で実現させたい! 〜『湖の膳舎 なかむら』 和食職人 中村 悠佑氏〜
2023.4.25 OPEN以来、ずっと気になっていた方をようやく取材することができました。 今回の主人公は『湖の膳舎 なかむら』代表 中村 悠佑さん 千葉県出身、東京都育ち、1児のパパです。 “ My洞爺湖! “ そんな勘違いをしてしまいそうになる景色。 広い窓いっぱいに洞爺湖が見渡せる贅沢空間にその店舗は存在しています。 和食職人と言うと、中学校を出て直ぐ料理の修行をするようなイメージがありましたが、中村さんは和食職人としては珍しい大卒者です。 「本当は、高校を出たら直ぐに飲食業につきたいと思っていました。早くこの世界に入りたかったのです。けれども、親の説得を受けて大学へ行くことになりました」。 とにかく飲食業が好きだった中村さんは、高校一年生の時からファミリーレストランやイタリアンレストランで、大学に入学してからは居酒屋でアルバイトをする日々でした。 「大学では文学部に所属していました。 実はあるリース会社に就職も内定していました。 でも、居酒屋でアルバイトしていた時に感じた、お客様が料理とお酒を楽しんでいる雰囲気がとても好きだったという気持ちを捨てきれず、どうしても飲食業への道が諦められず、その会社を断ってしまいました」。 そんな中村さんが大学卒業後に選んだのは調理師専門学校への入学でした。 「最初はフレンチ志望でした。 かっこ良く見えたんでしょうね。 授業では、和・洋・中をそれぞれ学ぶのですが、授業の中で試食をした時に体にも舌にも自分は和食に向いていると実感しました」。 専門学校卒業後、中村さんは赤坂や新宿の料亭で働き始めました。 修行時代の始まりです。 「就職して初めて飲食業の本当の厳しさを知りました。 労働環境は劣悪でしたよ笑 勤務時間は07:00~25:00 休みの日も糠床をかき混ぜるために出勤していました。 それでもそれほど辛いとは感じなかった。 修行時代を6年ほど過ごし、独立を決めました」。 29歳の時に独立を決めた中村さんは、東京中野の駅前に店舗を構えました。 30席もある店だったそうです。 “ この人みたいになりたい! と憧れる人はいない “ ときっぱり言い切った中村さん。 どこかで聞いたことがある…と思ったら、大谷選手が言った言葉でした。 「え?彼もそんなことを言っていましたか」。と、ご存知なかったご様子。 「修行時代、味付けはさせてもらえませんでした。味付けは最高の位置にいる人の仕事ですからね。 だから、味覚のトレーニングと料理の独自の研究は常に怠りませんでした。 自分の味付けは自分の店を始めてから学びました」。 なるほど。 以前、ある方から、洗い物をする時に鍋についたものやお客様の皿を舐めて味を覚えたという話を聞いたことがありましたが、やはり料理人の世界は厳しいのですね。 「妻は自身で店を持つことを夢に持ち割烹料理店で修行しており、2人で店をスタートしました。東京のお店は住宅街のひっそりとした場所で始めましたが、そこの住宅街にお住まいのお客様はもちろん、近隣の会社様の接待の需要も有り様々なお客様にお越し頂いておりました。その店は、12年間営んでいましたが、北海道行きを決め2023年1月31日に閉じました」。 きっと惜しまれつつ閉じられたのだと思います。 それが証拠に、その時のお客様が東京から洞爺湖までお食事にいらっしゃると言います。 「中村が洞爺湖に店を出したらしいと聞きつけた中野の割烹料理屋時代のお客様がわざわざ来てくださいました。 本当にありがたいです」。 「ところで、何故、洞爺湖を選ばれたのですか?」 「妻の美佳が北斗市出身なのです。いま娘は3歳なのですが、子育ては自然豊かな北海道で育てたいと予々考えていました。そういう視点で北海道を旅した時に、洞爺湖がとても気に入りました。移住するならここが良いなと。でも、果たしてここで商売が成り立つのか? とても不安でした」。 そんな心配を余所に、オープン直後から多くの客様が足を運ぶ店となりました。 「雑誌の「Poroco」や「Ho」に掲載されたことは大きな宣伝になり、とても感謝しています。 札幌圏の方も来てくださるようになりました。ですのでお陰様で夏は順調でした。でも、冬が心配だった。ところが、今度はインバウンドのお客様もたくさん来てくださるようになりました。 シンガポール・タイ・台湾の方が多いです。 海外のお客様は積極的にGoogleにコメントを入れてくださいますので、それをご覧になったお客様がまた来てくださいます」。 予約専門のお店のため、来店者数に合わせて仕込みができるのも強みのようです(席が空いていれば飛び込みも受け付けてくださるそう)。 「どのお料理も素材の味が最大限に生かされていますが、取引先の生産者さんはどのように選ばれているのですか?」 「洞爺湖に引っ越してきたのは2023年の2月で、店のオープンは4月でしたので、野菜は根菜くらいしか手に入らない時期でした。お米は移住前から財田米を食べ比べ、宮内農園さんのお米を食べて「この美味しいお米なら洞爺でお店が出来る」と確信を持てました。宮内農園の佐々木ご夫妻には他の農家さんをご紹介頂いたり、自分達で道の駅で買って美味しかった農家さんにアポを取ってみたりとオープン前は奔走の毎日でした。出来るだけ地元の食材を利用し、地元の方にこんな美味しい食材が地元に有ったんだ!と再発見していただけるようなお店を作っていきたいです」。 特別なものを使うのではなく、地元の方がよく食べているものを使いたいという考え方は素敵だと思いました。 「地元食材を使いながらも、今まで無かった店、今まであまり食べる機会が無かった料理を、職人技で提供する店になりたいと考えています。 とは言え、いまは未だ試行錯誤の段階です。 地元の方に足を運んでいただくためには地域性も大切にしなければいけませんから」。 「ところで、お二人にお尋ねします。移住して良かったなあ〜と思う瞬間てどんな時ですか?」 「最高の食材がすぐ身近にあることが幸せです。 娘がのびのびと成長していると感じる時もまた移住して良かったと感じます」。と悠佑さん。 「洞爺湖を眺めながら大好きな温泉に入っている時です!笑」と美佳さん。 明るい美佳さんは早くも常連さんの人気者です。 「最後に目指しているスタイルがあればお聞かせいただけますか?」 「洞爺湖ならではの和食の店を確立したいです。この素晴らしい借景の中で、洞爺湖でしか食べられないものを提供したい。そのためにも、もっともっと洞爺湖のことを知りたいですし、洞爺湖の食材のことを研究したいです」。 そう力強く語った中村さんの元に、保育園から帰ってきた娘さんが「ありがとうございます!」と言いながらニコニコと現れました♡ ―湖の膳舎 なかむら 情報― 電話 080-9269-2578 住所 北海道虻田郡洞爺湖町洞爺湖温泉186-85 Instagram https://www.instagram.com/nakamura0321?igsh=MWR1bm9ieTBya28yNw==
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